アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(56)
第二幕・第二章 「寧夏路の夜」
「へぇ~、演劇の脚本を書いているなんて、
人は見かけによらないね」
「どんな風に見えたの、貞園には」
「最初空港で見た時は、歳の若いただのエコノミックアニマル。
で、最初の晩には酔っ払いすぎて、
無心に私のむしる北京ダックに食いついていた時は、
ただの空腹の子供だった。
でも2日目の夜になっても、同じベッドに寝ているというのに
手も出さないあなたをみて、
もしかしたら、性的に不能なのかと怪しんでみた。
でもね、わたしが一番感心したのは、
ローマの休日の話だった」
「あらすじの話をしただけだ。
特に感動させるようなことを、言った覚えはないけど」
「何げなく言っていたひと言に、私はとても魅かれたわ。
映画の全編に【優しさと想いやりが、あふれていた】と、言ったでしょう。
それを聴いた瞬間にこの人は、とても素敵で
良質な感性の持ち主だと直感をしたもの。
いい人なんだってピンと来た。
だもの・・・・
わたしになんかには、
絶対に手を出さないはずだと思った」
「そんなことはないさ。
貞園をみていると、欲望をおさえるのに必死だよ」
そうなの?と、
貞園が目を丸くして私の顔を覗きこんでいます。
夜市のひとつ寧夏路は、円環(ロータリー)からは一方通行に変わります。
基本的には夕方から賑わう夜市の一つですが、
昼間から営業をしている屋台などもちらほらと見ることができました。
通りが広いせいか、車やバイクなどでやって来る地元の人たちが、道路の真ん中に
勝手に駐車をすると、食べ物を求めて通りを一斉にあるきはじめてしまいます。
貞園と連れだって、数軒の屋台を物色し始めた頃には、
道路の真ん中がすっかり一直線の駐車場と化していました。
「あら、順平は禁欲しているわけ?
別に、遠慮をしないで手を出せばいいのに。
一度くらいなら、減るわけでもないし」
「こらこら、あまり過激な発言をするなよ。
君が先に、私は売春婦じゃありませんと白状をしたんだぞ。
いちおう私も、健康な30歳の男子です。
人並みレベルの性欲は有るよ。
だからと言って、見境も無く、すべての女性に手を出すわけじゃない。
君は充分に魅力的だけど、
それとこれとは、また別の問題さ」
「安心した。
私に女としての魅力が足りないのではなく、
順平の自制心のほうが、本能よりも強いというわけね。
なんだ、でも、つまんない・・・・」
「まったく、君には悪女としての才能が充分すぎるほど有る。
それよりも、あれからわずかな時間に、
ずいぶんと人が増えてきたね。
そろそろ台湾の夕食の時間かな」
「そうね、
普通台湾では家庭内で夕食を食べないで、
ほとんどが屋台や出店で食事をするわ。
ましてここの夜市は、地元の人たち専用みたいなものだから
日が暮れてくると、一斉に人が集まってくるの。
ほら、ここの名物の豚まんの屋台には
もう長い行列ができてしまったわ」
仕事を終えた市民たちで屋台街がにぎわってくると、
今度は広い道の片側が、いつの間にか駐車のスペースに変わってきました。
ここでは夕方の6時頃から屋台の準備が始まり、明け方の3、4時頃まで
営業をしているお店も並んでいます。
ただしあくまでも道路上ですので、タクシーやバイクが歩いている人たちの横を
速度も落とさずにビュンビュンと通りすぎていきます。
車とバイク、歩行者があふれてきたそんな道路の上に、
屋台車がどこからともなく、暗闇と共に次々と現れてきます。
隣の屋台と軒を接して隙間を詰めながら、あたりかまわずどんどんと並びます。
すでに仕込みが終わって運んできたものばかりなので、
場所を確保したらすぐにその販売がはじまりました。
「台湾の家庭料理のひとつ、
魯肉飯(るうろうはん)を是非食べてみてよ。
日本風に言えば、豚肉のかけご飯です。
安くておいしい、台湾の庶民食の代表よ」
貞園が、美味しい香りの漂う屋台の前で立ち止まりました。
魯肉飯は、白いご飯に煮込んだそぼろ豚肉と汁をかけて食べる台湾の家庭料理です。
独特の香辛料が鼻孔をくすぐり食欲をそそります。
「大丈夫。
すこし日に焼けている順平は、現地人と同じに見えるから
私たちは、新婚カップルということで、
そこのテーブルで食事をしましょう。
あ、それからビールはここでは売っていませんから、
さっきのコンビニで買ってきてくださいね、私の分まで。
あとは適当に私がオーダーをしておきます。
よろしくお願い、ねぇ、あなた」
油断をしていると、貞園からは色気の波状攻撃がやってきます。
まったくこの子には、根っからの悪女としての才能が生まれた時から
備わっていたような気がします。
70年代の後半から台湾にも進出してきたというコンビニで、
台湾ビールを4本買いテーブルに戻ってくると、もうその上には
さまざまな台湾料理が並んでいました。
屋台での屋台料理は、器はきわめて小さいためにかなりの種類を頼んでも
食べ残しになるほどの心配がありません。
隣のテーブルに座った台湾の若いカップルが「天婦羅」を食べていました。
衣をつけて揚げているのは日本と同じですが、見た感じが大違いです。
よそ見をしている間に、貞園に炒めたばかりの野菜を口の中に
放り込まれてしまいました。
あまりの熱さに思わず口を押さえていると、口に含んだビールを
口移しで呑ませてあげようかと貞園が目を細めて笑っていました。
この子は悪戯ぶりにも天分があります・・・・
「ねぇ、黒光って、どんな女性なの? 」
2本目の缶ビールも空にした貞園が、トロンとした目で
テーブルに片ひじをついて、下の方から私の顔を見上げていました。
どうやらアルコールは、本人が自負するほど強くありません。
「明治時代を代表する彫刻家で、
日本の近代彫刻の礎を築いたといわれている、萩原碌山という芸術家がいる。
黒光は夫の相馬愛蔵とともに、その彼を支えたパトロンだ。
経済的な意味でもそうだけど、
もう一方で、終生のアイドルと言うか碌山にとっての、
憧れの女性だった。
その想いのすべてを注ぎ込んで、
彼の最後の作品となる「女」を黒光のためだけに作りあげた。
もちろんモデルは、黒光だと言われている」
「へぇ・・・・浪漫チックな話だわ・・・ねぇ・」
と、言いかけた処で、缶ビールが手元から地面にコロンと落ちました。
トロンとしていた目がゆっくりと閉じられて、それとほとんど同時に、貞園がスローモーション映画のように
後ろに向かって倒れ始めました。
この娘はアルコールに免疫がありません。
あっというまに酔っ払ってしまい、あげくに意識を失ってしまいました。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
第二幕・第二章 「寧夏路の夜」
「へぇ~、演劇の脚本を書いているなんて、
人は見かけによらないね」
「どんな風に見えたの、貞園には」
「最初空港で見た時は、歳の若いただのエコノミックアニマル。
で、最初の晩には酔っ払いすぎて、
無心に私のむしる北京ダックに食いついていた時は、
ただの空腹の子供だった。
でも2日目の夜になっても、同じベッドに寝ているというのに
手も出さないあなたをみて、
もしかしたら、性的に不能なのかと怪しんでみた。
でもね、わたしが一番感心したのは、
ローマの休日の話だった」
「あらすじの話をしただけだ。
特に感動させるようなことを、言った覚えはないけど」
「何げなく言っていたひと言に、私はとても魅かれたわ。
映画の全編に【優しさと想いやりが、あふれていた】と、言ったでしょう。
それを聴いた瞬間にこの人は、とても素敵で
良質な感性の持ち主だと直感をしたもの。
いい人なんだってピンと来た。
だもの・・・・
わたしになんかには、
絶対に手を出さないはずだと思った」
「そんなことはないさ。
貞園をみていると、欲望をおさえるのに必死だよ」
そうなの?と、
貞園が目を丸くして私の顔を覗きこんでいます。
夜市のひとつ寧夏路は、円環(ロータリー)からは一方通行に変わります。
基本的には夕方から賑わう夜市の一つですが、
昼間から営業をしている屋台などもちらほらと見ることができました。
通りが広いせいか、車やバイクなどでやって来る地元の人たちが、道路の真ん中に
勝手に駐車をすると、食べ物を求めて通りを一斉にあるきはじめてしまいます。
貞園と連れだって、数軒の屋台を物色し始めた頃には、
道路の真ん中がすっかり一直線の駐車場と化していました。
「あら、順平は禁欲しているわけ?
別に、遠慮をしないで手を出せばいいのに。
一度くらいなら、減るわけでもないし」
「こらこら、あまり過激な発言をするなよ。
君が先に、私は売春婦じゃありませんと白状をしたんだぞ。
いちおう私も、健康な30歳の男子です。
人並みレベルの性欲は有るよ。
だからと言って、見境も無く、すべての女性に手を出すわけじゃない。
君は充分に魅力的だけど、
それとこれとは、また別の問題さ」
「安心した。
私に女としての魅力が足りないのではなく、
順平の自制心のほうが、本能よりも強いというわけね。
なんだ、でも、つまんない・・・・」
「まったく、君には悪女としての才能が充分すぎるほど有る。
それよりも、あれからわずかな時間に、
ずいぶんと人が増えてきたね。
そろそろ台湾の夕食の時間かな」
「そうね、
普通台湾では家庭内で夕食を食べないで、
ほとんどが屋台や出店で食事をするわ。
ましてここの夜市は、地元の人たち専用みたいなものだから
日が暮れてくると、一斉に人が集まってくるの。
ほら、ここの名物の豚まんの屋台には
もう長い行列ができてしまったわ」
仕事を終えた市民たちで屋台街がにぎわってくると、
今度は広い道の片側が、いつの間にか駐車のスペースに変わってきました。
ここでは夕方の6時頃から屋台の準備が始まり、明け方の3、4時頃まで
営業をしているお店も並んでいます。
ただしあくまでも道路上ですので、タクシーやバイクが歩いている人たちの横を
速度も落とさずにビュンビュンと通りすぎていきます。
車とバイク、歩行者があふれてきたそんな道路の上に、
屋台車がどこからともなく、暗闇と共に次々と現れてきます。
隣の屋台と軒を接して隙間を詰めながら、あたりかまわずどんどんと並びます。
すでに仕込みが終わって運んできたものばかりなので、
場所を確保したらすぐにその販売がはじまりました。
「台湾の家庭料理のひとつ、
魯肉飯(るうろうはん)を是非食べてみてよ。
日本風に言えば、豚肉のかけご飯です。
安くておいしい、台湾の庶民食の代表よ」
貞園が、美味しい香りの漂う屋台の前で立ち止まりました。
魯肉飯は、白いご飯に煮込んだそぼろ豚肉と汁をかけて食べる台湾の家庭料理です。
独特の香辛料が鼻孔をくすぐり食欲をそそります。
「大丈夫。
すこし日に焼けている順平は、現地人と同じに見えるから
私たちは、新婚カップルということで、
そこのテーブルで食事をしましょう。
あ、それからビールはここでは売っていませんから、
さっきのコンビニで買ってきてくださいね、私の分まで。
あとは適当に私がオーダーをしておきます。
よろしくお願い、ねぇ、あなた」
油断をしていると、貞園からは色気の波状攻撃がやってきます。
まったくこの子には、根っからの悪女としての才能が生まれた時から
備わっていたような気がします。
70年代の後半から台湾にも進出してきたというコンビニで、
台湾ビールを4本買いテーブルに戻ってくると、もうその上には
さまざまな台湾料理が並んでいました。
屋台での屋台料理は、器はきわめて小さいためにかなりの種類を頼んでも
食べ残しになるほどの心配がありません。
隣のテーブルに座った台湾の若いカップルが「天婦羅」を食べていました。
衣をつけて揚げているのは日本と同じですが、見た感じが大違いです。
よそ見をしている間に、貞園に炒めたばかりの野菜を口の中に
放り込まれてしまいました。
あまりの熱さに思わず口を押さえていると、口に含んだビールを
口移しで呑ませてあげようかと貞園が目を細めて笑っていました。
この子は悪戯ぶりにも天分があります・・・・
「ねぇ、黒光って、どんな女性なの? 」
2本目の缶ビールも空にした貞園が、トロンとした目で
テーブルに片ひじをついて、下の方から私の顔を見上げていました。
どうやらアルコールは、本人が自負するほど強くありません。
「明治時代を代表する彫刻家で、
日本の近代彫刻の礎を築いたといわれている、萩原碌山という芸術家がいる。
黒光は夫の相馬愛蔵とともに、その彼を支えたパトロンだ。
経済的な意味でもそうだけど、
もう一方で、終生のアイドルと言うか碌山にとっての、
憧れの女性だった。
その想いのすべてを注ぎ込んで、
彼の最後の作品となる「女」を黒光のためだけに作りあげた。
もちろんモデルは、黒光だと言われている」
「へぇ・・・・浪漫チックな話だわ・・・ねぇ・」
と、言いかけた処で、缶ビールが手元から地面にコロンと落ちました。
トロンとしていた目がゆっくりと閉じられて、それとほとんど同時に、貞園がスローモーション映画のように
後ろに向かって倒れ始めました。
この娘はアルコールに免疫がありません。
あっというまに酔っ払ってしまい、あげくに意識を失ってしまいました。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/