落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「舞台裏の仲間たち」(48) 第二幕・第二章 「ここだけの話」

2012-10-11 10:34:12 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(48)
第二幕・第二章 「ここだけの話」




 
 「技術水準から言えば、台湾は
 われわれが10年前に通過した次元とほぼ同じと考えてもいい。
 機械や設備は近代的でも、金型そのものを取り巻く環境が10年は遅れている。
 ろくな技術者はいないし、最新の機械を操る能力も決定的に不足している。
 そう言う意味でここは日本から10年以上は遅れている」


 そこまで一気に語った亀田社長が、
ロックのウイスキーを一口に呑みほし、額に浮かんできた汗を
乱暴におしぼりで拭い始めました。
金型の製作と言うのは、新製品の図面だけをもとにして、
習熟した機械加工と、繊細な手加工によって仕上ることが要求される
特殊な金属加工の世界です。
例えば、光沢のある滑らかなプラスチックの表面を生み出すために、
削られた金属の表面を鏡のようになるまで人の手によって
ピカピカになるまで磨きあげる工程などもあるのです。



 製品全般において、プラスチックの製品を必要とする場合には、
まずその製品の図面がひかれます。
図面にしめされた新製品の形状を正確に、かつ忠実に、
プラスチック形状の原型を再現したものが、金型と呼ばれています。
新製品の良し悪しを左右するのは、すべてはこの金型の完成度にかかっています。



 「現状で台湾では、完成した金型は出来あがらない。
 俺の言っている意味はわかるよね・・・・
 順平君。
 可能性を随分と模索をしたが、結論は変わらないと思う・・・
 後に2週間もすると、未完成なままに
 金型を船便で日本に向かって送り出すことになる。」



 「それは、最初の金型が未完成のまま
 日本に送られてしまう・・・
 と言う意味ですね。
 至急の対策を、早急に取る必要が有ると言うことですか。
 僕が呼ばれたのは、やはりそう言う意味ですね」



 「上の連中たちも、これは想定の範囲だと言っている。
 人件費の安い海外で、金型を8割程度にまで造っておいて、あとは国内の工場で
 完全に仕上げれば、それなりのコストダウンにはなるという。
 ただ・・・・
 国内での対応いかんでは、大変な事態になってしまう。
 うまくローテーションが組めれば、大幅なコストダウンもあるが、
 しくじれば大変な打撃にもなる。
 事態は急を要している」




 「私に、声がかかるのが早いと思っていました。
 やはり、そう言う背景がありましたか。
 わかりました、
 戻ったら最善をつくします。
 病んでいてもはじまりませんからね・・・・」



 「そういうことだ。
 この一件には、この亀田金型のこの後の全てがかかっている
 よろしく頼むよ、順平さん」




 やはりと言う気持ちはありましたが、ここでジタバタしたところで
簡単に解決がつくという話でもありません。
技術的に立ち遅れている地域へ進出をするということは、常にこうしたリスクを伴います。
ほっとした亀田社長とその後30分ほど雑談を交わしてから、
それぞれ別行動で、昨日のお店に出かけました。


 他のテーブルについていた貞園が私の顔を見つけるなりあっというまに飛んできてしまいました。
「大丈夫なの?あっちはほっといても」と心配して声をかけても、


 「農協のスケベな爺なんかは、大嫌い。
 お話をするよりも、連中は女と見れば、ただただ遣りたいだけだもの。
 女を何だと思ってるの。
 私は嫌いだ、あんなのは」


 と、まったく意に介せずに笑っています。
たしかに、此処のお店では自由恋愛が基本の様で、女性たち側にも『拒否権』が保障されているようでした。


 「そうすると、俺も
 あらためて貞園を、口説く必要があるということかな。
 自由恋愛のためにも・・・・」



 「口説いてくれなくても、今夜も行くわ。
 でも、変だわね、だいぶスッキリした顔をして。
 ビジネスがうまく行ったのかな、
 悩みがひとつ消えたようだわね、そんな顔をしてるわよ。
 あなた、ジュンペイくん」



 「もう、名前を覚えてくれたんだ、
 有りがたいね。
 大学生だと言っていたけど、専攻はなんなのさ」



 「人間行動学よ。
 心理学、社会学、人類学などのもろもろよ。
 行動科学(こうどうかがく)の全般。
 人間の行動を、科学的に研究をするの」



 「ずいぶんと難しそうな学課だね。
 ここで働いているのも、その勉強の一環かな? 」



 「まさかぁ、
 ただの学費稼ぎのためだけよ。
 でも、簡単に男たちとは寝ないわよ、わたしは。
 けっこう気難しいんだから、こうみえても。
 わたしって。」



 鼻のところに小皺を寄せて、貞園が悪戯っぽく笑います。
10時を過ぎた頃に、かなり酩酊をした状態で千鳥足の亀田社長が、
見たことのない日本人客を一人連れてやってきました。
きっちりとした背広姿から察すると、商社の営業マンか、金融関係の担当者のようにも見えました。


 こちらの様子に気がついたようですが、
やぁと、いつものように片手を上げただけで、少し離れた席に
背広姿と共に背中を見せて座ってしまいました。
やがてパートナーの女性を傍らに呼びつけると、なにやら小声で耳打ちしています。
そのパートナーの顔色が曇りました。



 それは、傍目にもあきらかに拒絶を見せたような素振りに見えました。
しかしそれにもかかわらず、亀田社長の説得は執拗です。
観念を決めたのか、やがてパートナーが首を縦に振りました。
見かねたように、貞園が私の隣で舌打ちをします。



 「エコノミック/アニマルだ・・・・」


 「え?  」


 小指の爪を噛みながら、貞園が、強い挑むような視線で
亀田社長とパートナーの姿を睨みつけています。





 ■エコノミックアニマル
 かつて、特に男性の社会においては、「滅私奉公」等の言葉に代表されるように
 己の身を顧みず職業に邁進することこそが、良いとする規範が存在をしました。
 己よりも職を優先することが、社会的にも求められた時代が有ったのです。
 こうした状況下では、有給休暇を取ることすら罪悪のようにみなされました。


  高度経済成長期からの日本社会では、
 第二次世界大戦に敗れた後の戦後の貧しい時代などの経験から
 国の復興と経済発展に邁進することが、社会から個人へ強く求められました。
 こうしたことから「滅私奉公」の精神とあいまって、仕事に邁進する人が
 数多く見られるようになりました。


 この当時、まだ日本では女性の社会進出が進んでいなかったこともあり、
 女性会社員が家庭を顧みずに働くことはまれで、
 家庭で男性を支えることが求められていました。
 男性会社員が家庭を顧みずに仕事を優先させることは
 当たり前であるとする風潮も見られ、地域社会の希薄化ともあいまって、
 育児はもっぱら母親の責任とされました。



  特にエリート職であるビジネスマンを始めとして、
 サラリーマンでも家庭を顧みない人は多く見られ、職場を「戦地」に例え、
 そこに赴く「企業戦士」という言葉さえ生まれました。


 しかしこの日本でも、
 高度経済成長期から一時の不況を経てバブル期に差し掛かると、
 職業に没頭した挙句に健康を害したり、または過労により
 死亡する人が目立つようになり、社会問題として仕事に没入することの
 危険性が指摘をされ始めます。


  また労働災害や職業病に見られる安全や健康を損なってまで
 就労することの是非なども問われるようになりました。
 なおこの時期には女性の社会進出も進み、
 過労で体調を崩すキャリアウーマンたちも少なからず発生をしたようです。






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