「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第56話 ハグとレディファースト

帰国子女、サラの日本語は、周囲の心配をよそに日に日に上達していく。
難しいと思われた祇園の言葉も、なんとなくだが身についてきた。
井上流の入門も許され、舞の稽古が始まった。
サラがお稽古用の浴衣に着替えた時、最初の問題が発生した。
祇園伝統の浴衣には、子ども用であることを示す肩上げと腰上げが
ついている。これには実は訳が有る。
昭和初期までの祇園では、10歳から13歳までの子供が舞妓をしていた。
舞妓の装いは、子供の可愛らしさを強調する役割がある。
舞妓の年齢が16歳から20歳位に上がった今でも、それらの名残が残されている。
子供であることをしめす肩上げや袖上げ、腰上げなどを残したことが
それにあたる。
170センチと言うサラの長身が、災いをした。
大人の女性用の浴衣の場合、165センチ前後が標準サイズになる。
舞妓見習いの場合は、必然的にもっと小さなサイズになる。
女将が慌てて、あちこちへ電話をかけまくった結果、ようやくのことで、
特大サイズの浴衣が見つかった。
だが肩上げを作り、腰上げを縫い付けると、やはり浴衣が小さくなってしまう。
「とりあえずこれを着ておきなはれ。あとで特注サイズ発注するさかい。
それにしても、やっぱり、大きい子やな。
見上げているわての首が、いまにも折れそうや・・・」
ようやくのことで浴衣に着替えたサラが、感謝の思いを込めて、
女将を力いっぱい、ハグ(抱擁)してしまう。
女将も突然のことで目を丸くするが、応える形でしっかりとサラの身体を
抱きとめる。
「これ、サラ!。何度言ったらわかるんや。
ハグは御法度やさかい、簡単に人様に抱き付いたらあきまへん。
うんもう。この子ったら、何べん言うてもハグの癖が治りまへんなぁ。
お母さんまで何どすか。ハグを返したらあきまへんて!」
ふすまの向こうから佳つ乃(かつの)が、ハグをしているサラを厳しく叱る。
女将のほうが、「まぁまぁ」と佳つ乃(かつの)をなだめる。
「キスをしなくなったさかい、それだけでもめっけもんや。
帰国子女は、キとハグが当たり前で育った子や。
サラは産まれた時から香港で育ったさかい、生粋の西洋文化の子や。
レディーファーストにも抵抗がない子やからな。
これから、古い祇園のしきたりを身に着けていくのが、至難の業やなぁ」
「そんなことあらへんて。
ウチなぁ、ずいぶん日本語も上手になって来たし、祇園の言葉もしゃべれます。
早く舞を覚えて、お店出ししたいと思ってまんねん。
ウチの指導者のお姉さんは、売れっ子芸妓の佳つ乃(かつの)はんや。
早いうちにお姉はんをしのぐ超売れっ子の、舞妓になって
お見せしますぅ。」
サラは自分の意見を、ストレートに口にする。
様子を見に来た佳つ乃(かつの)も、口を開けたまま、呆然と言葉を失う。
自信過剰というタイプではないが、帰国子女のサラは言いたいことを、
常に口に出してはっきりと言う。
「文化の違いと言えばそれまでやけど、口は昔から災いの元や。
サラ。口にする前に、言葉の良しあしをもう一度ゆっくりと考えて下さい。
言って良いこと。悪いこと。
その境目が自分の人生を、簡単に変えてしまいます。
と言っても、帰国子女のサラには、何のことだか分からないか・・・。
自己主張することが、当たり前の国で育った子だもの。
奥ゆかしく振る舞うことを美徳と考える祇園の文化は、難しすぎますなぁ。
言葉がなくとも通じ合う、以心伝心を教えるのは大変どす。
気が重くなってきました。サラに日本の古典芸能を教えるのは・・・」
「お前さんが今からさじを投げて、どうすんのさ。
サラは将来を期待されている、大物の大型新人どす。
びしっと祇園の文化を教え込んで、花街の人気舞妓に育て上げておくれよ。
ブルーの目の舞妓どす。きっと、国際的なスターに育ちます、サラは」
「お母さんだけどす。そない呑気なことを言うてはるのは。
大型新人ゆうても、大きいのは外観だけですえ。
見かけも中身も、純日本製に作り変えていかなければなりまへん。
実に多難な道になりますなぁ・・・サラも、あたしも」
ふう~と重い溜息をついている佳つ乃(かつの)をしり目に、
当のサラは、はじめて浴衣に袖を通したことで、歓喜のあまりピョンピョンと
裾を翻しながら、座敷の中を飛び跳ねていく。
第57話につづく
落合順平の、過去の作品集は、こちら