「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第69話 祇園の最長老

祇園にも最長老の芸妓が居る。今年、93歳。
舞うことには無理がある。しかし、長年鍛えてきた三味線には定評がある。
背筋をピンと伸ばし、今日も颯爽と花見小路を歩いていく。
目の前を通りかかったサラを、93歳の現役芸妓が先に呼び止めた。
「これ。お前が香港からやって来たという、勝乃のところのおちょぼかい?」
「はぁ。ウチの名前はサラと言います。
どなたかは存じませんが、どうぞ今後ともご贔屓にお願いいたしますぅ」」
「贔屓にするかどうかは、お前さんの話を聞いてからじゃ。
どうじゃ、時間が有るなら少しあたしと付き合うか?」
「へぇ。喜んでお付き合いいたします。どこぞかでお茶でもいたしましょうか?。
お茶でもコーヒーでも、どこまででもお供をいたしますぅ」
「おや。驚いたねぇ、英語じゃないんだ。
祇園の言葉はまだまだどすが、なるほど、日本語はそこそこのようどすなぁ。
あたしは、今風のカフェやら若い者が入る喫茶店と言うのは、身体に合いません。
ちょうどそこに馴染みのお茶屋がある。
女将に言って、ほうじ茶でも入れさせようじゃないか」
(お茶屋さんでほうじ茶どすか。ずいぶん突拍子もないな組み合わせですねぇ・・・)
小首を傾げながらサラが、93歳の現役芸妓の後ろに着いていく。
「ごめんやす」と最長老の芸妓が、老舗お茶屋の格子戸をくぐり抜ける。
午前中の花見小路は、人の通りが少ない。
眠りについたままの通りの様子は、どこを見ても何故か殺風景に見える。
日が暮れて、赤い提灯が軒下に灯されると花街として息を吹き返すが、午前中の今は、
ただただ静かに静まり返っている。
江戸時代をしのばせる紅柄格子の建物だけが、どこまでも静かに立ち並んでいる。
昨夜の喧騒を終えたお茶屋の内部も、午前中はひっそりとしている。
最高齢芸妓の声を聞きつけて、奥からあわててお茶屋の女中が飛んできた。
「この子がいま評判のサラだ。少し話がしたいから、わたしに奥の座敷を貸しておくれ。
お茶はいつものほうじ茶だ。わるいねぇ、じゃ頼みましたよ」
くるりと背を向けて去りかけていく女中に、「女将によろしく」と老芸妓が、
小さく包んだチップを渡す。
「「お前さんの事は、元気な女の子が来たと言うので、評判だ。
舞の仕上がり具合はどうだい。来年の、都をどりには間に合いそうか?」
「おばあちゃんは、三味線の名手と伺っております。
名手のおばあちゃんが、なんでウチみたいな駆け出しに興味なんかあるんどすか?」
「このあいだ。勝乃と同期の置屋の女将と、行きあってきた。
磨けば光る必ず原石だと、お前さんの事を褒めていました。
辛口の女将が、来たばかりのおちょぼなんぞを褒めるのは、珍しいことだ。
どんな子だろうと興味をそそられて、あたしものこのこと出かけてきたのさ」
「ごめんやす」と女将が、ほうじ茶を運んできた。
「女将。朝早くからドカドカと押しかけて済まないね。あたしゃ朝のほうじ茶が一番の好みだが、
この子の好みはまだ聞いておりません。いいのかいサラ。あたしと同じほうじ茶で?」
「はい。いただきます、ありがとうございます」とサラが長身をペコリと
小さく2つに折りたたむ。
「あんた。頭の下げ方があかんなぁ」とすかさず女将から、声が飛ぶ。
「胸から先に前へ出して、後ろの襟首が見えるか見えへんくらいまで、頭を下げるんや」
あわててお辞儀をやり直すサラの様子を見て、女将が目を細める。
「そうや。そんな風に頭はさげるんや。ええ子やなぁ。すぐに正直に応じるなんて」
気に入ったでぇあんた、とさらに女将が目を細めていく。
「ここの女将も、勝乃と同期どす。。
同期の3人が揃うと、そりゃあもう、ピーチクパーチク賑やかどしたなぁ。
それがいつの間にか一人前になり、3人ともそろって屋形の女将におさまっておる。
あたしゃ窮屈な女将暮らしより、お座敷で三味線を弾いていたほうが性に合います。
祇園で芸を披露してかれこれ、80年。人間、長生きはしてみるもんですねぇ。
おかげさまでこうして、青い目をしたおちょぼとお茶が飲めるんだから」
第70話につづく
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