落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第58話 広がる波紋

2014-12-10 12:39:46 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第58話 広がる波紋




 青い目をした「仕込みちゃん」の登場は、祇園の町に一石を投じた。

(今度、福屋に入った仕込みちゃんは、よく見たら目が青いで。
 あの子は、外人かいな)
(母親は日本人だが、旦那はイギリス人と言う話や。
 香港から帰って来たばかりの、帰国子女らしい)



(けど大物やで。ゆうに、170センチは有るやろう)



(髪結って、おこぼを履くと190センチを越えそうやな。
 バレーボールの選手や有るまいし、大きいのにも限度っちうものがある。
 お座敷に入るとき、鴨居に頭をぶつけるでぇ)


(誰彼かまわず、突然キスとハグをするそうや。
 そういう文化の国で育ったから、それが当たり前ちゅう話やな。
 この間も四条通りのど真ん中で、佳つ乃(かつの)ちゃんがハグをされとったで。
 スキンシップやなんか知らんが、妙なものが祇園で流行ったら困るわなぁ・・・)



 遠くから、サラの行動を注目している外野の声は喧しい。
だが当のサラは、そんな外野のささやきを一向に気にしない。
今日も舞の稽古の帰り道、團栗橋で仕事している路上似顔絵師を訪ねてきた。


 「お兄ちゃん。また路上で商売かいな。
 佳つ乃(かつの)姉さんに知れたら、こっぴどく叱られまっせ。
 路上で似顔絵なんか書かないで、あちこちの美術館巡りをして、
 しっかり、研鑽しなさいと言われたばかりでしょ」


 「研鑽(けんさん)などという、難しい言葉をもう覚えたんだ。
 凄いね、君は。美術館巡りは、どうにも性が合わなくてね。
 気が付いたら、やっぱりこうして、いつものように団栗橋に
 腰を下ろしているんだ」



 「ふぅ~ん。路上似顔絵師の持っている、悲しい職業的な性(さが)かいな。
 兄ちゃんも、気の毒な星の下に生まれたんやなぁ」



 サラの笑顔は、あどけなく、屈託がない。
瞳が薄いブル―というだけで、あとは何処からどう観察してみても、
少しばかり背の高い、日本の女の子だ。
見慣れてきたせいか、浴衣姿もさまになってきた。
だが、依然として、帰国女子ならではの習性が残っている。
場所をわきまえず、キスしたり、ハグしょうと言う行動が自然に出る。
先日も路上で出会った福屋の先輩芸妓に、いきなり真正面から抱き付いた。


 「これ、サラ。あかんゆうたやろ。路上のハグは!」



 佳つ乃(かつの)に大きな声で怒られて、サラがぺろりと赤い舌を出す。
悪気は一切無いのだ。
親しみの気持ちを表す行動が、キスであり、所構わぬハグなのだ。
15歳になるまで、あたりまえのように、キスとハグを連発してきた女の子だ。
いまさらやめろと言われても、本能的に唇が反応するし、抱擁するために
自然に手が伸びる。
サラはもともと、社交性が豊かな女の子としてのびのびと育ってきた。
天性の資質は、祇園の町中を歩いているときにも現れる。



 祇園でお姉さんたちを見つけるたび、サラは足早に駆け寄っていく。
「ごきげんよう、サラどす。おはようございます」
ピョコンと頭を下げたあと、抱擁のために出した手を、あわてて握手の形に切り替える。
他所の屋形のお姉さんであれ、サラは同じ挨拶を同じように繰り返していく。


 (かなわんなぁ、あの子の元気な挨拶には・・・)



 (エネルギッシュでええやんか。祇園の新しい時代を予感させる子やなぁ。
 あの子は、広東語と英語と、祇園の言葉を自在にあやつるそうや。
 外国の要人がお忍びでお客はんとして、祇園にやって来る時代や。
 あんな子が、いまに、祇園に旋風を巻き起こすかもしれまへんなぁ・・・)


 元気いっぱいに駆け去っていく長身に、お姉さんたちが笑顔で苦笑を洩らす。



 (この子は、きわめて頭の良い子だ)目の前に座るサラ見つめて、
似顔絵師がぽつりとつぶやく。
ひとの気持を変えるために、全身で相手にぶつかっていく姿勢を持っている。
だが、控えめが美徳とされている花街では、誤解されやすい性格だ。
しかしサラは、まったく臆することなく、いつも全力で相手の心の中へ飛び込んでいく。


(この子は自分の欠点さえ、魅力に変えてしまう女の子かもしれないな・・・
 そこぬけに明るく見えるところが、なんとも微笑ましい。
 でもなぁ。長年にわたって築き上げてきた祇園のしきたりと格式は、強敵だ。
 君がその階段を、どこまで登っていけるか、いまから楽しみだな)



 「一枚、書いてあげようか」と似顔絵師がスケッチブックを取り出す。
「はい!」と元気に答えたサラが、満面の笑みを浮かべる。
「こう、どすかぁ」と、早くもしゃなりとしたポーズなどを取ってみせる。


第59話につづく

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