「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第58話 広がる波紋

青い目をした「仕込みちゃん」の登場は、祇園の町に一石を投じた。
(今度、福屋に入った仕込みちゃんは、よく見たら目が青いで。
あの子は、外人かいな)
(母親は日本人だが、旦那はイギリス人と言う話や。
香港から帰って来たばかりの、帰国子女らしい)
(けど大物やで。ゆうに、170センチは有るやろう)
(髪結って、おこぼを履くと190センチを越えそうやな。
バレーボールの選手や有るまいし、大きいのにも限度っちうものがある。
お座敷に入るとき、鴨居に頭をぶつけるでぇ)
(誰彼かまわず、突然キスとハグをするそうや。
そういう文化の国で育ったから、それが当たり前ちゅう話やな。
この間も四条通りのど真ん中で、佳つ乃(かつの)ちゃんがハグをされとったで。
スキンシップやなんか知らんが、妙なものが祇園で流行ったら困るわなぁ・・・)
遠くから、サラの行動を注目している外野の声は喧しい。
だが当のサラは、そんな外野のささやきを一向に気にしない。
今日も舞の稽古の帰り道、團栗橋で仕事している路上似顔絵師を訪ねてきた。
「お兄ちゃん。また路上で商売かいな。
佳つ乃(かつの)姉さんに知れたら、こっぴどく叱られまっせ。
路上で似顔絵なんか書かないで、あちこちの美術館巡りをして、
しっかり、研鑽しなさいと言われたばかりでしょ」
「研鑽(けんさん)などという、難しい言葉をもう覚えたんだ。
凄いね、君は。美術館巡りは、どうにも性が合わなくてね。
気が付いたら、やっぱりこうして、いつものように団栗橋に
腰を下ろしているんだ」
「ふぅ~ん。路上似顔絵師の持っている、悲しい職業的な性(さが)かいな。
兄ちゃんも、気の毒な星の下に生まれたんやなぁ」
サラの笑顔は、あどけなく、屈託がない。
瞳が薄いブル―というだけで、あとは何処からどう観察してみても、
少しばかり背の高い、日本の女の子だ。
見慣れてきたせいか、浴衣姿もさまになってきた。
だが、依然として、帰国女子ならではの習性が残っている。
場所をわきまえず、キスしたり、ハグしょうと言う行動が自然に出る。
先日も路上で出会った福屋の先輩芸妓に、いきなり真正面から抱き付いた。
「これ、サラ。あかんゆうたやろ。路上のハグは!」
佳つ乃(かつの)に大きな声で怒られて、サラがぺろりと赤い舌を出す。
悪気は一切無いのだ。
親しみの気持ちを表す行動が、キスであり、所構わぬハグなのだ。
15歳になるまで、あたりまえのように、キスとハグを連発してきた女の子だ。
いまさらやめろと言われても、本能的に唇が反応するし、抱擁するために
自然に手が伸びる。
サラはもともと、社交性が豊かな女の子としてのびのびと育ってきた。
天性の資質は、祇園の町中を歩いているときにも現れる。
祇園でお姉さんたちを見つけるたび、サラは足早に駆け寄っていく。
「ごきげんよう、サラどす。おはようございます」
ピョコンと頭を下げたあと、抱擁のために出した手を、あわてて握手の形に切り替える。
他所の屋形のお姉さんであれ、サラは同じ挨拶を同じように繰り返していく。
(かなわんなぁ、あの子の元気な挨拶には・・・)
(エネルギッシュでええやんか。祇園の新しい時代を予感させる子やなぁ。
あの子は、広東語と英語と、祇園の言葉を自在にあやつるそうや。
外国の要人がお忍びでお客はんとして、祇園にやって来る時代や。
あんな子が、いまに、祇園に旋風を巻き起こすかもしれまへんなぁ・・・)
元気いっぱいに駆け去っていく長身に、お姉さんたちが笑顔で苦笑を洩らす。
(この子は、きわめて頭の良い子だ)目の前に座るサラ見つめて、
似顔絵師がぽつりとつぶやく。
ひとの気持を変えるために、全身で相手にぶつかっていく姿勢を持っている。
だが、控えめが美徳とされている花街では、誤解されやすい性格だ。
しかしサラは、まったく臆することなく、いつも全力で相手の心の中へ飛び込んでいく。
(この子は自分の欠点さえ、魅力に変えてしまう女の子かもしれないな・・・
そこぬけに明るく見えるところが、なんとも微笑ましい。
でもなぁ。長年にわたって築き上げてきた祇園のしきたりと格式は、強敵だ。
君がその階段を、どこまで登っていけるか、いまから楽しみだな)
「一枚、書いてあげようか」と似顔絵師がスケッチブックを取り出す。
「はい!」と元気に答えたサラが、満面の笑みを浮かべる。
「こう、どすかぁ」と、早くもしゃなりとしたポーズなどを取ってみせる。
第59話につづく
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