「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第60話 サラが舞う

井上流の舞の基本姿勢は、中腰だ。
流麗な印象を受ける京舞だが、中国の太極拳などと同じように、
中腰姿勢での動作が基本になっている。
さらにスクワットのように、ゆるやかな足腰の屈伸が常にともなう。
滑らかな動きとは裏腹に、強靭な脚力と体力が必要になる。
30分あまりの稽古で、汗だくになる。
「背筋を伸ばしたまま、おいど(お尻)をしっかり降ろすんや。
はい。そのままの姿勢や。背筋をすくっと伸ばしたまま、我慢、我慢。
ひたすら我慢やで!」
グラグラ動いてはいけません、と、舞の師匠が声を張り上げる。
井上流は、お尻を降ろしたこの形を身に着けることから稽古をはじめる。
並みの体力や脚の力では、すぐ我慢の限界がやって来る。
膝が笑い出す。太ももにしびれがやって来る。
やがて、上体が揺れ始める。
我慢の限界がやってくると、耐え切れなくなった新人たちが、
へなへなと、板の間の上に崩れ落ちていく。
「あきまへんなぁ、あんたたちは。いまからそんなことでどないすんの。
来年の春には、都をどりの舞台が待ってんのやでぇ。
サラを見てごらん。顔色一つ変えずに、辛抱できてんのや。
生粋の大和なでしこのみなはんが、帰国子女に負けていてどないすんねん。
でけん子は、このまま祇園から出て行ってもらいます。
それが嫌だというのなら、歯ぁ食いしばって、しっかりと立つんやな」
稽古に容赦はない。
舞の形が出来なければ、祇園を去る運命だけが待っている。
何度も崩れ落ちていく同期を尻目に、サラは汗もかかず姿勢を維持して見せる。
(ホンマや。この子の持久力と筋力は半端やない。
勝乃が言う通り。10年に一度の逸材と言うのは、まんざら嘘ではなさそうや。
けどなぁ。体力が有っても、それほど甘くないのが京舞の世界や。
それにしても久しぶりに、しごき甲斐の有る逸材が登場してくれました。
どこまで頑張れるか、ウチもしごき甲斐があります。
楽しみどすなぁ。うふふ)
新人が最初に手ほどきを受ける舞は、「門松」だ。
君が代は、つくや手まりの音もがな、
はやす拍子の若菜ぐさ、にっこり笑顔や、角に松
雅(みやび)な囃子に、可愛い振りがつく。
井上流では、初期のものを『手ほどきもの』と呼ぶ。
続いて習うのが、「子守』「相模あま」と入門用の舞が続く。
これらの手ほどきものが出来るようになると、「松づくし」「菜の花」
「七福神」「四つの袖」「黒髪」と順に、大人が舞う舞へ難度があがっていく。
手ほどきにも、井上流ならではの独特の教え方が有る。
弟子と師匠が正対をする。
正面に座った師匠が、本来の右手ではなく、左手で舞扇を持ち、
細かいしぐさを弟子に教える。
弟子が見やすいように、鏡のように、左右を逆にして舞のしぐさを見せる。
弟子は同じ方向へ動くことで、ただしい舞の形を習得できる。
ひとつの所作を繰り返し丁寧に、何度も教え込む。
出来がるまで、何度も同じ所作を繰り返す。
丁寧に何度も教えるというこの方法は、まったくもって効率の悪い指導法だ。
弟子の数をこなさなければならない私的な稽古場とは異なり、
プロの舞妓を育てる井上流では、こうした方法の妥協しない綿密な稽古が、
古くから、連綿とおこなわれてきた。
「サラ、あんた。
身体の動きはしなやかで、リズムもテンポもダンスなら申し分ないどすなぁ。
そやけど井上流は、西洋ダンスではおへんのや。
日本舞踊には、微妙な間と言うものがおます。ちょっとこっちへおいで」
帰りがけにサラが、師匠から呼び止められた。
「毎日聴いて、日本舞踊独特の、間というものを身に付けなさい」
はいと手渡されたのは、携帯用の音楽プレーヤーだ。
「あんたがこれから覚える、6つの舞の楽曲が全部入っとる。
あんたは、カンも動きもええ。
けど。テンポとリズムがめちゃくちゃや。
謡いには、ゆったりとした独特の間と流れがおます。
あんただけやおへん。誰もがこの間を身に着けるのが、一番難しいんや。
24時間離さずに、身体の隅々にまで間が染み込むまで聴くんやで。
これは、超薄型の最新鋭の機械どす。
ええなぁ今どきの子は。こない便利に携行できる道具が、仰山あって」
第61話につづく
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