落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第18話 芸妓の涙

2014-10-21 10:04:36 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第18話 芸妓の涙




 舞妓を卒業し、佳つ乃(かつの)と同じ芸妓に昇格してみると、
実はこれからが本当のスタートなのだということに、清乃がようやく気がつく。
ゴールだと思っていた地点は、芸妓としての本格的な修練のスタート地点になるからだ。
その先にはさらに果てしなく続く、古典芸能の厳しい修行の道が待っている。
清乃が困惑を覚えるのも、無理はない。


 とはいえ若手でトップの注目を集めているため、指名の数は日ごとに増える。
お座敷を忙しく駆け回る毎日がはじまる。
2つ3つとお座敷を掛け持ちしていくだけで、一日があっと言う間に終ってしまう。


 先の見えないモヤモヤを抱えたまま、いつの間にか3年ちかい月日が経っていく。
馴染みのお茶屋でお座敷を努めた後、いつものようにお茶屋の女将と、
束の間のお喋りを楽しみ始める。
日頃から何かと清乃を気使っている女将が、他愛もない会話の途中で、
ふと思い出したように、清乃に問いかける。



 「あんたはん、この先、いったいどうしはるん?」



 気心の知れた理解者の質問は、一瞬にして清乃の緊張を解かしてしまう。
「ウチ、この先のことは、ホントはどうしてええのか、さっぱりわからしまへん」
そう言ったきり、急にうつむいて清乃が黙りこむ。
うつむいた横顔に、涙がひとすじ、スっと流れて頬を伝って落ちていく。

こぼれた涙の意味は、当の清乃にしかわからない。

 長い年季生活が明けると、一人前の芸妓として独立することが許される。
衿替えは、とうに済んでいる。
これから先は、最若手の芸妓として、忙しい日々を送ることになる。
長年慣れ親しんだ屋形を出て、念願だったマンションでの一人暮らしがはじまる。
苦楽を共にしてきた屋形を後にするのは、嬉しくもあるが、同時にまた寂しくもある。
複雑な心境の中、清乃のはじめての一人暮らしがはじまる。


 屋形で生活しているうちは、すべてのことを屋形がまかなってくれる。
生活面は勿論のこと、花街で必要となる全ての事柄を、所属する屋形が代行してくれる。
独立して自前の芸妓になるとそれらの全てを、自分ひとりでこなしていく。
そのかわり自分で頑張って稼いだお花代は、すべて自分の収入になる。


 とはいえ、一人住まいは経費がかかる。
マンションの家賃。食費に、高価な着物や帯の支払い。舞やお茶やお華の稽古代。
日々の交際費などなど、出ていく金額も決して少なくない。
をどりの会があれば、自らすすんで切符を自費で買い取るようだ。
お付き合いやら謝礼やらと、何かと気を揉む祇園のしきたりは山の様にある。
自前芸妓と聞けば、悠々自適で好き勝手に暮らしているというイメージがあるが、
内情は火の車であったり、頭の痛いやりくりで四苦八苦というケースもある。


 無事に襟替えを済ませ、芸妓として3年余りを過ごした、22歳の春。
物腰の柔らかい清乃は若い芸妓の筆頭格として、名前も売れ、贔屓の客も増えてきた。
さぁこれからは自分の稼ぎで、独り立ちも軌道に乗るだろうと誰もが思ったその時。
清乃が佳つ乃(かつの)に向かって、意外な言葉を口にする。



 場所は人通りも少なくなった、午前零時を過ぎた花見小路の片隅。
お座敷を終えた佳つ乃(かつの)が、お母さんが待つ福屋に向かって歩いていたその時。
背後から、カラコロと下駄の音が近付いてきた。
(こんな時間に誰かいな)振り返ると、少し硬い笑顔の清乃がそこに立っていた。


 「すんません。お姉さん、少しだけお話が・・・」と、何故か清乃が口ごもる。
お茶屋の多い花見小路は夕食の時間帯になると、多くの人で通りが埋まる。
だがさすがに深夜になると、人の通りもまばらに変る。
零時を過ぎると町の明かりもほとんど消えて、おおくの店舗がその日の営業を終える。


 
 「ほな。小腹もすいたことやし、酒菜 栩栩膳(ククゼン)でも行こか」


 
 栩栩膳は、築80年のお茶屋を改造した店で、深夜2時まで食事を提供している。
外観は花見小路の雰囲気に溶け込んだ、風情のある京町家風だ。
1階は、玉砂利を敷き詰め、飛び石を置いた庭園の様な雰囲気の食事処。
2階には団体専用の個室と、カウンター席のみのBARがある。
仕事上がりの着物姿のまま、芸妓たちが気軽に立ち寄れるという雰囲気も漂っている。


 顏見知りの店員が、「今なら2階の個室も空いていますが」と目配せを送る。
「どうする?」と目線で促す佳つ乃(かつの)に、「そっちで」と清乃が短く答える。
裾をつまんだ清乃が、先を急ぐように階段に足をかける。
「やっぱりね。他人には聞かせたくない、良くない話が有るようですねぇ」
佳つ乃(かつの)には、そんな清乃の素振りに、実はちょっとした心当たりが有る。


  
第19話につづく

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