いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

つかのま

2008年03月18日 | SO-Color

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 この時期になると、女流日本画家の小倉遊亀(1895.3.1~2000.7.23)の作品「つかのま」を思い起こす。上の図に示される見事な梅の花。つかの間と言いたくなるような、その花の下には花弁が五枚はらりと落ちている。

あぁ花は今美しく咲いているが、こうしてその美しさに感動して描いている暇にも、はらりと散る…。遊亀は105歳の生涯で死ぬまで現役の画家であった。
 NHK教育テレビで、以前製作中の姿、様子をドキュメントしていた。もう、その時は既に100歳を過ぎていた。絵の具を溶き、絵筆を換えたりの細々した注文に応じて助手のお孫さんは、遊亀画伯の気持ちを汲んで良く動く助手ぶり。この方が居てこそ病気もあったのに絵の製作が続けられたのだと思った。


   
上左図は、105歳、遊亀の絶筆作品。
 鎌倉八幡宮(8月立秋の前日から9日間)の雪洞祭の奉納の絵。なんて力強い筆致だろう。105歳の方が描かれたなんて思えないくらいだ。
 また、右図は昨年6月30日二千和会が鎌倉に行った時に、ちょうど見ることができた群生のハンゲショウ。ちょうどその時期のハンゲショウを描かれたことが検索して分かった。

 画家は長生きの方が多いようだ。絵は心が諸に反映する。素晴らしい絵は見る側を心地よくさせるが、その心地よさは画家の気持ちでもあると言える。心地よい状況を長く保ちながら絵を描くから、精神衛生的にも良いのじゃないかと思い込んでいる私である。

 絵を描きたい!と思いながらも、それはちょっと億劫なのである。決して怠け心からくる億劫さではない。気持ちが揺れるとすぐにその製作中の絵に出てしまうのである。悩んだり迷ったりすると、彩色がすっきりせず、濁ってくるのである。そして行きつ戻りつを繰り返すことになる。
 これを三者的に見れば、心を浄化し迷いを沈殿させるとも言える。そして、濁りを澄ませてしまうのであると言うのが、私の持論。
 

 だから、心が落ち着き気持ち良く、頑張って生きていけるのだと思う。ここで、億劫とは…と疑問?
 気を澄ませるまでの行きつ戻りつのプロセスが大変なのだ。そこを抜ければいいのだが!! そこで今はとても簡便に美しさを表現できる“デジカメさん”に助けてもらい、その欲求を少しは紛らわしてもらえるのである。