いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

お彼岸に思う

2008年03月22日 | SO-Color

 今日は東京をはじめ各地で、桜(ソメイヨシノ)の開花宣言が出た。
 
  左の写真はスポーツセンターの河津桜、右の写真は同じ日に撮った平和公園のソメイヨシノ、こちらはまだ固い蕾だ。
 平和公園からの帰り道、高速道路の側道を走った。赤信号で止まったので、ふと沿道に目をやると土筆がた~くさん生えているのを見つけた。土筆も昨日の雨ですっかり伸びてしまったのか?

 土筆のほろ苦い味、また蕗の薹もほろ苦いし、菜の花のお浸しの辛さや独特の風味…あぁ、これぞ春の味という持ち味で「春の命」「春の到来」「春の香り」を頂くような有り難さとともに、たまらなく好きな味と思っている。
 土筆の伸びやかさ――もう春なんだよ、と野原から声をかけられているような気がした。

 お中日に父のお墓にお参りに行こうと思っていたが、あいにくの雨と風で寒かったから、一日遅れてお参りに出かけた。まだ少し寒く風も吹く日ではあったが、お参りに来るのを待ち望んでいる父を思った。お墓を綺麗に磨き、お花を供えお線香を焚いて来れなかった親族の祈りまで籠めて掌を合わせた。お参りを終えてふと遠くを眺めた時、真新しい墓石が目に入った。

 建立者の銘がそれぞれ苗字の違う女名。きっと三姉妹が、亡くなられたご両親?またはどちらかの親御さんのお墓なのだろうか。墓碑銘は「ありがとう」…と。カスミソウの絵を施して墓石も丸みを帯びた形。そう思って見ながら帰ると、帰り道にもう一つ、よく似た墓石の形に出あった。

 そういえば、父はいつも将来性を考え、過去よりも未来へ見通しながら生きてきた。世の中の移り変わりを真正面から受け入れていた。例えば家制度。戦後の民法の下に家制度は廃止。結婚も家と家のものではなく、個人と個人の結びつきだから、○○家と△△家と結婚式場に表示されているが、あれはおかしいね、この頃見かける○○さんと△△さんの結婚式と表示するのが、新しい民法の下の結婚の形だ…と40余年も前、私の結婚の頃に言っていた。
 墓石も然り。○○家の墓と刻むのが一般的だが、それでは無い「ありがとう」とか父の墓に「寂静」と刻んだり、また他の言葉・血族に相応しい言葉を刻んで「家」では無くその胎から、その肉親の墓として尊敬して祀れば良いとの考え方だと解釈している。

 柔軟な姿勢と精神だった父。お彼岸だから父の思い出を語りたくなった私。
 私もこの頃年を取ったことを認めて少し頑なな考え方をするようになったと…、若い頃のように柔軟な考え方をしなくてはならないのではないか?と今の自分を振り返った。