腰越の太宰治 小動崎(こゆるぎがさき)
太宰治は何度かの心中事件を起こしています。彼の最後の地は三鷹。皆さんと以前(…2回くらい)の文学散歩で巡りました。
江ノ電鎌倉駅(写真はインターネットから)
太宰は昭和5年11月28日夜半、鎌倉郡腰越町小動崎で心中未遂事件(女性は死亡)を起こしました。
太宰がまだ帝大生(22歳)で銀座のバーで働いていた田邉あつみ(19歳・本名田部シメ子)と心中を図ったところの近く、「腰越」を通ります。
今回・11月17日の散歩には、その腰越辺りを散策するかどうか?
皆さんのご希望の如何に依ることとします。
小動崎(こゆるぎがさき)
当時の新聞記事には、『小動神社裏海岸でカルチモン(睡眠薬)をのみ情死を計ったが、11月29日朝8時ごろ苦しんでいるところを付近の猟師が発見。女はまもなく絶命、男は腰越恵風園に収容したが一命は取り止めるらしい』と、東京朝日新聞、朝刊に報道されています。
太宰は恵風園病院(七里ガ浜が目の前に開けている場所にある)に入院し回復するが、事件直後に見舞いに行った太宰の実家の番頭、中畑氏は「自殺ほう助の罪に問われている男にしては明るいのでびっくりしたことを憶えている」と述べていたという。
小動神社
太宰はこの年の4月東京帝大文学部仏蘭西文学科に入学。郷里青森の小山初代を出奔させたりしている。そして小山家とこの11月24日に結納を交わした。なんと世間では幸せと評価するような時期なのに、結納の4日後の28日に心中事件を起こしたのです!
一方田部あつみは人妻。無名で病身の画家を内縁の夫としていた。あつみは理知的で健康そうで、応答の妙があざやかで明るい気質。そのうえ美貌の女性であったという。(太宰研究による)
そのような女性がなぜ知り合って間もない太宰と心中などしたのでしょう…。
同じ女性として、ちょっと興味がわきます。太宰は“ちょっと見”は、(心底?)美男子の部類です。小説をよんでももの静かな“いいとこ”の出の若者として捉えられます。しかし、惹きこまれるような、一緒に死んでもいいような、そんな魅力はどこから来るのでしょう。
そんな男性にめぐり合わなくてよかった!(これは本心です。若くて死んでしまったら、私の飽く無い知識欲が満たされません。満たされることのない底が抜けているような器であると自覚していますので。)~SO記~