いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

太宰治と鎌倉~江の島(腰越)

2007年11月08日 | 会報お役立ち

 腰越の太宰治   小動崎(こゆるぎがさき)
 
 太宰治は何度かの心中事件を起こしています。彼の最後の地は三鷹。皆さんと以前(…2回くらい)の文学散歩で巡りました。


江ノ電鎌倉駅(写真はインターネットから)

 太宰は昭和5年11月28日夜半、鎌倉郡腰越町小動崎で心中未遂事件(女性は死亡)を起こしました。
 太宰がまだ帝大生(22歳)で銀座のバーで働いていた田邉あつみ(19歳・本名田部シメ子)と心中を図ったところの近く、「腰越」を通ります。

 今回・11月17日の散歩には、その腰越辺りを散策するかどうか?
 皆さんのご希望の如何に依ることとします。


小動崎(こゆるぎがさき)

 当時の新聞記事には、『小動神社裏海岸でカルチモン(睡眠薬)をのみ情死を計ったが、11月29日朝8時ごろ苦しんでいるところを付近の猟師が発見。女はまもなく絶命、男は腰越恵風園に収容したが一命は取り止めるらしい』と、東京朝日新聞、朝刊に報道されています。
 太宰は恵風園病院(七里ガ浜が目の前に開けている場所にある)に入院し回復するが、事件直後に見舞いに行った太宰の実家の番頭、中畑氏は「自殺ほう助の罪に問われている男にしては明るいのでびっくりしたことを憶えている」と述べていたという。


小動神社

 太宰はこの年の4月東京帝大文学部仏蘭西文学科に入学。郷里青森の小山初代を出奔させたりしている。そして小山家とこの11月24日に結納を交わした。なんと世間では幸せと評価するような時期なのに、結納の4日後の28日に心中事件を起こしたのです!
 一方田部あつみは人妻。無名で病身の画家を内縁の夫としていた。あつみは理知的で健康そうで、応答の妙があざやかで明るい気質。そのうえ美貌の女性であったという。(太宰研究による)
 
 そのような女性がなぜ知り合って間もない太宰と心中などしたのでしょう…。
 同じ女性として、ちょっと興味がわきます。太宰は“ちょっと見”は、(心底?)美男子の部類です。小説をよんでももの静かな“いいとこ”の出の若者として捉えられます。しかし、惹きこまれるような、一緒に死んでもいいような、そんな魅力はどこから来るのでしょう。
 そんな男性にめぐり合わなくてよかった!(これは本心です。若くて死んでしまったら、私の飽く無い知識欲が満たされません。満たされることのない底が抜けているような器であると自覚していますので。)~SO記~


下見報告 江の島方面②

2007年11月07日 | 会報お役立ち


秋まつりの行事で「ちのわくぐり」辺津宮にて。
我々一同も3度くぐって身上安全・無病息災・無事故-交通安全を祈りました。

日本三大弁財天のひとつに挙げられる、ここの弁財天は特に美しく(別名裸弁天)
なまめかしい感じがします。
でも見たのは看板の写真だけ!…皆さんとご一緒の時に見たいと今回はパス!
     
 急階段を上がれば江島神社(辺津宮) S.コッキング苑内、江の島展望灯台

にらまれても可愛い亀。斜めからでもどこからでも見つめてくれるから…。
 
この土曜日は若いカップルが目につきました。
結構きつい勾配の階段ですが、もうエスカーはありません。
足を痛めておられる会長も黙々と歩を進めて、冗談を言ったりして
さりげなく休憩を取られているご様子です。

ここまで降りて来るにはやはり急勾配の階段がちょっと大変!
「行きはよいよい帰りはコワイ」というところですね。
この先が“江の島岩屋”で、与謝野晶子の歌碑がありますが、入洞料500円です。
希望者だけ行くようにしたら?と提案がありました。

八方睨みの亀を背景に今日の5人の記念撮影です。こうして見ると
やっぱり“馬肥ゆる秋”と言うべき人もいますねぇ。
(これは記事を書いている者の反省であります。念のため!)


下見報告 江ノ島方面①

2007年11月06日 | 会報お役立ち

 お天気に恵まれた10月20日に都合のつく運営委員5人で江ノ島に下見に行ってきました。高い秋の空に鳶がゆったりと飛んでいました。
 まず江ノ電で腰越まで行き、龍口寺に向かいました。日蓮さんの大き
な立派なお寺です。木造の五重塔が堂々と我々を見下ろしているかの様子。
そして鐘撞堂で「ゴォォ~ン」・・・きっと願いが叶うでしょう!
 

  
龍口寺

   江ノ島が先方に見えてきました。↑
江ノ島桟橋↓
   
   
 長い桟橋(約500m)ですが、皆で懐かしい青春時代の頃の
おしゃべりをしながら渡っているといつの間にか島に到着です。


神社を背にして今渡ってきた方面を見渡します。ちょうど秋祭りで
ところどころで大道芸のパフォーマンスをしていると案内がありました。

いよいよ江島神社のひとつ、辺津宮。
画面の左方向は階段の苦手なお方向きの
エスカー乗り場(エスカレーター)があります。
昼食の話は少し早いですが、下調べした目当てのお店を探しましたが
見つからず、この参道で食堂に入りました。

時期が適当ではなかったのか「生しらす丼」を注文しましたが
あまり美味しくはありませんでした!
下見の大事なひとつは皆さんのお食事どころです。
もっと良いところがないかと「10の瞳」で探しました。
どうぞご安心を!
眺めもよくてメニューも揃っている良いところが見つかりました。
「お楽しみに!」としておきましょう!


名古屋 その3

2007年11月04日 | YG-World

栄地区から名古屋駅へ
     だいぶ、日も落ちてきました。
     お腹もすいてきました。
     足も痛くなってきました。
                  よく歩きましたね。2万歩弱?くらい歩いた気がする!足の裏を見たらなんと靴サイズが微妙に違う右足だけ、足指4本に水を含んだ豆が出来ていましたもの!(書き込みお許しください。ガイド嬢?! SOより)  

              名古屋テレビ塔が見えてきました。

 

夏の朝に撮った名物の100m道路
真ん中は噴水・ベンチなど公園広場に使い両脇が一方通行3車線と広い歩道
写真下方のはその100m道路を横断する車道のためにある。
右の橋は車道の上を人がゆうゆうと通るためのもの。とにかく広々している。
テレビ塔からの眺めはインターネットから。
この写真の橋の向こうの広場がロサンゼルス広場。
ビルの間の縦に続く広い空間を100m道路と呼ぶ。

 
   『名古屋の不思議』
   なぜビルの窓際に観覧車が
   こんな所にこんな物を作ってしまう名古屋人の偉大さ。
        もうひとつ案内したかった栄の「名古屋人の常識を破った建造物」は「オアシス21」
         地上14m部分に水深7cmのプール(水の宇宙船)をしつらえて、オアシス21…という。
隣の芸術文化センター11階位から見下ろした風景。


  ロサンゼルス広場(これも100m道路のうち)           
LOSの噴水は水が噴き出すように上がるのではなく高くした石から水を落とすフォール型が多いようですね。

  名古屋とロサンゼルスは姉妹都市 
  ハリウッドスターの手形・足型がありました。(その約10年後にメキシコ、南京、シドニー、トリノの4市とも姉妹・友好都市提携を結んでいる)
                         テレビ塔下のオープンテラス
 

  すっかり暗くなりました。
  本日のお食事処 『鈴波』を目指します。
  六本木のミッドタウン以降、お馴染みのお店です。

                やっと食事にありつけました。
栄の鈴波本店は、お店は開いていたのですが食事処はもう終わりということでガックリ
さあ、どうしようと言うことで、とりあえず地下鉄で名古屋駅へ向かおうと地下へ降りたら、まだ食事が頂ける『鈴波』栄地下店がありました・・・
ちょっと小さい店構えだったけれど、執念の『鈴波御膳』を!
まずは乾杯
       「YGさんはアルコールが仲間の中でも一番強いね…」と評価する先輩があり。「ビールを追加しましょうか?」というのに遠慮されたのです。割り勘と言えばそうしましょう…と言われたのかな? またはお家に待っておいでの皆さんを思い浮かべて早く帰りたくなったのかな?
 以前SOが撮影したものですが名古屋駅始動直後の「のぞみ号」を載せましょう。
帰りは「ひかり」で私と一緒に…。思ったより早く稲毛に着いたとご家族に言われたとか!もっと飲めばよかったねぇ!これは私の心残りです。

また来てくださいね。

            『1DAY・名古屋』も終わりに近づきました。   
                      (名古屋駅構内の雑踏?とまではいかないか‥)
「名古屋の何処へ行きたい?」と問われても、名古屋城ぐらいしか思いつかず、まあとりあえず名古屋と言うことになったのです。
事前学習を全くせず、体だけ名古屋へ運びました。
しかし、徳川さまの流れをくむ歴史があり、世界のトヨタで支えられる現代もあり、なかなか奥深い街だと感じました。
これも名ガイド嬢の案内に寄るところが大きいでしょう。
それにしても、よく歩きました。
まだまだ見所があったようですが、それはまた次の機会にするとしましょう。
 家康は尾張の町ぐるみ・人々をごっそり江戸に連れて行ったという。三河屋さん、尾張屋さんなどの呼称の店などがその名残り。また江戸っ子なまりは「ひ」と「し」の混同がある。これも実は尾張弁。現に名古屋では堂々と看板に「ひち」と掲げているが「質屋」のこと。数字の1,2,3・・7の数え方は「ひち!」。などなど、思わず「えっ!?」と驚いたことがあった。私は千葉生まれで、青春前期まで千葉…。また三河地方の岡崎は家康の生地、ここも良い所ですよ~。(SO記)


名古屋 その2

2007年11月02日 | YG-World

文化のみちエリアへ
   名古屋城から徳川園にかけての一帯 
   江戸から明治・大正・昭和にかけての歴史的な町並みが残されています。   

 
       豊田佐吉の実弟・豊田佐助が住んでいました。 木造の洋館
       天井に、鶴にトヨタの文字をデザインした換気口があります。
  
換気口[とよた]隠し文字です。見つけてみて!  裏庭のお蔵・紋は[横木瓜]
       ガイドボランティアさんが案内してくれました。


                        こちらは『二葉館』 
「日本の女優第一号」として有名な川上貞奴と「電力王」と呼ばれた福沢桃介が暮らした邸宅。

  螺旋階段からマダムが優雅に降りてくる姿をご想像ください。

 

   邸宅の主にふさわしいステンドグラス
  貞奴と桃介の関係を話していた、名古屋のおばちゃんが呟いていました。
  「こんな年で色恋あるなんて、うらやましいがなぁ」
  「・・・・・・・・」   ノーコメント(-_-;)

          次はグッと趣が変り徳川園
 

     正面に見えるのは徳川美術館
     この日は時間がないのでこちらはパス。左側の徳川園に向かいます。
 
 
   虎仙橋を背に微笑むが、お腹すいたネ!     十月桜がチラホラと
   『
鈴波』での食事が目的だものネ。                
      海に見立てた池を中心に、見所をぐりると巡る回遊式庭園。
      もとは尾張徳川家の邸宅。
      暑かった夏が終わり、季節は秋に変っています。

    だいぶ日も暮れてきました。
    これから、案内嬢曰く『名古屋の銀座』と言う『栄』に向かいます
                                            続く。 


とりあえず『名古屋』 その1

2007年11月01日 | YG-World

何で『名古屋』なの?と言われても、特に理由はありません。
名古屋が本拠地であるSOさんにちょいと声をかけられ「じゃあちょっと行ってみるか」
てなところです。
『名古屋』 私にとってはもちろん日帰り圏内です。
  
 
   本日のガイド嬢   お天気良し今日一日おまかせです。
   まずは名古屋駅近く、『ノリタケの森』へ
 
     
 ガイドブックに載っていた待ち合わせスポット     菊人形(これは名古屋城内)
『ナナちゃん人形』(名鉄と近鉄ビル前の通り)
                         
百聞は一見にしかず、彼女(ナナちゃん)がこんな巨人だとは思いませんでした。
『がんばれ!!中日ドラゴンズ!!』
 
 いわずと知れた『名古屋城』
 東京から来たせいか、どこも人が少ない感じ。ゆったりとしています。
 

                              『女・ひとり』ではちょっとパスしてしまう所ですが、
                              今日は『女・ふたり』なので、観光客になりきりました。

          ところがどっこいただの観光客ではないふたりでした。
           これからそして


               名古屋市市政資料館
  1922年、名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎として建築された。
  ネオバロック様式の外観が美しい。


   資料館の地下に降りました。寒々とした空気になります。
   こちらは留置場  めったに目にすることもないかとも思います。

名古屋の官庁街を抜けて、コーヒー一杯でランチを済まし、「文化のみちエリア」を
歩きます。実は私、5時起きです。両手・両足いつも引っ張られて、未だ思うように
身動きできません。『まあ、しょうがないわ(ー_ー)!!』と思いつつ『誘われる内が花』をモットーにしております。
3日前から風邪をひき鼻水タラタラしていましたが、この日は絶対行かねばならぬ何物でもない!!『気合
何処へ行きたい?よりも 新幹線に乗って家を出ることに意義がある・・・ か・も・

何の予備知識のないまま、ガイド嬢に案内されました。
その後は次に