誰もがどこかですれ違い、関わりあっているこの世の中、悪意だけがひとを傷つける訳ではない。
時には善意も凶器となる。
しかし、その善意がひとを救うこともまた、真実なのだ。
『毒薬の小壜』シャーロット・アームストロング 早川書房 S52
あらすじ…初老の国語教師ギブソン氏は、親子ほど年の離れたローズマリーと結婚。幸せな家庭生活が営まれ始めたが、突然の交通事故が事態を変えてしまった。足が不自由になった彼を支えるために同居することになった妹のエセルが、まだ若いローズマリーの不倫を疑いだす。それを知ったギブソン氏は自殺を企むが、入手した毒薬の小壜を帰宅途中で見失ってしまい…。
登場人物がみんな善意の推理小説だと聞いていたので、長いこと探していたのです。
書店の棚には見つからないので、結局図書館で借りることにしました。
(ハヤカワ文庫、何かのフェアでもう一度大々的に売り出してくれないですかねー。面白かったのに)
とにかく、ギブソン氏は若妻の幸福を願って自殺を企てるくらい、善意の男なんですよ。
何しろ結婚を申し込んだのも、病身で疲れきって、寄る辺の無い身の上のローズマリーを、健康にしたいと願ってのことなのだから。
…事故後の不倫疑惑でどっぷり落ち込み、妻を自由にしようと、ギブソン氏、自殺を決意。
毒薬を盗んだけれど、帰り道が上の空。いざ実行と荷物を探ると、小壜が入った緑色の紙袋がない!
外見は高価なオリーブ油の小壜、誰かが誤って口にでもしたら大変だ、と行方を捜すことに。
ね、いい人でしょ。
イロイロと気持ちが追い詰められていたローズマリーも、警察任せにできなくて、必死になって捜査を主導します。
その探索に手を貸す面々も、優しくて善意の塊みたいな人たち。
ギブソン氏が乗ったバスの運転手とか、芋づる式に手繰り寄せられる乗客たちとか。
「そういえば知り合いが乗っていた。あの人、何か知ってるかも。とにかく、家に行ってみましょう!」って。
一行の人数がみるみる増えていく。ムカデ競争か(笑)。
ものの見方はひとにより異なり、同じ事柄を他人も同じ視点で見ているとは限りません。
自分はいつも正しい!と信じて、周囲にもその考えを押し付ける人は、たとえ善意でも大迷惑。
(というか、善意だから否定しきれなくて迷惑なんでしょうね)
リアリストを気取って社会をバッサリ切り捨てるのは一見格好いい時もあるけど、洞察力が無く浅はかなまま人を評すると、単なる中傷にすぎないんだなぁ、と思いました。
それでもはっきり確信を持って発言する人の意見は、影響力が大きいものだから。
つい、自分の目で見たことが誤っていて、この人が正しいんじゃないかって気になりますよね。
ギブソン氏も自信がない夢想家だから、実際家の言葉に迷わされるタイプで。
わたしもこの小説の前半は、そんな気にさせられました。
後半は、哲学的なバスの運転手さんなどが、こういう見方もできるだろう、と目からうろこを落としてくれる。
人を救う方の善意がありがたいのです。毒が浄化されます。
人生や価値観に絶対的な正解はないのだろうから。
できれば、ギブソン氏を助ける人々のように、のんきなほど優しく、甘すぎるほど善意で、心は空を舞いながら地に足付けて歩んで行き、あるがままの自分の目であるがままの他人の姿を捉え、潜在意識の上の邪悪よりも、表現された愛情を信じ、無責任な空言に振り回されず、自分自身も善意による害毒を撒き散らさず、あの人は本当に世間知らずね、と笑われながら、生きていきたいものです。
生き馬の目を抜くような今の世の中では、人間性を信じ続けるのは、ちょっと難しいけれどね。
※後刻追記…推理小説というより、心理サスペンスに近いかな?小壜探しに打ちのめされたギブソン氏の心のケアも混ざって、人の世の情けをしみじみと感じます。
アガサ・クリスティーが創造したミス・マープルは、“世の中は醜いものよ、あなたたち若い人は認めたがらないけどね”というふうに諭していましたが、やはりミス・マープルほどの鋭敏な知性の持ち主でないと、ただの邪推を真実と履き違えてしまうのでしょう。
バスの運転手さんたちが諸悪の根源を指摘した上に、問題の人物を徹底追及して、溜飲を下げてくれますが。これからはギブソン氏も、人に惑わされない強さを持たないといけないですね。