大野病院の件に関連して、もう一度「わりばし死亡事故」の記事をアップしました。
園児割りばし死亡事故
1999年7月10日、高校教諭の三男の保育園児が、盆踊り会場で転倒し綿菓子の割りばしがのどに突き刺ささり、病院で医師から消毒薬の塗布などの治療を受けたが、帰宅後に容体が変わり、翌日死亡。司法解剖で頭蓋内に残った7.6cmの割りばしが見つかった。警視庁は2000年7月、不十分な診察だったとして業務上過失致死容疑で診察した医師を書類送検、東京地検は2002年8月に在宅起訴し、検察側が被告に禁固1年を求刑していた。公判で被告側は、「前例のない事故で、頭蓋内に割りばしが刺さっているとは想定できなかった」と、過失はなかったとして無罪を主張。両親は被告ら病院側に約9,000万円の損害賠償を求める民事訴訟も起こした。
(以下、引用)
東京都杉並区で1999年、割りばしがのどに刺さった保育園児が病院を受診した後に死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた当時の担当医被告に対し、東京地裁は3月28日、無罪(求刑禁固1年)の判決を言い渡した。
判決理由で裁判長は、頭の中まで割りばしが刺さっていることを想定せず、十分な診察や検査をしなかった過失を認定したが「気付いて直ちに脳神経外科医に引き継いだとしても、救えた可能性は極めて低かった」と述べ、過失と死亡との因果関係を否定した。さらにカルテの中の「髄膜炎の可能性もある」などの記載について「急逝を知った被告が落ち度を自覚し、取り繕おうとして、後から書き加えた」と、検察側も被告側も主張していない認定をし、診察当時は深刻な事態に気付いていなかったとした。
一方で裁判長は、被告に向けて「基本的かつ初歩的な作業を怠ったとの批判に謙虚に耳を傾けるべきだ」と述べた上で「本件が残したものは、医師には専門性にとらわれることなく、患者に適切な治療の機会を提供することが求められている、という基本的なことだ」と異例の付言をした。
(共同通信社)
これを「薬物療法」と「風船療法」の件、日本のブレイキングニュースで思うこと、にあてはめると、「重症でない」狭心症患者さんが薬物のみで経過をみている間に死亡し、患者さんの家族が風船治療をしてくれていたら死ななかったとして、医師を訴えた場合、裁判所は「風船療法でも救えた可能性は薬物療法と同じであった」と無罪判決をするのが正しいという事です。しかし、裁判官が「患者に適切な治療の機会を提供することが求められている」と付言するのであれば、医師は、たとえ死亡率が同じでお金がかかっても「風船療法」の方を選ばざるをえないという事です。医師は最近、医学における正しい情報に基づいて治療する事よりも、訴訟問題に基づいて治療せざるをえない事にストレスと失望を抱えていると思います。
両親、御遺族の痛みには心から哀悼の意を表したいのですが、少し疑問なのは、親の責任は問われないのかという問題です。もしも死亡した園児が他人の子供であったら、綿菓子の割りばしを口にくわえさせたまま事故に遭わせた親の監督責任が問われるでしょう。それは自分の子供であっても同じはずです。
そして、たとえ無罪判決をうけたとはいえ、何度も裁判所に足を運ぶ時間的な損失に加え、この医師が精神的に被った損失はどうなるのでしょう。
アメリカでは「不健康な食品で太った」などとして大手ファストフードチェーンが訴訟されたりしていますが、最近下院はやっとこのような馬鹿げた訴訟を禁じる通称「チーズバーガー法案」を可決しました。提案者の一人、リック・ケラー議員は「我々は個人の責任、良識といった昔ながらの考え方に立ち戻る必要がある。すべての人が犠牲者のごとく振る舞い、自分の責任を他人に押しつける今の風潮から脱しなければならない」と強調しました。
この事故について法律の専門家「みそしる」様からトラックバックをいただきました。とても参考になります。もともと刑事法というのは、「わざと」やったことを処罰するための決まりごとであって、そうでないことを処罰する法律ではないそうです。
割りばし事故 【医師無罪】を、ちょびっと分析
長政の呟き
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園児割りばし死亡事故
1999年7月10日、高校教諭の三男の保育園児が、盆踊り会場で転倒し綿菓子の割りばしがのどに突き刺ささり、病院で医師から消毒薬の塗布などの治療を受けたが、帰宅後に容体が変わり、翌日死亡。司法解剖で頭蓋内に残った7.6cmの割りばしが見つかった。警視庁は2000年7月、不十分な診察だったとして業務上過失致死容疑で診察した医師を書類送検、東京地検は2002年8月に在宅起訴し、検察側が被告に禁固1年を求刑していた。公判で被告側は、「前例のない事故で、頭蓋内に割りばしが刺さっているとは想定できなかった」と、過失はなかったとして無罪を主張。両親は被告ら病院側に約9,000万円の損害賠償を求める民事訴訟も起こした。
(以下、引用)
東京都杉並区で1999年、割りばしがのどに刺さった保育園児が病院を受診した後に死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた当時の担当医被告に対し、東京地裁は3月28日、無罪(求刑禁固1年)の判決を言い渡した。
判決理由で裁判長は、頭の中まで割りばしが刺さっていることを想定せず、十分な診察や検査をしなかった過失を認定したが「気付いて直ちに脳神経外科医に引き継いだとしても、救えた可能性は極めて低かった」と述べ、過失と死亡との因果関係を否定した。さらにカルテの中の「髄膜炎の可能性もある」などの記載について「急逝を知った被告が落ち度を自覚し、取り繕おうとして、後から書き加えた」と、検察側も被告側も主張していない認定をし、診察当時は深刻な事態に気付いていなかったとした。
一方で裁判長は、被告に向けて「基本的かつ初歩的な作業を怠ったとの批判に謙虚に耳を傾けるべきだ」と述べた上で「本件が残したものは、医師には専門性にとらわれることなく、患者に適切な治療の機会を提供することが求められている、という基本的なことだ」と異例の付言をした。
(共同通信社)
これを「薬物療法」と「風船療法」の件、日本のブレイキングニュースで思うこと、にあてはめると、「重症でない」狭心症患者さんが薬物のみで経過をみている間に死亡し、患者さんの家族が風船治療をしてくれていたら死ななかったとして、医師を訴えた場合、裁判所は「風船療法でも救えた可能性は薬物療法と同じであった」と無罪判決をするのが正しいという事です。しかし、裁判官が「患者に適切な治療の機会を提供することが求められている」と付言するのであれば、医師は、たとえ死亡率が同じでお金がかかっても「風船療法」の方を選ばざるをえないという事です。医師は最近、医学における正しい情報に基づいて治療する事よりも、訴訟問題に基づいて治療せざるをえない事にストレスと失望を抱えていると思います。
両親、御遺族の痛みには心から哀悼の意を表したいのですが、少し疑問なのは、親の責任は問われないのかという問題です。もしも死亡した園児が他人の子供であったら、綿菓子の割りばしを口にくわえさせたまま事故に遭わせた親の監督責任が問われるでしょう。それは自分の子供であっても同じはずです。
そして、たとえ無罪判決をうけたとはいえ、何度も裁判所に足を運ぶ時間的な損失に加え、この医師が精神的に被った損失はどうなるのでしょう。
アメリカでは「不健康な食品で太った」などとして大手ファストフードチェーンが訴訟されたりしていますが、最近下院はやっとこのような馬鹿げた訴訟を禁じる通称「チーズバーガー法案」を可決しました。提案者の一人、リック・ケラー議員は「我々は個人の責任、良識といった昔ながらの考え方に立ち戻る必要がある。すべての人が犠牲者のごとく振る舞い、自分の責任を他人に押しつける今の風潮から脱しなければならない」と強調しました。
この事故について法律の専門家「みそしる」様からトラックバックをいただきました。とても参考になります。もともと刑事法というのは、「わざと」やったことを処罰するための決まりごとであって、そうでないことを処罰する法律ではないそうです。
割りばし事故 【医師無罪】を、ちょびっと分析
長政の呟き
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