院長のひとりごと

私、竹村院長が食べ物から健康まで基本的にノンジャンルでかきつづります。

「やっかいな後ろ盾。」

2011年06月15日 14時15分35秒 | ノンジャンル
こないだテレビで「女性のお一人様について」というテーマで番組をやっていた。

がっちりアカデミーね。


女性が一人で暮らしていくいろんなケースを紹介していました。

ダンナに先立たれて事業を始めたり、老後をどう過ごすか・・

そんな内容でした。


その中で、現在離婚計画進行中というある主婦の話を取り上げていて

「あーあー」と感じたので少し書いてみましょう。


その主婦はダンナが子育てに協力的でなかったり、匂いが嫌だとか

なんかいろんなことを言ってましたが、子供が手を離れたら離婚をするという

決意で今から貯金をしたり、いろいろ準備してるそうです。

離婚したらカフェをやりたいので今から食器をこっそり集めたりとかね。


まぁ、この奥さん、幸せにはなれない気がします。


奥さんにとってみたら、ダンナが協力的でないのが原因で自分は

不幸である。

そんなダンナと離婚をすれば今よりも素敵な毎日が未来にはある。

そんなダンナと離婚をする準備をしている今は夢の実現過程であり

充実している。


と、まぁそんな風に思っているのでは?


一見、家事、子育てに協力的でないダンナに非があるように思えます。

が、根本の問題は奥さんがダンナは自分の思い通りに動くべき

と勘違いしていることです。


一度結婚したからにはダンナは家事、育児に協力的であるべきだとは思います。

「でも、わざわざそんなこと言わなくてもダンナは協力して当然でしょ!?」と

奥さんが思い込んでいるのが実は危ないのですね~


ダンナに家事、育児に協力的であって欲しいのはあくまでも奥さんの希望でしょう?

だから、育児にも非協力的で、毎晩飲んで遅く帰宅するのが気に食わないんでしょ?

この部分を自覚しないと。


で、ここから巧妙にすり替わるのですが、気に食わないのは自分に対して

非協力的だからではなく、「普通は、世間的には、常識として」ダンナの姿勢が

オカシイから私は不愉快である!と思ってしまうのですよ。


自分はこうして欲しいのにダンナはそうしてくれないから不愉快、悲しい、腹が立つ。

自分の思い通りに他人が動いてくれないので腹が立つのだけど、それだとなんか

わがままっぽいから、世間の常識では・・と後ろ盾をとって、堂々と怒る。


他人同士が暮らしていくわけだから、お互いの「我」がぶつかるし、

相手が自分の思い通りに動かないのは当然。

ここすらわからないと、どこにいっても人間関係ではストレスを抱えることになる。

「他人(自分以外の全ての人)は自分の希望通りには動きません」


字面で読んでみて分かった気になってもダメ。

実際、相手が思い通りに動かなくってイラついてるんだから、それは

わかっていないってことです。


それで、自分の思い通りに相手が動かないことでイラついてるのでは

幼稚っぽいから、巧妙にすり替えをし世間様の常識に後ろ盾いただいて、

堂々とイラつく。

それの何が問題かというと、不満を相手に直接訴えなくなるんです。


自分の不満を相手に訴えるのは多くの人にとって結構な負担なのです。

出来れば相手に察して欲しい、いちいち口に出さなくても気づいて欲しい。

そう思うのは自分の負担が嫌だからなんです。

でもお互いが関係を維持していくには、解決できる問題は解決する努力をすべきです。


きちんと自分の不満を相手に伝えないといけないんだけど、それが本当は負担だから

「っていうか、言わなくても常識なんだから分かって欲しいよね」と飲み込む。

飲み込むと相手にはもちろん届かずに、イライラのエネルギーだけきっちり残ります。

きっちり残って自分の心の中で反響し続ける。

問題はまーーーったく解決せずにむしろイライラのエネルギーだけが蓄積する。


奥さんは自分がすべきだった対話への努力を避けてきた、ということはもう

自覚していないはずです。

「もう諦めてますよ」と開き直った態度を演じ、努力を避けていることを

見ようとしない。


実は問題の根本は、そうやって問題の解決に取り組んでこなかったことなのね。


何かの魔法でダンナが家事、育児に協力的に変わったらこの夫婦の問題は

解決するか?って言ったら、まぁ、しないですよ。

他人なんだから、すれ違いは永遠に出てくる。

それを解決する能力が無いのだから、不満がなくなることは無いでしょう。

そのたびに「まったく、普通はさ~」とか不満を飲み込み続ける。

飲み込まないにしても「普通はさ~」とか「常識でしょ!?」という切り口で攻めると、

たいていは上手くいきません。


裏にある、あざとさみたいなのを無意識に感じ取ってしまうのですね。


「私はあなたが育児にも協力的でなく、毎晩飲んで遅く帰宅しているのが

 どうしても耐えられない。あなたの考えを聞かせて欲しい」

というように、あざとく自分の意見の後ろ盾を取ろうとせずに

本音で対話できれば、相手も少しは耳を傾けるんじゃないでしょうかね?


対話しきって、やるだけぜんぶやったけど、すりあわせが出来なかったので

離婚します。ってんなら別にいいけどさ、ダンナに内緒でコソコソと離婚準備

するような嫁が、「対話は、やるだけやった!」と言えるとは思えません。


自分以外のもの、人が思うようにならなくて苦しんでいるのに、

それを解決しようと動くこともしない人が幸せになれる道理がありませんよねぇ。