院長のひとりごと

私、竹村院長が食べ物から健康まで基本的にノンジャンルでかきつづります。

「徒弟制度の慢心小僧。」

2011年06月28日 20時14分02秒 | ノンジャンル
宮本輝の「三十光年の星たち」という小説の中のとあるエピソード。


ある焼き物商に弟子入りし、頑張っている若者がいました。

その業界では弟子入りで働いているうちはとにかく自分で焼き物を

買ったり売ったりしてはならないという厳しい戒があるそうです。

20年はとにかく焼き物を見るだけ、触れるだけ。

30年ほど経って、師匠が、そろそろかな・・と思ったら「準備を始めろ」と

言われ、そこでようやく独立の準備が出来るという。


自分で焼き物を売り買いしてはならないという厳しい戒があったのだが、

その若者は1度だけその禁を破って、看板を下ろす料理屋に赴いた際に

桃山時代作と思われる唐津の杯を貯金の多くをはたいて買ってしまう。


自責の念に駆られ、師匠にそのことを告白し、謝罪したらこっぴどく

叱られた。

一旦はそこで許してもらえたと思ったのだが、それから3年間師匠は

ろくに口もきいてくれなくなった。

お得意先へのお遣いも全く同行させてもらえず、口を開けば

「能無し」「役立たず」と罵倒されるのみであった。


次第にその若者の中に申し訳なかったという謝罪の気持ちとは別に

師匠への怒りが生まれてきた。


正直に告白し、心から謝罪したにも関わらず、この野郎(師匠)は

一向に自分を許す気など見せない。

これは男の嫉妬なのだ。

自分では見つけられなかったような優れた焼き物を弟子である自分が

見つけてきたことへの醜い男の嫉妬なのだ!

だからクビにはせずに自分を安月給で飼い殺す気なのだ!


と。


勇気を出して師匠の真意を聞いてみようと思いつつも、そんなことを

聞いたら師匠とのつながりは永遠に途切れてしまうという確信もあり

なかなか切り出せずに3年の月日が流れた。


そしてあるときに、自分の中の2つの心のひとつは完全に慢心であったことに

はたと気づく。

自分は決して犯してはならない禁を破り、それを打ち明け、深く謝罪をした。

師匠はだからこそ、その日を境に厳しい態度に出た。

それを嫉妬だ!などと思い込むことこそ慢心以外の何物でもなく、

心の中で深く師匠に対し、頭を垂れて、この先10年でも叱られ続けようと

意を決した。


師匠が自分のことを3年前と同じく「虎雄」と呼んでくれたのは

その数日後だった・・



そんなエピソードがありました。



すごく胸が痛むんですよね、こういう話。

まさに自分が研修先の院長先生にこんな想いを抱いていたから。

本当にロクでもない弟子だったと思います。

常に院長先生や目上の先輩の先生たちを見下したような想いがあったし、

医療人らしからぬヘンテコな髪型や服装をして、それを注意されては

「はー。」なんて言ってました。

根拠の無い自信に溢れ、それこそ慢心のかたまりってやつですね。

自我が強かったせいか、自分が常に輪の中心じゃなきゃ嫌だったし、

同世代の仲間の中でも幼稚なほうだったと思います。


ただ、そうやって自我を突っ張ると周りは自分にとって嫌な人になる。

自分がいびつな自我を引っ込めると周りもちょっといい人になる。

周囲の人は、まるで自分を写す鏡のようだと実感したのが30ちょっと前。


タイミング的にその時期に独立したので、なんとか間に合った!という

感じですが、そんなわけなので研修中はほとんどが慢心小僧だったのです。

ほんとはそれまでの未熟さを自戒して頭を垂れ、研修先の院長先生にもうしばらく

仕えるのが理想だったとは思いますが、まぁ、独立しちまったものはしょうがないので

心の中で「バカですみませんでしたねぇ」と自分を戒め続けるのがいいでしょう。


慢心なんて無くなる事はないですから、これからもずっと見張り続けないとね。


年相応の分別が付くのはいつだろうかな~と思う、今日このごろ。