セレンディピティ ダイアリー

映画とアートの感想、食のあれこれ、旅とおでかけ。お探しの記事は、上の検索窓か、カテゴリーの各INDEXをご利用ください。

絵を見る技術 / 13歳からのアート思考

2021年05月02日 | 

最近読んだ、アートの見方に関する本2冊です。

秋田麻早子「絵を見る技術 名画の構造を読み解く」

絵を見る時に、単に好きとか嫌いとかの感覚だけでなく、もっと論理的に理解する助けになればと思って読んでみましたが、期待していた内容とはちょっと違っていました。

私が知りたかったのは、絵を見る時にどういう点に注目したらよいか、ということですが、どちらかというと文化や歴史、宗教といった背景に関する解説を求めていたのだと思います。

本作は絵のフォーカルポイントや、バランス、構成、配列、色彩といった事柄ですが、私はふだんからこうしたことを意識しながら見ているので、それほど大きな発見はありませんでした。それにあまり意識しすぎると、絵を見るのがつまらなくなってしまいますしね。

どちらかというと絵を見る技術というよりは、自分で絵を描いたり、写真を撮ったりする方にとって、役に立つ知識、といえるかもしれません。

末永幸歩「「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考」

この本はおもしろかった! 筆者は中学・高校の美術の先生で、従来の知識・技術偏重型の美術教育に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を展開していらっしゃるそうです。

私は、知識や技術も基礎として大切だと思っていますし、過去の積み重ねがあって、現代の、そして未来のアートがあると思うので、従来型の美術教育も意味があったと思っています。実際、中学の時の美術史の授業もすごくおもしろかったですし。

でもこの本には、現代アートを理解するためのヒントや、かちこちの頭を柔らかくするアイデアがたくさん詰まっていて、これまでにない視点で書かれているのが斬新でした。

***

タイトルは ”13歳からの” とありますが、大人の方こそが楽しめる本だと思います。たとえば「リアルさ」に関しての記述では、私自身の経験と照らし合わせて、うなづくことが多かったです。

よくピカソの作品は見た通りに描かれていないと言われますが、実は写実的と言われる作品も、必ずしも見た目通りに描かれているわけではないのです。私は東山魁夷の「緑潤う」を見た時に、それを実感しました。⇒ 水を描く @山種美術館

***

誰もやっていないことを生み出すことがアートの本質であり、そのためにアーティストたちは苦悩するのでしょう。以前ポロックの伝記映画を見た時に、ポロックが「やりたいことは全部ピカソが先にやっちまった」と言ってたことを思い出します。

でも彼はその後に、pouring や dripping、action painting という独自の手法を生み出したのですものね。アートはイノベーションと言い換えることができるのかも。

新しい目を見開かせてくれる楽しい本でした。

コメント (2)

盤上の向日葵

2021年04月06日 | 

2018年本屋大賞第2位。将棋の世界を舞台に重厚な人間ドラマを描いた、長編ミステリーです。

柚月裕子「盤上の向日葵」(上) (下)

年末に実家を訪れた時に、偶然TVでやっていたドラマが思いの他おもしろく「砂の器」を思わせる展開にぐいぐいと引き込まれました。思わずタイトルをチェックしたら、後から原作があることを知り、読んでみたくなりました。

page turner とは、まさにこういう小説をいうのでしょう。私は将棋の知識はまったくないですが、それでも十分楽しめました。文庫版の下巻の初版が出版された際に、大量の誤植が発覚し、100カ所以上の正誤表が発表されたことも話題になっていたようです。^^;

中公文庫「盤上の向日葵」に大量誤植 先手と後手が逆 (朝日新聞デジタル)

***

私は文庫で読んだのですが、静の上巻、動の下巻というくらいテイストががらりと変わっていて驚きました。上巻では、埼玉県の山中で名匠の将棋駒を抱いた白骨死体が発見され、事件の核となる駒の持ち主を探る2人の刑事の物語と

将棋界に彗星のように現れた異端の天才棋士、上条桂介の不幸な生い立ちの物語とが交互に進行していきます。砂の器のセオリーから、桂介が事件に関わっているであろうことは容易に想像がつきますが、下巻での一筋縄ではいかない結末にうなりました。

***

下巻の中で私が一番好きな場面は、東京大学に入学した桂介が将棋部を訪ねるところです。私はなぜか「シェーン」のような西部劇を思い出しました。

はぐれもののガンマンが、荒野の酒場を訪れると、そこでは荒くれどもが遠巻きにこのガンマンを値踏みしている。やがてリーダーがガンマンに勝負を挑むと、仲間の一人がリーダーに近づき ”手加減してやれよ” とそっと耳打ちする... そんな場面が思い浮かびました。

***

でも私は、この後に登場する真剣師、東明重慶のことはどうしても好きになれなかったです。彼には小池重明という実在のモデルがいるそうで、人間としてはクズだけど、棋士としてはどうしようもなく魅力的な人物ということになっていますが

いやいや、人間としてクズというだけで、私としては受け入れられませんから。^^; 桂介が東明に出会わなかったら、彼はもっと違った人生を歩んでいたのではないか、と思わずにはいられませんでした。

***

私にとって将棋というのは、冷静沈着、知的な頭脳ゲームというイメージでしたが、実は格闘技のような激しい世界もあるのだということを、この作品によってはじめて知りました。

オール読物 2021年2月号

特集「将棋」を読む で、作家の黒川博行さんと柚月裕子さんの対談があったので図書館で借りてきました。小説を読んだ後のデザート感覚で、こちらも楽しめました。

コメント (6)

猫を棄てる/一人称単数

2021年03月07日 | 

昨年出版された村上春樹さんの本2冊の感想です。

村上春樹「猫を棄てる 父親について語るとき」

これまで私が読んだ自伝的小説の中で、最も衝撃を受け、心に残っている本は、三浦哲郎さんの「白夜を旅する人々」と、宮尾登美子さんの「櫂」です。それらと比較するつもりはまったくないものの、作品としては少々物足りなさを感じてしまいました。

本作は、村上春樹さんが初めてお父様について書いたエッセイです。おそらく村上さんは、亡くなられたお父様のとの関係について、心の中でまだ整理できていなかったのではないか、と思いました。

無理やり絞り出すように書かれた文章に、私は少々痛々しさを感じてしまいました。今の段階で本として出版する必要がはたしてあったのか、疑問を感じますが、出版社としては是非とも出したかったんだろうな。。。との事情も理解できます。

ちなみに「猫を棄てる」という物騒なタイトルは、村上さんが子供の頃、さる事情から飼っていた猫とお別れせざるを得なくなり、お父さんといっしょに猫を段ボール箱に入れて、自転車に乗せて海浜に猫を棄てに行くというエピソードからきています。

その後、家にもどると棄てたはずの猫が先にもどっていて、その後も飼い続けることになったという顛末なので、猫好きの方もどうぞ安心してお読みになってください。(=^・^=)

村上春樹「一人称単数」

この本は、短編集で雑誌「文学界」で発表された7作品と、書下ろしの表題作が含まれています。最初の短編「石のまくらに」の冒頭の1パラグラフから ”春樹節” 全開で、思わずにやりとしてしまいました。

私は初期の頃の村上春樹さんの小説が好きでしたが、いつしか苦手だと感じるようになったのは (といいつつ新作が出るとつい読んでしまうのですが) 自分のものさしに合わない人を、冷ややかなことばで断じるところにカチンとくるのだと思います。

本作では特に、女性蔑視やルッキズムともいえる表現がそこここに散見され、正直言って、不愉快に感じる描写や作品もありました。このご時世に、よくぞこのまま出版にこぎつけられたと少々驚きもしました。

8編の短編の中で、私が一番気に入ったのは「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」です。村上さんの小説は、時にどうしようもなく死の気配を濃厚に感じるものがありますが、本作もそうしたタイプの作品で、不思議な余韻が残りました。

「謝肉祭 (Carnaval)」はストーリーとしては悪くないのだけれど、全編に貫かれたルッキズムに辟易。「品川猿の告白」は人間のことばを話す猿が登場する、シュールでちょっと気持ちの悪い物語。

なんだか悪口みたいにばかりになってしまってすみません。

コメント (4)

そして、バトンは渡された

2021年02月06日 | 

2019年本屋大賞受賞作。離婚や死別を経て、気が付けば2人の母親と3人の父親の間を渡って育てられてきたひとりの少女の物語です。

瀬尾まいこ「そして、バトンは渡された」

本屋大賞受賞作は、これまでにも何度となく読んできましたが、心なしかふんわりとした小説が多いような気がします。読後感はさわやかで温かい気持ちが残りますが、よいお話すぎて、正直物足りなさを感じてしまうこともしばしばです。

本作も、これほど複雑な家庭環境で育ってきて、本人には葛藤や悩みはなかったのだろうか? どの親も問題なく、みんないい人だというのは望ましいことではあるけれど、そんなにうまくいくかしら?と思いながら読みました。

家族を作るって、実の親子であっても、ものすごく努力が必要なものだと思います。まして世の中では義父母や養父母による不幸な犯罪もよく聞く中、本作の親子関係は、なんとなく現実離れしているように感じてしまったのも事実です。

でもそうした生々しい現実社会を忘れて、せめて小説の中では、理想の世界があってもいいかもしれませんね。

***

私はピアノが好きなので、ピアノや音楽が物語の重要な小道具として登場したのはうれしかったです。懐かしかったのは、アンドレ・ギャニオンの 「めぐり逢い」

アンドレ・ギャニオン「めぐり逢い」Andre Gagnon

アンドレ・ギャニオンはカナダ出身の作曲家。90年代頃、彼の美しいピアノ曲をよく聴いていました。BGMなどに使われることも多いので、耳にした方もいらっしゃるかもしれません。私は楽譜集を持っていて、当時よく弾いていましたよ。

今回知ったのですが、アンドレ・ギャニオンさんは2020年12月3日に83歳でお亡くなりになられたそうです。この場を借りて、ご冥福をお祈りいたします。

コメント (11)

JR上野駅公園口

2021年01月16日 | 

2020年11月に全米図書賞 (翻訳文学部門) を受賞。ニュースで知って図書館で予約を入れていましたが、既に文庫になっているのを本屋さんで見てその場で購入しました。2014年に出版された小説です。

柳美里「JR上野駅公園口」(Tokyo Ueno Station)

タイトルになっているJR上野駅公園口は、美術館によく行く私にはなじみ深い場所です。公園口を出てすぐ横断歩道を渡ると東京文化会館、その先には国立西洋美術館、さらに進むと東京都美術館。

広大な上野恩賜公園は、春の満開の桜並木、秋の紅葉や銀杏の黄葉など、四季折々の風景が美しく、適度な高低差もあって散策するのが楽しい場所です。

でもそうした晴れやかな表の顔とは別に、ここはさまざまな理由から住む場所を失った人たちが集まり寝泊まりする一大拠点でもあるのでした。昼間はほとんど目にすることはなく、意識したこともありませんでしたが、夜はまったく違う景色が広がっているのでしょうか。

***

主人公となるのは福島出身の72歳の男性で、現在の上皇と同じ年に生まれました。息子は現在の天皇陛下と同じ日に生まれ、お名前から一字をとって浩一と名付けました。天皇家と何かと縁のある主人公ですが、その人生は苦難の連続でした。

地元で結婚して一男一女をもうけるも、長年家族と離れ、各地で出稼ぎをして生活を支えてきました。最初の悲劇は長男を若くして突然亡くしたこと。そして仕事をリタイアしてようやく故郷で夫婦水入らずの生活が始まると、今度は妻が突然の死を迎えます。

それでも彼にはいっしょに暮らす優しい孫娘がいたのに、なぜかこれ以上孫に迷惑をかけてはいけないと家を出ることを決断し、ひとり上野にたどりつくのでした。

う~ん、正直この心理が私にはよくわからなかった。家があり、年金もあったのに、どうして家を飛び出したのか。勝手に家を出て行方不明になったら、それこそ家族にとっては心配で、よっぽど迷惑だと思うのですが。。。

***

誰とも話すことなく、目さえも合わせることなく、息を詰めるようにひっそりと生きていく日々。彼の耳には、道行く人々の会話が流れるように聞こえ、通り過ぎていきます。彼は自分の身の上を一切誰にも語らず、身柄を特定できるものを何一つ持ちません。

存在を消すかのように暮らしている彼らですが、上野に行幸啓 (天皇・皇后の外出) がある時には、前もって通達が出され、その間は自分の所持品をまとめ、居場所を移さなければなりません。

自分が住まうコヤが、片付けるとたちまちゴミにしか見えない時のみじめな気持ち。そして敬愛する天皇に、決して目に触れさせてはいけない自分の姿。

***

終盤近くでは、ふるさとの福島が東日本大震災の津波に飲み込まれ、重なる不幸のとどめというべき描写もあります。救いのない小説ではあるのですが、戦後日本の高度経済成長の陰で置き去りにされてきた負の部分を、目の前に突き付けられた思いがしました。

コメント (4)

82年生まれ、キム・ジヨン

2020年05月25日 | 

韓国で130万部、世界16か国で翻訳されたベストセラー小説です。

チョ・ナムジュ「82年生まれ、キム・ジヨン」 (Kim Jiyoung, born 1982)

夫と幼い娘と暮らしている専業主婦のジヨンは、ある日精神の異常をきたして、いろいろな人格が憑依するようになります。この小説は、主治医によるカルテという手法を取りながら、ジヨンが幼い頃から経験してきた女性としての困難と差別が語られていきます。

著者はもと放送作家で、本作は彼女の自伝的な要素も含まれているそうです。ジヨンというのは80年代に最も多かった韓国の女性の名前で、きっと誰もが経験してきた普遍的な物語として多くの女性たちの心をとらえたのだと思います。

ジヨンの進学、就職、結婚、出産...という人生は私のそれとも重なりますが、私は彼女のように、自分が女性であることで困難や差別を感じたことは、実はそれほど多くありません。今度生まれ変わる時も女性がいいと思うほど。

明治時代ほど封建的でなく、今の時代ほど平等主義でもなく、生まれ育った時代がちょうど私の感覚に合っていたのかもしれません。

***

男兄弟がいなかったので、兄や弟と比べて差別されるという経験もなかったし、進路のことでとやかく言われたこともなかった。周りにもそういう友人はあまりいなかったと記憶していますが、地方ではまだまだ男性上位の家があったかもしれませんね。

就職したのは均等法が施行された後で、男女平等の恩恵を受けつつ、女性としての甘えも許される、一番得な時代だったような気がします。話を聞くと、今の若い女性たちは全ての役割を完璧にこなすことを求められ、ずっとたいへんそうだと感じます。

仕事を続けていく中で女性としての限界を感じたことはありましたが、子育てはそれ以上の価値と喜びを与えてくれましたし、貴重な経験を積み重ね、成長することができたとも感じています。

***

本作は、現代女性の生きづらさに主眼を置いていますが、私は現代の男性も同じくらい生きづらさを抱えていると思います。うまく言えませんが、今の時代は私たちの頃と比べて、モラルやリスペクトが圧倒的に欠けているように思うのです。

そして多くの人が心の余裕をなくして、鷹揚さがなくなっているとも感じます。振り返ると、私はいろいろなことにあまりに生意気で無防備だった。それでもそれが若さゆえの過ちと許される寛容さが自分を育ててくれたと思うのです。

本作の訴えたいこととは少しずれているかもしれませんが、そんなことを思いながら読みました。

コメント (4)

高村薫「冷血」

2020年01月17日 | 

遅ればせながら、昨年読んだ本の感想を書き残しておきます。

高村薫「冷血」

カポーティの「冷血」を思い出させる本作。すなわち、ある善良な一家が、何の理由もなく残酷無慈悲に殺される事件が描かれています。カポーティの小説とは時代も舞台も違いますが、高村さんの緻密な背景描写や人物描写はリアリティたっぷりで、閉塞感のある現代の日本で、いつでも起こりうる事件となっていることに恐怖を感じました。

***

2002年の年末。都内の閑静な住宅街で、一家4人が無残な姿で発見されます。両親はともに歯科医、子どもたちは国立大付属校に通っているという堅実な家庭で、周囲とのトラブルも見当たりません。姉はスタンダールを愛読し数学オリンピックを目指す知的に成熟した中学生で、捜査員は一同深いため息をもらします。

粗雑な犯人たちは痕跡を数多く残しており、やがて戸田と井上という2人が逮捕されます。いわゆるチンピラの井上と、寡黙な新聞配達員の戸田。むしゃくしゃしていた井上と戸田はネット上で知り合っただけの関係で、2人はわずか数日の間に、東京近郊で器物損壊やコンビニ強盗を重ねた挙句、その流れで一気にこの殺人事件へと突き進んだのでした。

***

上巻では犯罪が起こるまでと、犯人たちが逮捕されるまでがドキュメンタリーのように克明に記されていきます。これだけでも十分読み応えがありますが、そこで終わらないのが高村さんの小説。上巻と同じボリュームで、下巻では戸田と井上、2人の内面の物語が緻密に描写されていきます。

それは、被害者である善良な家族4人も、加害者である2人の凶悪犯も、命の重さは同じなのだ、という高村さんのメッセージなのだと受け取りました。(とはいえ、それは心情的に、とても受け入れられるものではありませんが...)

犯罪自体は許されることではありませんが、どんなに凶悪な犯行にも必ずそこに至るまでの正当な理由があり、それを解明して初めて事件は完結するのだ、ということ。高村さんは、そのことを合田雄一郎という刑事を通して追及し続けているのだと思います。

***

井上というのは高村さんの小説によく出てくる、躁鬱が激しくて、頭の中がゲームとパチスロだけでできているようなキャラクターで、正直私にはまったく理解できないタイプ。 (そしてこういうはちゃめちゃな頭の中を言語化できる高村さんてすごい!といつも感心しています。^^;)

戸田は、今でいうところの教育虐待の被害者で、彼のこれまでの孤独と絶望の人生を思うと、胸がしめつけられるような苦しみを覚えました。彼はどうやら日本の伝統工芸に興味を持っていたようですが、もしも母親が自分の価値観を押し付けず、彼の気持ちを尊重して育てていれば、犯罪の道に走ることもなかったのでは?と思わずにはいられませんでした。

現代ならではの社会問題がさりげなく織り込まれている高村さんの作品は、いつも読んだあとにもいろいろと考えさせられます。

コメント (4)

たゆたえども沈まず/スイート・ホーム/ファミリー・ライフ/鉄の骨

2019年03月19日 | 

最近読んだ本から4冊、感想をまとめて書き残しておきます。

原田マハ「たゆたえども沈まず」

これまでルソー、モネ、ピカソなど、画家たちをモデルに小説を書かれてきた原田マハさん。本作のテーマはゴッホです。舞台は19世紀末のパリ。日本画商の林忠正と、助手の加納重吉。画家のフィンセントと弟のテオ。ゴッホの絵でおなじみのゴーギャンやタンジー爺さんも登場する、史実をもとにしたフィクションです。

加納重吉は架空の人物で、ゴッホ兄弟と林忠正をつなぎ、本作の狂言回し的な役割を果たしています。忠正とゴッホに交流があったことは実際には明らかではないそうですが、本作では忠正の影響で浮世絵と日本に魅せられたゴッホが、自分の作品が誰からも認められないという苦悩の中で、日本に移住したいと望みます。

しかし忠正がゴッホに勧めたのは南仏アルル。ゴッホの才能にここまで惚れ込む忠正が、ゴッホの絵を一枚も買わないというのは不自然ですが^^; 史実ではゴッホの絵は生涯で一枚しか売れていないのでしかたがないですね。フィンセントとテオの兄弟愛、印象派美術における日本人画商の活躍と苦悩など、心に残る作品でした。

原田マハ「スイート・ホーム」

原田マハさんの作品はこれまで何冊も読んでいますが、アートが題材ではない作品を読むのは初めてです。本作は、宝塚の高台の住宅街にある、小さな洋菓子店を舞台にした連作短編集です。美しい町と愛あふれる人たち。あまりにいい話すぎて、ちょっと物足りなさも感じましたが...

最後の初出のページを見て納得。これは阪急不動産のHPに連載されていた小説なんですね。作家さんは、ちゃんとクライアントの希望に沿った小説が書けるものなのだな...と、私はそのことに感心しました。全編にわたる、関西弁のやわらかい響きが心地よかったです。

アキール・シャルマ 小野正嗣・訳「ファミリー・ライフ」

70年代にインドからアメリカ東海岸に移り住んだ、移民の家族が抱えた試練の物語。作者の自伝的小説です。インド系アメリカ人作家のジュンパ・ラヒリさんの「停電の夜に」と、訳者の小野正嗣さんの「九年前の祈り」が好きなので興味を持ちました。重くて救いがないですし、読後感も決してよくはないのですが、こういう内省的な小説は嫌いではないです。^^

輝く未来が待っているはずのアメリカで、優秀だった高校生の兄ビルジュがプールの事故で全身不随の寝たきりとなってしまい、それから家族の長い介護生活がはじまります。アルコールに溺れる父と、介護に疲弊する母。そうした中で祈ること、書くことにささやかな喜びを見出す少年アジェ。

家族に苦難を与えたのもビルジュならば、家族をひとつにつないでいるのもまたビルジュなのだと思います。ビルジュが愛のよりどころであり、家族が帰る場所なのかもしれません。

池井戸 潤「鉄の骨」

池井戸潤さんのお仕事小説。本作のテーマは、談合です。大学の建築学科を出て中堅ゼネコンの一松組に入社した富島平太は、現場での仕事にやりがいを見出し始めた数年目に、業務課への異動を命じられます。そこは通称 談合課とよばれる部署で、平太は公共工事の入札に向けて水面下での戦いに巻き込まれていきます...。

実際の建設業界は、もっとどろどろした恐ろしい話があるのでしょうが、そこは池井戸さんの小説なので、技術力とアイデアを強みに正々堂々と渡り合っていく、気持ちのよいストーリーになっています。初心者向けへの談合のレクチャーになっていますし、主人公の成長物語としても楽しく読めました。

コメント (6)

蜜蜂と遠雷

2019年02月06日 | 

国際ピアノコンクールを舞台に、音楽に魅せられた若きピアニストたちの挑戦と奮闘を描いた群像劇。2017年に直木賞と本屋大賞をダブル受賞しました。

恩田陸「蜜蜂と遠来」

一流ピアニストへの登竜門として注目されている、芳ヶ江国際ピアノコンクール。今年も国内外から話題のコンテスタントたちが集まっていました。養蜂家の父とともに各地を転々とし、自宅にピアノをもたない風間塵(16歳)。かつて天才ピアニストとしてデビューするも、母の死去以来ピアノが弾けなくなった栄伝亜夜(20歳)。

音大出身で楽器店に勤務している高島明石(28歳)。ジュリアード音楽院に在籍し、優勝候補と目されるマサル・C・レヴィ・アナトール(19歳)。他にも強豪が集う中、予選を勝ち抜き、本選で優勝するのははたして誰なのか...。

***

昨年読んだ本ですが、遅ればせながら感想を...。上下2段で500ページ以上ある長編小説ですが、第1予選から第3予選、本選というコンクールの展開が、臨場感あふれる生き生きとした筆致で描かれていて、最後までわくわくしながら読み進めました。

本編の前に、課題曲に関する主催者の説明資料や、小説のメインとなる4人のコンテスタントが各予選、本選で弾いた曲が一覧になっているのも、リアリティがあって引き込まれました。(ただし最終頁にはコンクールの最終結果が書かれているので、ネタバレNGの方はご注意を)

***

本作の魅力はなんといっても、緻密な人物描写、そして音楽描写。長編小説ということもありますが、4人のコンテスタントのキャラクター造形が丹念に描かれているので、読んでいるうちに彼らのイメージが自分の中にしっかりできあがり、行動や感じ方が手に取るようにわかるのが不思議でした。

4人のキャラクターと、彼らの選曲を見比べてみるのもおもしろい。特に選曲が私好みだったのが栄伝亜夜です。ショパンのバラード第1番や、ドビュッシーの喜びの島など、どれも好きな曲なので、彼女がどんな風に演奏したのだろうと想像しながら読むのが楽しかった。

そして目に見えない音楽を、これほど多彩な文章で表現していることへの驚き。まあ、結局のところ比喩のような表現になってしまうのは致し方がないですが、それでも情景を頭に浮かべながら音楽を”読む”ことは貴重な経験でした。

***

この小説を映像化するのは難しいだろうな...と読んだ時には思いましたが、なんと今年の秋に映画が公開されるそうです。一度言語化された音楽を、今度はどうやって生身の音楽として表現していくのか。難しい作業になるでしょうね。

おそらくピアノの演奏部分は吹き替えになるのでしょうが、誰が演奏するのかも気になるところ。特に蜜蜂王子の風間塵は、コンクールの台風の目で、コンテスタントから審査員までいい意味で引っ掻き回す存在なので、どうなることやら...と今からにやにやしています。

この作品、4人のライバルが、互いを尊重し、高めあう存在というのがまたすてきなのです。他の人の演奏を聴くことで、自分自身と向き合い、自分の表現を研ぎ澄ましていくところがとても好きです。

***

この本で唯一フィクションの課題曲「春と修羅」が映画ではどのように表現されるかも気になります。タイトルは宮沢賢治の詩集から来ているようですが、現代音楽でちょっと和のテイストが入った曲になるのかな?と勝手に想像しています。四者四様のカデンツァも楽しみです。

コメント (2)

マスカレード・ホテル

2019年01月22日 | 

...といっても、今公開中の映画ではなく原作の感想です。

風邪で寝込んでいる間、少し調子がいいと本を読んでいたので、いつもより充実した読書タイムを送っていたかもしれません。これはその中の一冊。夫が机にポンと置いておいてくれた本ですが、こういう肩が凝らずに楽しめるエンタメ小説は病人にはありがたい。500ページ強の長編ですが、読み始めるととまらなくて一気に読み終えてしまいました。

東野圭吾「マスカレード・ホテル」

都内で3件の連続殺人事件が発生。残された暗号が解読され、次の犯行場所が都内の一流ホテル、ホテル・コルテシア東京であることが判明します。警察はホテルに協力を要請し、数名の刑事がホテルのスタッフとしてもぐりこむことに。警視庁捜査一課の新田浩介も、フロントクラークに就くよう命じられます。

彼の教育係を務めることになったのはフロントクラークの山岸尚美。人を疑うことが仕事の新田と、お客様を信じることを第一に考える山岸は、最初は何かと衝突しますが、やがて互いのプロとしての姿勢やものの見方を学び、尊敬しあうようになっていく...というお話です。

ひとことでいうと、クライムエンターテイメントになるのでしょうが、単なるミステリーでなく、ホテルを舞台にしたお仕事小説であり、人間ドラマであり、ほんのりロマンスも感じさせる展開となっています。 

***

既に映画の予告で、新田浩介=木村拓哉さん、山岸尚美=長澤まさみさんというのを知っていたこともあり、小説を読んでいる間は、この2人が頭の中で完全に乗り移っていました。^^ 実際、まるで当て書きかというくらい2人のイメージにぴったりなのです。

私は木村さんのファンではないのですが、彼は映画でもドラマでも、いい作品、いい役に恵まれていますよね。やはり作り手の心を動かす、愛されるスターなんだと思います。

***

ミステリーの部分では、最初にピンときた人がやはり重要人物でしたが、この人が最終的にこの犯罪とどう結びつくのか、動機は?方法は?など、いくつもの疑問が最後にひとつに結びつく展開にすっきり。ラスボスを倒したようなカタルシスを感じました。さりげなく現代のテクノロジーをからませるところも東野さんならではでおもしろかった。

それから、ホテルの仕事のあれこれや、ホテルが困ったお客にどう対処するのか?など、いろいろな裏話が聞けたのも興味深かったです。あとは新田と、品川署の能勢とのチームプレイ。能勢は刑事ものによく出てくるタイプの、見た目はさえないけれどものすごい切れ者で現場にこだわる刑事。映画では小日向文世さんが演じているみたいですね。^^

***

本作のモデルとなったホテルは、箱崎のロイヤルパークホテルだそうです。私は最近はすっかりご無沙汰していますが、祖母がいた頃は、よくここにお昼を食べに行ってたので懐かしくなりました。どちらかというとこじんまりとした、隠れ家といっていいホテルですが、それゆえにくつろげる雰囲気がありました。

昔、作家がこもるというと駿河台の山の上ホテルが有名でしたが、東野さんがロイヤルパークホテルを仕事場にされているとうかがって、なるほど...と納得しました。(新参者シリーズの舞台、人形町は目と鼻の先ですし) でも映画がヒットしたら、ここでゆっくり執筆どころではなくなるかもしれませんね。

コメント (6)