セレンディピティ ダイアリー

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マスカレード・ホテル

2019年01月22日 | 

...といっても、今公開中の映画ではなく原作の感想です。

風邪で寝込んでいる間、少し調子がいいと本を読んでいたので、いつもより充実した読書タイムを送っていたかもしれません。これはその中の一冊。夫が机にポンと置いておいてくれた本ですが、こういう肩が凝らずに楽しめるエンタメ小説は病人にはありがたい。500ページ強の長編ですが、読み始めるととまらなくて一気に読み終えてしまいました。

東野圭吾「マスカレード・ホテル」

都内で3件の連続殺人事件が発生。残された暗号が解読され、次の犯行場所が都内の一流ホテル、ホテル・コルテシア東京であることが判明します。警察はホテルに協力を要請し、数名の刑事がホテルのスタッフとしてもぐりこむことに。警視庁捜査一課の新田浩介も、フロントクラークに就くよう命じられます。

彼の教育係を務めることになったのはフロントクラークの山岸尚美。人を疑うことが仕事の新田と、お客様を信じることを第一に考える山岸は、最初は何かと衝突しますが、やがて互いのプロとしての姿勢やものの見方を学び、尊敬しあうようになっていく...というお話です。

ひとことでいうと、クライムエンターテイメントになるのでしょうが、単なるミステリーでなく、ホテルを舞台にしたお仕事小説であり、人間ドラマであり、ほんのりロマンスも感じさせる展開となっています。 

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既に映画の予告で、新田浩介=木村拓哉さん、山岸尚美=長澤まさみさんというのを知っていたこともあり、小説を読んでいる間は、この2人が頭の中で完全に乗り移っていました。^^ 実際、まるで当て書きかというくらい2人のイメージにぴったりなのです。

私は木村さんのファンではないのですが、彼は映画でもドラマでも、いい作品、いい役に恵まれていますよね。やはり作り手の心を動かす、愛されるスターなんだと思います。

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ミステリーの部分では、最初にピンときた人がやはり重要人物でしたが、この人が最終的にこの犯罪とどう結びつくのか、動機は?方法は?など、いくつもの疑問が最後にひとつに結びつく展開にすっきり。ラスボスを倒したようなカタルシスを感じました。さりげなく現代のテクノロジーをからませるところも東野さんならではでおもしろかった。

それから、ホテルの仕事のあれこれや、ホテルが困ったお客にどう対処するのか?など、いろいろな裏話が聞けたのも興味深かったです。あとは新田と、品川署の能勢とのチームプレイ。能勢は刑事ものによく出てくるタイプの、見た目はさえないけれどものすごい切れ者で現場にこだわる刑事。映画では小日向文世さんが演じているみたいですね。^^

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本作のモデルとなったホテルは、箱崎のロイヤルパークホテルだそうです。私は最近はすっかりご無沙汰していますが、祖母がいた頃は、よくここにお昼を食べに行ってたので懐かしくなりました。どちらかというとこじんまりとした、隠れ家といっていいホテルですが、それゆえにくつろげる雰囲気がありました。

昔、作家がこもるというと駿河台の山の上ホテルが有名でしたが、東野さんがロイヤルパークホテルを仕事場にされているとうかがって、なるほど...と納得しました。(新参者シリーズの舞台、人形町は目と鼻の先ですし) でも映画がヒットしたら、ここでゆっくり執筆どころではなくなるかもしれませんね。

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地下鉄道 :コルソン・ホワイトヘッド

2018年12月03日 | 

19世紀初頭のアメリカ。南部のジョージア州にある農園で奴隷として生まれた少女コーラは、新入りの奴隷の少年シーザーに誘われ、自由な北部を目指して逃亡することを決意します...。実在した秘密組織、地下鉄道を題材にした物語。ピューリッツァー賞ほか、数々の賞を受賞した話題作です。

コルソン・ホワイトヘッド著 谷崎由依訳「地下鉄道」(Underground Railroad)

地下鉄道のことを初めて知ったのは、アメリカの小学校の歴史教科書です。19世紀のアメリカでは、奴隷制が認められていた南部から、奴隷制が廃止されていた北部へと奴隷が亡命するのを手助けする秘密組織がありました。

自由黒人とよばれる人々や、リベラルな白人たちが担い手となっていて、その秘密のルートは地下鉄道というコードネームでよばれました。奴隷を誘導する人たちは車掌、奴隷の隠れ家は駅、匿った人たちは駅長とよばれ、他にもさまざまな暗号があり、奴隷たちは駅から駅を伝って北部を目指したのです。

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奴隷の歴史については、これまでに見た映画の知識も助けになりました。例えば、コーラの祖母がアフリカからアメリカに連れてこられた場面は「アミスタッド」、南部の農園での奴隷たちの苦難については「それでも夜は明ける」(12 Years a Slave)、南部の農園からの逃亡については「大統領の執事の涙」(Lee Daniels' The Butler)など。

テーマは重いですし、容赦ない残酷描写もありますが、コーラの逃亡劇がスリリングにドラマティックに描かれ、こういう言い方は適切ではないかもしれませんが、エンターテイメントとしても引き込まれました。きっと映画化されるだろうな~と思ったら、「ムーンライト」のバリー・ジェンキンス監督によるドラマ化が決まっているそうです。

本作を読んでいて、あれ??と思ったのは、地下鉄道が実際の鉄道として描かれていたこと。匿ってくれる人の家の地下に駅があって、そこから列車(私はトロッコをイメージした)に乗って州をまたいで移動するのです。トンネルを抜けるとそこにはどんな世界が待っているのか。リアリズムとファンタジーが交錯する物語の世界を堪能しました。

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コーラを逃亡に誘ったシーザーは、前の農園主から習い、字を読むことができました。しかし字が読めると知れることは時に奴隷にとって命取りになります。ひた隠しにしていたシーザーでしたが、目の動きから彼が字が読めることに気づいた白人フレッチャーが、シーザーに接触したことから、この逃亡劇は動きはじめます。

シーザーは、コーラを幸運の女神と信じ、彼女を誘ってフレッチャーに運命を預け、逃亡の旅に出るのです。逃亡奴隷には賞金がかけられ、森で、町で、奴隷狩り人や一般市民が目を光らせています。フレッチャーははたして信用できる人物なのか。コーラたちは命からがら、最初の目的地サウスカロライナにたどり着きます。

そこで待っていたのは、”駅長”であるサムの温かい歓待。栄養のある食べものや清潔な衣服、ベッド。そして新しい名前と、自由黒人としての身分証明書。コーラはここで生まれて初めて、ひとりの人間として迎え入れられます。

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奴隷を匿い、助けることは、白人にとっても大きな危険を伴うものでした。もしもそのことが知れたら、黒人以上に残酷な方法で処刑されることもあるのです。にもかかわらず、彼らをそうした尊い行いに導く力は何なのか、私だったらそのような勇気が持てるだろうか、本書を読みながら何度も考え込んでしまいました。

何の見返りも求めないこうした好意に、コーラはどうやって応えたらいいのか...。それは自分が生き延び、そして事情が許すならば、今度は自分がほかの奴隷たちを助けることだと、コーラは理解します。

サウスカロライナからノースカロライナ、テネシー、インディアナ... コーラの旅は続きます。コーラを血眼になって探しているジョージアの残虐な農園主ランドル。逃亡奴隷を捕まえることに生きがいを見出している奴隷狩り人リッジウェイ。はたしてコーラは無事に逃げ切ることができるのか、はらはらしながら引き込まれました。

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アノニム/モダン/ツバキ文具店/星の子/アキラとあきら

2018年09月16日 | 

最近読んだ本の中から、感想を残しておきます。どれもここ数年に出版された本です。

原田マハ「アノニム」

これまで、ルソーやピカソ、モネなど、画家をモデルにしたアート小説を書かれてきた原田マハさん。今回はポロックか~と楽しみにしていましたが、目次を見ると舞台は香港??登場人物たちはアニメのキャラクターみたい??キツネにつままれたように読み始めると、本作はポロックではなく、ポロックの絵を盗むお話でした。

ポロックそっくりの贋作を用意して、香港のオークションですり替えるという、まさにオーシャンズ顔負けのエンターテイメント小説です。個人的には、アートフェアやオークション、今建設中のM+現代美術館など、今アジアで最もホットな現代美術の拠点となっている香港のアート事情に触れることができ、興味深かったです。

原田マハ「モダン」

MoMA(モマ)の愛称で知られる、ニューヨーク近代美術館を舞台にした短編集です。原田マハさんがかつて勤務していたMoMA。実在する人物も織り込んだこの作品集は、小粋でおしゃれな翻訳小説のようなテイストがあって、アーウィン・ショーの「夏服を着た女たち」を思い出しました。

私が特に気に入ったのは、アンドリュー・ワイエスの”クリスティーナの世界”をモチーフにした「中断された展覧会の記憶」そして、MoMAの工業デザインコレクションにスポットをあてた「私の好きなマシン」です。本を読みながら展示室の情景が浮かんできて、MoMA好き、モダンアート好きには楽しく読めました。

小川糸「ツバキ文具店」

小川糸さんは以前「食堂かたつむり」を読んだことがあり、これは2冊目。本作は鎌倉を舞台にした観光小説の要素もありますが、主人公の鳩子が小さな文具店を営むかたわら、実は手紙の代書屋さんが本業というのがおもしろい。さまざまな事情を抱えてやってきた人たちの気持ちに寄り添い、彼らに代わって手紙をしたためます。

依頼主のキャラクターや手紙の内容にあわせて、紙、ペン、インク、切手を厳選し、筆跡まで自由自在に操ってしまうプロの技に感嘆しました。実際に鳩子が書いた手紙が、筆跡とともに見ることができるのも楽しい。どこか現代とは別の世界、別の時間が流れているように感じるのは、鎌倉マジックかもしれません。

今村夏子「星の子」

2017年上期の芥川賞候補作品。病弱だった娘を救うために怪しい宗教にのめりこんでしまった両親を、中学3年生の娘ちひろの視点で描いた作品です。他人から見ればおかしな両親も、ちひろにとってはかけがえのない存在であり、両親がその宗教を信じることを尊重しているように思えます。

しかし実際にはちひろの家族は崩壊寸前で、姉は両親を見限り家を出てしまっているのです。ちひろを心配した叔父は、彼女を家に引き取ろうと両親を説得するために何度も足を運びます。洗脳されている両親はちひろを手放すことができるのか、そしてそれをちひろは受け止めることができるのか、結末は読者に委ねられています。

池井戸潤「アキラとあきら」

これまで読んだ池井戸潤さんの作品の中で、本作が一番好きかもしれません。元銀行員で、これまでいいところも悪いところも含めて銀行という組織を愛情深く書かれてきた池井戸さんですが、本作では池井戸さんが理想とする2人のバンカーが描かれていると感じました。

主人公は、零細工場の息子・山崎瑛と、大手海運会社東海郵船の御曹司・階堂彬という2人のアキラ。それぞれ全く違う人生を歩いてきた2人は大学で出会い、卒業後同じ銀行に就職することとなります。お互いを最強のライバルと認め合う2人ですが、互いを尊敬する間柄でもあるのです。

2人の人生がていねいに描かれる序盤も引き込まれますが、2人が出会ってからはアクセル全開。銀行の仕事は本来困っている人を支え、企業を守り、経済を動かしていくことなんだよな...という当たり前のことを気づかされる作品でもありました。主人公の2人が魅力的ですし、経済エンタメ小説として大いに堪能できました。

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陸王

2018年03月01日 | 

埼玉県行田市にある老舗の足袋製造会社が、会社の存続をかけてランニングシューズの開発に挑戦する、ビジネス・エンターテイメント小説です。

池井戸潤「陸王」

埼玉県行田市にある「こはぜ屋」は100年の歴史をもつ老舗の足袋製造会社。社員20数名の小さな会社で、足袋ひとすじに長年がんばってきましたが、和装品の市場縮小に伴い、業績は低下の一途にありました。そこで会社の生き残りをかけ、足袋作りのノウハウを生かして、ランニングシューズ”陸王”の開発に乗り出しますが...。

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池井戸潤さんのお仕事小説が好きなので楽しみにしていましたが、期待通りにおもしろかったです。読んだあとで、昨年秋に役所広司さん主演でテレビドラマ化されたことを知りました。Wikipediaで、縫製課のリーダーに阿川佐和子さん、こはぜ屋を救う会社社長に松岡修造さんといったキャスティングを知り、なるほど~とにやにやしました。

テイストとしては「下町ロケット」に近い、勧善懲悪のサクセスストーリー。地域に根差した特定の強みを持つ零細企業が、資金難や大手ライバル会社の妨害など、さまざまな困難を乗り越えて成功への一歩を踏み出すという爽快な物語です。悪を徹底的に打ちのめすわけでないところが池井戸さんらしく、気持ちのよいストーリーとなっていました。

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手探り状態で新しい事業を始めた企業に、すぐに優れた商品が開発できるはずもなく、こはぜ屋は何度も壁にぶつかりますが、苦あれば楽あり、一難去ってまた一難、捨てる神あれば拾う神あり、そのたびに不死鳥のようによみがえります。そう来たかという意外性のある展開がおもしろく、最後まで飽きることなく引きつけられました。

こはぜ屋がもともと持っていた強みは、100年間培ってきた足袋作りと縫製の技術、小さな会社ゆえの家族のような社員の結束の強さなどがありますが、それだけではトップアスリートを支える最高品質の商品は生み出せません。新たに必要となる素材の開発、専門家からの適切なアドバイス、設備投資に必要な資金も必要となります。

でも最終的に成功の決め手となるのは、結局のところ、人と人との信頼関係につきるのではないかということを、節目節目でかみしめました。これは池井戸作品における、一貫したテーマになっているように思います。

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たとえば社長の宮沢が、理想のソール(靴底)を探し求めてたどり着いた飯山は、かつて倒産して借金取りに追われ、自堕落な生活を送っている世間的には信用度ゼロの男です。ふつうだったらリスクを避けて絶対に近づきたくない相手ですが、宮沢は彼を信用し、こはぜ屋の顧問として迎え入れるのです。

あるいは宮沢の息子の大地は、大学を卒業したものの就職が決まらず、求職活動をしながらこはぜ屋でくすぶっていました。自分が認められないことで自信を無くし、働くことに対して情熱が抱けなかった彼が、陸王の開発に打ち込むことでやりがいと責任を見出し、成長していく姿に清々しい感動を覚えました。

最初に登場した時は、失意のどん底にいた2人が、最後にこれほど化けるとは誰も想像がつかなかったと思います。^^

実業団のランナーである茂木の挫折と苦悩、そしてそこからのドラマティックな復活劇にも心打たれました。こはぜ屋の社員たちは、自分たちの挑戦と茂木の復活を重ねて見ていたと思います。偶然にも本を読んでいたのがちょうどオリンピック期間と重なっていたこともあり、本書に登場するアスリートたちのドラマがよりリアルに胸に響きました。

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羊と鋼の森

2018年01月04日 | 

北海道を舞台に、ピアノの調律に魅せられた青年が、調律師として成長していく姿を温かい筆致で描いた長編小説。2016年本屋大賞第1位。

宮下奈都「羊と鋼の森」

ピアノの調律師を描いた小説と聞いて、読むのを楽しみにしていました。ちなみにタイトルの羊はピアノのハンマーに使われているフェルト、鋼はピアノの弦を指しています。森というのはある時はピアノの箱であり、もっと広くピアノが作り出す音の世界を表している時もありました。

ピアノの調律師を描いた作品といえば、6年前に見たドキュメンタリー映画「ピアノマニア」(Pianomania)を思い出します。スタインウェイの調律師があるピアニストのために一年がかりで音を作るという究極のエピソードに衝撃を受け、プロの仕事の厳しさ、音作りの奥深さに感銘を受けたのでした。

そうした話を本作に期待していたわけではないのですが、読みはじめは少々心もとなく、正直もの足りなさも感じました。それもそのはず、主人公はまだひよっこの調律師なのですから。でも読み進めるうちに、この小説は調律師というより、ひとりの青年の成長物語なのだと気がつきました。

高校2年生の時に学校の体育館のピアノの調律の場に居合わせ、深い森にいるような感銘を受けたこと。その時の調律師の音に魅せられて、調律を勉強し、同じ楽器店に就職したこと。なかなか思うように自分の目指す音が作れず、何度も落ち込む日々...。

これから社会に出ようとしている若者にエールを送り、やさしくポンと背中を押しているような作者の温かいまなざしが感じられ、主人公がようやく道しるべらしきものを見つけるラストでは、思わずほろりと涙ぐみました。

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ストーリーには直接からみませんが、本書を読んでへ〜っと思ったことを少々。

ピアノの基準音となるラの音は、学校のピアノでは440Hzと決められていますが、戦後になるまでは435Hzだったそうです。さらにさかのぼると、モーツァルトの時代のヨーロッパでは422Hzだったということ。今は442Hzとすることも多いのだそうです。

最近はオーケストラの基準音となるオーボエの音が444Hzになっているので、それにあわせてピアノもさらに高くなるかもしれないとか。モーツァルトの時代と比べると半音近くも高くなることになります。変わらないはずの基準音が時代や国によって変化しているというのはおもしろいですね。

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それから小説の中にリーゼンフーバーというピアノメーカーが出てきます。知らないメーカーだったので気になってググってみたら、なんと作者の宮下奈都さんがご出身の上智大学哲学科の名誉教授のお名前でした。小説の中の架空のピアノメーカーだったのですね。ひょっとしたら他にもこんな暗号が隠れていたのかも?と思ったらちょっと愉快になりました。

【関連記事】羊と鋼の森(映画) (2018-07-30)

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また、桜の国で

2017年12月19日 | 

須賀しのぶさんの「革命前夜」が気に入ったので、他の作品も読んでみたくなりました。第2次世界大戦時のポーランドを舞台に、ロシア人の父をもつ日本人外交官の奮闘と運命をドラマティックに描きます。第4回(2016年)高校生直木賞受賞作。

須賀しのぶ「また、桜の国で」

1938年、ロシア人の父をもつ棚倉慎は、外交書記官としてポーランドの日本大使館に着任します。彼にとってポーランドは、少年時代に出会ったポーランド人孤児カミルの記憶につながる大切な国でした。ナチスドイツの台頭とともに戦争への足音が高まる中、慎は母国日本、そしてポーランドの戦争回避に向けて尽力しますが...。

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ショパンの”革命のエチュード”にのせて描かれる、ポーランドを舞台にした歴史小説。史実の中に織り込まれるように展開する物語はフィクションながらリアリティがあり、スリリングな興奮を味わいました。戦争という抗えない運命の中で、ひとりの人間として生きようと奮闘する主人公の姿が心に響きました。

ポーランドがドイツとロシアという2つの強国にはさまれ、過去に何度も過酷な運命にさらされてきたという歴史は多少なりとも理解していましたが、日本とも深いつながりがあったことを、本作を読んで知りました。1920年頃、日本はシベリアで劣悪な環境におかれていたポーランドの戦災孤児たちを受け入れ、しばらく保護していたのです。

慎が少年時代に孤児カミルとすごしたのはほんの数時間。しかし自らのアイデンティティに悩んでいた慎にとって、カミルとの出会いは、その後の彼の生き方を左右するほどの大きな力となったのでした。慎がその後、外交官への道を進み、ポーランドに配属されたことに、運命の不思議を思います。

物語は、ワルシャワに向かう列車の中で出会ったユダヤ人のヤン、日本大使館で働くポーランド人のマジェナ、元戦災孤児でポーランドの地下活動を率いるイエジ、アメリカ人ジャーナリストのレイ、彼が思いを寄せるユダヤ人のハンナなど、さまざまな背景をもつ人たちが登場し、慎の人生と関わっていきます。

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本作を読みながら私が何度も思い出したのは、映画”戦場のピアニスト”。特にワルシャワの重厚な街並みがことごとく破壊される風景は、映画で見たシーンがオーバーラップしました。ドイツの圧倒的な軍事力の前になす術のないポーランド。頼みの綱のイギリスやフランスにも見捨てられ、人々の悲痛な叫びが胸をえぐります。

日本はドイツの同盟国となりますが、慎はポーランドの人たちの信頼を裏切ることができず、イエジたちの地下活動に身を投じ、ポーランドの人々とともに戦う道を選びます。冷静に考えたら、え??という展開ですが、歴史を動かす熱いうねりの中で、慎の決断と行動がごく自然なものとして共感できました。

思えば杉原千畝さん(本作にもちょこっと名前が出てきます)にしても、日本の外交官ではなくひとりの人間として、数多くのユダヤ人たちを救済したのですものね。慎のような気概をもった人がいたとしても不思議ではないかもしれません。

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スノーデン 日本への警告/夜の谷を行く/革命前夜

2017年12月02日 | 

最近読んだ本から、感想を書き留めておきます。

エドワード・スノーデン他「スノーデン 日本への警告」

映画”スノーデン”は、これまで先進国では当たり前と思われていた個人の自由と権利を揺るがす内容で、大きな衝撃を受けました。本書は、昨年東京大学で開催された自由人権協会のシンポジウムの記録で、第1部が亡命先のロシアからインターネット経由で参加したスノーデン氏のインタヴュー、第2部が人権識者たちによる討論会となっています。

映画”スノーデン”で一番驚いたのは、日本のコンピュータシステムにはマルウェアが仕組まれていて、米国の同盟国でなくなった時にシステムダウンするよう設計されているということ。しかしあの映画が公開されてからも、日本で全く問題にならなかったのが不思議でした。日本はこの件に関して了承しているということでしょうか。

スノーデン氏はかつて横田基地にいた経験から、情報において日米は協力関係にあり、日本が米国からの要請で日本国内のムスリムの監視を行っていたことも明らかにしています。しかしこうした情報収集はテロ防止に役立っておらず、テロへの恐怖に乗じた重大な人権問題とされています。

同じように膨大な個人情報を収集することは犯罪の抑止力にはならず、人権活動家、弁護士、ジャーナリストの監視につながるとスノーデン氏は言います。こうした権力の暴走を止められるのは、本来ジャーナリズムの力ですが、日本のメディアは今、大きな脅威にさらされていると氏は警鐘を鳴らしています。

 桐野夏生「夜の谷を行く」

桐野夏生さんの小説は悪意がひりひりと感じられて苦手...といいつつ、これまでにいくつか読んできましたが、これはおもしろかった! 読み始めたら止まらず、一気に読み終えました。

主人公は40年前に連合赤軍に加わり、指導者の永田洋子とも行動をともにした西田啓子という架空の人物。ということで陰惨な場面があったら嫌だな...と心配でしたが、物語は主に現在の啓子の姿を描いています。5年間服役している間に両親は心労で亡くなり、親戚中から縁を切られ、今もつきあいがあるのは妹のみ。

啓子は過去を誰にも知られないよう、友人も作らず、都会の片隅でひっそりと息をひそめるようにして生活しています。そこに突然昔の仲間から電話があり、あるフリーライターが過去の事件に関して啓子と連絡を取りたがっていると告げます。どうして自分の居場所がわかったのか?以来、彼女の心に小さなさざ波が起こります...。

連合赤軍事件についてはほとんど知りませんし、正直理解も共感もできませんが、それとは別に何十年も自分と何の関係もない犯罪者とその家族を追い続けるもの好きがいるという事実に恐れを感じました。未曽有の東日本大震災は、啓子に過去と向き合う勇気を与えます。思いがけない結末は、啓子に差し伸べられた救いだと感じました。

須賀しのぶ「革命前夜」

東西ドイツ分裂時代の1989年、バッハに憧れて東ドイツ・ドレスデンの音楽大学にピアノ留学した眞山柊二は、世界から集まった個性豊かな才能に出会い、大きな刺激を受けるものの、自分の音を探し求めて苦悩します。そんな折、教会で出会った美しいオルガニスト、クリスタの音楽に魅せられます。

これほどの才能がなぜ眠っているのか、それは彼女がかつて西ドイツへの亡命を試みたことからシュタージから監視され、自由な音楽活動ができない立場にいたからです...。須賀しのぶさんの小説を読んだのは初めてですが、音楽と歴史がみごとに融合したドラマティックな世界を堪能しました。登場する音楽を聴きながらの幸せな読書体験となりました。

Cantilena - Josef Rheinberger (You Tube)

中でも一番心に残ったのは、クリスタが弾くラインベルガーの”カンティレーナ”。少々甘すぎると恥ずかしがるクリスタですが、私の中では彼女のテーマ曲となりました。東ドイツの監視社会については、映画”善き人のためのソナタ”を見た時の記憶が、イメージをふくらませるのに役に立ちました。

物語の終盤では、東ドイツで生きる人、自由な世界を目指す人、それを助ける人、あるいは阻止する人。激動の東ドイツ情勢と、愛と自由をかけた駆け引きがめまぐるしく交錯し、サスペンスフルな展開に引き込まれました。

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犯罪小説集/劇場/風に舞いあがるビニールシート

2017年11月18日 | 

最近読んだ本の中から、感想を書き残しておきます。

吉田修一「犯罪小説集」

吉田修一さんの作品は、”悪人”、”パレード”、”怒り” と読んだことがあります。どれも読み始めると止まらなくなるおもしろさがありましたが、現代社会の闇や生きづらさが描かれていて、読んでいて辛くなることも。そんなわけで、映画化されている作品も多いですが、見るのを躊躇してしまいます。

本作は5編からなる短編集で、どれもここ10年くらいの間に世間を騒がせた、実際に起こった事件をモチーフにしています。とはいえイマジネーションを膨らませ、実際とは違う設定や、別の切り口で描かれているので、元の事件を思いう浮かべながらも、あくまでフィクションとして新鮮に読み進めることができました。

女性の複雑な心理をかつての同級生の視点で描いた”曼珠姫午睡”や、犯罪者の生い立ちに着目した”百家楽餓鬼”、”白球白蛇伝”。また、差別と偏見によって引き起こされた犯罪(青田Y字路)や、村社会が生み出した悲劇(万屋善次郎)など、日本の閉鎖性について考えさせられる作品もありました。

タイトルが漢字5文字で統一されていることからも、最初から連作を想定して書かれたのだと思いますが、粒ぞろいでどの作品もおもしろかったです。

又吉直樹「劇場」

”火花” で芥川賞を受賞した又吉さんの第2作。自ら小劇団を運営し脚本を書いている永田と、彼を尊敬し陰で支える恋人 沙希とのラブストーリーです。恋愛小説ということもあって、私は "火花" より楽しく読めました。

売れない劇作家と彼を支える恋人...ということで、私が思い出したのは常盤新平さんの ”遠いアメリカ”。若い頃に読んで、今は何者でもなく、ただ夢を追い求める2人に共感し、号泣したことを覚えていますが、今回はなぜか泣けなかった...。どちらかというと、沙希ちゃんの親の立場で読んでしまって、ただただ永田の身勝手さに腹が立ちました。^^;

私が若かった頃のきらきらした気持ちや一途な思いを忘れてしまったのかもしれませんが...。周囲がとやかく言うことではなく、これは永田と沙希ちゃんにしかわからない愛なのでしょうね。どこかフェリーニ監督の ”道” に通じるものも感じます。いろいろ文句を書きましたが^^; 小説としてはおもしろかったです。

森絵都「風に舞いあがるビニールシート」

森絵都さんの "みかづき" が気に入ったので、他の作品も読んでみたくなりました。2009年上期に直木賞を受賞した、6編からなる短編集です。作品は軟・硬 交互に続き、それぞれ個性があって楽しめました。

犬の里親探しのボランティアをしている主婦の目を通して、昨今のペット問題に切り込んでいる”犬の散歩”。テーマはシリアスですが、物語はやわらかい筆致で描かれていて、最後に家族の絆へとつながっているところがちょっと ”みかづき” のテイストに似ています。

仏像に魅せられて修復の道に入った若者の、師との確執と挫折を描いた”鐘の音”は、純文学の香りがあって私は一番気に入りました。ある仏像へと傾倒していく様子には狂気さえ感じられ、それゆえに残酷な結末に胸をつかれました。神に導かれたとしか思えない後日譚も不思議な余韻を与えてくれました。

世代間のギャップを描いた "ジェネレーションX" はコミカルでスピード感あふれる作品。仕事で謝罪に向かう中堅社員と取引先の若い社員。長い道中、延々私用電話をかけ続ける若者に最初は内心腹が立ちますが、その後思わぬ展開が待ち受けます。すてきなラストに胸のすくようなさわやかな感動を覚えました。

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カズオ・イシグロさんの作品から

2017年10月06日 | 

昨夜8時、登録しているニュースサイトから通知が届き、何気なく開くと、カズオ・イシグロさんが今年のノーベル文学賞を受賞したという速報でした。賞レースにはあまり興味のない私ですが、カズオ・イシグロは、いつかノーベル賞を取るんじゃないか、取れたらいいな、と思っていた作家さんなので、素直にうれしかったです。

作品を全部読んでいるわけではありませんが、やはり代表作の「日の名残り」が一番心に残っています。イギリスで教育を受けられたとはいえ、日本人の両親のもとに育った氏が、どうしてイギリス貴族社会のことをこんなにリアルに描けるの?とまずはそのことに素朴に驚いたのでした。

名家の執事として親の代から主人に仕えてきたスティーブンスの徹底したプロ意識と高潔な志、同じく長年女中頭として仕えてきたケントンとの秘めたる思い、イギリスの美しい田園風景から真の品格を見出す場面などが思い出され、久しぶりにまた読んでみたくなりました。

カズオ・イシグロの小説、映画化した作品に関しては、過去に何度か記事にしているので、この機会にまとめておきます。

小説 「日の名残り」(The Remains of the Day) (2011-12-07)

映画 「日の名残り」(The Remains of the Day) (2011-06-24)

映画 「わたしを離さないで」(Never Let Me Go) (2011-05-02)

 

このほか、記事にしそびれましたが、小説では「わたしを離さないで」と、最新作の「忘れられた巨人」(The Buried Giant)を読みました。「わたし~」は臓器移植を題材にした異色のSF、「忘れられた巨人」はファンタジーの奥に潜む普遍的な物語といった感じで、どちらもその発想力の豊かさに驚かされました。

小説が映画化されるとがっかりすることがままありますが、イシグロ作品は「日の名残り」「わたしを離さないで」ともに小説の世界そのままにうまく映画化されているので、これから読む方は映画から入るのもよいかと思います(私もそうだった)。土屋政雄さんの翻訳も、ナチュラルで読みやすくて好きです。

イシグロ氏がオリジナル脚本を手掛けた「上海の伯爵夫人」(The White Countess)も、古風な味わいがあって忘れがたい作品です。ジェームズ・アイヴォリー監督、レイフ・ファインズ&ナターシャ・リチャードソン主演、真田広之さんが激動の上海で暗躍する謎の日本人役で出演しています。

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みかづき

2017年08月10日 | 

昭和から平成にいたる教育界の変遷を、学習塾を経営する家族の姿を通して描いた長編小説であり、親子4代にわたる家族の歴史を描いた大河小説。2017年本屋大賞第2位に選ばれました。

森絵都「みかづき」

書評を読んで興味をもちました。森絵都さんの作品を読むのは初めてでしたが、おもしろかった! ちょうど私が育ってきた時代~子育ての時代と重なることもあって、自分の記憶をたどりつつぐいぐいと引き込まれました。近年の教育史としても読み応えがありましたが、家族ひとりひとりのキャラクターが魅力的で物語としても大いに楽しめました。

昭和36年、千葉県八千代台。小学校で用務員をしていた吾郎は、放課後に子どもたちの勉強を見てあげるうちに教え方が評判になり、やがて生徒の父兄でシングルマザーの千明に請われて、いっしょに学習塾を立ち上げます。2人は結婚し、子どもが生まれ、塾も順調に成長していきますが...。

***

私たちの頃は、塾に通わず学校の勉強だけで大学まで行けるのんびりした時代だったように思います。当時は塾はまだ特殊な存在で、学校の先生が塾を目の敵にしていたことを、本作を読んで思い出しました。タイトルの「みかづき」は、学校が太陽とすると、塾は陰で支える月のような存在だ、という千明のことばから来ています。

しかし進学塾が台頭し、教育を取巻く状況は変わっていきます。補習塾としてはじまった吾郎たちの学習塾も、生き残りをかけて進学塾へと舵を切るべきだと考える千明と、創業時の理念を守って補習塾に徹するべきだと考える吾郎の意見が真っ向から対立。吾郎は塾を去り、家を出てしまいます。

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昔は必要悪とされていた塾も、この頃になると教育を担う両輪の片側として存在感を増していきます。受験競争の弊害が叫ばれゆとり教育が推進されると、学力低下が心配され、塾に通う子どもが増えるようになります。

公立では頼りないからと進学塾が焚きつけて、私立人気が高まったのもこの頃ではないでしょうか。学校が選べる家庭と選べない家庭。それは取りも直さず、家庭環境による学力格差を引き起こし、社会問題として今に引き継がれています。

物語の終盤では、千明の孫の一郎が、学校の授業についていけない、経済的理由で塾に通えない子どもたちのために、学習支援の活動に奮闘する姿が描かれ、また一方で、学校と塾が協力する試みも取り上げられています。

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教育というテーマは重いですが、本作が読みだすと止まらなくなるおもしろさがあるのは、物語の運びの巧みさもさることながら、文体の柔らかさ、登場人物に向ける作者の優しいまなざしによるところも大きいと思いました。後から、森絵都さんが児童文学出身と知り、深く納得したのでした。

大島家の人たちは、誰ひとり挫折を知らず、まっすぐな人生を歩んできたわけではありません。悩み、考え、立ち止まり、振り返りながらもそれぞれが自分にふさわしい生き方を見つけています。そんなところにも共感でき、大いに励まされました。

最後に恒例の脳内キャスティングでは、吾郎→長谷川博己さん、千明→吉田羊さん、頼子→松坂慶子さん、一枝→壇蜜さん を思い浮かべながら読みました。扱いの難しいテーマですが、ドラマ化されるかもしれませんね。

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