セレンディピティ ダイアリー

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沈黙 サイレンス

2017年01月31日 | 映画

遠藤周作の名作「沈黙」を、マーティン・スコセッシ監督が28年の構想を経て映画化した作品、「沈黙 サイレンス」(Silence)を見ました。幕府によるキリシタン弾圧が行われていた江戸時代初期の日本を舞台に、長崎にやってきたポルトガル人司祭の苦悩を通じて神と信仰の意味を問います。

数年前にスコセッシ監督が「沈黙」を映画化していると聞いて以来心待ちにしていた本作、公開初日に見てきました。...とはいえ、遠藤周作さんの原作は10代の多感な頃に出会い、私にとっては特別な思い入れのある作品でもあったので、実は今回の映画化を不安に思ってもいたのです。

マフィアをテーマに容赦ない暴力描写をおそれないスコセッシ監督ですから、拷問の場面をことさらに強調したエンタメ作品になっていたらどうしようとか、17世紀の日本人が残虐な野蛮人として描かれてはいないだろうかとか...。

でもかつて司祭になることまで考えていたというスコセッシ監督に対して、その心配はまったく杞憂なものでした。原作の世界が真摯に映像化されていて、監督が敬意を表していることが伝わってきました。日本の歴史や文化を尊重し、一般的な日本人の宗教観にも配慮した作品になっていたと思います。

前半の重くてつらい場面とは対照的に、後半、ロドリゴが捕まって以降の静かな展開には、美しい日本の風景ともあいまって、苦しい中にも心が浄化されていくのを感じました。原作にはないラストの場面は、神はいつもあなたとともにいて、あなたとともに苦しんでいたのだという、スコセッシ監督からのメッセージだと受け止めました。そこにスコセッシ監督の愛を感じました。

 主演のアンドリュー・ガーフィールドはじめ、日本人俳優たちの演技もすばらしかった。特に心に残ったのはモキチを演じた塚本晋也さん。ロドリゴたちに出会った時の、静かな喜びの表情が忘れられません。キチジロ―を演じる窪塚洋介さんも存在感がありました。ずるくて弱くて卑怯な男ですが、ラスト近くではコメディリリーフ的な役割もはたしていて、ほっとするひとコマもありました。

以前、狐狸庵先生(遠藤周作さん)が何かのインタビューで、「私にとってキリスト教は、出ていけと言っても家に居続ける古女房のようなものだ」とおっしゃっていたのが妙に心に残っています。おそらくご自身を体現したのがキチジロ―という存在なのだと想像しています。

17世紀の日本という特殊な状況を描いた作品ですが、世界各地で宗教弾圧や人種差別がますます激しさをましている現代において、スコセッシ監督がこの作品を映画化したことには大きな意味があると思いました。

 

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ヒトラーの忘れもの

2017年01月27日 | 映画

終戦直後のデンマークを舞台に、地雷撤去に駆り出されたドイツ軍少年兵たちの苦難を描いた史実に基づくドラマ、「ヒトラーの忘れもの」(Under Sandet / Land of Mine)を見ました。

第2次世界大戦中、デンマーク西海岸につらなる美しい砂浜に、米英軍からの侵攻に備え、ナチス・ドイツによって200万個もの地雷が埋められました。そして戦争が終わり、残された地雷を除去するために駆り出されたのは、終戦時にデンマークに捕虜として囚われたドイツ軍の少年兵たちでした。

彼らは終戦間際に徴兵された少年たちで、爆弾処理の訓練を受けていない、まったくの素人でしたが、デンマーク兵から即席にレクチャーを受け、即戦力として地雷原に送られたのです。

彼らを危険な任務につかせることは、本来ジュネーヴ条約違反のはずですが、戦時中、デンマークがドイツの軍事保護下にあったことから、このようなことがまかり通ったのです。その後冷戦時代に入り、この不幸な事実は、歴史の闇の中に封じ込められることとなりました...。

映画で描かれるのは14名の少年兵と、彼らを指揮するデンマークのラスムスン軍曹。デンマーク人にとって、ドイツ兵は子どもといえども昨日までの憎き敵であり、軍曹は情け容赦なく、少年たちをこき使います。戦争を起こしたのは大人たちなのに、どうして一番弱い彼らが後始末を強いられて、最も危険な任務に就かなければならないのか、その理不尽さに胸がふるえました。

まだ10代半ばのあどけない顔をした少年たちが、空腹と孤独と不衛生の中に閉じ込められ、探知棒を手にそろりそろりと広い砂浜をはいつくばって地雷を探し続ける姿に打ちのめされました。美しい砂浜は、死の地雷原。いつ爆発してもおかしくない状況の中で、見ている方も、極度の緊張感に何度も押しつぶされそうになりました。

あたりまえのことですが、戦争は勝っても負けても不幸なこと...と改めて思いました。戦争に勝った側は、このような負の遺産に何十年も苦しめられることになり、負けた側は、早く帰って祖国の再建のために働きたいと語る、少年たちの未来が失われることになるのです。

終わりのない苦しみの中で、どうなることかと思いましたが、少年たちと接していく中で、軍曹が少しずつ人間らしい気持ちを取り戻し、最後にせめてもの救いがあってほっとしました。

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天使にショパンの歌声を

2017年01月25日 | 映画

カナダ・ケベック州の女学校を舞台にしたヒューマンドラマ、「天使にショパンの歌声を」(La Passion d'Augustine)を見ました。時代の変化によって閉鎖の危機に直面した学校を、先生と生徒たちが音楽の力で救おうと奮闘します。

1960年代、美しい自然に囲まれたカナダ・ケベック州にある女学校。ここは修道院が運営する寄宿学校で、校長のオーギュスティーヌ先生が音楽教育に情熱を注いでおり、前年のピアノコンクールでは銀賞を獲得するほどの実績を上げていました。

しかし近代化の流れの中で、音楽教育や女子教育に対する風当たりは強く、学校は存続の危機に瀕していました。オーギュスティーヌ先生は、修道院の総長に何度もかけあうも理解を得られず、卒業生の父兄でもある名士夫人の力を借りて、生徒たちによる音楽会を開くことを計画。広く学校の音楽活動を知ってもらい、支援の輪を広げようと奮闘します...。

音楽をテーマにした作品が好きなので楽しみにしていた本作。子どもの頃、「小公女」が大好きだった私は寄宿学校という響きに憧れに近いものがあり、「17歳のカルテ」や「モナリザ・スマイル」のような、悩める少女たちが自分の生き方を切り開いていく...というお話に弱いです。

オーギュスティーヌ先生やフランス語の先生、アリスや親友の女の子にも秘められた過去や心の傷がありますが、それらがおおげさに取り上げられることなく、さりげなく描かれているところに、レア・プール監督の細やかな感性と良識を感じました。

女性の立場が弱く、社会進出が進んでいなかった時代の話ですが、この学校が抱えている問題は、実務教育をよしとして教養教育を軽んじる風潮や、女子教育の存在意義が問われている現実など、今の日本における教育イシューにも通じるものがあり、真の人間教育、情操教育とは何か、考えさせられました。

そしてなにより、映画を彩る音楽の数々がすばらしかった! アリスを演じるライサンダー・メナードはカナダを代表する若きピアニストで、映画は初出演とのことですが、感受性豊かな少女を好演していました。コンクールで弾くショパンの別れの曲には、ストーリーとも相まって思わず涙ぐんでしまいましたが、バッハのジャズアレンジも楽しかった。少女たちのコーラスは、まさに天使の歌声でした。

映画を見たら、帰って無性にピアノが弾きたくなって...心地よい余韻とともに、劇場を後にしました。

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佐藤養助の稲庭うどん

2017年01月22日 | グルメ

雪が降るかもしれないという寒い週末、稲庭うどんの「佐藤養助」にお昼を食べに行きました。都内に何店舗かありますが、地下に駐車場がある赤坂店へ。場所は東急プラザ赤坂の3階です。

稲庭うどんは秋田県南部の稲庭村(現在は湯沢市稲庭町)発祥の郷土料理で、日本三大うどんに数えられています。繊細でつるりとしたのどごしがあって、私も大好き。高級品なので頻繁にとはいきませんが、夏に冷水でキーンと締めていただく稲庭うどんは格別で、時々そうめん代わりにいただきます。

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その昔、旅の途中で稲庭村まで稲庭うどんを食べに行ったことがあります。冬は雪に閉ざされるであろう山間の小さな集落に、稲庭うどんを作っている業者さんが数軒あったと記憶していますが、この小さな村から全国に知られるうどんが生まれるなんて...と感動したことを思い出します。

近くには泥湯温泉という秘湯があり、食後に立ち寄り湯に入ったのも懐かしい思い出です。見慣れない顔だと思ったのか、お湯の中で地元のおばさんたちから声を掛けられ、楽しい時間をすごしました。ちなみに、歌人の小野小町が生まれたのもこの近くだといわれています。

さて...この日はランチメニューの中から、私は限定の「比内地鶏のあったかつけめん」をいただきました。比内地鶏は秋田北部の名産品。きゅっとしめた手綯いの稲庭うどんに温かいおつゆを具とともに注いでいただくと、体の芯からじんわりおいしさが広がります。根ごといただくセリも素朴な風味があって、こういう食べ方もあるんだーと発見でした。

天せいろ。うどんのおつゆは醤油と胡麻味噌、両方と選ぶことができて、こちらは胡麻味噌です。ランチセットにはどれもお漬物がつきました。右下に見えるのは「いぶりがっこ」といって、たくわんを囲炉裏の上につるして燻して作る、秋田南部の郷土料理です。燻すことで風味が増し、コリッとした食感が楽しめます。

温かいうどんと天丼のセット。稲庭うどんは家では冷たくしていただくことが多いですが、冬はホットもいいですね。

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マリメッコ展

2017年01月20日 | アート

渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催されている、「マリメッコ展 デザイン、ファブリック、ライフスタイル」(~2月12日まで)を見に行きました。フィンランドのデザインブランド、マリメッコの60年の歴史をたどる企画展で、ヘルシンキのデザイン・ミュージアムの所蔵作品から、ファブリックやヴィンテージドレスなど、200点以上が展示されています。

1951年、アルミ・ラティアによってヘルシンキで創業されたマリメッコ(marimekko)。ラティアのもとに才能あるデザイナーが集まり、フィンランドの自然や伝統的なモチーフを取り入れた大胆でカラフル、幾何学的なデザインが人気をよび、1960年代には世界的なブランドへと成長しました。ちなみにマリメッコとはフィンランド語で「マリーのドレス」という意味だそうです。

かわいい語感の響きもあって、マリメッコには子どもの頃からなんとなく親しみを持っていましたが、私が印象的に覚えているのは1988年に出版された五木寛之さんの「雨の日には車をみがいて」という短編集。たしか冒頭の表題小説に、女優志望の若い女性とテレビ局のプロデューサーがマリメッコの話で意気投合する、というくだりがあったと記憶しています。

物語の舞台がたしか70年代くらい?だったと思いますが、60年代にジャクリーン・ケネディ夫人が愛用していると話題をよんで、人気に火がついたといいますから、当時を語るエピソードとして合点がいきました。カラフルで大胆なデザインはミニマルアートのようでもあり、見てて元気になる楽しい企画展でした。

  

(左)マリメッコのトレードマークにもなっている「ウニッコ」(ケシの花)は、ラティアの友人マイヤ・イソラによるデザイン。 (右)「シィールトラプータルハ」(市民菜園)は色彩を抑え、モダンな中にもレトロな味わいが感じられます。

  

(左)ジャクリーン・ケネディが、避暑地のケープコッドで購入したサマードレス。ファブリックは、ナスティ(小さな無頭釘)という細かいドットのデザインです。(右)プケッティ(ブーケ)というファブリックを使ったドレス。マリメッコのドレスは、どれもウェストをしめつけない、ゆったりとしたシルエットです。

マリメッコでは、脇坂克二さん、石本藤雄さんという2人の日本人デザイナーも活躍しました。子どもたちに人気のブ・ブーという車の図案も、脇坂さんのデザインだということを今回初めて知りました。

ポップなデザインは、カジュアルなテーブルウェアにもぴったり。食事が楽しくなりますね。

昨年公開された、「ファブリックの女王」(Armi elaa! / Armi Alive!)は、マリメッコの創業者アルミ・ラティアの波乱万丈の人生を描いたドキュメンタリー。劇場では見逃してしまいましたが、2月にDVDレンタルがはじまったら見てみようと思います。

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こころに剣士を

2017年01月17日 | 映画

はじめまして。

これまでココログでダイアリーを続けていましたが、容量が残り少なくなったので、こちらで新しくブログを立ち上げました。まだ操作に不慣れで試行錯誤の状況ですが、少しずつ居心地よく整えていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

さて記念すべき第一稿は、エストニアを舞台にした事実に基づくヒューマンドラマ、「こころに剣士を」(Miekkailija / The Fencer)の感想です。「ヤコブへの手紙」のクラウス・ハロ監督の作品というので、楽しみにしていました。

エストニアと聞いて思い出したのは、ジャンヌ・モロー主演の「クロワッサンで朝食を」。バルト三国のひとつで北欧に近いという以外、私にはほとんどなじみのない国でしたが、中世以降、数々の近隣諸国に支配され、第2次世界大戦中はナチスドイツ、そして戦後はスターリン体制のソ連に占領されるという悲しい歴史を背負っている国だということを、今回初めて知りました。

元フェンシング選手のエンデルは、戦中ドイツ軍にいたということでソ連の秘密警察に追われる身となり、ハープサルという小さな町に流れ着き、小学校教師の職を得ます。名まえも経歴も偽ってひそやかに生きるエンデルでしたが、ひょんなことから生徒のひとりに懇願され、課外授業で子どもたちにフェンシングを教えることになるのです。

もともと子どもが苦手なうえに、心を閉ざしているエンデルは、最初は接し方がわからず、熱意ゆえに厳しく指導してしまうこともありましたが、不器用ながらも少しずつ子どもたちや父兄たちから慕われ、信頼の絆で結ばれていきます。戦争で父親を失った子どもたちにとって、エンデルは無口だけれど大きな愛で包んでくれる父親のような存在でもありました。

フェンシングのおもしろさに目覚めた子どもたちは、レニングラードで行われる全国大会に出場したいとエンデルに訴えます。子どもたちの希望をかなえてあげたいエンデルですが、それは彼にとって秘密警察の目に留まる大きな危険を伴うものでした。エンデルに嫉妬を募らせ快く思わない校長の不穏な動きもあり、エンデルは心の中で葛藤しますが...。

すっかりかさついていたエンデルの心を潤し、生きる喜びを与えてくれたのは、子どもたちのまっすぐなまなざしと前向きなチャレンジ精神でした。エンデルを逮捕しにきた秘密警察たちも子どもたちの奮闘に拍手を送っていましたが、子どもたちの未来は国の希望であり、その前には誰が味方で誰が敵か、誰が裏切り者かなんて大人の都合は、取るに足りない小さいことのように感じられました。

エンデルを演じるマルト・アヴァンディの、悲しみの中にも温かさと強さをにじませる繊細な演技に心打たれましたが、あとからエストニアで人気のコメディ俳優(!)と知って驚きました。そして、フェンシングと向き合うことで寂しさを乗り越え、生き生きと輝く子どもたちがかわいくて、私も大きな喜びを与えられました。

 

 

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