ちょっと気になるいい事、言葉、最新技術

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王子近辺で見つけたもの(2)

2020-02-07 08:00:33 | 旅行
@北区王子駅からの歩いて数分で見つけたモノ、神社仏閣・旧古河庭園など
七社神社で見つけた祈願札で周りを囲んだ大木
旧古河庭園の庭・薔薇はまだまだ早い(剪定を終えた薔薇の庭園)、梅の1部咲き
(1919年3代目当主古河虎之助が作った英国風庭園と館)
平塚神社で迎えられた猫・日本の国旗の扇子印が宮の印なのか?
無量寺でも迎えられた数種の猫(優雅な毛並みの猫)と2体の狸像、癒しの場・・・

「頭でっかち」は根底からひっくり返っても不思議ではない『千両かんばん』

2020-02-06 07:53:32 | 歴史から学ぶ
@「成功への秘訣」。成功する人、失敗する人は世間にゴマンといる。中でも「成功する人の秘訣」は誰もが「目標に向かって一途に努力した」と言う。だが、実際苦労した人ほどその「他人より人一倍努力した」と言う重みが違う。ドン底にから這い上がった叩き上げの人物こそ危機感をもって取組み、何かあっても即座に判断ができる。 現代はそういった人材が乏しく頭でっかち「理論武装」だけで乗り切ろうとする輩が多いのは、結局長期継続は無理なのである。 「経験」と「継続的努力」のコツはここにあると確信できる。 新型コロナ肺炎でも日本の対応は他国と比べてどうなんだろう。 いつも出遅れ、それなりの理由で対処しているが・・・日本の危機管理とは、「無責任」誰も責任を取らない、決して取ることをしない体制かもしれない。

『千両かんばん』山本一力
秘伝の継承を目前にして親方は逝き、弟弟子には先を越され、鬱屈した日々を送る看板職人・武市のもとへ、大店から依頼が舞い込んだ。しくじりは許されない重圧の中、天啓のように閃いた看板思案に職人の血が滾る。実現を前に立ち塞がるいくつもの壁。それでも江戸っ子の度肝を抜くこの仕事、やるのは俺だ。知恵と情熱と腕一本で挑む、起死回生の大一番!痛快無比の人情時代長編。
  • 師匠が弟子の武市に秘伝を伝授する直前に亡くなり、家を追われる。弟弟子(裕三)が華やかな行灯飾りを作り上げ一世風靡となるが、火事で跡形もなくなり短い存在の絵となってしまった。 武市はその苦境を乗り越えようと様々な人々の「縁」と「運」から乾物問屋の屋根に誰もが考えつかない猪牙舟を使った広告塔と行灯には加賀あかねで描いた梅鉢紋をあしらえ大成功を収める。その時弟弟子に行った言葉が「裕三、今日からが勝負だぜ」
  • 苦しみ、妬み、窮地などを味わった人物の成功への物語である。武市の励みはやはり「飾り行灯には、深い闇が一番の手助けになります」と弟弟子との競争心があったからこそ成功した。
  • 江戸時代、徳川家康が考えた施策
    • 人は陸を使う(人々は道を使い往来をして、交通混乱を避けた)
    • モノは水を使う(物資運搬は水路を使い江戸に運ばせた)
    • 人あるものは禄を薄く(石高を少ないものは責任権限を与えた=親藩大名)
    • 禄あるものは任薄く(石高が多いものは責任権限を押さえた=外様大名)
    • 大きな屋敷の大名(見栄)はそれなりに巨額の出費も覚悟した
  • 室町時代に生きた雪舟は67歳で「四季山水図」を76歳で「破墨山水図」を描いた
  • 江戸時代つきに百杯もの猪牙舟が建造されており、江戸には3~5千に及ぶ舟があった

参謀たる資格とは『身命を惜しまず』

2020-02-04 07:51:31 | 歴史から学ぶ
@「知謀と先見力」 政宗に仕えた片倉小十郎と家康の子紀伊城主頼宣に仕えた安藤帯刀は、まさに命をかけ支え続けた参謀・懐刀であった。現代でも「参謀」たるものの資格とはこの知謀・先見力(知識・情報・分析・行動)である。 更に「時」を読み「素早い判断から行動」をとることが必要とされている。 上司に信頼される部下は更に「行動判断力と実績」だと言ってもいい。言葉だけの理論武装者は「忠臣」(参謀)にはなれない。

『身命を惜しまず』津本陽
伊達政宗の知謀と先見力を備えた片倉小十郎、父は信州伊那郡から政宗の祖父晴宗に仕え1千石、母は勇猛な武将の出身の妻、小姓として米沢城に出仕。小十郎を支えたのは母の姉、喜多で梵天丸の乳母であった。漢学、兵法、武芸鍛錬に励み梵天丸、後の政宗に仕える。伊達家は奥州で蘆名と並ぶ豪族で周りの衆と争いが絶えない地域(相馬氏、田村氏、畠山氏、蘆名氏など)であった。 政宗の父、伊達輝宗を支えたのが遠藤基信で、梵天丸の病気で痛む片目をくり抜いたのは小十郎で、その時以来小十郎は政宗に信頼を寄せ、終生仕えることになる。 政宗の言葉「小十郎は俺にとって闇夜の灯明だ。あれがそばにいるので俺は謀殺にもかけられずにすむのじゃ」。小十郎は常に腕利きの忍者4-50人から周辺の豪族情報を入れ込み戦に備えて戦った。数々の戦いから、特に蘆名氏との戦の勝利で陸奥国54郡、出羽国12郡を制覇し百数十万石の大領主となる。
徳川家康の重臣安藤帯刀は三河出で安祥譜代衆、身長182cm、剛膽で筋骨、剣、槍、鉄砲、格闘技など武勇に優れた。様々な合戦があったが中でも長久手の戦いで池田勢9千人、池田恒興、紀伊の守を討ち取った手柄が大きい。 その後家康の第10子、頼宣の傅役をとなった。頼宣は世間知らずの暴れ者で、短気な性格は、百姓を試し斬りしたり、小姓の顔立ちに苛立ち刀を振い殺害したり、紀州の城を勝手に修復するなど家康の反感を買う度に帯刀が決死の仲介役となり治めた。「我が主人紀伊殿に逆意があるならば、直ちに大阪の城を奪い取って入り申す。和歌山などの狭き城に篭城いたしてはなんともなりませぬ」と幕府幕閣を納得させた。 また、事あるごとに家康に報告していた。帯刀は家来たちを愛し、罪を犯した時もその事情を詳しく調べ、資材に処すべきものを許し、寛大な心情の持ち主であった。
  • 「武士道」=気質、「恩の死はせねど、情の死はする」恩とは俸給で、侍は武勇に優れ、軍勢の指導能力のあるものは高給で召抱えられる、が雇い主が武運なく破滅の段階に至るとさっさと逃げるか敵方に寝返ることが頻繁にあった。また、「忠孝」、互いに気が合い、深い感情の絆で結び合っている家来は打算を捨て主人とともに最後まで戦って死んだ。
  • 歴史の記録は3分の1が事実で3分の1が似たことがあった程度、残りの3分の1は嘘だという(大久保彦左衛門の著書「三河物語」)
  • 浄土真宗「欣求浄土、厭離穢土」(進むものは往生極楽、退くものは無間地獄)
  • 徳川家康、松平家の家訓は決して首位に立たず、ナンバー2の地位を保つこと
  • 日本刀の切れ味は世界無比である、それは島根県、安来が産出する玉鋼(砂鉄)である

光秀の謀反を抱いた理由とは『秀吉はいつ知ったか』

2020-02-02 07:58:35 | 歴史から学ぶ
光秀が謀反を抱いたのは信長の意に沿わない者、決して失敗も許さない恐ろしさなど元家臣など周りへの厳しい処罰と苦痛を知り、光秀の将来に不安を描いたと言う説、また謀反は秀吉と企んだ説、公家衆との関係説も立ち切れていない。 大河ドラマはどのようなストーリーを伝えるのか見据えたい。

明治から昭和の巡査の給与変化(下記)を見てどう思うか。経済成長と共に一気に増えているが、その経済の立て直しをするべき政治家の力不足から近年給与は上がっていない(前回の投稿では2018年OECD調査で先進国日本だけがマイナス10%であった)。愚か新たな税金で懐は寂しくなるばかりである。 解決方法は2つ、自己改革と国政改革、 その自己改革とは1、転職 2、海外勤務 3、海外移住・転職である。国政改革は1、政党・政治家の入れ替え(中央から地方分権) 2、大胆な産業育成(斬新な産業街・人作り投資)3、格差改革(例:金持ちの金を市中に回す工夫)・・・考えればいくつも出てくるが。 

『秀吉はいつ知ったか』山田風太郎
中国大返しに潜む秀吉の情報網とその裏にあっただろう権謀を推理する「秀吉はいつ知ったか」。福澤諭吉と榎本武揚の心理とそのすれ違いを考察する「その後の叛将・榎本武揚」。歴史的人物の評価の移りかわりや役割の大きさについて思いをはせる「大楠公とヒトラー」―天才伝奇小説家山田風太郎の発想がかいまみえる「歴史」をテーマにした文章を中心に編まれるエッセイ集。
  • 明治7から昭和54年にかけて巡査の初任給の変化
    • 明治7年 4円
    • 明治39年 12円
    • 大正9年 45円
    • 昭和20年 60円
    • 昭和21年 420円
    • 昭和23年 2340円
    • 昭和24年 3772円
    • 昭和29年 7800円
    • 昭和35年 10300円
    • 昭和40年 20500円
    • 昭和46年 40600円
    • 昭和50年 81800円
    • 昭和54年 99100円
  • 日本紙幣の顔・歴史で異論お出ないクコ民的偉人は日本に一人もいない
    • 日清戦争を謳歌した福澤諭吉
    • 満州事変を欧米に弁護士た新渡戸稲造
  • 権力者の持つ2つの死
    • 権力を失った時
      • 足利義政・徳川慶喜・西園寺公望・近衛文麿
    • 生物的な死(病気)
      • 藤原道長(癰)・平清盛(熱病)・源頼朝(脳卒中・落馬)・秀吉(肺がん)・家康(胃がん)、綱吉(麻疹)・岩倉具視(食道癌)・池田勇人(心筋梗塞)・大平正芳(心筋梗塞)
  • 明治日本の開国(外国人指導者総計3千人を招聘し、雇い入れた)
    • 政治経済はイギリスから
    • 軍事科学はドイツから
    • 芸術はフランスから
    • 若い立役者:西郷隆盛42歳・大久保利通39歳、木戸孝允36歳・福澤諭吉35歳・山県有朋31歳・渋沢栄一(29歳)・伊藤博文(28歳)・大山巌(27歳)
  • 江戸の獄門・処刑
    • 江戸時代実に20数万人が斬罪されており年平均4~5百人いた
  • 鎖国による欠陥ある日本
    • オリジナリティーのなさ(vs改良を加えて良質なものにする能力がある)
    • 都市建造・美観的センスのなさ
    • 異民族の掌握力のなさ(外交下手)
  • 大楠公とヒトラー(英雄・悪魔)
    • 楠公の「湊川出陣」=足利勢を正面から迎え撃つことで死を覚悟した「この上はさのみ異議を申すに及ばず」(勝てる見込は無いと悟、命令には反しない)=山本五十六 (お上には逆らえない=仕方が無い)
    • 最後には自決したヒトラーだが誰から助けてくれると信じた重鎮達=石田三成
  • 日本史の英雄譚 信長、秀吉、家康
    • 信長・挫折の死であればあるほどその人の人生は完全型をなして見える。秀吉・全てを満足し切った型ちの死ほど不完全に見えるものはない
  • 信長の人を視る目
    蘭丸が重宝されたのは、周りに気を配ったこと。畳の「塵」に気づき摘み捨てた動作
    • 秀吉は愛嬌と「憎まれない男」、信長の「出るくいは打たれる」を知り尽くした
  • 秀吉の術策
    • 乱波(諜報員)を使い上杉謙信の動き・松永弾正の動きを事前に察していた
    • 高松城攻めでも信長の死を翌日には知っての行動だった(城主の切腹と開城)
    • 50日もかけて高松城を攻めているのは様子見だったのか
    • 本能寺の変は6月2日、200km以上もある備中に3日の午後10時に知らせが届く
    • 秀吉は本能寺の変を事前に予期し、姫路城等に金を用意していた
    • 8日姫路出立、13日には光秀を仕留めている
  • 赤穂浪士の残党大野九郎衛
    • 浅野内匠頭(癇癪・短気)・吉良上野介(物欲)のぶつかり合い
    • 忠臣蔵に名のない大野はいち早く赤穂から立ち去った忠臣の一人(常識人)
  • 明石元二郎(斬新な行動力者)
    • 明治時代の政治軍人、ヨーロッパ駐在陸軍武官(日露戦争後の革命を支援)
    • 朝鮮憲兵隊長(朝鮮人を採用し治世)、台湾総督となる
    • 日本人離れした武官、乱雑無比、奇想天外な行動をとることも
  • 水戸・天狗党vs諸生党
    • 斉昭・藤田東湖の革新派と上級藩士とのもつれあい、慶喜の異見で路頭に迷う
    • 京へ向かった天狗党(352名)は1865年敦賀来迎寺で逆賊として大半が死刑となる
    • 1869年天狗党の孫達による諸生党への復讐、市川三左衛門を磔に処す
  • 明智光秀
    • 信長(49歳)vs 明智光秀(55歳)
    • 信長は仏教嫌い、坊主嫌いで一向宗などを蹴散らした(安土宗論)がその時の大将(佐久間右衛門)に対し何もしなかったことで追放される。また城を留守にしていた時侍女達が寺に外出したことを(出来心でも)罰し住職及び侍女を惨殺するなど家臣に対しても失敗をも許さない恐怖政治を行なっていた。 そんな中で光秀は家康の接待を安土城で行う役を仰使うが、信長から叱責を受け、役を交代させられる。(料理に使う魚の匂いが館中に広がったため魚を川に捨てたが、捨てた魚が腐敗しさらに異様な匂いを出したことで役を交代させられた)