@「光源氏」は架空の人物だそうだが、その中に謳われた政治家とは、「近衛内閣」と言う。 その意味は「人柄は良さそうだが、政治をほとんどやらず、やる気がなく、行財政の細部など知識もなく関与しない政治家」だ、にはびっくりだ。現在でも成り上がりで、税金の無駄使いの政治家も多いが、「国民のための政治」はどこに行ってしまったのか、「個人優先」しか見えなくなってしまった。(桜を見る会は誰の為?)
『日本を創った12人』堺屋太一
「日本の独自性」とはいったい何か。それは、いつ、誰によって、いかにして創り上げられたものなのか。本書では、聖徳太子から近現代まで、いまなお今日の日本に強い影響力を残している、歴史上の象徴的な「人物」12人をとおして、長い日本の歴史を見直し、大変革期を迎えている現在の日本の舵取りのヒントを求めた歴史評論である
- 「聖徳太子」神・仏・儒習合思想の発想。聖徳太子は仏教の研究と普及、寺院の建築から仏具までの開発製造、「ええどころとり」の宗教政策を推進させた。他「17条の憲法」「冠位12階の制」制定(葬儀はお寺、初もうでは神社、座禅・神輿を担ぎ、結婚式はキリスト。)
- 「光源氏」架空人物だが上品な政治家の原型となる。美意識(服装・女性関係)に生きた政治家で貧乏貴族、庶民には近寄らず、見て見ぬふりをする。儀式の振る舞いや席次などの議論だけが多く、外交、治安、財政問題などには一切関与しない。(人柄は良さそうだが、現実の政治をほとんどやらず、やる気がなく、行財政の細部など知識もなく関与しない政治家:近衛内閣など)
- 「源頼朝」二重権限構造の発明。昔からの律令制を温存し武家政権の基礎を作った。建前(律令)と本音(幕府)。天皇の下に権力を集中させる(征夷大将軍)
- 「織田信長」否定された日本史の英雄。農業生産増大、土地開発技術の向上などから豪族が生また時代の武士。織田信長の桶狭間の戦いは奇襲ではなく今川軍が縦に長い軍列(22km)の一部を横から攻め込んだこと(風、雨が味方)、信長の出陣は午前2時頃、桶狭間を攻撃したのは午後1時から2時、4-5時間で着くところを熱田神宮から敵の中枢を探り時間をかけた。今川軍の豪族連合では命令が一貫して届かない、臨機応変の対応が難しかったことである。信長の少人数で戦いに勝ったのは生涯で2回、桶狭間と大阪本願寺との戦い。信長は繰り返し同じ方法で戦わない武将で時間と費用を掛けた専業兵、農繁期でも闘う組織の軍団を持っていた。金は楽市楽座からの収益で関所を廃止したことで僧たちの反感を買い比叡山、石山本願寺との戦争を繰り返した。
- 「石田三成」日本型プロジェクトの創造。軍官の中堅官僚が時代を動かした。(治水、建築、道路など)五奉行、5大老の行政組織を作り秀頼、淀君などと継承を貫こうとしたが、石田は運悪さと戦下手(人脈の無さ)で武勲が無く、関ヶ原の戦いは惨敗する。(人間の行動動機は性善的な愛情、下劣な利益、恐怖に追い立てられる)
- 「徳川家康」成長志向の気質の変革。「律儀と辛抱」、さらに「忍耐と倹約」の哲学を重んじる。よって「お上意識」が普及し封建的秩序を作り出す。家康の旗印「厭離穢土、欣求浄土」(汚れた世の中を厭い離れよ、浄められた世の中を欣んで求めよ)とした。江戸における武士は倹約を善しとしたが交際費だけは例外だった。家康はまずは安定を望み対外不信(島国根性)を貫いた。
- 「石田梅岩」勤勉と倹約の庶民哲学。石門心学で勤勉な精神と倹約を啓蒙させた心理哲学者。「遊んでいるのはもったいない」と勤勉に働くことは人生修行(商習慣)になる。「贅沢は敵だ」、「ちゃんとイズム」も芽生えた。
- 「大久保利通」官僚制度の創建。「民間に任せたらろくなことはない」から責任感とエリート意識から育った官僚組織、特に教育、医療、建設、運輸、通信及び警備の主導権を握った。政府が資金援助して内務省(通産・農林水産・厚生・建設・自治・警察および県知事)が仕切った。利通の死後、官僚を生み出す「帝国大学」が生まれ、官僚体制では「縄張り根性」「権限意識」が働き出し、規制監督など悪害が発生した
- 「渋沢栄一」日本的資本主義の創始。生涯に約5百の大企業を作りあげた資本主義の先駆者。金融制度から日本的協調主義を生み出す(合本主義)。方や岩崎弥太郎の個人主義がぶつかり(海運事業競争)、ついに弥太郎側が勝利した。合本主義の欠点は遅い者に合わせることで競争に勝てない。渋沢は「論語」を重要視していた。
- 「マッカーサー」日本を理想のアメリカにする試行。フイリッピン奪回から日本占領した陸軍司令官。日本を「極東のスイス」を妄想、議会制民主主義の導入。財閥解体と農地解放を崩し55年体制を敷いた。だが、日本の官僚体制を打ち破ることができず、官僚の権限強化になり基準と規制ばかりが強くなり安全性が低くなった。1951年には元帥から解雇され「老兵は消え去るのみ」の名言を残した。
- 「池田勇人」経済大国の実現。所得倍増計画への道を強行、1960年代の平均成長率は10.3%となる。「貧乏人は麦を食え」と中小企業などの倒産はやもう得ない的な発想から無視しした。それは人間の規格化と人口集中都市を作り変えることであった。そのため官僚主導体制から金権体質となり政治・官僚・財界との癒着が蔓延った。
- 「松下幸之助」日本式経営と哲学の創出。一介の勤労者から身を興して世界的な大企業に築き上げた経営者であり哲学者となった。努力と創意工夫を積み上げ勝ち取った英雄。「松下イズム」(販売網)を構築し信頼を得る。85歳で「松下政経塾」を興し経営哲学を教えた。大正から昭和にかけては労働横転率が多く首切りは当たり前の時代に終身雇用(日本式経営)を導入した。
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