獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:その後(3)

2022-03-03 01:50:59 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■パートナーが活動家という問題     投稿日: 2015年4月20日

みなさま、お待たせしました。世の中は統一地方選挙の遊説でやたら騒々しく、とくに市議会選挙では信じられないようなトンデモ候補者もいたりして笑ってしまいますが、このブログではもう選挙に関してはいいんじゃないかなと言う気がしていますので、別のテーマで始めたいと思います。
前のスレッドではあっという間に120以上のコメントがあり、後半では対話中だった白いブランコさんへのイラダチのようなコメントも増えたりして、私もいろいろと考えさせられる機会となりました。あれだけ創価の「過ち」に気づいていながら、その「過ち」を創価ではなく幹部の伝え方のせいにしたり、末端会員の盲信のせいにしたりという、ある意味変則技でかわしていくという意外な展開となりました。「幹部が先生の指導を正しく伝えているわけじゃない」「末端会員が指導をそのまま受け取るのは間違いだ」などなど、自分の勝手な判断が「過ち」を生むのであって、その「過ち」が創価のせいではないと言います。誰のせいだろうが、その「過ち」があること自体が問題だと言っているのに、その「過ち」は池田氏の意図ではないと言う。池田氏の意図を正しく汲めば「過ち」は起らない。だったら最高指導者の責任として正しく伝えろよ、なんでその「過ち」をほっぱらかして5年も「ほとんど(笑)」姿を現さないんだよって話なんですが、都合のいいことにそういう発想はないようです。自分の意図を正しく伝えもせずに会員に「ほとんど(笑)」姿を現さない最高指導者。信心は師弟不二だ~!とさんざん言っておきながら、なんで「ほとんど(笑)」姿を現さないのかと訊いても答えない。いろんな質問をしても、ほとんど創価が掲げている現実離れした夢みたいな建前しか言わない。そして自分の考えをと求めると自分の考えは創価の建前とほとんど同じだと言う。だったらなんで「過ち」を改善するためにその建前に逆らって自分だけボイコットするのかと訊いても答えない。たくさん質問をすると、わざと言葉をすり替えて、あたかも矛盾しているかのように誘導すると批難して、肝心の質問には「いちいち反論するのもバカバカしい」といって答えない。こないだまではどうにか話ができていたんですが、どうにも答えようのない質問があいついだのか、とうとう創価スイッチが入ったようで、完全にこれまでの殴り込み活動家の論調になってしまいました。いい人だと言うことはよくわかるだけにとても残念です。創価シャッターと創価スイッチという最強のダブルフォーメーション(笑)
そこで思ったのですが、やはり白いブランコさんにとっての現実は、本人がはっきり言っているように、創価の建前なんですよね。創価の建前が自分にとっての現実にすり替わっている。これこそマインドコントロールだなと思いました。よくわかりました。なにしろ自分で言ってるんですからね。だから創価の「過ち」を認めるにしても、その原因が創価そのものであってはならないから、幹部や末端会員のせいにするしかないんだと思います。なんかあの言葉でよくわかりました。「ああ、この人のベースはいつのまにか創価の建前に塗り替えられていたんだ」と。そういえば私も3年前まではそうだったなと思い知らされました。常になんかおかしいなとは思いながらも、そんな疑問が出るたびにあわてて「創価の建前」というペンキで、現実を塗り固めていた。私の場合、壮年部になってから、そのペンキ塗りがしんどくなったんだと思います。そしてだんだん塗り残しが増えていって、ある日のこと、ペンキが剥げ出したんです。ふとその剥げかかったペンキのふちを引っ掻いてみると、いとも簡単にポロポロとはげ落ちていくのがわかりました。「え?このペンキの下にはほんとうの自分がいたんだ」と気がついたんですね。そしたらペンキはどんどん剥がれていきます。剥がれれば剥がれるほど、自分はとんでもないペンキを自分自身に塗り続けていたんだと思い知らされます。「君は信心がおかしくなったんじゃないか?とことんお題目をあげて先生のために頑張るんだ」そう言われて、お題目と言う思考停止のペンキを自分の心に一生懸命塗っていたんですよね。白いブランコさんは「創価が詐欺団体だと言う思考停止」だと言います。実際は「創価は正しい宗教団体だ」という思考停止から抜け出して本来の自分の思考を再開したのですが、そこは思考停止している側からすると理解できないのも無理はありません。「創価が詐欺団体だ」という気づきは、何かを教えられてのことではなく、宗教的な呪縛から解放された結果なのですから思考停止の結果であるはずはありません。「創価は正しい宗教団体だ」というのはまさに「創価の建前」です。それを心に塗り固めていって、本来の自分の心を見えなくしてしまうこと。まさに創価は思考停止の詐欺だということですよね。
長くなってすみません(笑)。そこで今回のテーマは、前回のスレッドの中でもちらっと出てきましたが、「パートナーが活動家という問題」とさせていただきます。、結婚を前提にお付き合いをしていた相手から、いよいよ結婚という話になったときに自分が創価学会員だと言うことを打ち明けられて、困り果ててこのブログにたどり着いたという方がもうすでに何人もいらっしゃいます。私の場合、まさにその加害者であったので、このテーマはそうとう堪えるのですが(笑)、これはほんとうに深刻な問題ですので、あらためてこのテーマをとりあげたいと思います。結婚に際してだけではなく、結婚を機になんとなく流れで入会させられてしまったとか、逆によかれと思って入会させてしまって後悔しているとか、創価によって起るパートナーとの人間関係の歪み全般をテーマにしたいと思います。また、自分のところではこんなふうにして創価問題を回避できているといったお話があればとても参考になります。よろしくお願いします。

 

 


解説
対話ブログが非公開になったため、これに対するコメントを参照することはできません。
残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮