■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
●の文章は、それについたコメントの引用です。
■外から見た創価学会 投稿日: 2015年6月30日
毎日どんどん新しい方が来られたり、脱会できました、未活になれました、新聞やめましたなどの報告をいただき、ほんとに嬉しい限りです。また、ここにコメントされる皆さん同士でいろんな話をされ、励ましあったり、疑問に答えあったりと、とてもいい感じで広がっていると思います。それと同時に、いよいよ私の手に負えなくなったような気もしています(笑)。
あ、大丈夫です。このブログはよほどのことがない限りは続けていきます。ただ一人ひとりにお返事していくことがますます不可能な状況になってきました。なのでこれまでも何度も言ってきましたように、私のことは気になさらずに、みなさんでどんどんおしゃべりを続けていってください。皆さんから私に対してとても気をつかっていただいて、ほんとに恐縮です。「寝てないんじゃないか」「知らないところで苦労されてますよね」「どうかゆっくりされてください」と、皆さんからいつも気遣っていただいているだけでも私は幸せ者です。
このブログにもいろんなことがありました。新しいところではとんでもないナリスマシが言いがかりをつけて荒し回っていきましたね。あれには私もまんまと乗せられてしまい消耗しました。でも結局、あの荒らしのウンコタレちゃんをのぞけば、このブログはそれほど大した荒らしには会ってないんですよね。一人で何役もナリスマシてただけだったんです。で、今はそれもなくなりました。また、ときどきわけのわからないコメントもあるにはあるのですが、これがほんとうに日本語にもなっていないようなものなので、速攻削除しています。以前、アンチ創価関係の掲示板などを見たりもしましたが、ほんとうに吐き気のするようなところばかりだったので、これは絶対関わってはいけないとこなんだと、すばやく封印しました。また創価シンパのブログも、私が覚醒した頃にコメントしたブログをはじめ、読んでいてアタマがおかしくなりそうなところも、金輪際絶対に関わらないぞと決めました。
それでこのブログを立ち上げたときは広告の出ない日本の「はてなブログ」を利用しました。それとコメントも承認制ではなく、どんなコメントもすべてすぐに表示されるような設定にして、アンチブログのリンクも貼ってました。そしたら最初はうまいこと行ってたのですが、だんだん魑魅魍魎が出てきて、シッチャカメッチャカになってしまい、私も精神的にそうとう消耗して中止せざるをえなくなりました。それから数ヶ月しての再開にあたっては、コメントは承認制とし、おかしなコメントは片っ端から削除していく方法をとって、だんだんちゃんとした対話ができるようになり、次第にアクセス数も増えるようになりました。それでもときどき現れる巧妙な荒らしに、よせばいいのにまともに相手をしたりして、やはり荒れた感じになったことも何度かありました。ただ、現役学会員さんとの話になると、やはりバトルのようになりますから、そこでいきなり爆発的にアクセス数があがるんです。だからこれもある程度はこのブログが拡散できていいのかなと思ったりもしたのですが、バトルが終わるとまたもとに戻るんですね。だからこれはやっても消耗するだけで意味はないなと。それからはもう徹底してバトルのようなことはやめようと思いました。さいわい近頃はおかしなコメントすらほとんどありません。もうここに書いても無駄だと思ったんでしょう。
それで、みなさんのコメントの内容も、昔からすればずいぶん変わってきたように思います。最近は特に。どう変わったのかというと、いろんな意味で「明確になった」ということです。昔は話がとりとめのないような感じになることもありましたし、コメントされる方の温度差もかなりありました。でもこのごろは何かすごい「一体感」のような、なんかとても頼もしさのようなものを強く感じます。先日の私のFacebookの提案という暴走(笑)にしても、しっかりと静止できる力があるということです。なんか嬉しいやらすばらしいやら。「あ、ここもう自分いなくてもいいのかな?」って思えるくらい。そういう意味で、もしかしたらこのブログこそ「世界公布新時代」に突入したのではないかと(笑)。「創価学会を静かに去るために」はあながち的外れではなかったなと(笑)。
これからも「対話を求めて」は、創価学会に戦いを挑むのではなく、創価に苦しんでいる方が一刻も早く解放されることをめざして、みなさんの真実の声を多くの人に届けられるように頑張っていきたいと思います。
金と権力に狂った創価に戦いを挑んだところで無駄です。私たちは戦いに勝利することなんて何の価値も見出しません。くだらない詐欺の魔の手から逃れることが先決です。逃れた人は逃れられない人に手を差し伸べましょう。そんな人が増えれば、創価の被害者が確実に減っていきます。私たちにできることはそういうことではないでしょうか。いくら創価の矛盾を指摘して得意になったところで、被害者の耳には届きません。創価学会が宗教ではなく詐欺団体だと言うことを被害者にわかってもらう。そのために自分の体験したことを如実に語り積み上げていく。このことに徹したいと思います。みなさん、これからもよろしくお願いします。
ということで、今回のテーマは「外から見た創価学会」にします。
私たちは学会員としての活動の中で、実際に感じてきたこと(感じることができなかったことも含めて)の話をしてきました。おそらく現役学会員さんは、外部の人が学会員さんをどのように見て、どのように感じているのかがまったくわからないのだと思います。私もそうでした。まわりが何と言おうと自分は正しいとしか思えない自分でしたから(トホホ)、外部の人間がどう見ているのかを知る術がないです。また組織が意図的にそのように仕向けてきたのですから、仕方がないと言えばそうなんですが「気がついて初めてわかる自分の愚かさ」ですよね。自分で気づかないようにさせられているんですから、気づくわけがないんです。でもそうやっていくなかでも、欲に眩みすぎた創価があまりにもアホなことをするので、どうにもこうにも説明のつかないおかしなところが出てきて、人それぞれに少しずつ気がついて脱会にまでたどり着いているんですね。とくに近年ではちょっと疑問に思ったところに、答えを教えてくれるネットが登場したことで、この動きが格段に強くなりました。ネットの登場で世界の途上国の民主化が急速に進んだように、創価学会の内部でもこのネットによる覚醒の度合いはめざましいと思います。もうこの動きは止められないでしょうし、私もネットがなければ今も覚醒していたかどうかはわかりません。またこのブログの存在によって背中を押されて脱会した方が次々と現われていることも、このネットの力だと思います。
あ、また話がそれましたね(笑)。
「外から見た創価学会」つまり、みなさんのまわりにいる外部の人たちが、かつてのあなたをどう見ていたか。また覚醒したあなたをどう見るようになったか。そんなあなたのまわりにいる外部の人が今の創価学会をどのように見ているのかの話をしていただけるとありがたいです。
おそらく盲信者はそんな話は信じないでしょう。あくまで創価は正しい、自分の信仰に間違いはないと頑に信じています。正しいのは自分で間違いはお前たちだといった発想から抜け出せない。なぜ正しいのかという理由が「日蓮大聖人がこう言ってるから」「池田先生がこう言っているから」「日蓮大聖人こそ末法のご本仏だから」「池田先生こそ人類最高の指導者だから」こんななんの根拠もないことを真顔で言える盲信者の神経は、外部の人に通用するわけがありません。「あたりまえ体操」の替え歌ではありませんが「マジキチ!」ですね(笑)。
はい。今回も長くなってしまいましたが、テーマは皆さんが感じてきた「外から見た創価学会」をお話ししてください。よろしくお願いします。
●にゃんこ丸 (2015年6月30日 18:16 )
完全に覚醒してからまだ間がないので、覚醒前後の私を他人がどう見ていたのかということは、まだ分かりません。でも、迷惑がられていただろうなということに関しては確信があります(笑)
いつかそれを聞ける機会があったら、また書かせていただきたいと思います。
私が覚醒を始めるきっかけとなったある婦人部の圏(県かも?)幹部のお話を紹介させていただきたいと思います。
その方は夫婦そろって創価大学卒のバリ活で、どちらもそれなりの幹部です。私が高等部と女子部の始め時代に地区婦人部長をしておられ、その頃にお世話になったりしていました。
ただ、会合に出てないときは優しい声で誘ってくれるのに、いざ会合に行くと、「ちょっと早くお茶出してください!」などと命令調になるので、あまり好きな人ではありませんでした。
数年前に私が地元のほうに戻ったときに再会し、連絡先を教えてもらったりして、多少の交流がありました。その過程で、長年住んでいたマンションを引っ越されるという話を聞きました。
ある日、娘さんが犬を飼ってきたそうです。ペット飼育禁止の分譲マンションなのですが、その犬の鳴き声があまりにも酷く、マンションを出なくてはいけなくなったんだそうです。
それで次に住む場所を探したそうなんですが、格安で中古住宅を見つけ、そこに引っ越されました。
犬のことでマンションを追い出され、格安の住宅を買えたことをその方は「功徳」だと仰いました。
その瞬間、私の頭の中にハテナマークが浮かびました。
そもそもペット禁止のマンションに娘さんが勝手にとはいえ犬を飼ってきたことは問題ないのでしょうか?
それに、犬は愛情を持ってちゃんと躾をすればむやみやたらに吼えなくなります。躾をするのは飼い主の役割のはずなのですが、私が家に招待されたとき、その犬はものすごいギャン鳴きでした。これはご近所の方は相当ストレスになるんじゃないかと思うほど、周囲に響き渡るほどの酷いギャン鳴きでした。
聞くと、ペット飼育可の一軒家にも関わらず、ご近所からかなりの苦情が来ているということでした。
それでその方はお題目をあげ、どうしようか考えたそうです。それでひらめきました。家を留守にする時は車の助手席に乗せて出かけるようにしたそうです。
私を迎えにきてくださったときも、その犬は助手席に乗っていました。でも、落ち着きがなく、運転がかなり危険でした。これを「ご仏智」と言ってしまわれたので、またしても私の頭の中はハテナマークでいっぱいでした。
ふと不思議に思ったので「ちゃんと躾はしてますか?」と聞くと「ふふふ」と笑っておられました。たぶんしてないんでしょうね。「散歩は行ってるんですか?」と聞くと「まあ……行けるときはね。出来る限りでね」と答えます。すごく悲しくなりました。
ワンちゃんがギャン鳴きする理由も分かる気がしました。
今は完全に非活なのでその幹部の方とは交流がないですが、あの調子でギャン鳴きを続けていれば、いずれまた家を出て行くか、もしくは犬を手放すかの選択をしなければならない気がします。
学会活動が忙しくて散歩や躾どころではないのでしょうが、ワンちゃん一匹ちゃんと愛情を持って育てることもできなくて、何が幹部だと思います。
●にゃんこ丸 (2015年7月1日 18:57 )
今日からやっと新聞が入らなくなりました。
そしてやっと、ご本尊を巻くことができました。皆さんが仰っていたように、本当にペラペラのカラーコピーだったので、しばらく呆然としてしまいました。こんなものに向かって今までどれだけの時間、必死に拝んでいたのかと思うと……。ちゃんと本部に送り返そうかと思っていたんですが、これならもう燃えるゴミに出してもいいかなとさえ思えてしまいました。
バリ活だった頃の自分を冷静に見れているつもりでも、なかなか冷静に分析するのは難しいですね。
今やっと普通の人の感覚というものがこういうものなのかと実感できている気がします。
何の打算もなく、下心もなく、ただ話したいから話す、話したくないから話さないという行動が、出来てなかったんですよね。
すべての行動の裏にFだとか、会合に誘うだとか、展示を見に行くだとかの目的があって、そういう目的なしに何かの行動をするということで出来なくなっていた気がします。
今思えば、本当に不自由な暮らしをしていたなぁと(笑)。
以前は美容室がすごく苦手でした。美容室へ行っても、後々の選挙でFを頼むことを考えてたので、良い人に思われないといけないとか、そういうことを常に頭に置いて話をしていたように思います。だからすごく疲れるんですよね。友達と会うときもそうです。疲れるんです。
でも、そういうの一切考えなくなると、美容師さんとも好きなことを喋って、何も考えず会話を楽しむことが出来るようになりました。
これが普通の人の当たり前なんだ~ということを、今は少しずつ実感しています。
そういえば、かつてちょっとした知り合い程度の友人に選挙を頼んだことがあったんですが、その翌月ぐらいに呼び出され、アムウ○イの勧誘を受けました(笑)。5人ぐらいに囲まれて、「入りません」というと責任者らしき人が急に冷たくなって、「さっさと帰れば?」みたいな態度を取られました。その時は腹が立ったんですが、後で考えたら学会も似たり寄ったりのことをしているなぁと。だからきっと友人も、私ならアムウ○イに勧誘しても何の罪悪感もないわと思って呼び出したのでしょうね。お互い様でした。っていうか、最初に私が選挙を頼んだので、どちらかというと私のほうが悪いのだなと思います。
のぞみさん
ワンちゃんのことを考えると、本当に胸が痛みます。その後のことはあまり考えたくありません。どう考えても、ちゃんと躾とか散歩と化していると思えないし。虐待にも近いことをしていながら、忙しいから仕方がないで済ませているその神経が信じられません……。
わらしさん
「夫婦そろって創価大学卒のバリ活」を見ただけで非常識さが分かってしまいますか(笑)。私が高等部の頃はものすごく輝いて見えたのですよ。神々しささえ感じました。あまり好きになれそうにはないと思いつつも……。MCって怖いですね。
●にゃんこ丸 (2015年7月2日 13:33 )
テーマと関係ないんですが、ちょっと気持ち悪いことがあったので、報告させてください。
先月末で聖教新聞の購読中止したので、昨日から聖教新聞が入らなくなったと喜んでいた私だったんですが、入ってました。昨日も今日も……。
昨日は悪天候で外に出なかったので確認しなかったのですが、今日ポストを見たら入っていたので販売店に抗議しました。
一度中止の手続きをしたのだけど、「啓蒙用紙」が新たに届いていたので、入れさせてもらったとの返事でした。
ナニソレ……?
啓蒙用紙なんて書いた覚えもないし、書きましたという連絡ももらってない。私が中止したのにまた別の人が勝手に新たに入れるという手続きをされていたようでした。
私の場合は口座振替なので、私の意志ではなく支払う形になってしまうのでちょっと問題があるので調べますと販売店の人は言っていました。その結果がこちらに報告されるのかどうかは分かりませんが、現在、その啓蒙用紙を探しておられるそうです。
もしかすると隣の地区の母かしらと思ったりもしましたが、もし違う人だと怖いなと思います……。
たとえ母だとしても、隣の地区の娘の新聞の状況まで報告されてしまうのかなと思うと、それも怖いです。
とりあえず販売店の人は「もう絶対に入れませんので、大丈夫です」と言ってくれたので、大丈夫だろうと思うけど、本当に成果のことしか考えてない人たちだな~と呆れてしまいました。
コージさん
ありがとうございます!生まれた時からの二世で気がつけば四十数年を無駄に過ごしてしまいましたが、今からまた人生を一から楽しむつもりで頑張ります(笑)
●宝星 (2015年7月2日 15:26 )
にゃんこ丸さんの聖教新聞の件、ちょっと怖いですね…迷惑ですね
ストーカー犯罪に近いものを感じます、新聞店さんの常識ある対処を待ちたいです。
●Heart (2015年7月2日 15:27 )
にゃんこ丸さん
気持ち悪いですね。
自分の意思で書いてもない啓蒙用紙など無効です!それ本当に問題ですよね( ・`д・´)
私が新聞止めた際、新聞店に連絡した後、地区の担当者からすぐにメールで「来月から停止ってなってるけど、なんかのミスで単なる間違えだよね~」って。 (だからまた新聞入れちゃうからね)って言いたいわけなんです。
そういう思考なんですよ!
ですから、にゃんこ丸さんの地区の人が勝手に書いてる可能性もあるかも知れませんね。
以前、友人に新聞啓蒙した際にも
友人が住んでいる地区の婦人部が、新聞店から友人の携帯電話番号を聞き出した?啓蒙用紙を盗み見た?かなんかで家庭訪問したいと連絡があったそうです。
一般常識もまるで無い。頭おかしいです。
当然この友人は新聞すぐやめました。
個人情報なんてあったもんじゃないです。
●せーや (2015年7月3日 08:43 )
おはようございます!
にゃんこ丸さんの啓蒙の件で、今朝思い出しました。
にゃんこ丸さん、よろしくお願いします!
おそらく、地区の方がポイントゲットのために用紙を出したのでは?
5、6月は大啓蒙でしたからね。
内部購読率も出さなきゃならないし。
結局、ノルマ達成のためです。
本当に迷惑ですよね!
新聞受けに「S新聞お断り」と書きたいくらいです。
私の地区でも、勝手に新聞入れられたという話けっこうあります。
外部でも内部でも……
私はクレーマー係のように、集金の時に苦情を言われその度謝っていました。
何で私が謝らなくてはいけないんだろう?と思いながら……
断りもなく啓蒙用紙を出す人の気がしれませんね(´`:)
ポイント出せば、後で断られてもいいということでしょうか(x_x)
きのうは、午後から激務でした(>_<)
最近またいろいろあり、皆さんにお話したいことがあります。
でもタイムリーな話であり、身バレの可能性あるので別の機会にコメントします。
雪風さんも大丈夫かな………
気になっています。
●にゃんこ丸 (2015年7月4日 16:41 )
せーやさん
ありがとうございます。ちょっと気持ちが不安定な状態が続いているので、ロムっぽい感じが続くかもしれません。でも、少し時間が経ったらまた元気になると思います♪お気遣い、ありがとうございます。
いろいろと大変だと思うのですが、娘さんに優しくしてあげてくださいね。たぶん娘さんはお母さんの行動が「八つ当たり」だとは今は認識できていないと思います。「自分が悪いんだ」「私が悪い子だから、お母さんは機嫌が悪いんだ」「私のせいだ」って思って悲しんでいると思います。
実際に私がそうでした。そして、ある年齢を超えると「あの時のあれは私が悪いんじゃなくて八つ当たりだったんだ……」と気づいて愕然とします。私もそうでした。
私の場合は酷い虐待状態で、おまけに「お母さんが喜んでくれるように」と学会活動に励んでしまったのでもうどうしようもないですが、せーやさんの場合は覚醒もされていることですし、まだ娘さんはとても幸せだと思います。
どうか娘さんに愛をいっぱい注いで上げてください(^^)
【解説】
対話ブログが非公開になったため、これら以外のコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。
獅子風蓮