■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)
●の文章は、それについたコメントの引用です。
■創価学会はもともと詐欺団体として始まった 投稿日: 2015年10月6日
前のスレッドで牧口戸田創価学会について、リアルに知っている学会員はほとんどいないということがはっきりしましたね。知っていると思っているだけで、実際には小説人間革命のなかに出ている牧口戸田そして過去のイケダダイサクしか知りません。戦後七十年。戦争経験者が高齢化して語り継ぐ人がいなくなっているように、草創期の創価学会をリアルに知っている人は、もうほとんどいないのではないでしょうか。モニカさんが指摘しているように、実際のイケダダイサクと小説人間革命の中にある山本伸一の人物像は似ても似つかない。それと同様に、牧口戸田についての記述が実際の人物とはかけ離れたものであるということは容易に想像できます。私の実家には戸田城聖の講演の音声が入ったLPレコードがあって、一度聞いたことがあります。御書講義のようでしたが、何を言っているのか分からない。母に聞いたらお酒を飲みながら話をしているので、呂律がまわっていないのだそうです。そう言われると確かに泥酔者の話でした。ときどき長いブランクもあります。どうやら居眠りしているようです。母は「戸田先生はお酒が好きだったからねえ」と言ってました。要するにただのアル中患者ですよ。そして女性関係もデタラメだったことは有名です。そんな人間でも口先三寸で人を騙すことができるんですから、言葉というのは恐ろしいですし、私利私欲のためにここまで平気で嘘をつける人間というのは、今で言えば度はずれた人格障害だったということなんだと思います。
ということで、このスレッドでは、こうした「創価学会はもともと詐欺団体として始まった」ということをはっきりできればと思います。ただ、牧口戸田時代の創価学会を知っている人はほとんどいないでしょうから、証言を募るというのも無理な話です。二郎さんが示していただいたように、客観的な資料がほかにもありましたら助かります。
私も戸田城聖に関しては両親から聞いたわずかなことしか知りませんし、それも完全MCされた両親からの情報ですからまったくあてにはなりません。それだけに次郎さんが教えて下さった資料は、とても貴重なものだと思います。これだけでも多くの方が「あっ、そうだったんだ~!」と驚かれたのではないでしょうか。このブログのテーマは「創価学会は詐欺団体だ」という基本的なスタンスで運営されています。そうした意味でも、初代会長の時代から創価学会は会員からお金を搾取する為につくられたインチキ宗教団体だったということがはっきりすれば、より多くの方が覚醒につながるのではないでしょうか。
また、これまで「創価はイケダからおかしくなった」とか「創価は破門されてからおかしくなった」などと、漠然と思っている人もたくさんおられるようですが、じつは創価は一番最初から宗教ではなく、宗教を利用してお金を騙しとれる人間をねずみ講的に増やしていくだけの詐欺団体だったのだという視点が持てれば、創価がやってきたことのすべてに合点がいくと思います。教義の根幹を何食わぬ顔で変えても会員はなんとも思わないし、戸田やイケダがどんなにめちゃくちゃなことをやっても疑問に思わないのが学会員の体質です。今回の安保法案に対する態度にしてもそうですが、普通に考えたら、どれをとってもおかしなことばかりなんですが、学会員は「創価は正しい」というところから抜け出せないまま騙され続けているのです。それは「もともとがインチキだった」ということに気付かなければ、覚醒することは無理なんだろうなと思います。
●ラザリス (2015年10月6日 11:33 )
牧口初代会長、戸田二代会長が創価学会を始めるにあたって、最初から金目当てであったとするならば、ネズミ講的なシステムを画策していたと考えれば合点がいきますね。
日蓮さんの「折伏」の教え、つまり、相手の間違った宗教感を打ち破り、無理矢理にでもこちらの信仰につかせることが、相手と自分の幸せにつながると洗脳し、信者を加速度的に増やすことが、このネズミ講的なシステムを回していく上でうってつけのものだと読んでいたのでしょう。
そう考えれば、イケダダイサクという並外れた悪知恵の働く大悪人が、三代会長におさまったのは歴史の必然であったと言えるかも知れません。
戸田二代会長については、覚醒前、様々な指導集や人間革命の書籍などから、例えば、ジャッキーチェーンの「酔拳」の師匠みたいなすごい人だと勘違いしてました。
酔っぱらいであっても、並外れた信心と指導力を発揮し、創価学会を発展させたみたいな。
実際は、酒と女にだらしない、自分をコントロールすることができないならず者でしかなかったと分かりました。
普通に考えたら、こんなだらしない人間が、一流の宗教指導者であるはずもありませんね。
(^.^)
●スマイル (2015年10月6日 15:12 )
戸田は「肝臓がつぶれて腹水がたまるほどアルコール漬けだった。」
これが現実です。
牧口、戸田に関しては、創価から与えられるだけの情報のみ。
池田に関しては、いずれ「ニンゲンカクメイの小説」が池田として後世にのこるでしょう。
牧口、戸田の時代からおかしかったことをもっと資料があればいいですね。
●コージ (2015年10月6日 23:51 )
前スレで、創価学会はどの時代から宗教団体から詐欺団体へと変質していったのか、という話題が盛り上がっていたので、
そろそろこのスレが立ち上がると予想しておりました。
しかし、創価の活動家のみならず、一般の人や覚醒した方々でさえ、創価側からの発信した情報でしか初代、二代目会長の実態が分からない為に、
創価の原点というか、初期の創価の実態のようなものが、なかなか上手く掴めませんよね・・・
私もてっきり、三代目の池田から、急激に私利私欲の詐欺団体に変わっていったのかな、と当初は思っていました。
が、なるほど、二郎さんの紹介されている資料や皆さんのお話を聞くと、牧口や戸田も金儲け主義からの創価のスタートだったという事が理解出来ますよね。
私は、牧口や戸田の獄死や投獄、という部分に長く引っ掛かりがあり、そこまでして仏法を守りたかったのなら、
当初は民衆のための宗教団体として(勿論、単なるカルト団体の1つですが)、真面目に運営してきたのかな、と思っていたんです。
でもよくよく考えると、2代目の戸田とか、かなり好き勝手でワガママで欲深い人間である事は、イメージとしても容易に理解出来ますし、
何より、流れ星さん始め皆さんの仰るとおり、我々は基本的に、人間革命などでの「作られた虚像」しか知り得ませんものね。
漫画化も含め、人間革命に書いてある内容など、単に歴代の会長を上手く美化し、会員を洗脳するための脚色であった事は言うまでもないのに。
また、二郎さんの仰るとおり、戸田は多くの信者獲得のために、名優さながらの熱心な演技をしていた、というのも
今となると、実によく理解出来ますよね。
そして、それを更に極悪にパワーアップさせて、創価を強大かつ壮大な宗教風の洗脳詐欺団体に仕上げたのが、池田ダイサクだと・・・
そして、変質(というか本性が露骨に現れた)の決定打は、やはり宗門から破門された時でしょうか、
あの頃が、本来隠し持っていた創価の闇や凶暴性が一挙に露呈してしまった、そんな気がします。
二郎さん、いつも興味深い資料を紹介して頂き、ありがたいです^^
長くても全然構わないと思いますので、これからもよろしくお願いします。
●二郎 (2015年10月6日 19:57 )
先日紹介した「邪教集団・創価学会」には、牧口戸田時代における創価設立の経緯が詳しく載っていたのですが、長かったので省略しました。しかし、好評だったので要旨がわかる範囲で抜粋します。以下P152~156
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創価学会はこうしてつくられた
昭和12年、創価学会ができた前後の事情を実証する一つの事実は、東京都杉並区方南町在住の柴田登志子・方位学研究家の証言である。もう一つは、ドキュメンタリードラマの『狩野川物語』である。それにしてもこの重要な証言と、もう一つの実録ドラマの内容については、『人間革命』全六巻のどのページを探しても見当たらない。
<柴田登志子・方位学研究家の証言>昭和6年6月末、1人の男が東京・有楽町 駅前のガード下で、 小さな台の上に木工材工品を盛り上げて売っていました。当時、私は主人と会員制度の『講演パンフレット』という出版物(東京都内で開催される学術・宗教関係などの会議に速記者を出して講演内容を記録してパンフレットにし、会員に配布するもの)を出していましたが、そのために私は毎日、丸の内界隈をセールスや集金するためにまわっていました。
そんなときの夏の日、たまたま”どうですか、これがあると子供の算術がよくできるようになりますよ”という呼び声をかけられ、ちょっと立止まって、そのものを見たのです。朴の白木造りの青さと同じくらいの蒼い顔色をした中年の男が、口を利くのもけだるそうな声で言いました。その顔は、俳優の伴淳さんのような顔をもっと力を抜いて、い く日も食わずにいるような顔でした。私は、そんな子供がいないので、そのまま丸の内に向かったのです。この栄養失調の男、これが後年、インチキきわまる「宗教」の看板を出して世間をたぶらかすようになった人物-戸田になろうとは、夢にも思いませんでした。
その年の秋、満州事変が起きました。翌年の2月ごろ、回覧板に満州で国防に挺身する兵隊さんに防寒着を送るため、家庭内にある毛製品の古いものを供出しましょう、無料ではなく1貫目30銭で買い上げる、と書いてあるのを読み、国家に忠とはこのさいとばかり、まだ使用できる毛ものを抱えて、指定の場所である麹町小学校に行きました。青年団の人がリヤカーで運んでいるのもあり、小学校の講堂では愛国婦人会員の奥様方が供出品を選別しておられました。しかし、これをやらせている人間が、あの夏の日に有楽町のガード下で、変な木工細工を売っていた男と同一人であることには、まだ全然気がつきませんでした。
その実相は、戸田が自分で考案した子供の算術の勉強に役立つという積木細工みたいなものを作って露店で売りに出したものの、1個も売れないので、制作費の支払いにも困るようになり、恩師である牧口恒三郎のところへ相談に行ったのですが、良い知恵もなく、その家の2階を借りていた宮内省のコックをしている人に相談したのです。ところがそのコックさんがしばらく考えていましたが、あなた方に金儲けの道を紹介してあげよう、と言って軍部にてづるを求めて紹介状を書いてくれたのです。軍部ではたまたま民間からウールの古いものを買い上げる仕事を者をほしがっていたので、ただちに戸田らに委任状を発行したのです。それで戸田らは、すぐに手筈をととのえ、全国にわたり在郷軍人会と警察を通して2回供出させたようです。ところでこのころ、戸田、牧口らは朝から晩まで高級料亭で、在郷軍人会長や警察署長などを誘っては美味・美酒・美色(!?)にふけっていたのです。そういうことが、なぜ、できたかといえば、夕方になると、その日の儲けを山分けするのです。供出品のなかの良品は全部横流しをして、悪いものだけを軍部に出したからです。それで、毎日朝から晩まで飲み食いしたのを支払っても、1人分千円以上の利益があったそうです。当時は千円で一軒の家が買えるような時代でした。しかし、2度目の供出が終わると、さすがに品物も少なくなったのです。それでそのころ、東京・池袋に1万円で古寺が売りに出されてあったのを、戸田らは残金で買いました。現在、池袋で常○寺とかいって大寺となっているのがそれです。一方、供出で味を占めた牧口・戸田の師弟は、いくら優秀な品物でも買う相手がいなければ駄目なのだと考えました。たまたま、牧口と戸田の二人は、昭和3年に日蓮正宗に入信していて、牧口常三郎は「利・善・美」とかいう変な価値論を唱えていましたので、それでは世界一のすばらしい宗教という看板を上げて組織をつくることだ、そしてこの組織・集団にもっともらしい理屈づけをして、宗教関係のものを売りつけたり、寄付金などを募ったら、どんどん金儲けすることができるだろう、と考えたようです。
そこで牧口と戸田が、牧口の唱える人生の最高の価値は幸福であり、それは利益である、といった物質・金銭至上主義の価値論と、日蓮正宗の御本尊の功徳を結びつけて、インチキ・邪教・ゴリヤク信仰の教義(?)をつくり、これによって信者を集め、集めた組織から金を吸い上げて金儲けしようという、たくらみをもってつくったのが創価学会設立の真相なのです。ですから、牧口・戸田らが、宗教家ぶりをしだしたのは、せいぜい、昭和9年末か、10年ごろからでしょう。それまでは、そのようなことは全然ありませんでした。こうして昭和12年になっていよいよ創価学会の発会式をあげ、牧口が会長、戸田が理事長におさまったのです。
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以上が、創価設立の経緯を示した、東京都杉並区方南町在住の柴田登志子・方位学研究家の証言部分です。
上記のように、牧口と戸田は昭和3年に日蓮正宗に入信していたのですが、途中から信者に物を売ることを思いたのです。つまり、何らかの理由で日蓮正宗に入信し、その後、信者を利用して金儲けすることを思いついて創価学会を設立したというのが真相です。
ちなみに上記引用文の冒頭に、
「昭和12年、創価学会ができた前後の事情を実証する一つの事実は、東京都杉並区方南町在住の柴田登志子・方位学研究家の証言である。もう一つは、ドキュメンタリードラマの『狩野川物語』である。」
と記述があり、柴田登志子・方位学研究家の証言は今回引用したとおりです。もう一方の「狩野川物語」についてですが、「邪教集団・創価学会」によると、この本の主題として「序」に以下の記載があるとのことです。
「狩野川台風によって荒らされた、伊豆の自然と人間のありのままのいとなみを主題にした、ドキュメンタリー風のものである」
ここでなぜ、狩野川台風と創価がつながるのかと思ったのですが、伊豆がでてくるので、そこで牧口が折伏活動をしたことが関係しているのかもしれません。
この「狩野川物語」には、上記の柴田登志子・方位学研究家の証言に登場した、宮内省のコックが取材を受けているのですが、「邪教集団・創価学会」では、「狩野川物語」について、次のように紹介しています。
P157
「創価学会に関する部分は、牧口と戸田を軍部に紹介したという、さきの柴田証言にある宮内省のコックさんから著者が聞いた「ざんげ話」にもとづいているので、牧口と戸田が宗教利用の虚業・創価学会をつくる前後のもようを知るうえでの貴重な「歴史的文献」であると思われる」
「邪教集団・創価学会」では、この「狩野川物語」について、抜粋がなされており、牧口と戸田の会話部分の一部を下記に引用します(P160~162)。なお、「狩野川物語」の本文中では、創価学会は「創意教会」、牧口は「柿田」、戸田は「城田」という名前になっています。
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城田(戸田)が発明した正確無比という計算器が、少しも人気が出ず売れ行きも悪かった。「俺の発明した計算器が、売れないわけがない。よし、柿田(牧口-著者)先生に相談しよう」城田(戸田)は元小学校の教諭である柿田常三郎(牧口常三郎-著者)を訪ねていった。
「物を売り込むために、宗教団体を作り、そして、その団体に売るというのですね」「いや先生、従来の新興教団と、タイアップしても良いのですが」
「それはまずい。ありきたりの仏教や、神道を利用するばかりでは駄目です。既成教団を槍玉にあげて、その教団に満たされないでいる大衆や、社会不安に怯えている社会層を狙い、その中の不満分子を利用して布教の尖鋭分子に仕立てることですね」「槍玉に上げる教団の対象は」「それは全てですよ。神仏の別なく相手となるものです。こちらが絶対至上のものである事を思わせるためにも、創意と社会科学に基礎を置いたものにしたら、新鮮なものと夢とを大衆は感じますよ」「そうですか。やはり先生に御相談してよかったです。教団の名称は」「創意教会(創価学会)ではどうでしょう」「新しい感覚ですね。それがいい、創意教会(創価学会)。先生、生みの親になってください」「いや、生みの親なぞと。私も参加しますが、そして団体を造る資金は」
城田(戸田)には、借金はあっても資金はなかった。柿田(牧口)とて教師上がりで金に縁のあるはずもないのである。
「私の2階にね、宮原(宮内省のコック)-著者)という人がいますよ。その人は、宮家出入りの料理人とか言っているが、金回りは大したものらしいですよ。話してみましょうか」
宮原は2人の説明を聞いた。
「学問と、宗教を合わせて、組織した団体に品物を売るか。悪い話でもなく、面白い仕事になるでしょう。が、単に金儲けだけなら、外によい仕事がありますよ。金儲けの仕事で贅沢な資金を造って、それからでもいいでしょう」
あまりにも、そのものズバリである。喜色に頬がほころぶのを堪えて、2人は膝を乗り出してきた。
「そんなよい仕事がありますか。どんな仕事をするのでしょう」「柿田(牧口)さん。私も宮家を通して、前から頼まれごとがあったのです。陸軍省の、ある参謀からですがね」「陸軍省と言いますと、軍人関係の仕事ですか」「まあ、そんな向きですが、つまり、兵隊を利用しての金儲けですが、面白い仕事ですよ」
時に、昭和7年、世は不況のドン底時代であった。
(この宮原コックが紹介した仕事が、前の柴田証言の中にある陸軍特需物質収集であり、牧口と戸田はその中の良品を横流ししては莫大な利益をかせぐことになる-著者)
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このように、柴田証言と「狩野川物語」が見事につながります。「狩野川物語」を手に入れたかったのですが、無理でした。
●ラベンダー (2015年10月7日 01:17 )
私が脱会届けを出して、まず最初に読んだ暴露本は志茂田景樹さんの「折伏鬼」でした。
1984年に出版された本ですが、2012年に電子書籍版が発売されました。
もう何か月も前に読んだので、かなり内容がぼやけてしまっていますが、折伏鬼に続き、「新折伏鬼の野望」、「汚れた偶像」も読みました。
全て偽名で物語は書かれていますので、誰の事か分からない事もありますが、大方の人物は分かります。
この「折伏鬼」の中では、主に戸田城聖の事を筆者が元学会員達の証言を元に、どんな人物だったのかを調べていきます。
>多田皓聖は 、本名弥七 、明治三十七年二月 、石川県江沼郡の海辺の村に生まれた 。が 、彼が生まれた年に 、一家は北海道の小樽湾に面した厚田村に移住して 、浜で海産物商をはじめた 。[略]彼はこの村の尋常小学校を終えると 、家業を手伝ったり 、札幌の海産物問屋に奉公しながら 、小学校教員の資格をとるために独学をはじめた 。そうして 、大正六年 、小学校準訓導の資格をとると 、すぐ夕張の小学校へ赴任 、ここで三年間近く教鞭をとるうちに正教員の資格試験に合格している 。大正九年 、彼は突然 、上京するとつてをたよって 、東京市下谷の南町尋常小学校へ山口校長を訪ねる 。このときが後に聖護道会 (創設時は 、聖護道研究会といった )の初代会長との出会いだった。
(この後、小学校の訓導→中等学校受験塾→出版社→金貸し→株の売買までするようになり、この間に牧口から折伏されて日蓮正宗の信徒となる。)
>いずれにしろ、この時期の多田のどこをとっても教育者の匂いすらしないし、まして、宗教家とは口にするさえ笑止なことのように思われる。
志茂田氏は戸田の事をこう書いている一方、
>功徳欲しさの信心にしろ、その信心は本物であった、とわたしは思う。
とも書かれています。戸田は金を儲けたい一念で功徳欲しさに入信したが、神札事件においては、師と同様節を曲げず、終戦直前まで獄につながれていたという事実からとあります。
なので、この本を読んだ時には、牧口と戸田は信仰心はあったのではないかと私は思っていました。
もしかしたら、金儲けに執着していた戸田は、途中で宗教と金儲けが繋がったのではないでしょうか?
この「折伏鬼」の面白いところは、小説人間革命に書かれている戸田と池田の出会いの座談会のシーンについての実際の証言が書かれているところです。
>「大(池田)ったら、やせこけて昼間出た幽霊みたいな姿で連れてこられて、いうことだけは、ゲーテがどうの西田幾多郎がどうのと小賢しげでしょ。だから、多田先生が、小説読んで腹が満腹になるか、哲学やって病気が治るかって、どなられたのよ」
「即興詩を詠んだというのは、本当ですか?そこで」
「詩、まさか」
と木和田はこんどはばかばかしいとでも言うように声を立てて笑って、
「この肺病ったかり、陰気小僧、信心しなきゃ死ぬぞ、って多田先生にびしびしやられてシュンとなってうつむいて。とにかく、どうにもならなくなって信心したんだから」
私は、初めて小説人間革命を読んだ時、この座談会の場で、池田が即興詩を読んだシーンでは、なんだかクサイ話だなと思っていました。
実際、もし私がその場にいたら、「どうしちゃったの?この人」って思うと思ったからです。
でも、そんな話は言ってはいけない事だなと思って黙っていましたけど…。
きっとそう思っていた人、沢山いたのではないでしょうかね。
signifieさん、前スレではお手数おかけしてすいませんでしたm(_ _)m
せーやさん、コメントありがとうございます。
たぶん主人は、座談会には出席するかもですが、協議会には行かないのではないかと思います。
仕事が忙しいのもあるし、要領よく逃げる事がよくあるので…(?_?;)
長文失礼いたしましたm(_ _)m
●夕顔 (2015年10月7日 01:56 )
二郎さん、いつも貴重な参考文献をありがとうございます。
>つまり、何らかの理由で日蓮正宗に入信し――
…という部分についてですが私も独自で調べたところ、牧口氏は目白商業学校校長であり日蓮正宗信者として東京池袋の常在寺に属する「大石講」の幹部であった三谷素啓氏の家に通い、「釈迦が説いた釈迦滅後の仏教変遷の予言が日蓮によって実証されたこと」と「正しい宗教(法華経)に基づく人間変革を基盤に社会を変革するという『立正安国』の思想」に強く共感し、これがきっかけで日蓮正宗に入信したそうです。
そして牧口氏は戸田氏を折伏、戸田氏もほぼ同じ時期に入信したというのが真相のようです。
即ち、三谷さんの折伏よって牧口氏は入信した事になります。これが1928年だそうです。
ですが今現在、創価内では牧口氏の入信において、このような説明は一切されていません。
【1928年、牧口氏は日蓮大聖人の仏法に帰依します】とだけの説明のみで、三谷氏の折伏によって入信したという一番重要な部分が綺麗さっぱりと無かった事にされています。
これでは牧口氏が一人で日蓮仏法に出会ってその内容に共感し、入信したのだと誤解されてしまいますよ。
恐らく、牧口氏が三谷氏から折伏されて入信した事は今の学会員達はあまり知らないのではないでしょうか…(断言は出来ませんが)
実は私も今回の事で調べるまで、牧口氏が折伏されて入信した身だとは全く知りませんでした…。
創価内の情報ばかり鵜呑みにしていた事がお恥ずかしい限りです……
【解説】
ここでは、博識の二郎さんが提示した資料を基に、牧口初代会長と戸田氏によって始められた創価教育学会が、もともと詐欺を目的に金儲けのために作られたという説が繰り広げられ、シニフィエさんおよび参加者はみなそれに引きずられていきました。
しかし、皆さん、真面目で頑固一徹だった牧口初代会長が金儲けのために創価教育学会を始めたなんていう話を信じられますか。
私は、これは二郎さんがおかしな資料をもとに組み立てたデマを、安易にブログの参加者が鵜呑みにしたケースだと思います。
「二郎さんの紹介されている資料」というのは、『邪教集団・創価学会』です。
なるほど、おそらくこのくだりを読んだゼロさんがこの本を買い求め、次に図書館で『狩野川物語』を探し出し、舞い上がってしまったのですね。
そうして、ゼロさんは自分のブログ「創価 崩壊の鐘」を立ち上げたのでしょう。
ゼロさんのブログには、「創価学会はこうしてつくられた 」というカテゴリーで、この本に基づく記事が連載されていました。
以前私が、ゼロさんとの対話の中で主張したように、『邪教集団・創価学会』は隈部大蔵なるいかがわしい人物が共著者となっており、内容的に信用できないものです。
その他いくつかの根拠を示して、ゼロさんのこのトンデモ学説は論駁したつもりです。
詳しくはこの記事を参考にしてください。
「ゼロさんとの「対話」 その4」
でも、ゼロさん以前に、対話ブログでは、「創価学会はもともと詐欺団体として始まった」なんていうトンデモな議論がされていたんですね。
それをもとに、シニフィエさんをはじめとする参加者は、そのデマにミスリードされていたというわけです。
やっと、その辺の事情が分かりました。
獅子風蓮