獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:その後(5)

2022-03-27 01:18:35 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)


■「10年後の創価学会」という視点      投稿日: 2015年10月19日

みなさんのコメントから、10年後の創価学会の話が出ました。
そうですね~
これから10年後の創価は、かなり様変わりしてるでしょうね。
まずまちがいなくイケダダイサクはこの世にいないでしょう。この世からいなくなるのはイケダダイサクだけではありません。今の執行部のほとんどが、たとえ生きていても後期高齢者、あるいは要介護の老人です。また組織の末端でも、いま座談会に出てきている70歳から80歳くらいのお年寄りは顔を見せなくなるでしょうし、現在の地区部長、地区婦さんが今のお年寄りの場所にいるでしょ。で、男女青年部が各地区にどれくらいいるのか知りませんが、その方たちが中心となりますよね。で、そのときの男女青年部はリアルイケダを知らない。そのとき未来部の子どもたちはいるでしょうか?イケダセンセイって何?食べられるの?って感じでしょう。座談会と言っても、昔から変わらない人たちがそのまま年をとって集まる老人会のようなもので、協議会にしても新聞啓蒙数だとか書籍や民音のチケットはだれが引き受けるのかとかって、あいかわらずやってるんでしょうけど、違うのはみんな歳とったうえに、毎年の財務であり金もはたいてしまっているので、老後の蓄えもなく年金で細々と暮らしている老人が集まって慰めあってる老人会のようなものになってるでしょうね。たまにやってくる幹部もみんな年寄り。あいかわらず毎年同じ御書講義が大白蓮華に載っていて、「この信心を疑ってはいけない。疑うと大変な目にあう」といった同じようなことしか書いていないのに、何の疑問も持たずに「うんうん」とうなずきあっているお年寄りの座談会。
では、20年後、創価はどうなっているでしょう。イケダダイサクのいない創価が20年ももつわけがありませんね。やはり「創価学会はもって10年」ではないでしょうか。少なくとも創価がこれから10年間、現状維持できるわけがないと思います。幹部連中はそれがわかっているからイケダダイサクがまだ元気なことに無理やりしているんでしょうね。誰もイケダダイサクが元気だなんて思っていないんじゃないでしょうか?でも活動家としてはそれをおもてだって言えない。だれか座談会で「イケダ先生は5年以上も会員の前に姿を見せませんが、ほんとにお元気で執筆活動をされているんでしょうか?」と訊いてみればいいんです(笑)。幹部は脂汗を垂らしながら「先生はお元気です!こうして毎日のように新聞にメッセージを出されているではないですか。『疑う心なくば自然に仏界に至るべし』ですよ。絶対に疑っちゃいけません。せっかく積み上げてきた福運がいっぺんで消え去ります。われわれこそが末法に出現することを誓った地湧の菩薩なんだと信じて、イケダ先生にお応えできる人材になりましょう。地域で実証を示しましょう!」なんて、年寄りばかりの座談会で言うのも笑い話でしかありませんよね。
会員は金を出すだけのカモ。しかしどんなにお金を出しても幸せにはなれない。そんなこと小学生だってわかります。ところが幸せをお金で買おうとしているのが学会員です。たくさん財務をすればするだけ幸せになれる。しかも出した財務は何倍にもなって必ず返ってくる…としこたま刷り込まれる。でも実際にはお金を出すだけで、いつまでたっても貧乏です。財務が倍になって返ってくるなんて言葉を信じてお金を出している学会員って、架空の投資詐欺にひっかかる人とまるきりいっしょですよ。「ありもしない株の儲け話」が「ありもしない功徳」になっただけです。少なくとも戸田・池田の2人はそのつもりで創価をつくった。これはまちがいないですね。株やらベンチャーよりも宗教が確実に人を騙せると踏んだのでしょう。もともと高利貸しやポルノ雑誌で稼いでいた2人ですから、もっと儲かりそうないかがわしい宗教に目を付けたのも納得できますね。お金儲けのためには何だってやるような冷血漢だったんです。そしてイケダは戸田を上回る冷血漢でした。人の不幸をエサにして金と権力を我がものにすることが人生の目的でした。それほど人間不信だったのでしょう。イケダはその生涯のうちで誰も信じていなかったんでしょうね。まわりの人間は自分がのしあがるための道具でしかなかった。そして口先三寸で人を騙し、物質的に好き放題に贅沢三昧をしたあげく、ある日、身も心も機能不全に陥って廃人になった。誰にも会うこともできなくなった。イケダダイサクと会える人間は、イケダダイサクが廃人であることを他言しない人間だけです。ほんの数人でしょう。なんという人間の悲惨な末路でしょう。全国の盲信者は5年半も顔を見せないイケダに対して『先生はお元気です』と言わなければいけない。『先生はほんとにお元気なんだろうか?』なんて口に出そうものなら「地獄に堕ちる」と脅される。創価学会の同志とはそんな人間関係なんですよね。
10年後の創価学会は、おそらく誰の目にもあきらかに衰退しているでしょう。そして20年後にはほぼ消滅していると、私は思います。
できれば私が生きているうちに消滅してほしいですけどね(笑)
ということで、今回のテーマは『「10年後の創価学会」という視点』です。『という視点』とあえてつけたのは、「10年後の創価学会がどうなっているのか?」という視点を現役の学会員さんが考えることで、そこから現実の創価の実態を見る機会になるんじゃなかろうかという淡い期待によるものです。創価の活動家さん、つまり自分で考えることをやめてしまった盲信者さんのことですが、今自分が活動している創価の組織の実体をもとに、これから10年後にどうなっているのか?ということを考えてもらえると、おのずと創価が確実に老朽化し絶滅していっているという現実を見ることができるのではないかと思ったからです。逆に、そんな視点をもたせないがために、聖教新聞ではあたかも創価が世界にひろまっているかのようなSGIの様子を載せていますよね。国内の会合でも、みんな同じような格好で、同じような表情の笑顔の写真ばかり。外部の人が見たら気持ち悪いだけの写真も、盲信者が見ると「幸せいっぱいの学会員」としか見えないんですよね。そんな学会員さんも、たとえば創価とほとんど見分けのつかない顕正会の会合の様子には、たいへんな嫌悪感を感じるんですよ。それは盲信者にとっては「憎き邪宗の輩」ですが、外から見ればどっちも「目くそ鼻くそ」の似た者同士のカルト集団なんです(笑)。
おそらく10年後もなんらかのかたちで創価学会は残っているでしょう。しかしそれは世間からはカルト集団としての烙印をはっきりと押された創価学会だと思います。20年後ももしかしたら存在するかもしれません。でも宗教としての認識はすでに終わっている。巷に数ある怪しい新興宗教のひとつでしかないと思います。
盲信者のみなさんは、そこまでは考えられないでしょうけど、少なくともこれから先に、創価学会が今よりも会員が増えたりすると本気で考えられるでしょうか?創価学会が世界に1200万人もいると本気で信じているのでしょうか?
創価学会の公式HPには、いまでも「1930(昭和5)年の創立以来、日本では827万世帯、海外にも192カ国・地域の会員が日蓮大聖人の仏法を実践し、各国の繁栄と平和を願い、活動しています。」と記載があります。さらに「創価学会インタナショナル(SGI)は、世界192カ国・地域に1200万人以上のメンバーを擁する、日蓮大聖人の仏法を信奉する団体です。」とあります。
もうここからすでに嘘っぱちですよ。日本だけで827万世帯あるのに、なぜ国政選挙で公明党が700万票しかとれないのでしょう?世界に1200万人もSGIメンバーがいるのに、世界中の戦争や内戦やテロに対して、なぜ何一つ影響力がないのでしょう。SGIといえば、ときどきどこかに集まってお祭り騒ぎをしているのが聖教新聞に載るだけですよ。
『「10年後の創価学会」という視点』とは、冷静に今の創価の現実を見てみませんか?という問いかけです。10年後の創価を想像するには、今の創価の現実を見ることでしかできませんよね。今の創価学会、とくに末端組織(地区や支部)の現実から、自分たちがいる10年後の地区や支部を想像してみてください。はたしてどんなメンバーが座談会に顔を見せているでしょう。たくさんの若き男女青年部が意気揚々と組織を牽引している姿を想像できますか?未来部の子どもたちがたくさん参加している座談会場を想像できますか?いま座談会に出席している地区の皆さんの顔ぶれで、これからの10年間に世界に平和がもたらせると想像できますか?一度真剣に考えてみてください。これまでの学会員さんはどれだけ創価にお金をつぎ込んできたか。それによってみなさんの生活はどのように変化したか?そしてこれから同じように創価にお金を貢ぎ続けて、自分たちは10年前よりも幸せになっているのかどうか?今の現実をよく見て、これから10年間もお金を創価に貢ぎ続けてどうなるのか?そのとき自分は何歳になっているのか?そのとき自分の家庭はどうなっているのか?創価とはまったく関係のない隣近所の人たちとどんな違いがあるのか。10年前の自分と、今と、10年後の自分。10年前の隣近所と、今と、10年後の隣近所。創価であることとないことの、10年前と今と10年後。その違いは創価にお金を貢いだか否かの違いだけであって、ほかに何か違いでもありますか?自分の家族のためにお金を稼いで使ってきた隣近所の人たちのほうが、はるかに豊かな暮らしをしていませんか?お金だけではありません。学会活動で自分の時間などない人生を送ってきたことに後悔はないのかもしれませんが、その結果、自分の家庭がどうなったのか?ということを、冷静に考えてみてもいいのではないでしょうか。そしてこれからの10年も、創価にお金も時間も、つまり人生のすべてを貢ぎ続けることで終わる自分の一生を思い描いたときに、それが人間の本当の幸せなのかどうかということを、10年前、今現在、10年後の自分を思い描きながら考えてみてほしいと思います。

 


解説
対話ブログが非公開になったため、コメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮