■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
■創価学会の現実の姿 投稿日: 2015年4月26日
学会員がどんどん減っているという現実を完全にスルーして「いよいよ世界広布新時代だ~!」と本気で思っている学会員さんの現実。
いったい何を根拠に世界広布新時代だというのでしょう。
学会員さんに目の前にある現実とは、たとえば座談会に集う人たちの顔ぶれですよね。原田会長が言うような、青年が続々と増えている地区がどこにあるのでしょうか?20年前とくらべて座談会にどれだけの新しいメンバー、つまりもとからの学会員が引っ越してきたのではなく、新入信者がこの20年でどれだけ増えたのか。またこれまで活動していた学会員がどれだけ減ったのか。よく思い出してみて欲しいと思います。確実に活動家は減り、新入信者もごく僅か。それも創価の素晴らしさに共感して入ったのではなく、せいぜい学会員との結婚を機に入ってきた人ぐらいではないでしょうか。そして20年前に地区の中心者として活動していた人も、もうすでに高齢になり、あるいは他界されていなくなった。いても認知症だったり、病弱で活動どころではないひとばかりではないでしょうか。いつの時代にも元気なのは功徳ポイント集めに目が眩んでいる婦人部くらいですかね(笑)。まあ、これは創価に限らずどこでもおばちゃんは最強ですけどね(すみません)。
というわけで、今回のテーマは「創価学会の現実の姿」ということで、特に創価が1991年に日蓮正宗から破門されてから今までの24年間で、実際の創価の現場がどのように変わったのか、みなさんが実際に体験して知っている事実を教えてください。学会員さんがどんなに美辞麗句で創価を飾ろうと、現実の創価の実態を見れば、世界公布新時代がやってきたのかどうかがはっきりします。協議会や座談会や各種総会や信念勤行会や友人葬にいたるまで、どう変わったのかを教えてください。
それにしても、どう見ても学会員が減ってるってわかってるのに、なんで世界広布新時代なの?って思わないんですよ。何を言われようが創価は正しいことになるんですからね。これが洗脳でなくて何ざんしょって話です。そんなに正しい宗教なら会員が増えて当たり前なんじゃないですか?と訊いても、おそらく「それは魔の仕業です。これこそ創価の信心が正しいということを表れです」などと言うんでしょうね。凄いですよね、創価の信心をしていても、赤ちゃんに魔が取り憑いちゃう怖い団体(笑)。
話は変わりますが、以前、ブラックノーモアさんから、わかりやすい本を紹介してくださいと言われていましたが、前も言ったようにアンチ本、暴露本の類いは読む気がしないので、これといってお薦めする本はありませんでした。
先日、本屋で島田裕巳氏の『奇跡の日本仏教 仏教はこうして「日本仏教」になった』を立ち読みしました(笑)。
http://www.shisosha.com/shimada01.html
創価の歴史的変遷が的確かつ簡潔に書かれていました。立ち読み程度でもわかるものでしたので、買いはしませんでした。やはり創価は戦後の高度経済成長期の人々の盲点を見事についた新興宗教の代表格であったが、バブル崩壊後はこれまでの騙しの手口が通用しない時代となり、衰退の一途を辿っているとのこと。まさにその通りだと思います。よくまとまっていましたが、だいたい当たり前のことしか書いてなかったので、立ち読みで済ませました(笑)。もう少し突っ込んだ話や「え~っ!そうなんだ~っ!」ってことが書いてあるかもと思ったんですが、じつに堅実に、今はやりの「粛々と」した記述でした。とくに日本仏教の実態がいまいちよくわからないと言う人にとっては、わかりやすいという意味でおすすめです。
幕末から明治維新での長州の政界進出から今(安倍政権)に至るまでの日本の歴史の中で、創価の存在がどのようなものだったのかをわかりやすく書いた本があればいいんですが、そんなものを出版する会社はないですよね。簡単に潰されるでしょうから(笑)
そんななか、かなり説得力のある日本の近現代史の解説をしてある本があります。
副島隆彦『時代を見通す力 歴史に学ぶ知恵』
http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-69778-9
これを書いた副島隆彦という方、一癖も二癖もある方で、ある方面からはそうとう嫌われるだろうなと思われる本をたくさん出されています。文体もあまりまとまりがなく、同じことを何度も繰り返したり、ついつい自分の自慢話に走ってしまうところは、あまり好感がもてないのですが(笑)、書かれている内容はなかなかすごいです。よくぞここまで調べ上げたなと感心します。上に紹介した本は直接創価に関する記述はありませんが、決して表には出ない日本史の裏側を、こと細かに書いています。これはたいへん参考になります。文のあちこちに出てくる筆者のドヤ顔的表現がなかったら、もっと売れてるんじゃないかと思うんですけど、これもこの方の独特の持ち味なんでしょうね(笑)。
あと、仏教そのものについて知りたいのであれば、やはり中村元先生をおいて他には考えられないでしょうね。とくに退官後に書かれた「ほんとうの釈迦の教えはこうだった」みたいな記述は、仏教学の大学教授という立場では書けなかったんでしょうね。それはそのまま現在の日本の仏教をまるごと否定するようなものですから無理もありません。でも上に紹介した島田裕巳氏も副島隆彦も同じように、釈迦の教えと日本の仏教は全く違うというのは一致した意見です。私もそう思いますし、むしろそれがマジョリティな見解なのではないでしょうか。ましてや創価と日蓮正宗のように日蓮を絶対唯一神とするような教義はマイノリティを通り越して、仏教の本質を完全に見誤った単なる独りよがりと言えるのではないでしょうか。
あと、おすすめはと言えば、以前にも紹介しましたが、内田樹氏と釈徹宗氏による対談
「いきなりはじめる仏教入門」です。
http://www.amazon.co.jp/dp/4044089043/ref=cm_sw_r_tw_dp_4o7ovb0DFSZZM
こんなに平易な表現で仏教の深いところを言い当てている本は少ないと思います。
このお二人とともに平川克彦氏、高橋源一郎氏の4人は、互いに「◯◯ちゃん」と呼び合うほど仲のいい方で、今の日本の論壇を代表問いっていいと思います。じつは先日この中のお一人とお会いしてお酒を飲んだり、あるテレビ番組の収録にご一緒させていただく機会がありました。誰かと言うと私が身バレしますので言いませんが、やはりすごい洞察力と明確なビジョンを持った方でしたので、このような方が日本を牽引していって欲しいなとあらためて思いました。
■創価学会の現実の姿 2 投稿日: 2015年5月1日
このブログも、よくここまで持ちこたえられたなと思います。もちろんこれは皆さんのご協力があればこそなのですが、おかげさまでこのブログも安定期に入ってきたのかなという気がしてきました。
(図表)
これ↑がこのブログのアクセス数の月別の推移です。最初の半年間は、荒らしや魑魅魍魎(笑)の類いに振り回されて散々な目に会いましたが、その後にしばらく間を置き、承認制にしてから再スタートをしてからは次第に荒らしも少なくなり、去年の今ごろから急激にアクセス数が増え、さらに去年の9月からさらに増えてきました。先々月から一ヶ月に14万アクセスになっていて、一日のアクセス数もほぼ4000から5000といった安定した数になっています。また、このブログの主旨も、ずいぶんと浸透したようで、みなさんのコメントも、以前にも増して的確で示唆に満ちたものとなり、創価問題を具体的に示すブログとしてのクオリティが維持できていると思います。また、ときどきといいますか、まるで順番待ちしているかのように現れる現役活動家さんとの対話も、白いブランコさんによって初めて対話らしい対話ができたと思います。ただし話は平行線でしたが、それでもこれでいろんなことがわかったという意味で、たいへん意義のあるものだったと思います。そうこうしている間に、アクセス数が160万を超えまして、この分でいくと今年の夏の終わりには200万アクセス達成かなと思われます。
「創価学会の現実の姿」とうテーマは、このブログ全体のテーマでもあります。創価の現実の姿に会員さんが気がつけば、一日だって創価に留まるなんて思わないでしょう。自分がオレオレ詐欺に引っかかってたことがわかっていながら、それでもお金を暴力団の口座に振り込むような人はまずいませんよね。自分の家族がオレオレ詐欺に引っかかっているのを知って「それは信教の自由だから僕は何も言わないよ」なんて言う人はいませんよね。また「暴力団も悪いとこを改善してけばいい暴力団になれるさ」という人もいません。だいいち「いい暴力団って何さ?」ってことです。同じように、いい創価学会って何なんでしょう?折伏も新聞啓蒙も選挙活動も財務も、やりたい人だけが自分の判断でする創価学会でしょうか?ではいい会社って、働きたい人が自分の判断で働きたいときに働きたいだけ働く会社が「いい会社」なんでしょうか?そんなわけはないですね。たとえばいい警察の定義が「働きたい警察官だけが自分の判断で働きたいときに働きたいだけ働く警察」ではないのと同じです。
創価学会の活動は、上からのトップダウンでしか動けないような仕組みになっています。もともと下からの声が反映されるような組織でないことは、このブログを見ているほとんどの方はわかっていると思います。創価の幹部は上からの指示を下に伝えて、言うことを聞かない人間をチェックする役目です。言うこと聞かない会員は、すぐに上に報告があがって、幹部が家庭訪問にやってきます。そして「おかしなことを考えてないで、お題目をあげて、先生にお応えできる人材にしてくださいと、ご本尊様に本気で祈るんだ」などと思考停止の言葉でねじ伏せていきます。それが幹部の仕事です。決して会員さんの話を聞くわけではありません。聞くフリはしますけどね。とにかく会員さんの意志で独自の行動が許されるような組織ではありません。組織から言ってくることと違うことをやろうものなら、反逆者扱いです。もしくは精神異常者扱いです。おそらく白いブランコさんも組織的には要注意人物なのでしょうけど、極端に人材部不足に陥ってしまった創価にとっては、選挙活動をボイコットする人間でも地区部長にしとかなければならないのが実情なんでしょう。おそらく白いブランコさんも創価が絶対に改善できないことがわかる日がいつか来ると思います。残念ですがそれだけの話です。「いい暴力団」がありえないのと同様に「いい創価学会」もありえません。やってることはオレオレか財務かという形式の違いだけです。新聞や財務の利益がなければ創価の存在理由はありません…などといっても活動家さんには「魔に負けた愚か者のたわごと」としか聞こえないんでしょうね。
ということで、今回のテーマは前回に引き続き「創価学会の現実の姿 2」とさせていただきます。
とにかくこのブログでは、創価の現実の姿を、経験者の実体験を通じて発信していく以外にないと考えています。たとえば日蓮仏法の教義の矛盾についていくら議論したとしても、もともと創価にとって日蓮仏法なんて会員を騙すための道具にしか過ぎないですから、その時の状況に合わせて、どんなにでも変えていってます。だから議論の意味がないんです。だから議論しません。今回は本尊の解釈まであたりまえのように変えてしまいました。本尊の解釈が変わる宗教なんてあっていいんでしょうか。でも会員さんはなんとも思っていない。思わないように仕向けられています。
創価の現実の姿と、世間一般の常識を普通に比較し判断できる理性を取り戻すことができれば覚醒できると思いますが、そこを徹底してできないように仕向けているのが創価の組織です。こうして毎日同じようなことを、よく飽きもせずに書くなあと、自分でも思うのですが、やはり何かしら書かずにおれません。自分で気づかない限りは、外からいくら言っても無駄なことはよくわかっていますが、それでもちょっと前の自分のことを考えれば、こうして創価の現実の姿を教えてくれるブログの存在は、きっと意味があるのだと思っています。バリ活の人には何も言うことはありません。言っても無駄ですから。せめてちょっとだけでも創価のやってることに疑問がある方は、ぜひここの皆さんのお話を「素」で読んでみてください。ここには自分で体験してきたリアルな事実しかありません。ときどき息抜きに私が冗談を書くくらいで、あとは皆さん真剣にお話をされています。それぞれに創価の活動の中で感じたこと、そして覚醒後にわかったことを書いてくださっています。決してウソや誇張で書けるようなことではありません。また、日本全国、気味が悪いほど同じようなことをやってるのが創価の活動家さんです。完全に集金集票ロボットと化しています。個人の意志など微塵もありません。そのことに気づいて欲しいのです。
みなさん、引き続き、「創価学会の現実の姿」をどんどん書き込んでください。ひとりでも多く、一日も早く、覚醒する学会員さんが増えるために、どうかよろしくお願いします。
【解説】
対話ブログが非公開になったため、これに対するコメントを参照することはできません。
獅子風蓮