獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅠ:カオスへ (4)

2021-10-25 01:25:42 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■しばらく休みます          投稿日: 2012年2月8日

ほんとうにみなさんのおっしゃることは、それぞれにもっともな話です。もっともな話だけに自分が正しいと主張する。主張するのはいいが他者を認めない。私たちが声を届けようとしているのは創価学会員ではなかったでしょうか。そこで私の考えをもう一度整理して述べておきます。
1. 私は愉快さんも、もも(ら)さんも荒しとは思っていない。
2. 私は愉快さんにも、もも(ら)さんにも、これからもこのブログでコメントをいただきたい。
3. 私は愉快さんも、もも(ら)さんも、ここでの荒らしへの接し方に行き過ぎと思われるところがあったので謹んでほしかった。
4. 愉快さんはしばらく訪れなかったし、もも(ら)さんはこのことに関して謝罪された。
5. しかしここを訪れる他の方から、もともと表現が適切でない、不愉快との指摘が複数あった。
6. 私もそれに関しては同意した。不愉快な気持ちもわかる。
7. それでおそらくもも(ら)さんは自分(ら)のことを荒らしと決めつけられたと思い去った。
8. それから私が尊敬している希望さんまで非難される事態になった。
9. 愉快さんが現れ、自分がアク禁になるから収まらないものかとの打診があった。
10. 管理人としての自分の考えは述べた。
11. それでも他の方の気がすまない。
12. 管理人は途方に暮れる。
13. 自分と違う他者を認めることから対話がはじまるとはじめから言ってきた。
14. ブログの論点が本来あるべき創価学会の問題から大きくずれてきた。
15. なんだかバカみたいと思いだす。
16. しばらく休みます。
ということで、いろいろ異論はあるでしょうが、
このまま続けても気持ちが悪いだけです。
「対話を求めて」はしばらく休みます。
しばらくがどれくらいかはわかりません。
再開が三日後なのか一年後なのか。
「せっかくここまで…」とか言わないでください。
私が一番思っています。
一日のアクセス数が3600を超えるまでになりました。
そこにこの醜態です。
いい笑いものです。
べつに諦めたわけではありません。正直言って気分が悪い。
「気分でやっていたのか…」という非難もあるでしょう。
べつにいいです。勝手に思っててください。
自分の意見を通すために他者を排除するようなところに対話はありません。
きっと創価学会側は胸をなでおろしているでしょう。
これは組織の策略かもしれません。
でもそんなことどうでもいいんです。
もう私の手に負えない。
手に負えない私の力なさです。
ブログの閉鎖はしません。
コメントも自由です。
ただし管理はしません。
好き放題コメントしてください。
荒れてもいいです。現実を見てください。
現実はきれいごとではありません。
私たちは怪物を相手にしてきました。
そのことを忘れないでほしい。


●アレックス(2012年2月8日 22:28)
シニフィエさん、これが掲示板の現実なのです。
もう分かったと思いますが、いつかは手に負えなくなるのです。

しばし放置・様子見も大事かも知れません。
私もそろそろ休もうと思っていましたので、私もしばしお休みにします。


●小路(2012年2月8日 22:46)
創価学会を糾弾するブログが、どうして学会員ではない二人の荒らしの言動に振り回されるんですか。
あんなくだらない事にふりまわされてどうするんですか?
又そこそこ活動するふりをして小さな会合にでて笑顔ふりまくんですか?
組織の策略なんかじゃありません。末端の話題にもなっていません。

先の書き込みで言いました。全部自分の責任なんですよ。私も同じ、貴方も同じ。
他人のせいにしてきたから何十年も変わらないんです。
このままでは何教をやっても同じ。

良いですか、みなさん!生まれたときから入会させられていたとか、子供のときから学会員だったとか(私もそうです。)
止め様と思えばいつでも止めれたんです。日本では信仰は自由なのです。
日本では宗旨変えをして殺された例はそう多くないはずです。
何百年にわたった宗教戦争を見てください。諸外国では命を落とすことなど当たり前でした。
殉教こそ最高と喜び死んでいった人は山ほどいる。
日本は違う!止めなかった自分が悪い!!
みなさん!頑張りましょう!!
過去の財務を創価学会関連者の恐喝だったと告訴できる方いらっしゃいますか?
その時は、よかれと思って払ったんでしょう。
お買い得だと思って買ったんでしょう。スケベ心あったでしょう。
幸せへの投資だと思ってたんでしょう!!違いますか!!
人を攻める前に自分の目を、欲を、愚かさを恥じましょう。

いいですか、やり直すって決めれるのは自分自身です。
逃げてちゃ一生繰り返しだ。
創価学会の指導者や幹部に人を洗脳する力なんかあるわけないです。
みんな自分で自分を洗脳しているんです。


●涼風(2012年2月8日 23:11)
管理人 様

正直、ここ最近は、つまらないことばかりと思っていました…。
真の対話が成立しないことばかりで。
せっかく充実した内容を書いてくださる一部の方々も、やはり、一部の方々によって乱される…。
でも、これがネットワーク世界での対話の限界かと思われます。

綺麗事をいくら並べても、仕方ないです。

結局、ここのblogでは(私も同様ですが)愚痴や不平不満、脱会者の体験談しか語れない。
それが「創価学会の真実」と、公言するつもりだったのでしょうが。
じゃあ、その先には、何を目指すのかが不鮮明だと思っていました。
共感や勉強が出来ても、その先は勝手に生きてね…時が解決するよ…では、何のための対話なのか、と。

だから最近は、コメントを控えていました。
創価学会の真実を暴く覚悟なら、休まずに続けるべきです!
その方針に沿わないコメントは、ひたすら削除しながらでも。
まぁ…その段階で、もはや「対話」にはならないでしょうが…。
大義名分を定め直して、再出発を希望します!


●宇和島(2012年2月9日 00:03)
このブログはすぐに終わるだろう…
とROMしていました。
私は反学会ですが、
管理人のやり方に問題がたくさんありました。

青い青い
ネット社会を何もわかっちゃいない

まあこの程度でしょうね。
他のブログの足下にも及ばない。

もうブログ運営など辞めて
普通の反学会員として存在すればいい
10000人の証言を目指すなどの
自分が書いた大構想が
とても恥ずかしい形として残る
その恥を晒し続けるなら
閉鎖した方がいいよ


●kan(2012年2月9日 00:26)
こんばんは^^
いろいろとお疲れさまでした。m( _ _)m
大変でしたね。。。

>きっと創価学会側は胸をなでおろしているでしょう。

いや、案外そうでもないかもしれません。
今や、池田創価の不正・理不尽・汚辱などなど、具体的に書き表してるブログも多いですし
実名を上げての不祥事を暴露してる書籍も出ています。

それでも世論が高まることもないし、マスメディアも一切報じない。・・・・これは普通ではありません。おかしいです。。。
つまり池田創価は、権力と財力で・それだけの根回しができる巨大カルトなのです。
アンチが多い中で、そんな一つのブログが生まれようと消えようと、さほど気にはしていないと思います。

取るに足らないような小さなブログ・・・いくら真実を叫んでても、これは巨大カルトにすれば、どうってことはない。
過去、言論問題の時も世論やマスコミを巻き込んだが、傷を引きづらず・上手く丸めて池田創価はある意味向上した。
過去、国税の追求も政党の力を駆使して、上手く逃れてる。
政界や法曹界や様々な分野に、すでに根を張り巡らせてるので・池田創価に都合のいい展開ができる実態である。
旨みをたらふく食える非課税、宗教法人に関する法律はガッチリ押さえてる。
都議選への根回しも、十分にできてる。

池田創価は衰退してるのは事実だと思いますが、その莫大な財力はほぼ健在だと思います。
そして「番犬」の政党も持ってるわけで、国家権力を上手く利用できるのも健在です。
その気になれば、マスコミ系の会社など潰せますし、出版社など潰すのも簡単だと思います。
それだけのとてつもない悪のパワーは十分にあると思います。
一つのブログの存在を、さほど重要視してるとは思えないです。

彼らは愚かなようで、狡猾です。
愚かなものは表面上で「愚かと聞こえる言葉」を吐き、単純です。
でも池田創価は違います。

池田創価は会員や対社会的には、綺麗な言葉を吐き続けています。
その姿勢は変わらない・・・・それが「悪」の凄いところです。
どんな言葉でも、何があっても変わらず叫び続けてると・それは一つの「真実」として確固たるモノになります。
信じてる人には・より確信となり、疑いのある人には・その疑いを消して信じさせるパワーになります。
それは全てにおいて言えることです。

それを十二分にわかってる池田創価は、それを利用し・純粋な会員を奴隷にしています。
創価学会という組織は、とても汚くて悪賢いのです。
その中で生きてる職員は、その旨みを十分にわかっています。
なので離れたくない。ここにしがみつきます。

本部幹部と呼ばれる創価官僚クラスともなれば、その旨みも凄くて・不況社会に関係なく数千万の所得です。
何もせず、上手く会員を利用するだけで・数千万の所得です。
そして一生安泰・・・・こんな美味い世界におれるなら、何だってやります。
なので「次期会長の座をめぐって骨肉の争い」とか・・噂をされるのです。。。これ事実だと思います。
会員の生活など・どうでもいいし、そんな人間的な最低限の配慮など皆無の人間たちです。

池田創価は、激しさは続かないこと・・・・よくわかっているのです。
激しいなら、それなりの意味づけが必要です。
それが一番効果的なのが、自分に返ってくるメリットです。「欲」への満足感です。
それで、「功徳」・「福運」・「宿命転換」云々・・という言葉で会員は日々の生活を無視して奴隷化するようになったのです。
何かを続けるには、それに値するような「その人なりの同価値」が必要なのです。

ブログも同じです。
一人が呟くだけの、他が入らないブログなら・ただ独り言でいい。
もし他が介入して、ウェルカム!♪という趣旨なら、他が自分と同価値を感じる世界と許容が不可欠です。
人は全世界探しても、一人として同じ顔はありません。
考え方もまた、人それぞれ・・・・・表現もまた、人それぞれです。それが当たり前です。
全て「ウェルカム!!♪」と思ったら、来てくれる人「みんな・ありがとうね~~!!♪」と思ったら
おのずとブログは、そんな世界になっていくと思います。

池田創価はブログ一つ一つなど、さほど相手にはしていないと思います。
一つ一つのブログは取るに足らない存在でも、それが共通の声として「一つ」になれば
それは大いなる声になり、池田創価は言うに及ばず・国を揺るがす「庶民の声」になっていきます。

管理人様はとても客観的な支援と知性をお持ちの方です。
頭もとてもいい。
多くの方々が、貴ブログを見て元気と希望をもらったと思います。
実際、多くの方々が「共感」しておられた。

改めて、別のHNでブログを立ち上げられたらいかがでしょうか?
管理人様の純粋で熱き心、それを燃えるままに表さず・・・少し抑えて大局的にかまえて、大らかに。。。

そんな静かなパワーを秘めた清流のごときブログ。
ゴミや石ころや、時には黒い汚れがあっても・・・争わず、うんうん^^と静かに頷きながら流れる清流。
そんな静かで・おおらかで・多くを受け入れて、そして大海へ流れていく大河。

その大河には、みなさん身を任せるのではないでしょうか。
池田創価・・・カルト云々・・・そんな汚れが身に付いた多くの方々。
本音で思いをさらけ出すと共に、貴ブログの清流で体も心も洗われる。

そういうブログ。
これほどの管理者様なら出来ると思います。

あっ、一つだけお願いです。
ブログの言葉と温かきレス、なるべく行間を空けて戴ければ・より拝見しやすいと思います^^・。


●学園卒(2012年2月9日 01:33)
こちらのブログに移転する前に、一度だけコメントを書いたことがあった学園卒です。ずっと見にきてました。しばらく休まれるということで、残念な気持ちもありますが、何よりシニフィエさんのお身体が一番大切なので、ゆっくり休まれてください。

ここで行われていた対話を見るのは、自分にとって本当に有意義でした。各々が自分の考えを発信し、考えが重なるところもあれば、重ならないところもある。そしてそれを認め合うのが対話なんだなあ、と。
時に認め合うのが難しいこともあるけど、それが人間らしさかも、と思います。創価学会では、人生は勝負だ、とか、何につけても勝ち負け、幸不幸につなげます。でも、そんな簡単に白黒つけられるようなもんじゃないだろうと思います。曖昧だからこそ、苦しいし、辛いこともあります。はっきりしてくれよと、自分の人生に語りかけたくもなります。そうして楽な方へと流れていけば、、創価学会のような団体に流れ着くのかもしれません。

、、そして今自分がこんな風に考えられているのも、小路さんのコメントのおかげなんです。
実はいつも、創価学会がマインドコントロールや、洗脳をしているということに少し疑問を感じていました。
自分が創価学園に通っていた頃、授業で心理学的に人を洗脳させるようなことが行われていたわけではない。なのになぜあんなに軍隊のように統率がとれた振る舞いが出来たのだろうとおもったのです。
学園では、行事前になると、対話という時間がもたれます。先輩と一緒になることもあれば、実行委員長と一緒のグループになることもあります。ただどのグループにおいても共通して言えるのは、「いい話」をできる人間が必ず一人はいるということです。あらかじめ、学級委員がグループわけを行うのです。洗脳しようとしているわけではありません。
話す側も、グループわけを行う側も、とにかく池田氏に応えたい、という気持ちと、あわよくば注目されて池田氏に見てもらいたい、というすけべごころもあったと思います。そしてこのように、学園に貢献したのだから、功徳のようなものがあるだろう、、と。つまり、学園のために、友のために、池田氏のために頑張る自分に酔っていたわけです。学園生や学会員にお人好しが多いのは、このせいかもしれません。
つまりは、いつも自分に返ってくるであろうご褒美のために奔走していたのかもしれません。

とにかく自分も昔学園でそのような立場にいたことがあったのでよくわかります。
疑問を感じてからはすっかり学園では落ちこぼれましたが、自分はただの部品でしたから、代わりもたくさんいて、何も困るようなことはなかったようです。(笑)

これから自分もなにか行動を起こしたいと思っています。学園にいながら、創価学会に疑問を、感じている友達はたくさんいました。
自分はまだ学園を卒業したばかりですので、社会経験もなく、希望さんのようなことはできませんが、何かしらやるつもりです。

自分で自分を洗脳している

この小路さんの言葉に目が覚めました。本当にありがとうございます。
創価に、こんなことされた。あんなことされた。と泣き喚くのはやめます。
親に無理やり創価学園に入れられた気持ちを理解できる、ということを生かしながら、自分の手足で打開します。

長々とすみませんでした。

 


解説
シニフィエさんは、ある意味、開き直って、ブログを放置することにしました。

手に負えない私の力なさです。
ブログの閉鎖はしません。
コメントも自由です。
ただし管理はしません。
好き放題コメントしてください。
荒れてもいいです。現実を見てください。

その後、ブログはカオスに向かいます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:カオスへ (3)

2021-10-24 01:23:34 | 対話ブログ

前回に引き続き「そこそこ幹部のみなさんへ」のスレッドについたコメントです。


●今田利次郎(2012年2月8日 18:46)
>おそらく、今田利次郎様のコメントは、「『創価学会のような詐欺団体』という表記は、名誉毀損にはならないと思います。

(ならないと思う)という発言がおかしいのです。
なるのか、ならないのか。なるなら発言を撤回すればよいし、ならないのなら書き込んでもよい。
それでいいんじゃないでしょうか?

>創価学会本部が「名誉毀損」で提訴したら、堂々と受けて立てば良いのです。

どうして他人様が落としていった書き込みの為に、わざわざ裁判をうけなければならないのですか。
争わないでよいことは避けるべきだと思います。
お勧めいただきましたが、あなた様のブログも読みません。あなた様のプライベートな話題に介入することになるので
読みませんしコメントもしません。
あなた様のお考えと私の思想とは交わらないと思います。
今後はあなた様のご意見にコメントすることはいたしません。
小路さん元活動家さんご意見ありがとうございました。


●希望(2012年2月8日 19:56)
 シニフィエ様、桃太郎様、NR様、長文のコメントを頂き、ありがとうございました。

  シニフィエ様におかれては、どうかお気軽に、私にご連絡下さるようにお願い申し上げます。私は、敷居の高い人間ではありません。

  桃太郎様には、心より厚く御礼申し上げます。今後ともよろしくお願い申し上げます。

  NR様には、お気遣い頂き、ありがとうございます。日本の裁判所の実態は、私の訴訟代理人である弁護士の生田暉雄先生が、良くご存知です。

 最後に、今田利次郎氏が、私のコメントの「ならないと思う」という表現が(おかしいのです。)と述べておられます。ご承知のように、名誉毀損罪に該当するかどうかを判断するのは、裁判官が、具体的な事件における判決においてです。

 したがって、「ならないと思う」という表記以外は不適切であると思います。少なくとも、法律に関する研究者で断定的に記述される方はおられないのではないかと存じます。

 なお、この件については、原則として、これ以上コメントを投稿するつもりはありません。 


●小路(2012年2月8日 21:34)
>名誉毀損罪に該当するかどうかを判断するのは、裁判官が、具体的な事件における判決においてです。

希望さん、この件に関して私も最後の発言とさせていただきます。
判決でしか判断できかねることを書き込む行為は、「無責任」です。
貴方がどうお考えでおられるかわかりませんが、私個人の感覚では貴方は「無責任」です。

愉快さんから私へ書き込みがありますが、

>後、よろしかったら、あなたが、私のことをどのような存在と認識されているのかを、教えて頂けるとありがたいのですが(苦笑)

文中(笑)(苦笑)連発でとても不愉快です。
二度と私に話しかけないで頂きたい。

管理人さんもよく(笑)をお使いになるが、語気を和らげたいのか、ジョークにしたいのか、
友達同士のメールやらチャットやらなら理解できるが、人生かけた信仰のブログでいちいち毎度毎度何をヘラヘラできるんですかね。
一部の人を除いて、みんな真剣ですよ!!私も二世で未活です。カルトだマインドコントロールだと人のせいにしますけど
財務がどうのいいますが、大半の責任は自分自身にあるんですよ。
親にむりやりとか、組織に無理やりといいますが、子供じゃないんだ。断れなかった自分が一番悪い。
そんなことも理解できずに、10000人恨み節集めても、何もかわりません。
自分を変えないと駄目です。
私も自分を変えれていません。逃げてます。言い訳ばかりで生きてきてます。
このブログ読んだら全員同類です。傷なめあってます。
自分を変えないと一生繰り返しです。何度でもいいます。今までの活動の責任は全部自分にあります!!!
強要されて金はらったら恐喝じゃないか。そうじゃないでしょう。いろいろ言い訳するけど
財布開けて財務はらったのは自分自身です。
頑張りましょうよ皆さん。


●アレックス(2012年2月8日 21:57)
いやあ、小路さんのおっしゃった「一部の人を除いて、・・・・・・・・財布開けて財務はらったのは自分自身です。頑張りましょうよ皆さん。」は、まさしくその通りです。

私の言いたい事が代弁してくれました。
過去の自分は、全部自分の責任です。誰のせいでもありません。
弱い自分のせいです。
自分が変わる、そして、強くなる、それしかありません。

 


解説
最後の、小路さんとアレックスさんのコメントは、参加者にとって、大きなインパクトがあったのではないでしょうか。
このような意見が複数寄せられ、それが受け止められたこの時期は、私から見たら健全だったと思います。
でも、シニフィエさんは、参加者同士が議論するのをさばききれなくなって、とうとうブログを休止すると言い出します。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:カオスへ (2)

2021-10-23 01:20:46 | 対話ブログ

前回に引き続き「そこそこ幹部のみなさんへ」のスレッドについたコメントです。


●乾河原(2012年2月7日 21:14)
こんばんは、乾河原と言います。
今かつて無いほどの気持ちで、自分の今の信心の思いを文章にしようと頑張っています。かなりの長文になるかもしれませんので、ここでお許しを管理人さんにお願いします。今、大体ですが下記の様な内容にて書いてみようと構想を練っています。
1、題目~生命の永遠性
2、信心の基礎~応用
3、創価学会の問題点~批判者の問題点
もしかして4つ以上にになるかもですが、一度にコメントとして載せるのはかなり無理な気もしますので、分割してお送りしたいと思っています。

このブログは非常に質の高いものです。特にこの数日間の内容の変遷は誰が見ても上質其もだと思います。これはおべっかでも何でもありません。知らない人も居るかもしれませんので再度自己紹介をしますが、私は現在も学会員です。活動家といえるのかどうか解りませんが、題目、協議会、座談会等はしっかりやっております。今からもこの生活は続きます。これ以後のコメントでも話すと思いますが、基本的に確信がありますので、退転しようがありません。
普通の学会員がこういうブログを見ると、大体において『バカなことをやってる…』と言う程度で二度と訪れないでしょうが、私はこのブログの根本理念は好きです。退転者に対しては勿論『何やってるんだろう』という気持ちはあります。しかしここの理念は、誰に対しても宣揚していくべきだと思ってますし、また、いわれない批判者からも守っていくのが当然だと思っています。
私の様な活動家の意見もしっかり掲載していただけることは、非常に幸運だと感じていますし、こういう雰囲気に生で触れていける場を与えてくれている管理人さんには、何にもまして感謝の思いがあります。
なので今回のコメントに関しても今まで創価学会の人にも一度も話さなかった思い、気持ちを自分の言葉で最高の表現をしていこうと思っています。
ただいつ頃から作っていけるかは、ちょっと断言できません。多分今月の19日(日)にブロック座がありますが、それ以降かなと思います。
よろしくお願いいたします。
以上です。(食べ放題に久しぶりに行きたいと考えている、乾河原でした)


●希望(2012年2月7日 22:09)
 連日のように、ブログを更新され、かつ、コメントに対して丁寧な対応をされておられるシニフィエ様に、心より敬意を表します。

 さて、「もも」ら様について、若干の誤解が生じたようですので、私の意見を申し上げます。結論から先に述べれば、「もも」ら様は、いわゆる「荒らし」ではありません。

 確かに、少々過激な文章を書かれることもあります。しかし、その理由は、これまで、まさに命懸けで創価学会本部の不正を追及され、その結果、様々な迫害を受けて来られたため、時に、過激な表現になってしまったのだと存じます。この点については、すでに、謝罪のコメントを投稿されておられます。

 「もも」ら様は、シニフィエ様のブログには、もうコメントをされないと決められたようですが、本当に残念なことです。おそらく、これまで同様に、「もも」ら様は、私のブログ「白バラ通信パンドラの箱」には、コメントを投稿されることでしょう。どうか、「もも」ら様のコメントをご覧になるという意味から、私のブログを訪問して頂ければ幸いです。

 つぎに、今田利次郎様が「以前訴えられたら弁護士を紹介してやると言った方がいましたが無責任に煽る発言だと思いました。誰々が訴訟しているから、お前もやれば良い。裁判なんてそんな物じゃないです。こういう場で問題を起こしたら一番困るのは管理をされている方です。自由に使わせてもらいながら迷惑をかけるなんて人じゃありません。」とのコメントを投稿されておられます。

 おそらく、今田利次郎様のコメントは、「『創価学会のような詐欺団体』という表記は、名誉毀損にはならないと思います。著作権侵害とは、全く別の問題です。万が一にでも、創価学会本部が「名誉毀損」で提訴したら、堂々と受けて立てば良いのです。それだけのことです。その時には、創価学会本部の脅迫に屈しない優秀な弁護士の方々をご紹介します。」との、私のコメントに対するものではないかと存じます。

 「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず 」とは、まさに、このようなことを意味するのでしょう。今田利次郎様に「無責任に煽る発言」としかご理解頂けなかったことを反省しております。

 この点については、yoko様が、「この方は無責任に煽っての発言でありません。創価学会の本当の姿を知っている体験者だからこその発言です。創価と本気で闘おうとしたら、甘くはないのです。それゆえの発言だと私は理解しましたが。希望さんと同じ状況下のひとりです。訴訟を誰が好き好んでするでしょうか?怪物を相手に。>誰々が訴訟しているから、お前もやれば良い。こういう思いでコメントされたのではないことを断言しておきます。失礼しました。」と言われておられる通りです。

 大変長文のブログになりますので恐縮ですが、私のブログをすべてご覧になられた上で、今田利次郎様が、私のコメントを「無責任に煽る発言」だとお考えになられるのであれば、その理由を具体的にお知らせ頂ければ幸いです。

 このコメントを投稿する直前に、シニフィエ様の今田利次郎様と「もも」ら様に対するコメントを拝読致しました。私の真意を、シニフィエ様におかれてはご理解賜り、心より厚く御礼申し上げます。

 最後に、シニフィエ様のお身体のことが心配です。コメントに対するご返事は、私のブログのように短文となさり、ブログ本文の記述に集中なさっては、いかがでしょうか。とにかくも、ブログを続ける上ではご無理なさらないことが最優先課題ではないかと存じます。

 なお、お困りのことが生じたら、どうかお気軽にご連絡下さい。


●小路(2012年2月8日 00:08)
希望さん。
ブログ拝見しました。
貴方様の苦労を他の誰かにも背負わせたいですか?

>創価学会本部の脅迫に屈しない優秀な弁護士の方々をご紹介します。

裁判を闘っておられる貴方がこのような発言をされたら
後先も考えず後ろ盾が出来たと行動する無責任な人間が増えます。
私も「煽り」としか思えません。
軽率な発言だと思います。
追従する人間が出てきたら、その人間の生き方を全て抱えれますか?
弁護士の紹介だけですか?
無責任だとしか思えません。

それと、もも(ら)氏への擁護ですが、このブログへ募る方の意見として
過激で難解な書き込みは「荒らし」という意見が大半なのに
どうして「寝てる子を起こす」ような発言をされるのですか。

管理人さんに無理難題を浴びせて平気ですか?
貴方の無神経さに怒りを覚えます。


●元活動家(2012年2月8日 00:51)
私も小路さんと全く同じ考えで、強く賛同します。
このブログは反創価ブログです。
しかし、反創価的なコメントならどんな表現でもいいのですか?
読者が不快になる煽るようなコメントをしてもいいのですか?
荒らしの意図がなくても「結果的に」荒らしになっているということです。

大体、創価に騙されて金を毟り取られ、MCの被害者である学会員の書き込みに対し、「洗脳されたカルトちゃん」などと
小馬鹿にするのは、不快だし本人に失礼ではないですか。そのような方々を
救うためのブログなのですよ。にもかかわらず、その被害者である方々をカルト扱いして小馬鹿にするのは
どうでしょうか。本末転倒とはこのことです。

学会がおかしいと感じて、迷い、悩んでこのブログに来る方も多いと思います。
それらの方々が、アンチの人に小馬鹿にされたら、我々やこのブログの信憑性も疑われます。
アンチこそ、丁寧な振る舞い、品位溢れる言動をしなければならないと思います。
そして、毅然かつ品性ある言葉で正々堂々と学会の悪を追及していくべきだと思います。

シニフィエさんがおっしゃるようにここは対話する場所です。その対話でアンチが口汚く罵っていたら
コメントの信憑性が損なわれるということに気づくべきです。


●愉快(2012年2月8日 01:04)
小路さん、始めまして、愉快です。

>裁判を闘っておられる貴方がこのような発言をされたら
 後先も考えず後ろ盾が出来たと行動する無責任な人間が増えます。
 私も「煽り」としか思えません。
 軽率な発言だと思います。
 追従する人間が出てきたら、その人間の生き方を全て抱えれますか?
 弁護士の紹介だけですか?
 無責任だとしか思えません

希望さんのことを無責任とおっしゃっていますが、
あなたのご発言の本意を、少しばかり勘違いされる方がおられるとまずいかもしれませんね(笑)
希望さんの発言は、シニフィエさんが、特定されるような場合を考慮しての、ご発言であるとご理解されてますよね(苦笑)

多分、シニフィエさんに、情報の公開を求める発言者が、また出てくることをご心配されているのでしょう。
私は、後ろ盾ができたと誤解(笑)して実名公開される方が、おられるかどうかは甚だ疑問に感じます。
希望さんの本意は、万が一の場合を考慮しての発言であると私は確信しております。

詳しいことはよくわからないので、友人に教えてもらったんですが、今回の騒ぎの発端は私のアンチ荒らしへの対応がきっかけであるのではないでしょうか?(苦笑)

私が責任を取ってアク禁になるということでお話を収めていただければ非常に嬉しく思うのですが、如何でしょうか?(笑)

よろしければ、小路さんのお話をお聞きしたいと思います。

後、よろしかったら、あなたが、私のことをどのような存在と認識されているのかを、教えて頂けるとありがたいのですが
(苦笑)


●signifie(2012年2月8日 03:00)
愉快さん、どうしたんですか?キャラがまるで違いますよ(笑)。
それとも別の人が愉快さんを名乗っているのでしょうか。いずれにしても、普通(これまでとは違ったという意味です)のコメントありがとうございます。できましたらこんな感じでお願いしたいです。このキャラでしたら私がアク禁にする理由はどこにもありません。お願いですから(笑)これで通してください。愉快さん、こんな言い方をして失礼ですが、意外と大人なんですね(笑)。
いやいや、困りました。先にも述べましたが、私は正直もも(ら)さんに去ってほしくない。つまりこんな誤解されたままでという意味です。ネットに無数にあるブログですから、誰がどこにコメントしようがやめようが自由なわけですが、私のほうからもも(ら)さんを排除したみたいな形はなんとも後味が悪いのです。また、希望さんにこんな誤解のために心労をかけたくないのです。私は自分のMCが解けかかったところで希望さんのブログに出会い、やっぱり学会は間違っていたんだ、そして自分の人生にとりかえしのつかない間違いを犯してしまっていたということに気づかせていただいた、いわば人生の恩人です。そして希望さんの実名を出されて本気で戦う姿に啓発されてこのブログの立ち上げを決意しました。そこでの希望さんと同様に肚の座ったもも(ら)さんの存在は大きかったし、このブログにも来てサポートしていただくことをたいへん力強く感じていました。ところが数日前の荒らしへの対応に、かなり行き過ぎたと感じる言動が見られたのも確かです。もも(ら)さんにしてみれば、徹底的に荒らしを駆逐するもも(ら)さんなりの方法だったのだと思いますし、よかれと思っての発言だったと理解しています。ただここを訪れている人にとっては、私のやり方とは対照的なことと、荒らしを煽るだけ煽るのを見ていられなくなるほどのことだったのだと思います。正直なところ私もこんな荒らしは無視してほしいと思っていました。無視すればいずれバカバカしくなって諦めるだろうと。そこで私はみなさんに「荒らしは徹底的に無視してください。荒らしの発言は有無を言わさず削除します。したがって荒らしに対する言動も同時に削除させていただきます」との旨をコメントしました。そこで一連の荒らしの発言とそれに対応していたもも(ら)さんのコメントもいっしょに削除させていただきました。その後、もも(ら)さんのコメントの表現に複数のクレームが寄せられました。私はどうしようかと悩んでいます、と書きました。それはもも(ら)さんの発言の中で多発される(爆笑)(大爆笑)をはじめ、人を小馬鹿にしたような表現が問題を大きくしているのだろうと考え、そうした表現をできればおさえてほしいとお願いしました。できないならコメントしないでほしいとも言いました。もも(ら)さんは一度は謝罪をされて、これからできるだけ気をつけますといったことを述べられましたが、なぜかその後、ここへはもう来ない、希望さんのところへも来ないでほしいとのコメントをされました。私はそんなに理不尽なことを要求したのだろうか。そこまで言われるようなことをしてしまったのだろうかとへこんでいます。もちろんもも(ら)さんを荒しと決めつけた経緯がないことは、このブログを読み返していただければわかることだと思います。さらに希望さんにまで心配してもらってのコメントをいただきました。

小路さん、小路さんの気持ちもわかります。私のことを思っていただいてのコメントは涙が出るほど嬉しいです。ありがとうございます。ただ、希望さんに対するお気持ちには大きな誤解があるようです。こんなことになったので書きますが、まず希望さんは決して煽るようなことは言われていませんし、おそらく私は希望さんの気持ちをそのまま受け取ったと思います。そして勇気をいただきました。それだけです。希望さんは私に対して「名誉毀損にはなりません。万が一なっても優秀な弁護士が力になってくれますから、追撃の手を緩める事なく頑張ってください」という意味だったと解釈しています。とてもありがたかったです。私にとって希望さんはとても敷居の高い存在で、希望さんのブログに何度もコメントを書いては消し書いては消し、結局コメントができないままになっています。それは何を書いても希望さんの心労には届かないと思うからです。希望さんが以前、ここに「私のブログへもコメントをお願いします」と書かれました。私はなんとかコメントできるようにと、必死で言葉を探しましたが、結局思いを伝えられるような言葉を見つけることができないままになってしまいました。私は日に何度も希望さんのブログを訪れます。希望さんの起こしている創価学会への訴訟の進展が気になるからです。ここというときは私も馳せ参じる覚悟でいます。私もその気になれば信濃町で10万人規模の反対集会を開くぐらいのノウハウやネットワークを持っています。そんな力を持っているんだったらすぐにやればいいじゃないかと思われる方もいるでしょう。それくらいでしっぽを巻くような怪物ではありません。あまり具体的に言うと学会本部に本気でマークされますから言いませんが、それくらい希望さんが立ち向かっている怪物は手強いのです。それに立ち向かっている希望さんの存在は私にとってはまさに言葉もでないほど大きすぎます。少なくとも私にとっての希望さんは、文字どおり希望です。そのような方の覚悟がわかっていらっしゃるのがもも(ら)さんだと思っています。希望さんとともに本気で戦う事のできる方だと思っています。ですから、ここのブログでの言動が気に食わないという理由で逆にもも(ら)さんや、ひいては希望さんとの関係にヒビが入るのを望みません。希望さんは直接怪物に立ち向かう。私はその怪物の力を間接的にはぎ取っていく。そうした役回りで、互いにフォローしながら頑張っていけるネットワークをつくっていければと思っています。こんなことでみなさんの思いや力をバラバラにしたくはないのです。小路さん、ここではいろんな方が、それぞれのボルテージで思いを書かれます。ときには理解できないこともあると思います。私の立場は、できるだけ広いレンジでみなさんの波動を受け止めることだと思っています。もも(ら)さんや愉快さんのボルテージは、他の皆さんよりも桁外れに高いところから言葉にしています。だからとてもついていけないのだと思います。あれだけ不愉快なコメントをされて私から削除された愉快さんが、ここというときに自らアク禁まで申し出てことをおさめようとしています。私たちの願いは創価学会という怪物に捕われた多くの人に真実の声を届けることです。そこを見失ってはいけないと思います。もちろんこのブログの管理者は私です。いわば私がルールです。公平とか平等とか民主主義なんて糞食らえです。多くの人の人生を食いものにして、今なお自分たちだけ生き延びようとする怪物に立ち向かうには、見ず知らずの私たちが、こうしてネットを通じてつながり思いをひとつにすることが大事なのではないでしょうか。そしてこのブログにはこのブログのルールに従っていただく。ですから言い争いと汚い言葉は御法度です。糞食らえぐらいはOK(笑)。要は言葉の奥に秘められた真意、つまりそれがシニフィエです。これが届くかどうか。それがここのルールです。みなさま、どうかその方のシニフィエが何なのかを理解する努力をしてください。また自分のシニフィエを伝える努力をしてください。そうすればこのブログがもっと大きな波動となって、怪物に捕われている多くの人たちに伝わっていくものだと信じています。どうか、どうかよろしくお願いします。

 


解説
対話ブログがカオスに向かうきっかけは、シニフィエさんが尊敬する希望さん(高倉教授)に対する批判を参加者がしだしたことでした。
シニフィエさんは、いろいろ悩んだすえ、以下のルールを決めたようです。

このブログの管理者は私です。いわば私がルールです。公平とか平等とか民主主義なんて糞食らえです。多くの人の人生を食いものにして、今なお自分たちだけ生き延びようとする怪物に立ち向かうには、見ず知らずの私たちが、こうしてネットを通じてつながり思いをひとつにすることが大事なのではないでしょうか。そしてこのブログにはこのブログのルールに従っていただく。ですから言い争いと汚い言葉は御法度です。糞食らえぐらいはOK(笑)。要は言葉の奥に秘められた真意、つまりそれがシニフィエです。これが届くかどうか。それがここのルールです。みなさま、どうかその方のシニフィエが何なのかを理解する努力をしてください。

「言い争いと汚い言葉は御法度です」
ここ、重要です。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:カオスへ (1)

2021-10-22 01:15:56 | 対話ブログ

なにをもって「荒らし」とするのかは分かりませんが、このころの対話ブログはコメントの承認制をとっておらず、すべてのコメントをそのまま拾う形のブログでしたので、さまざまな立場の人が思い思いのコメントをする中で、徐々に議論が非難合戦に変化していきます。
まさに荒れた状態です。
ついには、シニフィエさんも対処できず、放置されるようになります。
そうしてカオスとなり、ブログの休止にと向かいます。

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■そこそこ幹部のみなさんへ           投稿日: 2012年2月7日

池田名誉会長が人前に出なくなってもうすぐ2年になろうとしているのに、なぜかメッセージだけは次々と紹介され、昔の写真だけは大きく載せられ、あたかもイケダセンセイが元気なふうを装った聖教新聞がいつまでつづくんだろうと思います。そのことに対しておおっぴらに疑問をあらわさない会員。死に方や時期はベールに包まれているにせよ、自分たちの指導者は死んだと公表した北朝鮮のほうが、まだ先の事を考えていますよね。他人事ながら、いったいどうするつもりなのか心配です(笑)。
まあそんなことより、いずれ真実を知らされる何百万人という会員の心のケアが心配です。創価学会の真実が明らかになれば、世界的なニュースとして報道されるでしょうし、国家的な救済事業が必要なんじゃないかと本気で思います。なかには騙しとった財務を返せといったデモなんかも起こるのではないか。会館施設や聖教新聞販売店への暴動行為や、数えきれないほどの訴訟が起こるでしょうね。そう言う意味での国家レベルでの対策も必要になってくると思います。
そうなっても最高幹部は「知らなかった」を貫くでしょうが、間借りなりにも法治国家を標榜するこの国がそれで済むわけはありません。利害だけで結びついてきたマスコミ、企業、警察、法曹界、芸能界は言うに及ばず、学会が会員から吸い取ってきた巨万の財務のおこぼれをもらっていたにもかかわらず、ありとあらゆる団体がきっと手のひらを返すでしょう。いままで甘い汁をすい続けてきた彼らも死活問題ですから、何もなかったかのように、あるいは自分たちも被害者であるかのような顔をして、学会の不正を暴露してくるでしょうね。
そういう意味でも創価学会がたとえ崩壊したとしても、日本全体を混乱に陥れるのは目に見えています。こと利害に関してはおそろしく計算高い創価学会の幹部であれば、もういいかげん創価学会から手を引くのがおりこうさんなのではないでしょうか(笑)。創価学会のそこそこ幹部のみなさん、あなたがたはほんのちょっとのおこぼれで利用されているだけです。学会に実質的な危機が迫ってきても上の組織は誰も助けてはくれませんよ。これまでの彼らの言動を思い出せばわかるでしょう。そう思いませんか?そしてあなたがた(そこそこ幹部)自身、どうやって責任をとるつもりですか?池田名誉会長の存在を末端会員がおおっぴらに疑いだせば、それだけでとんでもない事態になると思いませんか。最高幹部はまちがいなくあなたがたにすべてを任せて知らぬ存ぜぬを通すでしょう。いちばんたいへんな目に遭うのはあなたがた「そこそこ幹部」なのです。逃げ場がありませんからね。あなたの下にいる組織の会員全員があなたに責任を追及しに来るとしら…その数と様子を思い浮かべてみてください。これは決して脅しで言っているのではありません。そこそこ学会の内情を知る現役創価学会員のひとりとして心配して言っているのです。池田名誉会長は今どうしているのかということをそこそこの幹部同士で話題にしないのかどうか。もししないのであればそれはなぜなのか。するのであればどんな内容なのか。そんなことすらわからないようでは幹部の資格はないでしょう。それこそあなたがたが利用されている事の証拠です。そこそこ幹部の皆さん、池田名誉会長の実態を知らされていないということ自体が、あなたが知らないうちに騙されて、とんでもない責任を負わされているということの証拠なのですよ。いちどそこそこ幹部の人たちと、そのあたりのことを話し合われてはいかがですか?まさにあなたがたの死活問題なのですから。そしてもしよかったら、その結果をここにリークしてくれませんか。それだけでもあなたがたの背負う罪は軽くなると思うのですがいかがでしょうか。


●ライアー回し(2012年2月7日 17:21)
ライアー回しです。
創価学会は会長を頂点とするヒエラルキー構造の組織です。
ヒエラルキーである以上、役職のランクが一つでも上であれば、その権限や行動範囲などにおいて、優位の立場にあるわけです。
このヒエラルキーという組織構造は、ほぼあらゆる組織体の基本をなしていることは間違いありません。
かつて創価学会はこのヒエラルキーがもたらす恩恵に大いにあずかってきたといえるでしょう。
なぜならトップダウンによる明確な指導体制、上意下達、そして下部組織による競い合いなど、拡大期においては、この体制のほか考えられないに違いありません。
しかし、時代は変わりました。
学会の右肩上がりの成長期はとっくの昔に終わっているにもかかわらず、ヒエラルキーの組織体系は全く見直されずにきました。
創価学会が硬直化し、上層部のエリート幹部職員の官僚化と腐敗を招いている最大の原因は、この旧態たるヒエラルキー構造を放置してきたにほかならないと思うのです。
宗教に役職による階級の必要はありません。
宗教に必要なものは、人間同士の温かな結びつきだけなのです。
創価学会には、現場においては、かろうじてこの温かな結びつきが存在しています。
これはある意味、奇跡的なことです。
この奇跡を無駄にしないためにも、創価学会はヒエラルキーに代わる、柔軟かつ多様性の価値をいかした組織の在り方について、衆知を集めて再構築していくことが求められていると思うのですが、皆さんいかがでしょうか。
内部改革を重視している方との対話を望んでいます。


●ココア(2012年2月7日 18:29)
ライアー回し様

>宗教に役職による階級の必要はありません。

『宗教団体』においてはそれが理想の姿なんでしょうが
創価学会はもはや単なる宗教団体ではありませんよね?
巨大な財力と政治力を保持した団体です。
下からひたすら吸い上げて利益還元はほんの一握りのエリート幹部内でのみ。
その一部の人たちからしたら下部の『組織を変えよう』という動きは不穏なものでしかないはずで
良くて無視、場合によっては実力行使もあるかもしれません。
人間同士の温かな結びつきを求めるならば、今の学会の中にいては苦しくなるだけのような気がします。

私が学生部だった頃、一度だけ元旦に学会本部に呼ばれ
名誉会長に新年の挨拶をすることを許されました。
すごかったです。
横20人ぐらいで縦にはずらーっとお目通りを許された人たちが列をなして座り
そのまん前には名誉会長が対座して座っています。
そして1列ごとに順番が来ておとそをもらって目の前の会長に『あけましておめでとうございます』と深々とお辞儀。
運がいい人(?)は会長から声をかけてもらいますが、それも一瞬。
せかされてあっという間に退場となります。それが延々と続くのです。
当時もびっくりしましたが、今思い出しても、とんだ将軍様だったなーと。
ああいう場に呼ばれたる側は側で『選ばれた人材』という意識がだんだん強くなってエリート意識が生まれるんでしょうね。
私はありがたいことに(?)しっかり脱落してしまいましたが(^^ゞ
そういえば帰り際、お年玉と称して数千円もらいました。あれもどなたかの財務やら新聞代やらから出てるんですよね・・・
中・高等部、学生部の間に電車賃と称したりして本部からお小遣いもらったこと何度かあります。


●ライアー回し(2012年2月7日 20:02)
ライアー回しです。
ココアさん、コメントをありがとうございます。

>創価学会はもはや単なる宗教団体ではありませんよね?
>巨大な財力と政治力を保持した団体です。

おっしゃる通りです。
創価学会は宗教団体という範疇を超え、経済や政治に大きな影響力をもつ団体になってしまいました。
しかもその影響力の行使は公に期するよりもむしろ保身、組織防衛のために使われていることはだれの目から見ても明らかでしょう。
とても残念に思えてなりません。
そうした事実を憂慮したシニフィエさんら、マインドコントロールから解放されたと認識する方々が、会員に学会をやめるよう促すことで、学会の勢力を小さくしていこうとされているのでしょう。
創価学会という組織の在り方に終始、疑念を抱いてきた私にもよく理解できる心情です。
それはそれで認めるべき行動ではあるのですが、私はあくまで内部改革にこだわる人間の一人です。

創価学会という巨大組織をよくも悪くもできたのは池田名誉会長だったことは言うまでもありませんが、名誉会長は残念ながら、あるべき宗教(組織)改革を断行できなかった、いやすることがなかったというのが私の認識です。
最初からするつもりがなかったのか、それともやろうとしたができなかったのか…それは知る由もありません。

名誉会長による海外における講演、識者との対談、毎年のSGI提言などで示される思想は素晴らしく、私はその思想に基づいた組織改革がいつかはされるものと、悲願にも似た期待を抱いてきました。
しかし、何十年経っても、その思想が実現されることはありませんでした。
シニフィエさんのように、だまされた、と思う人もいるでしょう。
私もダブルスタンダードに過ぎなかったのだなぁという思いがないわけではありません。
しかし、私は名誉会長が残した思想には、一縷の可能性を感じているのです。
虚飾の、ダブルスタンダードの思想ではあっても、その思想性が普遍性をもっているものであれば、使わない手はないではありませんか。
私はそこに賭けたいのです。
長くなりました。
具体的な改革の方向性についは、また改めて述べさせていただこうと思います。


●signifie(2012年2月7日 20:43)
(前略)

ライアー回しさん、コメントありがとうございます、
私としては内部改革というのは、改革すれば創価学会が宗教団体として存在価値のあるものになるという考え方だと思います。しかし私が当初から言っているのは「創価学会は宗教団体ではない」という前提ですから、改革も何もないのです。昔の創価学会が本来の宗教団体としての役割を担っていたという事であれば話は別ですが、もともとそうではなかったんだということに気がついてから、私は勤行・唱題をすっぱりとやめることができました。
たとえば現状の創価学会によってたいへんな被害を受けられた人に対して「どうもすみませんでした、創価学会は生まれ変わりました。過去の事は水に流してください」と言えるのかどうか。というかこれまでの被害に対して創価学会は損害賠償まで責任をもつ気があるのかどうか、実際に持てるのかどうか。これから創価学会の経理を完全に透明にできるのか、ということでもあります。これまでの創価学会の経理を白日の下に晒して、はたして会員がついてくるのかどうか。
ライアー回しさんは、50代の壮年部ということですが、学生運動の経験はありますでしょうか?私が大学に入学した頃は1977年ですので、学生運動が盛んだった私の大学でさえもすっかり下火で、ヘルメットや拡声器を抱えた学生がときどき力なく叫んでいましたが、まわりのほとんどの学生は聞く耳を持っていませんでした。彼らが何を信じ、どういう世界を夢見ていたのか、私には理解できませんでした。というか「あ、昔テレビで見たのとおんなじ格好をしてる?」ぐらいのことでした。彼らの、卒業してそこそこの有名企業に入り学生時代の武勇伝を銀座のホステスに語る哀れな姿を知っています。あの革命を夢見て戦っていたお前が銀座のクラブ通いとは驚いたね、といった感じです。革命の戦士は、あっという間に企業戦士と早変わりして、日本経済がここまで発展したのも私たちのおかげだと信じています。そして定年退職して会社を追われたときに、自分は単なる歯車でしかなかった、自分の代わりはいくらでもいたことにはじめて気づくのです。熟年離婚のあげくバックパッカーで世界を旅しながらこの歳になって自分探しです。いま日本中に増えているあわれな団塊の世代です。

>宗教に役職による階級の必要はありません。
>宗教に必要なものは、人間同士の温かな結びつきだけなのです。

ライアー回しさんのこの言葉は、創価学会が宗教であるという大前提で話されています。なんだか学生運動華やかな革命家の言葉に聞こえます。もちろん当時の革命家は宗教ははなから否定しますが。それでは創価学会が宗教であることの根拠がどこにあるのでしょう。宗教法人だからでしょうか。日蓮仏法を標榜しているからでしょうか。それは宗教団体であることが会員を納得させるための手段ではないのでしょうか。

学会の組織の構造がどうであれ、その前に創価学会が宗教団体であることの必然性をその活動から導く事ができるとは思えません。日蓮仏法の教義や信仰形態は人を疑う事をしらない人の純粋な心の隙間に入り込むための手段ではなかったでしょうか。座談会は高度経済成長の裏側で隅に追いやられ疎外されてきた弱者に忍び寄る甘いささやきだったと思います。時代が失いかけてきた人々の身近なつながりを巧みに利用した洗脳強化のシステムであったと、今だからこそ見えてきます。こうした組織的な戦略によって、自分で考える事を放棄してきた末端会員に「今までは間違いでした。これからは心をいれかえて創価学会をすばらしい宗教団体にしていきましょう」と誰が言えるのでしょう。
創価学会の内部改革。それはこれまでの創価学会がやってきたことのすべてを社会にさらけだし、それでも社会がこれからの創価学会の存在価値を認め、その可能性に期待するのであれば話は別ですが、たとえばライアー回しさんが創価学会のこれまでのすべてを引き受ける気概がありますか?
私は創価学会の内部改革をめざし、これに賛同する同志を募ります。いっしょに創価学会を立て直し、人間同士のあたたかな結びつきによって悩める人々を救っていきましょう。まずは不透明だったこれまでの経理をすべて透明化します。宗教法人といえどもこれだけの規模の組織、とくに財務の透明性は当然求められます。会員からいただいたこれまでの財務の使途すべてを公表します。もちろんこれからは財務のシステム自体を見直します。聖教新聞をはじめとした出版物等のすべての経理も明らかにし、すべての経理について第三者による監査委員会を設置します。組織の公平な運営のシステムを再構築します。各地の拠点会館の運営に関しても、常に誰でも確認できるようなシステムに変えます。自分の意志で創価学会の会員になっているかどうかを再調査し、引き続き入会の意思が確認できた人だけを会員として登録します。これまでのご本尊はすべて回収し、新たに会員として登録された方だけに無料で貸与します。その際、ご本尊の出処も明確にします。それ以外の人には勧誘行為等いっさいいたしません。公明党との関係を清算します。会員に対して政治活動を促す事を禁止します。学会出版物の購入を強制しません。他にもノルマを強制しません。子供たちには会員登録を行いません。成人して自主的に会員になる意思を確認してからの入会とします。一方的な折伏行為は禁止します。学会の教学内容を一から見直し、一般の仏教学会との連携をするなかで伝統的な日蓮正宗の仏法と照らし合わせて偏りがないか精査し、新たに創価学会としての教学体系を再構築します。これまで創価学会によって被害を受けてこられた方に対しての救済の窓口をつくります。訴訟問題の受け皿になる窓口をつくります。
……ちょっと考えただけでもこんなことがぞろぞろと出てきます。こんなことやるくらいなら、あらたな団体を立ち上げた方がいいのではないでしょうか。それも団体を作る必要があればの話ですが。
ちょっと意地悪な言い方になったかもしれませんが、他意はありませんのでお許しください。それだけ創価学会がやってきたことの罪は大きいし、取り返しのつかないものだということを言いたいのです。創価学会を改革するには、これまでのことを清算できる見通しがなければできないことだと思います。ライアー回しさん、あなたのこれからの人生のすべてをこのようなことに賭ける気概があるのであればどうぞというところです。私はおそらく私が死ぬまでに創価問題は解決しないと思います。それはオウムがあれだけのことをしておきながら教団として存続しているのと同じようなものです。オウム真理教はまだ宗教に近い。学会は違う。宗教を利用した○○集団です。○○集団を改革しても宗教にはならないと私は思います。


解説
ライアー回しさんの主張に、私は共感を持ちました。

宗教に役職による階級の必要はありません。
宗教に必要なものは、人間同士の温かな結びつきだけなのです。
創価学会には、現場においては、かろうじてこの温かな結びつきが存在しています。
これはある意味、奇跡的なことです。
この奇跡を無駄にしないためにも、創価学会はヒエラルキーに代わる、柔軟かつ多様性の価値をいかした組織の在り方について、衆知を集めて再構築していくことが求められていると思うのですが、皆さんいかがでしょうか。

名誉会長による海外における講演、識者との対談、毎年のSGI提言などで示される思想は素晴らしく、私はその思想に基づいた組織改革がいつかはされるものと、悲願にも似た期待を抱いてきました。
しかし、何十年経っても、その思想が実現されることはありませんでした。
シニフィエさんのように、だまされた、と思う人もいるでしょう。
私もダブルスタンダードに過ぎなかったのだなぁという思いがないわけではありません。
しかし、私は名誉会長が残した思想には、一縷の可能性を感じているのです。
虚飾の、ダブルスタンダードの思想ではあっても、その思想性が普遍性をもっているものであれば、使わない手はないではありませんか。
私はそこに賭けたいのです。

これに対して、シニフィエさんの返事は、そっけないものです。

創価学会を改革するには、これまでのことを清算できる見通しがなければできないことだと思います。ライアー回しさん、あなたのこれからの人生のすべてをこのようなことに賭ける気概があるのであればどうぞというところです。私はおそらく私が死ぬまでに創価問題は解決しないと思います。それはオウムがあれだけのことをしておきながら教団として存続しているのと同じようなものです。オウム真理教はまだ宗教に近い。学会は違う。宗教を利用した○○集団です。○○集団を改革しても宗教にはならないと私は思います。

シニフィエさんは、創価学会が自己改革できるはずないし、そんなことを期待するのは間違っているといいたいようです。ちなみに、このころはまだシニフィエさんも発言に慎重で「詐欺集団」と書くところを「○○集団」とぼかしていますね。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:乾河原さん登場 (5)

2021-10-21 01:08:49 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■「対話を求めて」はやめません。         投稿日: 2012年2月6日

いやはや、ブログ運営はたいへんです。でもやめませんよ(笑)。創価学会のみなさん、まだ「対話を求めて」は始まったばかりです。このブログの管理人シニフィエは創価学会の間違いを社会に示す10.000人の証言集を目指して。これからも粛々と続けていきます。創価学会現役活動家に対話を呼びかけても、逆切れしたへんな輩が寄ってくるだけでしたので、もう創価学会現役活動家のみなさんは来なくていいです。迷惑です。なんと言われようが迷惑には変わりない。まともな対話ができない方々が来ても削除しますから来ないでね。これからはビシビシいきます(笑)。ちょっとバカのフリして優しくしてると調子に乗って荒らしまくる。これからは問答無用で黙って削除します。このブログは民主主義でも何でもありません。創価学会を筆頭に日本に民主主義なんてないのですから、きれいごとを言っても始まりません。対話のできないものは、ここに来る資格なし。挨拶すらできないやつも来なくて結構。気味の悪いカマッテチャンも来ないでね。
多くの方がコメントされるのはありがたいのですが、話題が分散して分かりづらくなっています。誰の何に対する意見なのかを明記した上でコメントください。それから質問も結構ですが、なぜそのような質問をするのか、また自分はどう思っているのかを先に示し、誰に訊きたいのかも明記した上で質問してください。くれぐれもよろしくお願いします。
それでは従来通り、心ある方達による実のある対話を続けてください。よろしくお願いします。

●乾河原
2012年2月6日 10:07
管理人さんの判断に賛成します。個人で運営しているこういうブログは当の管理者が個人の判断で方向付けをしていく事って、当たり前の作業だと思います。管理人のその方針が気に入らなければ、別のフィールドに移るかまたは自分で好きなように運営するものを創っていくか、どちらかにすればいいだけのことです。
あの手の人の行動を擁護するつもりはさらさらありませんが、あの書き方はまさにゲームチャットの世界にママ見られるものですね。私もネットゲームが好きでこの15年ほど色々なMMO(大規模人数参加型)ゲームをやっています。仮想のフィールドでMOB(怪獣と言っていいのかな?)狩りに行きますが、10人ほどで集団行動していると狩りの間にチャットが飛び交います。(のんびりしている時も、そうですが)その内容はどうしても相手の「言葉面をなぞるだけの」(ある意味言葉遊びに近いかも?)内容にならざるを得ません。のんびり考えながらチャットをやっていると、それこそ「チャット死」となります。
ただそれはそのゲームの世界では必要な技術(やり方)ですが、こういう非常に思考能力を問われる世界のやり取りには、全く向かない技術・考え方です。そのたて分けが出来ない人はやはり問題だと思います。文章の表面のみを読んで(一瞥しただけといった方がいいですね)即刻対応(チャット的に記述)してどれだけの内容の文章が出来るでしょう。

私もこの件を反面教師として、しっかりした内容のものをコメントさせていただき体たいと考えています。
以上です(昨夜ちょっと寝るのが遅かったので眠い乾河原でした)


●乾河原(2012年2月6日 14:59)
こんにちは、乾河原といいます。先日管理人さんに若干のご質問をお送りして、忙しい中の返答をしていただいたのに、こちらの都合にていまだにそのお返しもしていませんでした。いま、2つの項目の、(現時点での)自分の考えをここに記載いたします。(まだ残っている項目もありますが、別の日にということで)

「民族蔑視」について
管理人さんの言>>乾河原さんの出された上記の質問には、私の発言だけではなく、このブログに寄せられたコメントもいっしょにしての感想が含まれています。とくに民族蔑視に関してのこのブログでのコメントに対して私はそうとうな違和感を抱いています。アジア全般の歴史認識や差別問題と、創価学会の問題を安易につなげるのはとても危険な事だと思いますし、私がこのブログで提示している問題とはまったく次元の違うものと考えています。ですから乾河原さんが私が民族蔑視をしているような認識を持たれるのは心外です。<<
朝鮮半島の歴史は個人的に見ても非常に悲惨としか言えない気がしています。高句麗・百済・新羅(三国鼎立時代)、高麗国建国、そして李氏朝鮮等、全てと言っていいぐらい大国中国との関係で、自分たち小国の生き残り策をどうやっていけばいいかとの必死の政治合作・調整・詭弁の歴史でした。彼らがぎりぎりやれることは、中国思想の受け売りだけだったようです。中華思想は有名ですが、小中華思想として日本を蛮国扱いをして自分たちのアイデンティティを保たざるをを得ない状態だった、そんな歴史でした。
また元朝からの脅迫、日本からの侵略(秀吉、日本軍)等。そして結局、朝鮮半島独自の文化が無いという自己同一性傷害とでも表現するしかないような民族文化。日本に対して劣等感の裏返しの現在の韓国上げての攻撃。
日本人が反発する気持ちもわかりますが、やはりもっと韓国の歴史を日本が認めようと努力すべきだと思います。日本は島国だったおかげで非常に世界にも誇れる文化を持ち得ました。(漫画文化は自分自身が目指していた道だったせいもありますが、世界一の文化だと思っています)しかし韓国(勿論北朝鮮も)はほとんど全てが中国(儒教文化等)、日本(漫画文化、歌謡等)の影響の元での「他人丼文化」でしょう。
管理人さんが韓国蔑視の発言をした訳ではないことは、十分認識していました。その上で書いたものです。なぜかというと、こういうコメントを残していると言うことはすなわち、こういう思想も(消極的、積極的に関わらず)このブログで受け入れているのかな、と思っていた訳です。しかし、そうではないと言うことが解ってほっとしています。これに関してはとても失礼いたしました。
ただ、民族・国家蔑視の根源の一つは相手の歴史に対する無認識にあるということは間違いありません。相手の国がどんな態度を取ってこようとも、こちらはしっかり冷静に相手の国・民族の事を知っていこうと努力すべきだという気持ちは、私の変わらない考えです。
管理人さんへの答えになっているかどうか、また、上手く文章としてまとまっているのかちょっと自信ないですが、これにて「民族蔑視」に関しては氷解ですね。(にしていただけると、ありがたいです)

「学会上層部に諫言」
管理人さんからの質問>>…私から乾河原さんにお訊きしたいのですが、乾河原さんがここでの対話を通して、もし学会の矛盾に気づかれたとします。もしもの話ですよ。そうした場合に「私なら即上層部に話を持って行きどういうことか糺す作業をします。」と言われるごとく、ほんとうにそうされますか?そして本当にそうしたとして、学会はどんな態度をとると予想されますか?またこんなことを過去に誰もやった事がないと考えでしょうか?<<
仮定…
1、もし学会の矛盾に気づき、それがかなり大きい問題で、しかも周りの誰もがその答えを持っていないとしたら、
私の考え…副会長に何とか会って直接聞いてみます。それに対して疑問の解消がなおかつ出来ない場合は学会本部に手紙なり、メールなりを送ります。
2、その答えがもし尚かつ矛盾だらけであった場合(仮定)、自分はどうするか…。
私の考え…現時点では何とも言えません。逃げるようですが、そんな極端な(自分にとっては)仮定のストーリーは今まで一度も考えたこともなかったのもので。
A)学会を退会する
B)自分の担当する地区、支部、本部の主要メンバーに対して自分の言葉でその現状を説明し、解ってもらえる人をまず一人創る。それから浄化、整理の活動を始める。(大聖人がまさにそれを行った)
C)全く無視をし、そのまま題目を上げ続けいつもの通りの活動をする。要するにその矛盾は自分の中ではなかったことにする。
この3つぐらいでしょうか、今考えられるパターンは。現時点ではBをやり切りたい気持ちではあります。でも、状況次第でもありますね。

以上2点について私の考えを載せてみました。多分、答えになっていないかもですが、もしもっとましな答えが出てきましたら、載せてみます。
以上です。(今日はとっても久しぶりに気温がプラスになって、少々気持ちの軽い乾河原でした)


●signifie(2012年2月6日 15:08)
乾河原さん、ていねいなお返事ありがとうございました。これから出かけなければならないので、また後日お話しさせてください。今回の乾河原さんのお返事で、ずいぶん氷解(笑)したと思います。でも学会改革論には頷けません。そのあたりはまたお話ししましょう。では。


●「もも(ら)」(2012年2月6日 19:19)
シニフィエ様へ

昨日は、深夜に及ぶ「荒らし」の原因を作ってしまいまして
大変に申し訳ございませんでした。
「シニフィエ様・擁護モードMAX」を宣言させて頂いたとは云え
やり過ぎの感は否めません。メンバー一同、深く反省をしております。
コメントの削除については全く異論がありません。あの様な展開では当然の措置です。
これからも、ふさわしくないコメントと判断された場合は遠慮なく削除をお願いいたします。

性懲りも無く、稚拙で拙い駄文を晒す「もも(ら)」を、排除しようとはしない
シニフィエ様の寛大で懐の深い人間性に感服しております。
お気持ちに、心から感謝いたします。

今後とも、よろしくお願いいたします。

文責「もも」


●signifie(2012年2月7日 14:17)
(前略)

もも(ら)さんへ
もも(ら)さんに関しては、私もどうしたものかと悩んでいます。私はもも(ら)さんに関しては何も知りません。それは他の方に関しても同様です。上のほうに今回の件に関して謝罪されてもいらっしゃいます。この謝罪でとりあえずほっとしています。創価学会の理不尽な実例の報告をしていただいたり、このブログの趣旨に関しても応援していく旨の記述をされてきています。ただやはりあの(爆笑)(大爆笑)を連発し、人を小馬鹿にしたような記述は誰が読んでも不快なだけだし、不快さだけが全面に出てきてしまって、話の内容が伝わってきません。むしろ何か裏に魂胆があるんじゃないかとさえ疑ってしまいます。ですから私はもも(ら)さんのコメントに関してほとんど反応していませんでした。今度は反応しないことが、管理人に対する疑問を生むまでに至りました。そしてこれだけみなさんからのブーイングがあるのであれば、管理人としてなんとかしなければならないでしょう。それこそ見る人によっては荒らしにしか見えないと思います。残念ながら「シニフィエ様・擁護モードMAX宣言」は、逆効果になってしまっていると思われます。
そこで提案です。これからもああした表現でしか記述できない、もしくはああした表現にこそ意味があると主張されるのであれば、今後このブログでのコメントはご遠慮いただきたい。また、他の方と同様に普通に話すことができるのであれば、是非そうしていただきたいと思います。このブログは基本的に「対話」です。単に事例の報告や学会攻撃の記述では対話は成立しません。対話の中で「昔こんなことがありました」とか、「今このような方が身近におられます」といったことを上げられるのはかまいませんが、その事に関して一人の人間として自分はどう思うのか、どのようなことをやったのか、あるいはしていこうと思っている、あるいはできそうもないことを悩んでいるなどなど、創価学会に対して多かれ少なかれ疑問を感じていらっしゃる方との対話を前提としてお話をしていただければと思います。このブログでの単なる荒らしに関しての対応はこれまで書きましたように、私一人だけが対処します。もし組織的なサイバー攻撃が見られた場合には、そのときに対応を考えます。あとは、これからもも(ら)さんのコメントに対して、ここに来られる方が何も反応しなければ、そういうことなんだと判断してください。また行き過ぎた記述だと私が判断すれば即削除させていただきます。このように提案させていただきますがいかがでしょうか。

 


解説
参加者と乾河原さんの議論が続きますが、多くは省略しました。

引用はしませんでしたが、ももさんのコメントは今田利次郎さんからも反感を食らい、
管理人さん。
真剣に対話したいと書き込みしてますよね。
どうしてこんな変なのを放置するんですか?
まじめに書き込み人への侮辱に等しい。

とまで書かれました。

最終的には、シニフィエさんからもも(ら)さんに引導が渡されました。

とかく、こういう参加者の発言をもれなく拾う形のブログ管理は難しいですね。
参加者同士のやり取りがギスギスして、口汚い罵りあいになることともあります。
シニフィエさん、ご苦労様です。

その後、今田利次郎さんがコメントの中でいいことを言っています。

ここに来られる方々も、アンチだからといって民族を侮辱した発言や
常識を外れた言葉使いはやめましょう。
固有名詞は正しく使いましょう。
管理人さんに迷惑のかからない発言をしましょう。

同感です。

この時代はまだ、発言者の言葉遣いを注意するような良識ある大人が、参加者の中にいたのですね。
私が今年の1月に対話ブログにお邪魔したときは、ハルキやトニーから非常識な殺伐とした言葉を浴びせかけられましたが、だれもそれを注意することはありませんでした。
第一、シニフィエさん自身が私を、事実を捻じ曲げて誹謗中傷したのですから。
良識派の大人が徐々に対話ブログを去り、誰もシニフィエさんの意向に逆らえないような雰囲気に変わっていったということでしょうか。

獅子風蓮