獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:その後(6)

2022-03-28 01:24:05 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)


■『11月18日は創価をやめる日』        投稿日: 2015年10月28日

前スレでモニカさんが言われていた
>マニュアルじゃなくて自分で思うことを言わないから、つきつめると答えられなくなるんですよ。 
ほんとそうですよね。学会員は自分で考えることをしなくなっていることに自分で気づけなくなっている…というか、自分で考えなくていいことに喜びを感じている。もうこれだけでもまともじゃないです。「創価学会のいうことを信じて生きていけば自分の人生は絶対に間違いない」という思考に陥ってしまうと、もはや自分で考えないことに疑問を持てなくなるんだと思います。私も昔はよく創価の現実的な矛盾が気になりはしても「そこは考えないようにしよう」と自分で自分を思考停止させていました。疑問を持つ自分が悪いんだと罪悪感さえありました。たしかにそうでもしないと創価学会はおかしなことだらけでしたからね。
創価の幹部の指導とは「何があっても疑わないのがこの信心だ」ということを繰り返し言うだけです。疑わなければ幸せになれる。それも絶対的幸福というわけのわからない言葉に納得していました。そしてちょっとでも疑えば途端に地獄に堕ちるという、これもまたわけのわからない言葉で脅され続けていたんです。幹部の指導もまた自分で考えた指導ではなく、上から言われたことを自分で考えることなく伝えているだけです。だから自分で考えて出てきた素朴な疑問にも何一つ答えられない。
たとえば去年の11月18日にご本尊の解釈が180度変わったことに、何の疑問も持たず、人から訊かれても何一つ答えられない自分に対して「なぜ答えられないのか」という思考ではなく「そんな疑問が出る人間の思考がおかしい」としか思えないんですよね。考える人間の思考が間違っていて、考えない自分達の思考停止状態こそが正しいとしか思えないんです。学会員とはそんな人間の集団です。だから「まあユル活だったらいいか」というのは、すでに思考停止状態だということであり、じつはそこですら大きな間違いです。
自分で納得できなくても組織に身も心も捧げてしまうことに人生最大の喜びを感じる人間の集団。これが創価学会というものですし、創価学会に限らず、カルトといわれるものの実態です。いわゆる新興宗教のほぼすべてが人間の恐怖心と依存心と物欲を巧みに利用して信者のお金を巻き上げる詐欺団体だということが見えてきます。それはほんの少しでも自分で自分のことを考えればわかることなんですが、たからこそ創価は会員に徹底した思考停止を施します。会合も新聞も選挙もみんな思考停止のためにやっていることだし、同時に会員からお金を巻き上げるための一石何鳥もの方法論です。バリ活はもちろん、ユル活であっても、そして非活であったとしても、それは創価学会を存続させていることに貢献していることと同じだと言えます。
ユル活や非活のみなさん、万難を排して創価を静かに去りましょう。それが創価学会が消滅するための一番の方法だと私は思います。バリ活さんはユル活さんや非活さんがいるからいつまでもバリ活の地獄から抜けだせずに人生を棒に振っています。どなたかもおっしゃるように、ユル活さんや非活さんの存在はバリ活さんの行動原理になっています。たくさんの非活さんが脱会しても創価は変わらないと思われがちですが、変な言い方ですがユル活さんも非活さんもバリ活さんの肥やしになっています。創価はおかしいと気づいているのに脱会しないでいるということだけでも、創価学会の存続に貢献しているということです。かといって個人が創価学会と闘っても、よほどのことがないかぎりは勝ち目ないと思います。創価学会は敵だと看做せば会員から巻き上げたお金を使って暴力団でも国家権力でも使って潰しにかかります。まともに闘える相手ではありません。しかし創価の最大の弱みは会員が減ることです。ユル活や非活のみなさん一人ひとりが静かに創価を去ること。これが創価学会の存続を揺るがす最大の攻撃です。
『11月18日は創価をやめる日』これにはそんな思いが込められています。
活動するモチベーションが持てないユル活さんや、盲信活動家と関わりたくない非活のみなさんが、自ら脱会の意思表示をするだけで、多くの人が創価学会の被害から逃がれる道が開けるんです。所属の地区部長さんに「今日で創価学会員をやめます」と伝えるだけでいいんです。他の誰にも止める権利はないんです。「辞めたいんですけどいいでしょうか?」なんて誰にお伺いをたてることはありません。オレオレ詐欺の電話の相手に「やっぱり振り込むのはやめようと思うんですがいいでしょうか?」って訊いてるようなものです。一刻も早く詐欺団体に貢献するのはやめましょうよ。本来なら「今日創価やめます」この一言で脱会成立です。実際に私はそうしました。聖教新聞社の都合で新聞代だけは月末まで払いましたが、その日以来、学会員は一切何も言ってきません。通りすがりに選挙のお願いをされたくらいです。
脱会届けを内容証明で本部に送りつけるのは本人の気持ちの問題であって、必ずそうしなければならないものではありません。
たいして害はないからそのままでいいやと思ってほったかしにしているユル活さんや非活さんの存在は、それだけでも盲信者を励まし、創価学会の詐欺行為を助長していることになっているということです。
もちろん11月18日でなくていいですから、あなたの地区の地区部長に一言「創価学会員をやめます」と伝えてください。
ということで、今回のテーマは『11月18日は創価をやめる日』です。
この創価学会創立記念日にまずはユル活さんや非活さんの創価学会員の数がごっそり減るのは、創価学会にとってはかなりのダメージになると思います。もちろん来年の11月18日めがけても訴え続けます。11月18日が創立記念日よりも創価をやめる日が有名になるくらいになればいいですね(笑)


■都合と信仰                  投稿日: 2015年11月5日

前回のスレッドでは、いろいろと考えさせることがありました。いい機会になったと思います。また、非活や脱会者の意味について意見の分かれるところもあったようですが、それぞれに皆さんが真剣にお話をされていて、私としてはそれほど困った事態とは思っていません。賛同するしないは別にして、他人の意見を聞き、自分がどう感じ、どう考えているのかを検証していくことは、とても大切なことであると思いますし、そこには「正しい答え」などありはしないだろうし「正しい答え」を求めることそのものがおかしいのだとも思います。
ときどき勘違いされることがあるのですが、このブログで私が何かしら正しい考えを述べているかのように感じていらっしゃる方がおられますが、それこそほんとの勘違いだと思います。私は何が正しくて何が間違いかを人に押し付けるつもりは毛頭ありませんし、そんなものがあるなら私のほうが訊きたいくらいです(笑)。ただし私が体験的にはっきり言えることは「創価学会は宗教ではなく詐欺団体だ」ということです。何が正しいのかは私にはわかりませんが、創価学会が宗教ではなく詐欺団体だということは、この4年間のみなさんとの対話を通じて、完璧に揺るがないものとなりました。これは気づいてしまえばそんなにわかりづらいことではありません。むしろわからないことのほうが不思議なんですよね。そう、創価に関わることのなかった方が、客観的に創価の姿を見れば、これはもうどっからどう見てもただの詐欺団体にしか見えないはずです。だから何らかのかたちで創価と関わりのある人も、できるだけ創価とは関わらないようにしているし、もともと関わりのない方にとっては「ただの非常識でおかしな人たち」として、まったく関心をもつこともありません。
何度も言いますが、私は創価が詐欺団体であると言うこと以外に、何も断言できることはありません。むしろはっきりとした答えは出なくても、少なくとも今の自分はこう思う。あるいは今までこう思っていたんだけど、こうした考えもあるんだということに気がついた。といった常に現在進行形の自分であり続けたいと思っています。答えは見つからない。それでけっこう。そう思います。
西洋の近代哲学では、あるとき神の力がなくとも人間は真実に向かって進むことができるという確信を「弁証法」という当時としては画期的な考え方によってつかみ、新しい時代を迎えることができました。それまでは人間は神の力なくしては何もなしえない弱い存在だということが前提の世界でした。真実とはなにか、それがたとえ今は見つけることができなくても、人間の信念と努力によって、真実への階段を上ることができるのだという世界観ができました。そして西洋哲学の世界においてはニーチェの「神は死んだ」との言葉に象徴されるように、近代と言う時代の幕開けとなりました。現代に生きる私たちにとっては、さらに非西洋社会に生きる私たちにとっては西洋の神の概念を否定することは、それほど難しいことではありませんが、当時の西洋人にとっては、それはもうとんでもないことでした。ちょうどいままで創価を信じて活動してきた人が、創価の真実に気がついて、今までの自分は創価にいいように騙されお金も時間も搾取されてきたんだと言うことを認めざるをえなくなるようなものです。それはそれは戸惑いもするでしょう。いままでの価値観が180度ひっくりかえってしまうのですから。精神を病んでもしかたのないことなのかもしれません。
でも今でも西洋の一般社会における「神」つまりキリスト教の存在は大きな影響力を持っています。それは「神」が存在したほうが都合のいい社会だからだと思います。哲学者はとうの昔に神の概念を否定したにもかかわらず、一般社会を維持していくには「神」の存在なくしては道徳心すら保てないような社会なのです。私はこのごろ特に思うことなんですが、ことの正邪にかかわりなく、人はそのときその場所の「都合」によってものごとを判断し行動する。あたかもその「都合」が「正しいこと」であるかのようにです。そのときの自分の都合を「正しいこと」に仕立て上げて生きていく。それは創価に騙されることも「自分の都合」だと言ってもいいかもしれません。「自分の都合」はどうやったら「正しいこと」だと思えるのか。それは「信じること」意外にないと思います。言ってみれば信じるということは思考を停止して「そうだ」と決めつけることに他なりません。理屈を飛び越えて、どんな不条理なことであってもそうだと信じてしまう力のあるもの。それが宗教であり、そうした宗教の「思考停止力」を悪用して詐欺を思いついたのが創価学会だと思います。信じることとは考えないこと。疑うこととは考えること。近代西洋の哲学者は考えることによって神を疑い、新しい世界観を切り拓いたと言えます。牧口常三郎がどうだったのかは知りませんが、戸田、池田、そして現在の創価学会中枢部は、完全にこうした宗教の思考停止力を利用して、多くの人々を騙し続けて私腹を肥やしてきたのだと言えます。宗教の思考停止力を利用して、人の悪を悪と見抜く力を削ぎ落して騙してきたのが創価学会です。
(もちろん西洋近代という時代が良いものだったのかどうかは別の話です。もっといえば、それはどこかでボタンのかけ違いをしてしまい、神の代わりとなる絶対的な支配者、つまり経済によって世界は支配者と被支配者になってしまいました。そしてそれは今でも続いています。)
今の自分の考えは、単に自分の都合のいいような考えを自分に押し付けているだけなのではないか?この検証は大切だと思います。それはついつ出しゃばったことをしてしまったり、言ってしまったりする人にとってはもちろんですが、常に自分に自信をもてずに付和雷同してしまう自分に嫌気がさすという人も、よくよく考えてみると、それは自分が傷つきたくないから、言い換えれば自分可愛さのひとつの側面であるのかもしれないなと、自分のことを振り返ってみて思います。どこかで自分のことを自分以外の人のせいにしてしまっている。自分は被害者なのだと思いたがる。これこそ「自分だけの都合」なんじゃないかと思ったりします。たとえそれが自分の都合による考えからくる発言であったとしても、それと同時に、他人の意見も頭から否定せずに理解した上で、あるいは理解しようと努力した上での対話であれば、それはどのような意見の違いがあったとしても、対話が成立するのではないかと思います。みんな基本的に自分のテリトリーの範疇で、自分の都合でしか話ができないものです。
「何が正しいのか」ではなく「そういう考えもある」ということを受け入れることのできる自分になる。対話とはそこから始まるんだろうなと、ちかごろぼんやり考えています。
何となく話が長くなってしまいましたが、今回のテーマは「都合と信仰」とさせていただきます。ちょっと難しい言い回しかもしれませんが、決して難しいことではありません。要は「創価は宗教に見せかけて人を「自分の都合」という思考停止状態にさせてお金を騙しとってきた史上最悪の宗教詐欺団体だ」ということです。
皆さんが活動家時代に自分の信仰の原動力となっていた「都合」について考えてみてください。「いったい自分はどんな都合によって活動していたのか」という視点で振り返ってみると、創価がいかに詐欺団体だったのかということが浮き彫りになるのではないでしょうか。
いよいよ「11月18日創価をやめる日」が迫ってきました。決して全ての人に「なんとかしてこの日に脱会しなさい」なんて言ってるわけではありません。そんなふうにとらないでくださいね。なんとなく「脱会したいんだけど、背中をもう一押ししてほしいな」と思っている人のためのひとつの提案なので、「シニフィエがとんでもないことをぶちまけてるぞ。辞めたくても辞められなくて苦しんでる人間の気持ちも知らずになんて傲慢なやつだ」なんて勝手に思わないでくださいね(笑)彼氏に告りたい内気な女の子がバレンタインデーを口実に片思いの彼氏にチョコレートをあげるようなものです。ひとつのきっかけというだけの話ですから、バレンタインデーにチョコレートをあげられないからといって落ち込む必要はありません。べつに誕生日でもいいし、何でもない日でもいいんです。
そこで一句
  「創価は詐欺だ」と君が言ったから11月18日は脱会記念日
すみません パクリです(笑)


■恐怖心で縛られた学会員の心           投稿日: 2015年11月12日

前のスレッドも、はやくもみなさんからのコメントが100を超えてしまいました。ひとつのスレッドのコメントが100を超えると、画面をスライドするのもつらくなるので、コメントが100になるのを目処に更新するようにしてきたのですが、近頃はひとつひとつのコメントの内容がとても充実していて、管理人の私でさえすべてをじっくりと読むことができないくらいです。
ただこの形式は変えないほうがいいかなと思っています。いちおうスレッドごとにテーマがあって、テーマに沿った話や、もちろんそうでない話も大いに結構です。多少は脱線したほうが、次のテーマが飛び出したりするので助かっています。
それにしても皆さんのコメント、ほんとに素晴らしいです。「このブログをやっててよかった」とつくづく思います。みなさんのコメントによって多くの方が創価の悪に気がつき、「おかしいと思っていた自分が間違っていなかった」と心が救われています。創価の詐欺のもっとも汚いところは、宗教的な「人間が抗えない不思議な力のようなもの」を持ち出して脅して、覚醒させないようにしているところです。少なくとも本来の仏教は、そのような摩訶不思議な力を否定しています。創価も「仏法は道理だ」などと言いながら、「ご本尊様に本気で祈れば敵わないことはない」などと、一神教と変らないことを平気で言います。これに限らず創価の言う教義なんて、ほんとに出任せのインチキでしかありません。会員が喜んでお金を出すための何とでも言いますし、教義などどのようにでも変えていきます。言ってみれば「宗教を騙った詐欺、恐喝、かつあげ」です。それも一度騙したら最後、死ぬまで徹底的に搾り取ります。盗れるものがなくなったら簡単に捨てます。都合が悪いことはすべて知らんぷりです。どうにもならないことは政治と暴力団の力を使って闇に葬ります。そんな血も涙もない世にも恐ろしい恐喝集団にいることに気づいたら、一日もはやく縁を切りたいと思うのが当然だと思います。こう言うと「そうは言ってもなかなか人間関係が難しくて、簡単にはいかない」と言う方もたくさんいらっしゃいます。それもよくわかります。私も年老いた母には「創価は詐欺だったんだよ」とは言えませんでした。そのうち母は認知症が進み、今では私が誰かもわからないようになってしまいました。一生を創価に捧げ、何も知らないまま死ぬのを待っているような状態です。兄夫婦は60代後半ですが、あいかわらず支部の中心者として活動をしています。おそらく社会的に創価が詐欺だったということが明らかになるまでは信じ続けるでしょうし、私が何を言おうが聞く耳をもつような人ではありません。そういう意味では私は母も、兄も見捨てているということになります。創価が詐欺だとわかっていながら、そこから親兄弟を救ってあげることができないということの苦悩といいますか、後ろめたさといいますか、何ともやりきれない気持ちです。
これが単なるおかしな新興宗教であればまだいいです。人は何を信じて生きても、他人からとやかく言われる筋合いはありません。憲法で保障されていますからね。でも創価はそれとは違うんです。オレオレ詐欺に引っかかっている親兄弟を見て見ぬフリをしているようなものです。それは相手がパートナーの場合も同じでしょう。妻がバリ活で、何を言っても聞き入れてくれない。夫に創価を批判すると離婚の話までいきそうだ。離れた場所に住んでいる親兄弟よりも、問題はもっと深刻なのだと思います。さらに子どもの教育についても大変な軋轢を生むことにもなります。
創価学会が会員に及ぼしている害悪は計り知れません。このブログだけでも、どれだけの人が創価の被害に会ってきたかがわかりますよね。これだけの人が不幸になっている創価学会を、「世界で唯一の正しい宗教」と信じている学会員さん。創価のおかしなところを具体的にどれだけあげても絶対に認めない学会員さん。来る日も来る日も活動に明け暮れて、組織にお金を貢ぐことをひたすらやり続けながら、それで自分は幸せだと思っている。では今の生活が創価の信心をしていない人と比べて、そんなに幸せなのか?ということは考えないんですよね。「創価は正しい」と信じていることと同じように「自分は幸せだ」と信じている。では、いったいどこが幸せなの?いつ幸せがやってくるの?と訊いても答えられません。決まって「今は人間革命の途中だから」とか「この信心をしているから未来永劫の幸せを掴んでいるのよ」などと、日蓮仏法の基本である現世利益の思想などどこかへ吹っ飛んでいます(笑)
まあ、創価のおかしなところをあげればきりがないし、それをいくらこと細かに説明しても、当の学会員さんはまったく聞く耳を持たない。そう、この「まったく聞く耳を持たないようにさせられている」というところが創価のいちばんやっかいなところです。創価の組織運営は、このことを徹底してやっています。「とにかく疑うな」「疑ったら最後だ」「ちょっとでも疑うとすべては水の泡どころか、恐ろしいことになる」といつもいつも脅されています。だからちょっとやそっとでは人の意見を聞くようなことはありません。それがたとえ愛する妻や夫であったとしても。いつも引き合いに出して申し訳ないですが、あれだけ創価のおかしさに気がついて、冷静な判断ができそうだった白いブランコさんが、最後まで他人の言うことをまともに聞くことができなかったのは、こうした徹底した日々の洗脳の結果だと思います。(今ごろどうされているんでしょうね)
ということで、今回のテーマは「恐怖心で縛られた学会員の心」ということにします。
みなさんが活動家だった時のことを思い出して、その信仰心の底に「恐怖心」がなかったかどうかのお話をしていただけたらと思います。私はありました。ちょっと悪いことがあると「今朝寝坊して勤行をサボっちゃったからだ」と普通に考えてします。何かいいことがあると信心のおかげだ。ピンチな場面で思わぬラッキーがまいこんできたときに「やっぱりこの信心のおかげだ」と思い込んでしまっていました。活動家の心の動きは、いつもこの信心によるラッキーとアンラッキーのせめぎ合いではなかったかと思うのです。考えてみたらこんなの信仰じゃないです。そして「自分はこの信心をしているのだから、普通の人とは違って特別に守られている」と完全に勘違いの人生を歩んでいきます。そしていつのまにか創価でない人を見下すようになります。凄いですよね。人を見下すような人間になる宗教なんですから。自分がそうなっていることに何の疑問も持たない、持てない。「創価以外はカスだ」「キリスト教は二重人格だ」「念仏は地獄行き」などと平気で口にします。「ろくな死に方はしない」「この信心を知らないなんてかわいそうに」そんな思考しかできない人間に、まともな子育てができるわけがないんです。学会員をこのような人を見下す思考停止人間にさせたのも、池田大作が金と権力を我がものにするためだけにしたことです。そしてそのおこぼれをもらって、創価の悪を知っておきながら見て見ぬしてきた最高幹部たち。人の心を恐怖で縛って金を巻き上げてきたのが創価学会です。しかしどんなに会員にあくどいことをしても、当の会員はそのことに気づくことはない。自分で考えない限りは気づかない。恋人が、妻が、夫が、親が、子どもがどんなに創価のおかしさについて、具体的に説明し、どうか気がついてほしいと懇願しても、本人が自分で考えることをしないかぎりは無駄です。たとえ多少気がついて考えるようになったとしても、その現実に耐えられなくて、また居心地のいい思考停止状態に引きこもってしまう人もいます。まったく一筋縄ではいきません。心の問題はほんとうにやっかいです。
「恋人や配偶者が創価の悪に気がついてくれない」というのは、一般的なコミュニケーションの問題などとはレベルが違います。そしてこれはとても恐ろしい犯罪でもあることを当事者は自覚すべきだと思います。創価のこのような洗脳は「詐欺」などと言った言葉で済まされるような生易しいものではありません。多くの人間の一生をダメにしてきたんです。イケダダイサクというひとりの愚かな人間がとんでもないことをしでかしてしまった。おそらくそう遠くない時期に日本の凶悪犯罪の歴史に名を残すことになるでしょう。


■11月18日は創価をやめる日です。         投稿日: 2015年11月17日

創価学会は11月18日の今日で85周年だそうです。昭和5年11月18日を創価学会の創立日としたのは、初代会長の牧口常三郎が発行した「創価教育学体系』第1巻」の奥付に戦前の会名「創価教育学会」の名称が初めて現れたのをもって創立記念日としたのだそうです。つまりあと付けなんですね(笑)。その日に「ここに創価教育学会という会を発足する」という宣言をしたわけではなかったのです。結局、第二次大戦が始まり、軍による思想統制によって空中分解した創価教育学会は、昭和20年に出獄した戸田城聖がひとりで「創価学会」として立ち上げたわけです。ちなみに戸田が創価教育学会を創価学会と解消したのが何月何日かもはっきりしていません。そこで戸田が起したのはエロ本出版と高利貸しを生業とした怪しい新興宗教でした。それでも創価学会は昭和27年に宗教法人格を取得し、現在まで課税を免れています。昼間から酒を浴びるように飲み、女性関係もデタラメだった戸田は、エロ本出版や高利貸しよりもインチキ宗教のほうが儲かると踏んだのです。彼は生前の牧口から教わった日蓮正宗の排他的独善的な教義を利用して、会員に他宗の仏壇や神棚を破壊・焼却させてまわらせ、その数は75万世帯にふくれあがりました。この時点ですでに狂気の沙汰です。しかし創価学会が戸田の狂乱宗教で終わっていれば、他にもよくあるインチキ宗教と同じように、戸田がいなくなれば消えてなくなったでしょう。しかし残念ながらそこに現われたのが池田大作でした。池田は戸田の元で高利貸しの取り立て屋として能力を発揮していましたが、池田は戸田をも上回る悪知恵のはたらく人物で、他人を踏み台にしてのし上がるためには、どんな悪事をも寸分のためらいもなくできる冷血漢でありました。つまり池田は自分がのし上がるために戸田を利用したに過ぎません。池田は戦前からいた戸田のとりまきを陥れ蹴落とし、戸田が耄碌したのを見計らって、昭和35年5月3日、計画通りに三代会長の座を無理やり奪い取りました。その弁舌の演出はヒトラーを彷彿とさせます。そしてこうした極悪非道の事実を隠すためにも、反池田派の口封じに奔走するとともに、自らが絶対権力をもつヒーローであることを会員にプロパガンダするために小説「人間革命」をゴーストライターに書かせ、創価学会の歴史を自分の都合のいいように捏造していきます。そういう意味では、巨大宗教詐欺としての創価学会は池田大作が3代会長になったときから始まったと言えるでしょう。それまでは怪しいアル中のエロオッサンがやってる単なるインチキ新興宗教の一つに過ぎなかったわけです。池田大作会長就任から、創価学会は日本の癌として、見る見るうちに全国に転移していくようになります。池田にとっては日蓮も戸田も、多くの人を騙して莫大な金と権力を手に入れるための道具に過ぎなかったのです。
ですから創価学会にとっての11月18日という日は、とくに意味があるわけではありません。便宜上、創立記念日がなければカッコがつかないからこの日を創立記念日ということにしているだけの話です。このように創価学会の何もかもが池田大作のインチキです。つまり創価学会は希代の極悪人・池田大作にカモられた人間の集団ということです。
たとえば公明党がどうしたこうしたという学会員もいますが、公明党は一貫して池田の権力を守るためにつくられたものですから、政党として正しいとか正しくないなど関係ないわけです。安保法制も秘密保護法も公明党にとってはどうだっていいわけで、創価学会の権力維持のための判断が自民党と連立を組むという結果であるに過ぎません。
すべては池田大作の野望のために作られたのが創価学会なのです。
もう5年近く人前に出ることすらできないほどになった池田大作ですが、彼の存在なしでは、創価学会は何一つできないのです。ですから最高幹部は今でも池田大作が元気でいるかのように振る舞っていますが、池田大作が元気であるその姿を会員の前に見せることは一度もありません。聖教新聞にはほとんど毎日のように池田大作の写真は掲載されています。長いメッセージもしょっちゅう載っています。しかし絶対に姿を現しません。学会精神の根本は師弟不二にある。「池田先生は永遠の師匠だ」と常に会員に言聞かせながらも、その師匠の姿を、その声を絶対に聞かせないのが今の創価学会です。そしてそのことに絶対に不満や疑問を口にしないのが創価学会員です。ここまで欺瞞に満ちた組織の、どこが「世界で唯一正しい宗教」だと言うのでしょう。
昨年の11月18日は、創価学会の教義がガラリと変りました。宗教団体の根本である御本尊の解釈が完全にひっくり返ったのです。三大秘法のひとつ、本門の本尊の解釈がオセロのように白から黒に変わったのです。しかしそんな根本的な教義の変更も、聖教新聞の3面に載っただけで、それ以降、このことにはほとんど触れられないし、会員もこのことについて口にしません。異様な宗教団体です。教義の根本が変っても誰もなんにも言わない宗教団体。今年の11月18日は、勤行のやりかたや祈念文が変るのだそうです。勤行要典を創価学会員全員に買い替えさせるということです。いったいこれでどれだけのお金を会員から吸い取るのでしょう。
ということで、以前からお知らせしていましたように、11月18日は「創価をやめる日」です。インチキ小説「人間革命」によって闇に葬られてきた創価学会の歴史は、ここに来て完全に暴かれました。学会員さん、これでもまだ創価学会員であり続けますか?これまで創価学会員として活動してきて何かいいことがありましたか?教義すらそのときの都合で変ってしまうインチキ宗教に何の未練があるのでしょう。創価はもとからインチキなのですから、功徳はもちろん罰などあるわけがありません。インチキ宗教に何かの力があるわけがないですよね。インチキなんですから。これまで騙されてきたことは、もうどうしようもありません。だからさっさと抜け出しましょう。はやいとこ縁を切りましょう。それしかないんです。いろいろ問題もあるでしょうが、創価学会員でいる限り、騙され、搾取され続けるしかないんです。
創価学会のどこがいけないんだ?創価学会のどこがおかしいんだ?と思う学会員さんは、このブログをどこからでもいいですから読んでみてください。ここには実際に創価学会員として、何十年も活動してきた方の真実の声が詰まっています。私が書いたスレッドだけでも290、コメントの数だけですでに13570もあります。全て読むのに何日もかかります。しかし、よく考えてみてください。たったひとつのブログに、これだけの「創価学会は宗教ではない」という声が集まっているという事実を、このコメントのすべてが「ただの勘違い」だと言い切れますか?そして毎日このブログに4000以上のアクセスがあります。全部で260万以上のアクセスです。1日に4000のアクセスがあるということがどういうことなのかを考えてみてください。ただの勘違いや妄言に、これだけのアクセスが続くでしょうか?それともこれも「正法流布を阻もうとする魔の仕業」なのでしょうか?(笑)
 
創価学会の公式HPには
「1930(昭和5)年の創立以来、日本では827万世帯、海外にも192カ国・地域の会員が日蓮大聖人の仏法を実践し、各国の繁栄と平和を願い、活動しています。」
とあります。確かに数はウソでもないのでしょう。しかし読む人が勘違いをするような書き方をしています。これは今現在の日本に827万世帯の創価学会が存在するということではなく、創立以来85年で、創価学会員に827万のご本尊を下付したという意味です。もちろんその大半が日蓮正宗のご本尊の数です。破門後にある程度交換はさせられましたけどね。その時もお金を出させられましたよね。今現在、創価学会は日蓮正宗とは何の関係もないと宣言していますから、本来なら827万のうちの日蓮正宗が下付したご本尊の数は差し引いてカウントすべきでしょうが、そうなると世帯数としてはわずかな数になってしまいます。この期に及んでも創価は実際の会員数を公表することすら絶対にしません。実際の数を公表するといろいろと都合が悪いからでしょう。今現在、世界には196の国があります。192カ国に創価学会員がいる(創価学会員がいない国は世界で4つしかない)というのも、どう考えてもおかしな話ですが、客観的にそれを検証する術はありませんし、誰もそんなことに興味もありません(笑)。
また話がそれましたが、今日11月18日は「創価やめる日」です。今日のこの日を目標に脱会をめざして頑張ってきた方もたくさんいらっしゃるようです。見事脱会できた方はもちろん、脱会への決心がついた方、脱会しなきゃいけないんだと気づいた方、この日を待ちきれずにすでに脱会しちゃった方(笑)、そのほか、とにかく「創価から去りました」「創価から去ります」「創価から去らせます」「創価を去ってよかったです」ということを言いたい方、このスレッドにひとことコメントください!いつもの自己紹介はいりません。HNと一言だけでいいです。「こんなにも創価から去る人や去りたい人がいるんだということを、みんなで確認しようではありませんか。現実の創価学会に何が起きているのか、ともに確認しあおうではありませんか。いつもは見てるだけの方、せめてこのスレッドに一度でいいですから、一言だけでもコメントください。その一言がたくさんの創価被害者の背中を押すことになるんです。一人でも多く!一刻もはやく!創価から去りましょう!創価地獄から抜け出して、本来の人間の生活を取り戻しましょう!
創価に疑問を感じている学会員さん。辞めたいけどなあ~と悩んでいる学会員さん。悪いことは言いません。まずは辞めることです。それによって問題が出てきたら、そのときに考えればいいことです。いつ辞めるのがいいかは人によって違うかとは思います。しかし辞めなければ何も変わりません。つまり悪くなるだけです。どっちがいいですか?やめたらどうなるかわからない。悪いことが起きるかもしれない。辞めなければよかったと後悔するかもしれない……だったら、ほんとうに後悔したなら戻ればいいじゃないですか。ただ、このブログに寄せられた数えきれないほどの「辞めてよかった!」というほとんどのみなさんからの声をどう受け取りますか?これからも創価学会の組織運営のために自分の人生を捧げますか?創価学会の組織のために、いままでどれだけの時間とお金を貢いできましたか?それで創価の言う「人間革命」や「宿命転換」や「一家和楽」が訪れましたか?まだですか?まだ人間革命の途中ですか?だれか人間革命できた人があなたの地区や支部にいますか?いったいどうなったら人間革命できたことになるんでしょう。宿命転換できたことになるんでしょう。そもそもあなたの宿命とは何ですか?自分の宿命が何なのかもわからずに転換しようとしていることに疑問を感じませんか?冷静に考えましょう。あなたにとっての「人間革命」ってどういう状態なのでしょう?「宿命転換」をした自分のビジョンが見えていますか?それは創価の信仰を全く知らない人と比べたときに何がどう違うのでしょう?「一家和楽」の家庭が創価以外の人に訪れないのだとしたら、人類の歴史に一家和楽はいまだかつてなかったということですよね。人類に幸せは訪れていないということですよね。創価学会員以外は誰も幸せになれないのだとしたら、これまでの何万年も生き続けてきた人類はいったい何のために生きてきたのでしょう?誰も幸せになったことがないのであれば、人類が幸せと言う言葉をつくるでしょうか?誰もなったことのない「幸せ」に恋いこがれ、求めることができたでしょうか?
創価学会が日蓮正宗から破門されたあと、創価学会員は確実に減っています。残っている学会員も確実に高齢化しています。今の学会員はかつての「残り」でしかありません。学会員さん、あなたはすでに「残りの人」なんです。それはあなたのいる地区や支部の様子を見ればあきらかです。日本全国の創価学会の組織がこのような状態です。もし本当にこの「残りの人」しか幸せになれないのだとすれば、もはや人類が幸せになれる希望などありませんね。どうしますか?(笑)
世界平和を実現できる唯一の団体だと豪語する創価学会がISISをどうにかできるのですか?ニューヨークやパリの同時多発テロは末法の御本仏である日蓮大聖人も止めることができなかったんですね。ましてや会員にすら姿を見せない池田大作がいったいどうやって世界を平和にするのですか?老人ばっかりになった「残りの人たち」である創価学会員が、どうやって世界を平和にできるというのですか?秘密保護法や安保法制を通すような創価学会が日本を平和にできるのですか?自衛隊員を世界中の戦地に送り込む法律を通すことのどこが世界平和の行動なのでしょうか?
学会員さん。自分で考えてください。自分でものごとを考えることは決して悪いことではありません。しかし創価では自分で考えることは福運を消す、功徳を消す、とずっと言ってきました。学会員に自分でものごとを考えられたら都合が悪いからです。手を替え品を替え、御書やらインチキ小説を使って会員にものごとを考えさせないようにしてきたんです。だから池田大作が5年近くも姿を現さなくても何にも疑問に思わないんですよね。教義の根本が突然変っても知りもしないんですよね。それは自分でものごとを考えないようにさせられているからです。普段の生活については普通に考えられても、創価に関しては完璧に思考を停止させられている。思考停止させられているから、自分が考えていないことにすら気づかないんです。だから私は「自分で気づかない限りは何を言っても無駄」と言ってきました。それは逆に、ちょっとでも自分で考えるきっかけさえつかめば、創価学会がもともとからとんでもないインチキ宗教であり、超悪質な金銭詐欺であることが簡単にわかるんです。わからないほうがおかしいんです。それでもわからないのは、わかることが恐ろしいから。わかってしまうと自分の人生が何だったのかわからなくなるから。自分のアイデンティティを失いそうだから。それもよくわかります。それはほんとうに怖いです。でもそれが現実なんです。勇気を出して現実を直視して、本当の自分の人生をこれから歩んでいくのか、それともこのまま、つまり騙されたままでいいから「人間革命」「宿命転換」「一家和楽」を目指して創価学会にお金と時間を捧げ続けたまま一生を終えるのか。どちらかしかありません。それを決めるのはもちろん、あなた自身です。
 
さあ、みなさん。常連のみなさん。いつも見てるだけのみなさん。たまたまここにたどり着いたみなさん。いわゆるバリ活のみなさん。このスレッドは、いつものような自己紹介は不要です。今現在の創価学会に対する自分の考えを一言でいいですから聞かせてください。そしてもし「創価やめたい!」という方はとくに宣言してください。そう思っている方はあなた一人ではありません。そのことをここで確認しましょう。いわゆる何であれ宗教に依存していなければ生きていけないと思っているような盲信者でなければ、創価学会は辞めたいと思っている人ばっかりです。ただ「辞めたら悪いことがおきる」「辞めたら家族が悲しむ」「辞めたら家族が半狂乱になる」「辞めたら自分が入れた友人に申し訳ない」いろんな辞められない理由をつけては行動できないでいる人も多いのではないでしょうか。創価が宗教であるならばここまでは言いません。日本は信教の自由が保障されているのですから、誰からも何も言われる筋合いはないのです。しかし、創価学会は宗教ではありません。インチキ詐欺です。学会員はインチキ野郎にお金を騙しとられているだけなんですよ。まずは「それがホントかウソかを自分で考えてみてください」と繰り返し言っているのです。そして「やっぱり創価学会はインチキだった」という方の声がこうやって1万件以上ものコメントとなって集まっているのです。これはまぎれもない事実です。ほんとの話です。否定のしようがありません。この事実を踏まえた上で、ぜひ自分で「創価が宗教なのか詐欺なのか」を考えてみてください。
今日11月18日の聖教新聞の1面です。
イケダ氏夫妻の写真と、イケダ氏が贈ったとされる和歌が大きく載っています。和歌で「勝ちまくれ」って何でしょうね?(笑)イケダ氏の顔は、おそらく老人医療・介護関係の仕事をされている方や、身内に認知症のある方をお世話している方ならすぐにイケダ氏が和歌などをつくれる状態ではないことがわかると思います。まず一人で歩くことさえできないのではないでしょうか。また隣に座っているカネコ夫人も、イケダ氏と同じくこの5年間は言葉を発していません。会員と話をすることもないようです。会員と話などしてボロが出ては困るんでしょうね。
歩くことができなければ車椅子ででも会員の前に姿を出せるでしょうし、和歌や長大な文章が書けるようであれば、話すことぐらいできるはずです。しかしこの5年間に会員が見ることのできるイケダ氏は聖教新聞上のこうした表情の固まった写真のみがときどき載るだけです。それでも盲信者は「先生はお元気なんだ」と思い込んでしまうんですね。

 


解説
対話ブログが非公開になったため、コメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:その後(5)

2022-03-27 01:18:35 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)


■「10年後の創価学会」という視点      投稿日: 2015年10月19日

みなさんのコメントから、10年後の創価学会の話が出ました。
そうですね~
これから10年後の創価は、かなり様変わりしてるでしょうね。
まずまちがいなくイケダダイサクはこの世にいないでしょう。この世からいなくなるのはイケダダイサクだけではありません。今の執行部のほとんどが、たとえ生きていても後期高齢者、あるいは要介護の老人です。また組織の末端でも、いま座談会に出てきている70歳から80歳くらいのお年寄りは顔を見せなくなるでしょうし、現在の地区部長、地区婦さんが今のお年寄りの場所にいるでしょ。で、男女青年部が各地区にどれくらいいるのか知りませんが、その方たちが中心となりますよね。で、そのときの男女青年部はリアルイケダを知らない。そのとき未来部の子どもたちはいるでしょうか?イケダセンセイって何?食べられるの?って感じでしょう。座談会と言っても、昔から変わらない人たちがそのまま年をとって集まる老人会のようなもので、協議会にしても新聞啓蒙数だとか書籍や民音のチケットはだれが引き受けるのかとかって、あいかわらずやってるんでしょうけど、違うのはみんな歳とったうえに、毎年の財務であり金もはたいてしまっているので、老後の蓄えもなく年金で細々と暮らしている老人が集まって慰めあってる老人会のようなものになってるでしょうね。たまにやってくる幹部もみんな年寄り。あいかわらず毎年同じ御書講義が大白蓮華に載っていて、「この信心を疑ってはいけない。疑うと大変な目にあう」といった同じようなことしか書いていないのに、何の疑問も持たずに「うんうん」とうなずきあっているお年寄りの座談会。
では、20年後、創価はどうなっているでしょう。イケダダイサクのいない創価が20年ももつわけがありませんね。やはり「創価学会はもって10年」ではないでしょうか。少なくとも創価がこれから10年間、現状維持できるわけがないと思います。幹部連中はそれがわかっているからイケダダイサクがまだ元気なことに無理やりしているんでしょうね。誰もイケダダイサクが元気だなんて思っていないんじゃないでしょうか?でも活動家としてはそれをおもてだって言えない。だれか座談会で「イケダ先生は5年以上も会員の前に姿を見せませんが、ほんとにお元気で執筆活動をされているんでしょうか?」と訊いてみればいいんです(笑)。幹部は脂汗を垂らしながら「先生はお元気です!こうして毎日のように新聞にメッセージを出されているではないですか。『疑う心なくば自然に仏界に至るべし』ですよ。絶対に疑っちゃいけません。せっかく積み上げてきた福運がいっぺんで消え去ります。われわれこそが末法に出現することを誓った地湧の菩薩なんだと信じて、イケダ先生にお応えできる人材になりましょう。地域で実証を示しましょう!」なんて、年寄りばかりの座談会で言うのも笑い話でしかありませんよね。
会員は金を出すだけのカモ。しかしどんなにお金を出しても幸せにはなれない。そんなこと小学生だってわかります。ところが幸せをお金で買おうとしているのが学会員です。たくさん財務をすればするだけ幸せになれる。しかも出した財務は何倍にもなって必ず返ってくる…としこたま刷り込まれる。でも実際にはお金を出すだけで、いつまでたっても貧乏です。財務が倍になって返ってくるなんて言葉を信じてお金を出している学会員って、架空の投資詐欺にひっかかる人とまるきりいっしょですよ。「ありもしない株の儲け話」が「ありもしない功徳」になっただけです。少なくとも戸田・池田の2人はそのつもりで創価をつくった。これはまちがいないですね。株やらベンチャーよりも宗教が確実に人を騙せると踏んだのでしょう。もともと高利貸しやポルノ雑誌で稼いでいた2人ですから、もっと儲かりそうないかがわしい宗教に目を付けたのも納得できますね。お金儲けのためには何だってやるような冷血漢だったんです。そしてイケダは戸田を上回る冷血漢でした。人の不幸をエサにして金と権力を我がものにすることが人生の目的でした。それほど人間不信だったのでしょう。イケダはその生涯のうちで誰も信じていなかったんでしょうね。まわりの人間は自分がのしあがるための道具でしかなかった。そして口先三寸で人を騙し、物質的に好き放題に贅沢三昧をしたあげく、ある日、身も心も機能不全に陥って廃人になった。誰にも会うこともできなくなった。イケダダイサクと会える人間は、イケダダイサクが廃人であることを他言しない人間だけです。ほんの数人でしょう。なんという人間の悲惨な末路でしょう。全国の盲信者は5年半も顔を見せないイケダに対して『先生はお元気です』と言わなければいけない。『先生はほんとにお元気なんだろうか?』なんて口に出そうものなら「地獄に堕ちる」と脅される。創価学会の同志とはそんな人間関係なんですよね。
10年後の創価学会は、おそらく誰の目にもあきらかに衰退しているでしょう。そして20年後にはほぼ消滅していると、私は思います。
できれば私が生きているうちに消滅してほしいですけどね(笑)
ということで、今回のテーマは『「10年後の創価学会」という視点』です。『という視点』とあえてつけたのは、「10年後の創価学会がどうなっているのか?」という視点を現役の学会員さんが考えることで、そこから現実の創価の実態を見る機会になるんじゃなかろうかという淡い期待によるものです。創価の活動家さん、つまり自分で考えることをやめてしまった盲信者さんのことですが、今自分が活動している創価の組織の実体をもとに、これから10年後にどうなっているのか?ということを考えてもらえると、おのずと創価が確実に老朽化し絶滅していっているという現実を見ることができるのではないかと思ったからです。逆に、そんな視点をもたせないがために、聖教新聞ではあたかも創価が世界にひろまっているかのようなSGIの様子を載せていますよね。国内の会合でも、みんな同じような格好で、同じような表情の笑顔の写真ばかり。外部の人が見たら気持ち悪いだけの写真も、盲信者が見ると「幸せいっぱいの学会員」としか見えないんですよね。そんな学会員さんも、たとえば創価とほとんど見分けのつかない顕正会の会合の様子には、たいへんな嫌悪感を感じるんですよ。それは盲信者にとっては「憎き邪宗の輩」ですが、外から見ればどっちも「目くそ鼻くそ」の似た者同士のカルト集団なんです(笑)。
おそらく10年後もなんらかのかたちで創価学会は残っているでしょう。しかしそれは世間からはカルト集団としての烙印をはっきりと押された創価学会だと思います。20年後ももしかしたら存在するかもしれません。でも宗教としての認識はすでに終わっている。巷に数ある怪しい新興宗教のひとつでしかないと思います。
盲信者のみなさんは、そこまでは考えられないでしょうけど、少なくともこれから先に、創価学会が今よりも会員が増えたりすると本気で考えられるでしょうか?創価学会が世界に1200万人もいると本気で信じているのでしょうか?
創価学会の公式HPには、いまでも「1930(昭和5)年の創立以来、日本では827万世帯、海外にも192カ国・地域の会員が日蓮大聖人の仏法を実践し、各国の繁栄と平和を願い、活動しています。」と記載があります。さらに「創価学会インタナショナル(SGI)は、世界192カ国・地域に1200万人以上のメンバーを擁する、日蓮大聖人の仏法を信奉する団体です。」とあります。
もうここからすでに嘘っぱちですよ。日本だけで827万世帯あるのに、なぜ国政選挙で公明党が700万票しかとれないのでしょう?世界に1200万人もSGIメンバーがいるのに、世界中の戦争や内戦やテロに対して、なぜ何一つ影響力がないのでしょう。SGIといえば、ときどきどこかに集まってお祭り騒ぎをしているのが聖教新聞に載るだけですよ。
『「10年後の創価学会」という視点』とは、冷静に今の創価の現実を見てみませんか?という問いかけです。10年後の創価を想像するには、今の創価の現実を見ることでしかできませんよね。今の創価学会、とくに末端組織(地区や支部)の現実から、自分たちがいる10年後の地区や支部を想像してみてください。はたしてどんなメンバーが座談会に顔を見せているでしょう。たくさんの若き男女青年部が意気揚々と組織を牽引している姿を想像できますか?未来部の子どもたちがたくさん参加している座談会場を想像できますか?いま座談会に出席している地区の皆さんの顔ぶれで、これからの10年間に世界に平和がもたらせると想像できますか?一度真剣に考えてみてください。これまでの学会員さんはどれだけ創価にお金をつぎ込んできたか。それによってみなさんの生活はどのように変化したか?そしてこれから同じように創価にお金を貢ぎ続けて、自分たちは10年前よりも幸せになっているのかどうか?今の現実をよく見て、これから10年間もお金を創価に貢ぎ続けてどうなるのか?そのとき自分は何歳になっているのか?そのとき自分の家庭はどうなっているのか?創価とはまったく関係のない隣近所の人たちとどんな違いがあるのか。10年前の自分と、今と、10年後の自分。10年前の隣近所と、今と、10年後の隣近所。創価であることとないことの、10年前と今と10年後。その違いは創価にお金を貢いだか否かの違いだけであって、ほかに何か違いでもありますか?自分の家族のためにお金を稼いで使ってきた隣近所の人たちのほうが、はるかに豊かな暮らしをしていませんか?お金だけではありません。学会活動で自分の時間などない人生を送ってきたことに後悔はないのかもしれませんが、その結果、自分の家庭がどうなったのか?ということを、冷静に考えてみてもいいのではないでしょうか。そしてこれからの10年も、創価にお金も時間も、つまり人生のすべてを貢ぎ続けることで終わる自分の一生を思い描いたときに、それが人間の本当の幸せなのかどうかということを、10年前、今現在、10年後の自分を思い描きながら考えてみてほしいと思います。

 


解説
対話ブログが非公開になったため、コメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
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獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:その後(4)

2022-03-26 01:16:42 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)


■創価をやめても意外と人間関係で悩みませんでした    投稿日: 2015年10月11日

自分が世界で唯一正しい宗教だと信じていた創価学会がじつは詐欺団体だったということを受け入れるには、そうとうな困難が生じるものです。さらにその創価学会は途中からおかしくなって宗教団体から詐欺団体に変ったのではなく、もともとから詐欺団体としてすべての会員を騙していた。つまり最初から会員からお金を騙しとるのが目的でつくられた詐欺団体に騙されてきたのだということは、そう簡単には受け入れられないでしょう。それは自分が騙されてきたこともさることながら、そのつもりはなくても自分も人を騙してきたということを認めなければならないからです。人の役にたてることがしたくて慈善団体でボランティア活動を一生懸命やってきたつもりが、じつは知らないうちに暴力団の麻薬密売をしていた。これくらいのショックがあります。しかし知らなかったこととはいえ、自分の人生も、家族の人生も、他人の人生も無駄に過ごさせてしまったことには変わりはありません。若いときに気づいたのならまだしも、もうそろそろ人生の総括に入ろうかというときになって、じつは自分はずっと騙されて、なおかつ人を騙してもきたという人生を送ってしまっていたことを認めるのは、そうとうな心の葛藤があって当然です。しかしこれが現実なのです。創価学会はもとから詐欺団体だった。そんな詐欺団体に一生を捧げてしまった。まずこのことをしっかりと受けとめなければ、残りの人生をどうすることもできなくなると思います。受け入れられない人が「どうにかしてこれまでの創価人生を正当化しよう」と悪あがきをする人もいるでしょう。そう、所詮、自分の人生を真正面から見つめる勇気のない人の悪あがきでしかありません。「それって暴力団でしょ。その白い粉を売ってきたことを今さら否定できないでしょ。白い粉の売り上げ吸い取っているのは慈善団体じゃなくて暴力団なんだから、あんたは暴力団の組員として生きてきたことを認めなくちゃいけないんだよ」と言って聞かせても、「自分は慈善団体のボランティア活動をしていただけで、この白い粉は一部の幹部が悪いことをしていただけだ。これからは自分たちの力で白い粉を売らずに正しい団体につくりかえていくんだいっ!おいらの人生は間違ってなかったんだいっ!」と苦しい言い訳をしているのと同じです。「じゃあ、白い粉を売らずにどうやって組織運営をしていくの?組織運営にあんたが口を出せるの?」と聞いても絶対答えは返ってきません。創価も同じです。「自分たちで創価を改革していく」という人がたまにいますが、もともとが詐欺団体なんですから、改革もへったくれもありません。これまで何度も言ってきましたが、暴力団がどんなに頑張っても慈善団体にはなれません。創価はどんなに頑張っても宗教団体にはなれないんです。それは創価学会は幹部が会員を騙してお金を巻き上げるという集団であって、その騙すための道具として日蓮正宗の教義を使っていただけであって、それが使えなくなったもんだから、こんどは自分たちで勝手に都合のいい教義をつくりかえて会員を騙し続けているわけです。
私はいまでもときどき白いブランコさんのブログを覗きます。もういっさい更新はしておらず、一日のアクセス数も30前後ですので、ほとんど誰も見向きもしていません。ここのブログで唯一対話ができた現役活動家さんである白いブランコさんは、「創価ルネサンス~創価学会改善活動~」というタイトルで、創価学会の改革を呼びかけながらも、わずか2ヶ月で閉鎖同然となってしまいました。現役の地区部長だった白いブランコさんは自分のブログの更新をあきらめるとともに、学会活動からも離れたそうです。その後どうされているのかはまったくわかりませんが、彼もまた「自分のあやまちを認めきれないでいる創価被害者」なのだと思います。そしてそのような人はじつにたくさんおられると思います。創価の間違いに気づいたが、自分の人生を否定できないが故に、今でも創価にも正しかったり良かったりした部分もある。救われたこともある。なんで詐欺団体とまで言われなきゃいけないんだ…と納得できない人も多いのではないでしょうか。しかし冷静に創価学会の始まりから見ていくと、創価学会がもともとから詐欺団体であったということの実証はいくらでもあるということです。ただ学会員は小説人間革命や日頃の「指導(洗脳)」によって、創価があたかも素晴らしい宗教団体であるかのように思わされてきただけなんです。
「創価学会は詐欺団体である」および「創価学会はもともとから詐欺団体として始まった」ということをしっかりと受けとめること。これが覚醒への第一歩です。
「11月18日は創価をやめる日」
みなさん、まだまだ先だと思っていましたが、あと5週間で11月18日がやってきます。この日に創価をやめようと決意した多くの方。準備はいかがですか?
創価をやめる事務的な手続きは超簡単です。難しいと感じているのは、やめることによって親が悲しむとか、離婚問題になるとか、組織の人に申し訳ないとか、つまりは身近な人間関係の問題がほとんどです。でもよ~く考えてみてください。やめなければそうした人間関係に煩わされることはありませんが、人間関係に悩まされないがために創価を続ける自分の人生でいいのかどうか。自分が創価をやめることでおかしくなるような人間関係というものを、自分に一生ウソをつき続けてまで、そこまでして守るべきものなのかどうかということを、もう一度よく考えてみてください。
そこで、今回のテーマは「創価をやめても意外と人間関係で悩みませんでした」とします。
つまり、創価をやめたくてもやめられない人の悩みは、意外と徒労だったという方のお話をしてくださるとありがたいです。それよりも創価をやめることによって開けてくるスッキリと明るい自分の人生に比べれば「今までどうしてあんなにウジウジ悩んでいたんだろう。はやく決断して脱会すればよかったんだ」という体験を持っている方がたくさんおられると思います。「脱会したいけど人間関係が~」とウジウジ悩んでいる学会員さんに、スパッとメッセージをお願いします。そして11月18日の全国一斉脱会宣言に向けて、気持ちの整理と脱会手続きの準備をしましょう!11月18日には皆さんからの脱会宣言のご報告をみんなでお待ちしています。
脱会するには具体的にどうしたらいいのかも、このスレッドにて皆さんから教えてあげてください。
組織の幹部に直接口頭で言うのもありますが、場合によっては幹部が握りつぶしてしまうこともあるようですので、学会本部に直接郵送(あるいは内容証明で)する方法もあります。
『11月18日は全国一斉創価学会脱会宣言の日』
ということで、「脱会してよかった」「脱会しても意外と人間関係で悩まなかった」などなど、みなさんの脱会体験談をご披露してください。よろしくお願いします。

 


解説
2015年の「11月18日は創価をやめる日」なのだそうです。
シニフィエさんは参加者が創価を辞めるかどうか迷っているときに、明らかに背中を押す行為をしています。
ここ重要です。

後に対話ブログが休止になってからシニフィエさんはコメント欄を閉じたままで断続的に記事を書きましたが、
「兄を見送って思うこと」(2021年7月1日)という記事には次のように書いています。

>そこで私はこのブログを続ける理由とモチベーションの多くを失ったのだろうと思います。ときどき、何か書かなければと思う時もありますが、何を書けばいいんだろう?とわからなくなるんです。
(中略)
>皆さんは自分の考えで創価学会や自分の歩んできた人生に真剣に向き合うことで、創価は詐欺だということに気づいて行動を起こしたのです。私は単に自分で思っていることを書き連ねたことで、それに共感してくれた人が、それぞれの意思で創価の実体に気がついて、創価から離れるという選択をしたんだと思っています。私が何かをしたというのでは決してないということはわかってほしいと思います。

これに対して私は、このブログの記事で次のように書きました。
対話ブログ・ラストステージ:休止から現在まで その9」(2021年9月7日)
シニフィエさんは、自分は背中を押したわけではない。各人が自己責任で創価から離れるという選択をしたのだと言いたいようです。
ちょっとズルいと思いました。
シニフィエさんは、自分に責任が降りかからないようにしながら、撤退の準備を始めたのでしょうか。
かつての信奉者が雪崩を打って、シニフィエさんに裏切られたと言って来ないように予防線を張っているのでしょうか。

その後、実際に対話ブログは非公開になりました。
私の推測もあながち間違ってはいなかったと思います。


獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:その後(3)

2022-03-25 01:41:49 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■創価学会はもともと詐欺団体として始まった    投稿日: 2015年10月6日

前のスレッドで牧口戸田創価学会について、リアルに知っている学会員はほとんどいないということがはっきりしましたね。知っていると思っているだけで、実際には小説人間革命のなかに出ている牧口戸田そして過去のイケダダイサクしか知りません。戦後七十年。戦争経験者が高齢化して語り継ぐ人がいなくなっているように、草創期の創価学会をリアルに知っている人は、もうほとんどいないのではないでしょうか。モニカさんが指摘しているように、実際のイケダダイサクと小説人間革命の中にある山本伸一の人物像は似ても似つかない。それと同様に、牧口戸田についての記述が実際の人物とはかけ離れたものであるということは容易に想像できます。私の実家には戸田城聖の講演の音声が入ったLPレコードがあって、一度聞いたことがあります。御書講義のようでしたが、何を言っているのか分からない。母に聞いたらお酒を飲みながら話をしているので、呂律がまわっていないのだそうです。そう言われると確かに泥酔者の話でした。ときどき長いブランクもあります。どうやら居眠りしているようです。母は「戸田先生はお酒が好きだったからねえ」と言ってました。要するにただのアル中患者ですよ。そして女性関係もデタラメだったことは有名です。そんな人間でも口先三寸で人を騙すことができるんですから、言葉というのは恐ろしいですし、私利私欲のためにここまで平気で嘘をつける人間というのは、今で言えば度はずれた人格障害だったということなんだと思います。
ということで、このスレッドでは、こうした「創価学会はもともと詐欺団体として始まった」ということをはっきりできればと思います。ただ、牧口戸田時代の創価学会を知っている人はほとんどいないでしょうから、証言を募るというのも無理な話です。二郎さんが示していただいたように、客観的な資料がほかにもありましたら助かります。
私も戸田城聖に関しては両親から聞いたわずかなことしか知りませんし、それも完全MCされた両親からの情報ですからまったくあてにはなりません。それだけに次郎さんが教えて下さった資料は、とても貴重なものだと思います。これだけでも多くの方が「あっ、そうだったんだ~!」と驚かれたのではないでしょうか。このブログのテーマは「創価学会は詐欺団体だ」という基本的なスタンスで運営されています。そうした意味でも、初代会長の時代から創価学会は会員からお金を搾取する為につくられたインチキ宗教団体だったということがはっきりすれば、より多くの方が覚醒につながるのではないでしょうか。
また、これまで「創価はイケダからおかしくなった」とか「創価は破門されてからおかしくなった」などと、漠然と思っている人もたくさんおられるようですが、じつは創価は一番最初から宗教ではなく、宗教を利用してお金を騙しとれる人間をねずみ講的に増やしていくだけの詐欺団体だったのだという視点が持てれば、創価がやってきたことのすべてに合点がいくと思います。教義の根幹を何食わぬ顔で変えても会員はなんとも思わないし、戸田やイケダがどんなにめちゃくちゃなことをやっても疑問に思わないのが学会員の体質です。今回の安保法案に対する態度にしてもそうですが、普通に考えたら、どれをとってもおかしなことばかりなんですが、学会員は「創価は正しい」というところから抜け出せないまま騙され続けているのです。それは「もともとがインチキだった」ということに気付かなければ、覚醒することは無理なんだろうなと思います。


●ラザリス (2015年10月6日 11:33 )
牧口初代会長、戸田二代会長が創価学会を始めるにあたって、最初から金目当てであったとするならば、ネズミ講的なシステムを画策していたと考えれば合点がいきますね。
日蓮さんの「折伏」の教え、つまり、相手の間違った宗教感を打ち破り、無理矢理にでもこちらの信仰につかせることが、相手と自分の幸せにつながると洗脳し、信者を加速度的に増やすことが、このネズミ講的なシステムを回していく上でうってつけのものだと読んでいたのでしょう。
そう考えれば、イケダダイサクという並外れた悪知恵の働く大悪人が、三代会長におさまったのは歴史の必然であったと言えるかも知れません。
戸田二代会長については、覚醒前、様々な指導集や人間革命の書籍などから、例えば、ジャッキーチェーンの「酔拳」の師匠みたいなすごい人だと勘違いしてました。
酔っぱらいであっても、並外れた信心と指導力を発揮し、創価学会を発展させたみたいな。
実際は、酒と女にだらしない、自分をコントロールすることができないならず者でしかなかったと分かりました。
普通に考えたら、こんなだらしない人間が、一流の宗教指導者であるはずもありませんね。
(^.^)

●スマイル (2015年10月6日 15:12 )
戸田は「肝臓がつぶれて腹水がたまるほどアルコール漬けだった。」
これが現実です。
牧口、戸田に関しては、創価から与えられるだけの情報のみ。
池田に関しては、いずれ「ニンゲンカクメイの小説」が池田として後世にのこるでしょう。
牧口、戸田の時代からおかしかったことをもっと資料があればいいですね。

●コージ (2015年10月6日 23:51 )
前スレで、創価学会はどの時代から宗教団体から詐欺団体へと変質していったのか、という話題が盛り上がっていたので、
そろそろこのスレが立ち上がると予想しておりました。
しかし、創価の活動家のみならず、一般の人や覚醒した方々でさえ、創価側からの発信した情報でしか初代、二代目会長の実態が分からない為に、
創価の原点というか、初期の創価の実態のようなものが、なかなか上手く掴めませんよね・・・
私もてっきり、三代目の池田から、急激に私利私欲の詐欺団体に変わっていったのかな、と当初は思っていました。 
が、なるほど、二郎さんの紹介されている資料や皆さんのお話を聞くと、牧口や戸田も金儲け主義からの創価のスタートだったという事が理解出来ますよね。
私は、牧口や戸田の獄死や投獄、という部分に長く引っ掛かりがあり、そこまでして仏法を守りたかったのなら、
当初は民衆のための宗教団体として(勿論、単なるカルト団体の1つですが)、真面目に運営してきたのかな、と思っていたんです。
でもよくよく考えると、2代目の戸田とか、かなり好き勝手でワガママで欲深い人間である事は、イメージとしても容易に理解出来ますし、
何より、流れ星さん始め皆さんの仰るとおり、我々は基本的に、人間革命などでの「作られた虚像」しか知り得ませんものね。
漫画化も含め、人間革命に書いてある内容など、単に歴代の会長を上手く美化し、会員を洗脳するための脚色であった事は言うまでもないのに。
また、二郎さんの仰るとおり、戸田は多くの信者獲得のために、名優さながらの熱心な演技をしていた、というのも
今となると、実によく理解出来ますよね。
そして、それを更に極悪にパワーアップさせて、創価を強大かつ壮大な宗教風の洗脳詐欺団体に仕上げたのが、池田ダイサクだと・・・
そして、変質(というか本性が露骨に現れた)の決定打は、やはり宗門から破門された時でしょうか、
あの頃が、本来隠し持っていた創価の闇や凶暴性が一挙に露呈してしまった、そんな気がします。
二郎さん、いつも興味深い資料を紹介して頂き、ありがたいです^^
長くても全然構わないと思いますので、これからもよろしくお願いします。

●二郎 (2015年10月6日 19:57 )
先日紹介した「邪教集団・創価学会」には、牧口戸田時代における創価設立の経緯が詳しく載っていたのですが、長かったので省略しました。しかし、好評だったので要旨がわかる範囲で抜粋します。以下P152~156
---------------------------------
創価学会はこうしてつくられた
昭和12年、創価学会ができた前後の事情を実証する一つの事実は、東京都杉並区方南町在住の柴田登志子・方位学研究家の証言である。もう一つは、ドキュメンタリードラマの『狩野川物語』である。それにしてもこの重要な証言と、もう一つの実録ドラマの内容については、『人間革命』全六巻のどのページを探しても見当たらない。
<柴田登志子・方位学研究家の証言>昭和6年6月末、1人の男が東京・有楽町 駅前のガード下で、 小さな台の上に木工材工品を盛り上げて売っていました。当時、私は主人と会員制度の『講演パンフレット』という出版物(東京都内で開催される学術・宗教関係などの会議に速記者を出して講演内容を記録してパンフレットにし、会員に配布するもの)を出していましたが、そのために私は毎日、丸の内界隈をセールスや集金するためにまわっていました。
そんなときの夏の日、たまたま”どうですか、これがあると子供の算術がよくできるようになりますよ”という呼び声をかけられ、ちょっと立止まって、そのものを見たのです。朴の白木造りの青さと同じくらいの蒼い顔色をした中年の男が、口を利くのもけだるそうな声で言いました。その顔は、俳優の伴淳さんのような顔をもっと力を抜いて、い く日も食わずにいるような顔でした。私は、そんな子供がいないので、そのまま丸の内に向かったのです。この栄養失調の男、これが後年、インチキきわまる「宗教」の看板を出して世間をたぶらかすようになった人物-戸田になろうとは、夢にも思いませんでした。
その年の秋、満州事変が起きました。翌年の2月ごろ、回覧板に満州で国防に挺身する兵隊さんに防寒着を送るため、家庭内にある毛製品の古いものを供出しましょう、無料ではなく1貫目30銭で買い上げる、と書いてあるのを読み、国家に忠とはこのさいとばかり、まだ使用できる毛ものを抱えて、指定の場所である麹町小学校に行きました。青年団の人がリヤカーで運んでいるのもあり、小学校の講堂では愛国婦人会員の奥様方が供出品を選別しておられました。しかし、これをやらせている人間が、あの夏の日に有楽町のガード下で、変な木工細工を売っていた男と同一人であることには、まだ全然気がつきませんでした。
その実相は、戸田が自分で考案した子供の算術の勉強に役立つという積木細工みたいなものを作って露店で売りに出したものの、1個も売れないので、制作費の支払いにも困るようになり、恩師である牧口恒三郎のところへ相談に行ったのですが、良い知恵もなく、その家の2階を借りていた宮内省のコックをしている人に相談したのです。ところがそのコックさんがしばらく考えていましたが、あなた方に金儲けの道を紹介してあげよう、と言って軍部にてづるを求めて紹介状を書いてくれたのです。軍部ではたまたま民間からウールの古いものを買い上げる仕事を者をほしがっていたので、ただちに戸田らに委任状を発行したのです。それで戸田らは、すぐに手筈をととのえ、全国にわたり在郷軍人会と警察を通して2回供出させたようです。ところでこのころ、戸田、牧口らは朝から晩まで高級料亭で、在郷軍人会長や警察署長などを誘っては美味・美酒・美色(!?)にふけっていたのです。そういうことが、なぜ、できたかといえば、夕方になると、その日の儲けを山分けするのです。供出品のなかの良品は全部横流しをして、悪いものだけを軍部に出したからです。それで、毎日朝から晩まで飲み食いしたのを支払っても、1人分千円以上の利益があったそうです。当時は千円で一軒の家が買えるような時代でした。しかし、2度目の供出が終わると、さすがに品物も少なくなったのです。それでそのころ、東京・池袋に1万円で古寺が売りに出されてあったのを、戸田らは残金で買いました。現在、池袋で常○寺とかいって大寺となっているのがそれです。一方、供出で味を占めた牧口・戸田の師弟は、いくら優秀な品物でも買う相手がいなければ駄目なのだと考えました。たまたま、牧口と戸田の二人は、昭和3年に日蓮正宗に入信していて、牧口常三郎は「利・善・美」とかいう変な価値論を唱えていましたので、それでは世界一のすばらしい宗教という看板を上げて組織をつくることだ、そしてこの組織・集団にもっともらしい理屈づけをして、宗教関係のものを売りつけたり、寄付金などを募ったら、どんどん金儲けすることができるだろう、と考えたようです。
そこで牧口と戸田が、牧口の唱える人生の最高の価値は幸福であり、それは利益である、といった物質・金銭至上主義の価値論と、日蓮正宗の御本尊の功徳を結びつけて、インチキ・邪教・ゴリヤク信仰の教義(?)をつくり、これによって信者を集め、集めた組織から金を吸い上げて金儲けしようという、たくらみをもってつくったのが創価学会設立の真相なのです。ですから、牧口・戸田らが、宗教家ぶりをしだしたのは、せいぜい、昭和9年末か、10年ごろからでしょう。それまでは、そのようなことは全然ありませんでした。こうして昭和12年になっていよいよ創価学会の発会式をあげ、牧口が会長、戸田が理事長におさまったのです。
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以上が、創価設立の経緯を示した、東京都杉並区方南町在住の柴田登志子・方位学研究家の証言部分です。
上記のように、牧口と戸田は昭和3年に日蓮正宗に入信していたのですが、途中から信者に物を売ることを思いたのです。つまり、何らかの理由で日蓮正宗に入信し、その後、信者を利用して金儲けすることを思いついて創価学会を設立したというのが真相です。
ちなみに上記引用文の冒頭に、
「昭和12年、創価学会ができた前後の事情を実証する一つの事実は、東京都杉並区方南町在住の柴田登志子・方位学研究家の証言である。もう一つは、ドキュメンタリードラマの『狩野川物語』である。」
と記述があり、柴田登志子・方位学研究家の証言は今回引用したとおりです。もう一方の「狩野川物語」についてですが、「邪教集団・創価学会」によると、この本の主題として「序」に以下の記載があるとのことです。
「狩野川台風によって荒らされた、伊豆の自然と人間のありのままのいとなみを主題にした、ドキュメンタリー風のものである」
ここでなぜ、狩野川台風と創価がつながるのかと思ったのですが、伊豆がでてくるので、そこで牧口が折伏活動をしたことが関係しているのかもしれません。
この「狩野川物語」には、上記の柴田登志子・方位学研究家の証言に登場した、宮内省のコックが取材を受けているのですが、「邪教集団・創価学会」では、「狩野川物語」について、次のように紹介しています。
P157
「創価学会に関する部分は、牧口と戸田を軍部に紹介したという、さきの柴田証言にある宮内省のコックさんから著者が聞いた「ざんげ話」にもとづいているので、牧口と戸田が宗教利用の虚業・創価学会をつくる前後のもようを知るうえでの貴重な「歴史的文献」であると思われる」
「邪教集団・創価学会」では、この「狩野川物語」について、抜粋がなされており、牧口と戸田の会話部分の一部を下記に引用します(P160~162)。なお、「狩野川物語」の本文中では、創価学会は「創意教会」、牧口は「柿田」、戸田は「城田」という名前になっています。
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城田(戸田)が発明した正確無比という計算器が、少しも人気が出ず売れ行きも悪かった。「俺の発明した計算器が、売れないわけがない。よし、柿田(牧口-著者)先生に相談しよう」城田(戸田)は元小学校の教諭である柿田常三郎(牧口常三郎-著者)を訪ねていった。
「物を売り込むために、宗教団体を作り、そして、その団体に売るというのですね」「いや先生、従来の新興教団と、タイアップしても良いのですが」
「それはまずい。ありきたりの仏教や、神道を利用するばかりでは駄目です。既成教団を槍玉にあげて、その教団に満たされないでいる大衆や、社会不安に怯えている社会層を狙い、その中の不満分子を利用して布教の尖鋭分子に仕立てることですね」「槍玉に上げる教団の対象は」「それは全てですよ。神仏の別なく相手となるものです。こちらが絶対至上のものである事を思わせるためにも、創意と社会科学に基礎を置いたものにしたら、新鮮なものと夢とを大衆は感じますよ」「そうですか。やはり先生に御相談してよかったです。教団の名称は」「創意教会(創価学会)ではどうでしょう」「新しい感覚ですね。それがいい、創意教会(創価学会)。先生、生みの親になってください」「いや、生みの親なぞと。私も参加しますが、そして団体を造る資金は」
城田(戸田)には、借金はあっても資金はなかった。柿田(牧口)とて教師上がりで金に縁のあるはずもないのである。
「私の2階にね、宮原(宮内省のコック)-著者)という人がいますよ。その人は、宮家出入りの料理人とか言っているが、金回りは大したものらしいですよ。話してみましょうか」
宮原は2人の説明を聞いた。
「学問と、宗教を合わせて、組織した団体に品物を売るか。悪い話でもなく、面白い仕事になるでしょう。が、単に金儲けだけなら、外によい仕事がありますよ。金儲けの仕事で贅沢な資金を造って、それからでもいいでしょう」
あまりにも、そのものズバリである。喜色に頬がほころぶのを堪えて、2人は膝を乗り出してきた。
「そんなよい仕事がありますか。どんな仕事をするのでしょう」「柿田(牧口)さん。私も宮家を通して、前から頼まれごとがあったのです。陸軍省の、ある参謀からですがね」「陸軍省と言いますと、軍人関係の仕事ですか」「まあ、そんな向きですが、つまり、兵隊を利用しての金儲けですが、面白い仕事ですよ」
時に、昭和7年、世は不況のドン底時代であった。
(この宮原コックが紹介した仕事が、前の柴田証言の中にある陸軍特需物質収集であり、牧口と戸田はその中の良品を横流ししては莫大な利益をかせぐことになる-著者)
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このように、柴田証言と「狩野川物語」が見事につながります。「狩野川物語」を手に入れたかったのですが、無理でした。

●ラベンダー (2015年10月7日 01:17 )
私が脱会届けを出して、まず最初に読んだ暴露本は志茂田景樹さんの「折伏鬼」でした。
1984年に出版された本ですが、2012年に電子書籍版が発売されました。
もう何か月も前に読んだので、かなり内容がぼやけてしまっていますが、折伏鬼に続き、「新折伏鬼の野望」、「汚れた偶像」も読みました。
全て偽名で物語は書かれていますので、誰の事か分からない事もありますが、大方の人物は分かります。
この「折伏鬼」の中では、主に戸田城聖の事を筆者が元学会員達の証言を元に、どんな人物だったのかを調べていきます。
>多田皓聖は 、本名弥七 、明治三十七年二月 、石川県江沼郡の海辺の村に生まれた 。が 、彼が生まれた年に 、一家は北海道の小樽湾に面した厚田村に移住して 、浜で海産物商をはじめた 。[略]彼はこの村の尋常小学校を終えると 、家業を手伝ったり 、札幌の海産物問屋に奉公しながら 、小学校教員の資格をとるために独学をはじめた 。そうして 、大正六年 、小学校準訓導の資格をとると 、すぐ夕張の小学校へ赴任 、ここで三年間近く教鞭をとるうちに正教員の資格試験に合格している 。大正九年 、彼は突然 、上京するとつてをたよって 、東京市下谷の南町尋常小学校へ山口校長を訪ねる 。このときが後に聖護道会 (創設時は 、聖護道研究会といった )の初代会長との出会いだった。
(この後、小学校の訓導→中等学校受験塾→出版社→金貸し→株の売買までするようになり、この間に牧口から折伏されて日蓮正宗の信徒となる。)
>いずれにしろ、この時期の多田のどこをとっても教育者の匂いすらしないし、まして、宗教家とは口にするさえ笑止なことのように思われる。
志茂田氏は戸田の事をこう書いている一方、
>功徳欲しさの信心にしろ、その信心は本物であった、とわたしは思う。
とも書かれています。戸田は金を儲けたい一念で功徳欲しさに入信したが、神札事件においては、師と同様節を曲げず、終戦直前まで獄につながれていたという事実からとあります。
なので、この本を読んだ時には、牧口と戸田は信仰心はあったのではないかと私は思っていました。
もしかしたら、金儲けに執着していた戸田は、途中で宗教と金儲けが繋がったのではないでしょうか?
この「折伏鬼」の面白いところは、小説人間革命に書かれている戸田と池田の出会いの座談会のシーンについての実際の証言が書かれているところです。
>「大(池田)ったら、やせこけて昼間出た幽霊みたいな姿で連れてこられて、いうことだけは、ゲーテがどうの西田幾多郎がどうのと小賢しげでしょ。だから、多田先生が、小説読んで腹が満腹になるか、哲学やって病気が治るかって、どなられたのよ」
「即興詩を詠んだというのは、本当ですか?そこで」
「詩、まさか」
と木和田はこんどはばかばかしいとでも言うように声を立てて笑って、
「この肺病ったかり、陰気小僧、信心しなきゃ死ぬぞ、って多田先生にびしびしやられてシュンとなってうつむいて。とにかく、どうにもならなくなって信心したんだから」
私は、初めて小説人間革命を読んだ時、この座談会の場で、池田が即興詩を読んだシーンでは、なんだかクサイ話だなと思っていました。
実際、もし私がその場にいたら、「どうしちゃったの?この人」って思うと思ったからです。
でも、そんな話は言ってはいけない事だなと思って黙っていましたけど…。
きっとそう思っていた人、沢山いたのではないでしょうかね。
signifieさん、前スレではお手数おかけしてすいませんでしたm(_ _)m
せーやさん、コメントありがとうございます。
たぶん主人は、座談会には出席するかもですが、協議会には行かないのではないかと思います。
仕事が忙しいのもあるし、要領よく逃げる事がよくあるので…(?_?;)
長文失礼いたしましたm(_ _)m

●夕顔 (2015年10月7日 01:56 )
二郎さん、いつも貴重な参考文献をありがとうございます。
>つまり、何らかの理由で日蓮正宗に入信し――
…という部分についてですが私も独自で調べたところ、牧口氏は目白商業学校校長であり日蓮正宗信者として東京池袋の常在寺に属する「大石講」の幹部であった三谷素啓氏の家に通い、「釈迦が説いた釈迦滅後の仏教変遷の予言が日蓮によって実証されたこと」と「正しい宗教(法華経)に基づく人間変革を基盤に社会を変革するという『立正安国』の思想」に強く共感し、これがきっかけで日蓮正宗に入信したそうです。
そして牧口氏は戸田氏を折伏、戸田氏もほぼ同じ時期に入信したというのが真相のようです。
即ち、三谷さんの折伏よって牧口氏は入信した事になります。これが1928年だそうです。
ですが今現在、創価内では牧口氏の入信において、このような説明は一切されていません。
【1928年、牧口氏は日蓮大聖人の仏法に帰依します】とだけの説明のみで、三谷氏の折伏によって入信したという一番重要な部分が綺麗さっぱりと無かった事にされています。
これでは牧口氏が一人で日蓮仏法に出会ってその内容に共感し、入信したのだと誤解されてしまいますよ。
恐らく、牧口氏が三谷氏から折伏されて入信した事は今の学会員達はあまり知らないのではないでしょうか…(断言は出来ませんが)
実は私も今回の事で調べるまで、牧口氏が折伏されて入信した身だとは全く知りませんでした…。
創価内の情報ばかり鵜呑みにしていた事がお恥ずかしい限りです……

 

 


解説
ここでは、博識の二郎さんが提示した資料を基に、牧口初代会長と戸田氏によって始められた創価教育学会が、もともと詐欺を目的に金儲けのために作られたという説が繰り広げられ、シニフィエさんおよび参加者はみなそれに引きずられていきました。
しかし、皆さん、真面目で頑固一徹だった牧口初代会長が金儲けのために創価教育学会を始めたなんていう話を信じられますか。
私は、これは二郎さんがおかしな資料をもとに組み立てたデマを、安易にブログの参加者が鵜呑みにしたケースだと思います。


「二郎さんの紹介されている資料」というのは、『邪教集団・創価学会』です。
なるほど、おそらくこのくだりを読んだゼロさんがこの本を買い求め、次に図書館で『狩野川物語』を探し出し、舞い上がってしまったのですね。
そうして、ゼロさんは自分のブログ「創価 崩壊の鐘」を立ち上げたのでしょう。
ゼロさんのブログには、「創価学会はこうしてつくられた 」というカテゴリーで、この本に基づく記事が連載されていました。

以前私が、ゼロさんとの対話の中で主張したように、『邪教集団・創価学会』は隈部大蔵なるいかがわしい人物が共著者となっており、内容的に信用できないものです。
その他いくつかの根拠を示して、ゼロさんのこのトンデモ学説は論駁したつもりです。
詳しくはこの記事を参考にしてください。
ゼロさんとの「対話」 その4

でも、ゼロさん以前に、対話ブログでは、「創価学会はもともと詐欺団体として始まった」なんていうトンデモな議論がされていたんですね。
それをもとに、シニフィエさんをはじめとする参加者は、そのデマにミスリードされていたというわけです。
やっと、その辺の事情が分かりました。


獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:その後(2)

2022-03-24 01:43:18 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)


■それでもまだ財務をしますか?         投稿日: 2015年8月24日

さて、どうやら創価学会の組織では、財務部員拡大運動がいっせいに始まったようですね。創価の中では安保法案なんかどうだっていいんでしょうね。
財務。まあ、おそらく創価の一番の財源なのでしょうから、これをはずすわけにはいきません。最低1万円。10万、20万はあたりまえ。地区で何人3桁を出せるか、つまり100万円以上の寄付を出すかが、その地区の目標になります。外部の方にとっては信じられないかもしれませんが、創価学会では財務という「寄付金」を多く出せば出すほど御利益があるという教えなんです。べつに教祖である日蓮が言ってるわけではありません。日蓮はむしろ「ご供養は金額ではない。供養するという心こそが大事なんだよ」と書き残しています。なのに創価学会では「功徳は金額で決まる!」と言い続けてきました。幹部は会員さんに「人間革命のために3桁の戦いをしよう!」つまり100万円の寄付に挑戦しよう!とけしかけます。つまりこの信仰で功徳が欲しいなら毎年100万円を出さないと話にならないぜ、と煽るんです。すごい宗教でしょ。このような創価の実態に気づいた人は、創価を宗教だなんて思っていませんが、功徳欲しさにすっかり騙されている人は、借金してまで100万円を差し出すんです。それも1回きりではないです。毎年です。ちなみに私の兄夫婦はもう何十年にもわたって毎年一人100万円の財務をしています。夫婦で毎年200万円。20年で4000万円ですよ。それを惜しいとも何とも思っていません。それで功徳があったかと言うと、兄は生死を彷徨うほどの大事故に遭い、身体障害者となりました。義理の姉は目の病気になって、極端に視力が悪くて、目の前にいる人が誰なのかが見てもわかりません。子どももできなかったので、兄夫婦で家系は途絶えます。それでも少しも創価を疑いません。脱会した私たち兄弟を「どうせろくな死に方はしない」と平然と口に出して言います。もう2人とも仕事はしていませんから、死ぬまで創価にお金を貢ぎ続けて、何もかも失くして死ぬのだと思います。
創価学会の最終目的はお金です。創価はいろんなことをやっているようですが、すべては会員からお金を搾取することが目的の団体です。これに気づかないで、人生の全てを奪われたまま亡くなる学会員さんがこれまで何百万人もいたんです。そしてこれからも私の兄夫婦のように、最後まで騙されてすべてを搾り取られて捨てられる学会員さんがまだまだ出てくると思います。
というわけで、今回のテーマは「それでもまだ財務をしますか?」とします。
みなさんの財務の体験を赤裸々に語ってください。財務をどれだけやったか。財務をすることでどうなると言われたのか。実際に財務をしてどうなったのか。思い出すだけでも腹が立つでしょうけど、そこはぐっと抑えて、これ以上、創価にお金を貢ぐことがどれだけ愚かなことなのかを、一人でも多くの学会員さんにわかっていただきたいと思います。創価にお金を差し出すぐらいなら、ドブに捨てたほうがまだマシです。ドブに捨てるぐらいならチャリティに出しますよね。その前に、自分で稼いだお金は自分のために使いましょう。自分の家族の幸せのために使いましょうよ。自分で稼いだお金を、創価に貢いで、たいへんな貧しい生活を余儀なくされている学会員さんが今でもたくさんいらっしゃいます。どんなに生活に不自由を感じていても、財務をたくさんしたから、いつか何倍にもなって帰って来るんだと、幹部に言われたことを愚直に信じたまま死んでしまった人を何人も知っています。たくさん財務をしたから病気が治るんだと信じて、そのまま亡くなった方も知っています。まず財務と功徳は何の関係もありません。あたりまえでしょう。幸せをお金で買おうと言うのがそもそも間違っています!花咲舞が黙ってません!(笑)いや、冗談じゃないんです。そんな小学生でもわかるようなことが学会員さんにはわからなくなって、ありもしない功徳をお金で買おうとするんですよね。頭おかしいです。まさにマジキチです。
ということで、これからいろんな手練手管で財務を1円でも多く搾り取ろうとする学会活動が始まります。御書を引用したり、思い切って財務をしたら宝くじが当たったとか、夢のようなヨタ話で誘ったり、財務をケチったばっかりに大金を失うことになってしまったなどの話で脅かしたりと、そりゃもうえげつない話が飛び交います。そんなヨタ話に騙されてはいけません。何に使っているかもいっさい明かさない財務のお金なんか、一銭たりとも出してはいけません。
みなさん、思い出すだけでがっくりとひざまずいてしまうほどの辛い体験がたくさんあるかと思います。ここでみんな吐き出しちゃってください!


■創価の常識は世間の非常識           投稿日: 2015年9月4日

先日、facebookに友人が「いいね!」を押していたある方の書き込みが、まったく創価学会員そのものを指して要るんじゃないかと思えるものがありました。
______________________
人は「自分が正しい」「よいことをしている」と思い込んでいるとき、最も攻撃的になる?
こんなトラブルって、夫婦間でもおきますよね。(笑)
育った環境も違いますし、習慣も違うので、ちょっとしたことの違いでもめたりします。
長年一緒に暮らしていけば、それもだんだん納得できるのですが、自分が当たり前だと思っていた習慣が、まったく違う習慣に置き換えられたとき、人ってなぜかしらカチンときて、怒ったりするようですよ。
自分がそれが正しい!と思っていればいるほど、ほかのやり方を認めることができない。
「自分が正しい」「自分は良いことをしている」
と思ったときが、一番攻撃的になるということです。
自分の価値観を侵害されそうになったとき、条件反射で、怒りと攻撃のスイッチが入ってしまうということです。
ワクチンは病気を予防するものだと思い込んでいて、接種することは正しい、いいことだと思って、人に勧めているとします。
否定されて怒り出すお医者さんも多いですよね。
発達障害だと言われて、それを治療するために服用させていた時、それは体にはよくないと言われたとき、動揺し怒り出す人も多いですよね。
冷静さを欠いたように見えるテレビやネットなどの議論も、教育という名の過剰な体罰も、あるいは国家間の論争なども、根っこの所はよく似ているなぁと思います。
「自分が正しい」「自分は良いことをしている」を守ろうとするからこそ、人は人を傷つけられるのだなと思うのです。
後から冷静になって考えれば、あれは自分にとっての正しさであって、その人にとっての正しさではなかったのだろうな・・・
と、気づくこともありますよね。
さてあなたはどうでしょうか?
______________________
もちろん創価に限ったことではないですが、ズバリ創価スイッチのメカニズムが見事に書いてあって、思わずニヤリとしました。
学会員は「よかれと思って」活動しています。相手のことを思ってと言うのも否定はしません。しかしそれがどれだけ独りよがりのワガママでしかないかをまったく理解しようとはしません。そして否定されるとやはり創価スイッチが「カチッ!」と音を立てて入ります。結局、なんだかんだ言ってもそれが本性なんです。
人を救うなんて、所詮ただの思い上がりだと言うことに気がつきません。自分が救われるため、功徳が欲しいからといって、外部の人に新聞を購入させる。部員さんにも「スッカラカンになりなさい」とあり金全部を出させる。みなさんが実際に創価で体験してきたことのほとんどは、世間ではまず通用しないとんでもない非常識なことなんですよね。
そこで、このスレッドでは、実際に自分のまわりにいた学会員さんの「トンデモ非常識」を洗いざらいぶちまけてください。おそらく日本全国似たような非常識軍団のオンパレードだと思います。似たようになるのも当然です。みな同じマニュアルの元に洗脳されているからですよね。これまでもたくさんの非常識が語られてきましたが、ここでいま一度まとめてみましょう。みなさんが実際に体験した「創価の非常識」を一堂に並べてみて、もうちょっとで覚醒するかもしれない学会員さんの方をポンと押してみましょう!
ここまで非常識な集団のどこが平和と文化と教育の団体なのか?人を見下すことしかできなくなる人間の集団に平和を語る資格があるのかどうか?そして学会員さん自身、これまでほんとうに幸せを感じたことがあるのかどうか?をあらためて考えてもらう機会になればと思います。よろしくお願いします。
あ。引き続き替え歌もガンガンやっちゃってください(笑)


■学会員さん、安保法案に賛成ですか?         投稿日: 2015年9月21日

安保法案可決の際の公明党議員の態度です。
(動画上のツイッターへのリンクは当ブログと何の関連もありませんのであしからず)
創価学会の皆さん、公明党支持者の皆さん、 真剣な議論の中でのこの議員達の態度をしっかり見て下さい。 pic.twitter.com/NtZPEgS0kz
? saito kentaro (@kentaro_s1980) 2015, 9月 18
//platform.twitter.com/widgets.js
彼らは何がそんなに嬉しいのでしょう。野党議員の泣きそうな態度でしょうか。
創価学会員の皆さんが血眼になって票をかき集めて国会に送っている議員たちは、この日本の歴史が変るまでの重要な悪法を、ヘラヘラとせせら笑いながら眺めているんです。
これが公明党であり、創価学会中枢部がやっていることです。公明党のどこが「ブレーキ役」だと言うんでしょう。これまで公明党が自民党の政策のどこの部分にブレーキをかけたでしょう?
創価学会員のみなさん。なんかおかしいな…とは思いませんか?
こうした公明党を、創価学会中枢部はなにひとつ異論をはさみませんよね。学会員さんが安保法制の撤回を求める署名を学会本部に持っていったときに、創価は「いやなら辞めてもらってけっこうです」ととりあいませんでした。学会員さんは「公明党が創価の意志に反している」と勘違いをされているようですが、実際は創価学会は公明党に安保法制を成立させるように公明党に指示をしているのです。創価学会は現政権の8割を占める極右翼組織「日本会議」の言いなりでしか動けないのです。5年半も姿を現さない池田大作はすでに廃人です。いま創価学会を動かしているのは日本会議であり、そのバックにいるアメリカです。公明党が自民党の言いなりになれば、日本は憲法を無視したまま、どんな法律だって成立させられるということが証明されました。見方を変えれば、創価学会員の公明票がこのような軍事独裁を許しているということです。もはや日本に民主主義などありません。まして平和主義など消滅してしまいました。つまり、創価学会が日本から平和主義を消滅させてしまったんです。これから自衛隊員はアメリカが関わっている戦場に駆り出され、他国の人たちを殺すことになりますし、自衛隊員も確実に死ぬことになります。それを学会員が公明票をかきあつめる行為によって現実のものとなったわけです。それでいいんでしょうか?
これから自民党はマニフェストに掲げてきたように、自衛隊を国防軍に改変して、本格的な軍隊を組織することになるでしょう。当然日本の軍事費ははねあがります。これはすでにアメリカと約束していることです。
もし、創価学会が安保法案に反対すれば、当然公明党も反対したでしょうし、成立しなかったでしょう。つまり安保法案は創価学会員が成立させたということです。
学会員さん、安保法案に賛成ですか?反対であるなら、なぜ公明党を支援するのですか?
それ以前に、なぜ創価学会は安保法案に賛成するのか不思議に思わないんですか?
学会本部は「安保法案に反対ならば創価学会を辞めてもらってけっこうです」とはっきり言っています。創価学会の態度ははっきりしているんです。創価学会も公明党もあくまで安倍政権の政策を推し進めるために動いているということです。安保法案も、秘密保護法も、集団的自衛権も、すべて創価は賛成してきました。これ以外もすべて自民党政権の言うとおりにしてきました。そしてあのようにせせら笑いながら安保法案も通しているんです。
学会員さんは、創価学会も公明党も平和のために動いていると信じていますよね。でも現実を見てください。公明党のどこが平和の党ですか?創価がそんな公明党を批判したことがありますか?
創価学会はなぜ安保法案を成立させた公明党に何も言わないのか?ぜひ自分で考えてみてください。
ということで、今回のテーマは「学会員さん、安保法案に賛成ですか?」にします。
とうとう安保法案が成立してしまいました。上に書いたように、学会員が公明党を支持しなければ防げたことです。なのに学会員は自分が日本の軍国化に加担しているなどと考えもしません。もとより自分でものごとを考えることをしないのですから当然かもしれません。
ありもしない功徳に目が眩み、何も考えずに言われたとおりに動き、ありったけのお金を貢ぎ続け、あげくのはてにボロボロの人生のまま死んでいく。私はそんな自分の親も含めた創価学会員をたくさん見てきました。
創価学会員であるということは、安保法案を後押しするということです。日本の自衛隊が何の恨みもない外国で人殺しをする法律を創価学会員が成立させたということです。この事実をどう理解しているのでしょうか。
これは是非、現役の学会員さんにお聞きしたいです。
もし、ネット上の最低限のマナーを守れるような学会員さんでしたら、ここで対話をしたいと思っています。「それでも創価学会は正しい」と考えていらっしゃる現役活動家の学会員さん。私もしくはここにいらっしゃるどなたかと対話をしてみませんか?

 


解説
対話ブログが非公開になったため、コメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮