「宮島町」は、広島県佐伯郡、広島湾西部(呉江田島東部)日本三景の一つ、「安芸の宮島」厳島の全域を占める町。
厳島神社・弥山原始林は、世界遺産。瀬戸内海国立公園に指定されている。
年間300万もの観光客が訪れる。
JR宮島口駅より、宮島口桟橋から、「安芸の宮島」まで約2kmの 海上を10分で結んでいる。
フェリーは、順次、便利。世界遺産厳島神社を海上から間近で鑑賞でき、大鳥居に最接近する。
「蘭陵王 (雅楽)」は、雅楽の曲目の一つ。
管絃にも舞楽にも奏される。別名蘭陵王 入陣曲、短縮して陵王とも呼ばれる。 管絃演奏時には蘭陵王、舞楽演奏時には陵王と 表し、左方(唐楽)に属する壱越調の一人舞。
宮島の厳島神社にお祀りされている市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命の三女神は別名は宗像三女神といい、その昔、政治経済の中心が九州から大和地方へと移行するのに従って、福岡県北部・筑紫の国からはるばると宮島の地に。
市杵島姫命は、日本神話に書かれ、大変古い伝えを持つ神。
昔から航海安全の守り神として信仰されていますが、宮島においては、航海安全ばかりではなく、芸術や経済面においても広く信仰を集めるようになり、
現在に至る。
「 穏やかな自然と瀬戸の海に囲まれに、自然情緒あふれる安芸の宮島。」
三女神は、宮島という地を、日本全国・世界中の人々の「安らぎと憩いの場」となることを願い、宮島を囲む大野瀬戸に多くの自然の恵みを分け与え・・。
JR宮島口駅から地下道で宮島口桟橋へ、フエりー松大汽船・JR宮島が乗船を待っている。
「平清盛」 1118-81 平家全盛時代を現出した。 平家の棟梁・武将・垣武平氏血筋(垣武天皇の臣下)公家と武家の流れで清盛は武家。
忠盛の長男、武士で初めて大政大臣・平氏政権確立する。福原(兵庫県福原)へ遷都したが源氏の挙兵相次ぎ京都に戻る。
清盛は、自分の墓を後回しに、源頼朝の首を供えよと遺言している。
天皇・摂関家と婚姻政策を取る。安徳天皇の外威となり後白河法皇を幽閉。
千潮時の砂地、大鳥居まで歩いていける。 海に浮かぶ大鳥居
平清盛は、1118年京で生まれ、1156年保元の乱勝利・1159年平治の乱で勝利・1169年兵庫福原に別荘を構え、日栄貿易を本格化
1135年父、忠盛と共に瀬戸内の海賊討伐に成功している・1151年安芸国の国司、瀬戸内海の航路を開拓している。
1168年厳島神社の造営に尽力する。
江戸時代から栄えた「表参道商店街」通称「お土産や通り」メインストリートに
「厳島神社」は、厳島北岸紅葉谷川河口部の砂浜に鎮座。
祭神ー市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命を祀る。
長さ、273mの回廊で結ばれている。大鳥居と共に満潮時には、すべて海に浮かぶ。いずれも「檜皮葺き」・「朱塗り」・「柱の寝殿造り」。
浜辺で潮干狩り 二位石燈籠が、(壇ノ浦の戦いで入水した清盛に妻、二位尼が漂流した伝えが
かっては、「伊都岐島神社」と呼ばれていた。創建は、「長門本平家物語」で、推古天皇元年593年と云われている。信憑性は少ない。
注目は、平清盛が安芸守在任以降であろう。平家一族の尊厳を得て、後白河法皇・高倉上皇等皇族や公家の参拝が相次いでからであろう。
17棟の朱塗り社殿回廊で結ばれている
寝殿造の社殿は、1168年に清盛が造営した時の「平安文化」の様式を伝えると云う。
平家滅亡後も源氏や朝廷の擁護を受け、度重なる火災にもかかわらず「足利尊氏」「大内氏」「毛利氏」「豊臣秀吉」らの接触により繫栄を継続した。
広島県酒・献上樽酒
世界遺産・国宝ー本殿・幣殿・拝殿・祓殿・摂社・客人神社・回廊など多。
潮の千満で姿を変える仕掛けに、ろかい舟で周遊も出来と云う
重要文化財ー五重塔・長橋・朝座屋・千畳閣など。
推古天皇即位593年のp創建と云う。
宝物殿国宝ー平家納経33巻・文化財約3500点あると云う。
卒塔婆石と康頼灯籠、 卒塔婆石は、鬼 界島に流された平康頼が流したと云う、 卒塔婆石がある鏡ケ池, 卒塔婆石がある鏡の池 潮が 干くと丸い池になり、中に卒塔婆石という石が現われる。
1991年の台風19号で重文「能舞台が流出など被害を受けている。
「大願寺」は、高野山真言宗の寺院。山号は亀居山。院号は放光院。本尊は薬師如来。本堂には神仏分離令によって厳島神社から遷された弁才天像など、多くの仏像を安置する。
寺の創建年代等については不詳、寺伝によれば平安時代初期に空海によって開かれたとも伝えられるが、一説によれば鎌倉時代初期の1201年 - 1204年
了海によって開かれたとも伝えられる。古くから大聖院とともに厳島神社との関係が深かった寺。
本堂奥の書院は、第二次長州戦争の時、勝海舟と長州藩藩士らが会談をした場所として知られる。
境内には本尊の御使い龍神の分祀を祀る社と、2006年(平成18年)4月2日に再建され、総白檀の1丈6尺の不動明王を安置する護摩堂がある。
文化財ー重要文化財 木造薬師如来坐像・木造釈迦如来坐像・木造阿難尊者立像・木造迦葉尊者立像・紙本墨書尊海渡海日記(八曲屏風裏書、表に紙本墨画山水図(瀟湘八景図)あり)。
札所ー中国四十九薬師霊場22番・広島新四国八十八ヶ所霊場1番
宮島の西の丘に、多宝塔がある。
こけら葺で高さは14.5m。1523年僧周歓により 建てられ、1555年の厳島合戦で毛利と戦った陶晴賢はこの丘に陣をはり東の塔 の丘の毛利元就の支城に相対した。
厳島神社・大願寺から世界遺産弥山ロープウエーへ向かうと滝小路・柳小路古い通りで、神職の屋敷が並んでいる。上郷の屋敷(重要文化財)も
この付近である。
鹿ものんびり散策か
豊国神社・国重要文化財「 通称・千畳閣」
桁行41m 梁間22m 単層本瓦葺入母屋 木造の大経堂。
豊国神社・三翁神社 境内 社殿
「豊臣秀吉公」が、千部経の転読供養をするため天正15年(1587)発願し、安国寺恵瓊に建立を命じましたが、秀吉の死により未完成のまま現在に。
明治時代に秀吉公と加藤清正公が祀られ、豊国神社となっている。
厳島伽藍と呼ばれた優美で壮大な仏教建造物が、神仏. 五重塔「重要 文化財」、1407年建立・心柱は、二層目で止まっている。
千畳閣の隣に建つ五重塔は、和様と唐様を巧みに調和させた建築様式で、 桧皮葺の屋根と朱塗りの柱で美しい塔。高さは27.6m。
入母屋造りの大伽藍で857畳の畳を敷くことができ、軒瓦には金箔が押してあることから完成していれば、さぞや豪華な桃山文化を取り入れた大経堂になっていたと思われる。
正面長さ46.6m・建物面積1314.3m2・屋根の面積2009.6m2
堂内には、大鳥居が明治8年に建替えられた時に使った尺定規が、 本尊の釈迦如来・阿難尊者・迦葉尊者は、明治維新の神仏分離令のときに大願寺に移されている。
棟瓦頂上高さ17.4m・屋根瓦54、529枚
次回は、世界遺産ー原始林・弥山へ。