syuの日記・気まま旅

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高尾山 薬王院の火渡り祭

2015-03-12 | 気まま旅

八王子・都南西部にある山「高尾山・薬王院の火渡り祭」に。
関東山地東端、中生代の堆積岩からなる高さ599mの高尾山。
「成田山新勝寺」・「平間寺川崎大師」とともに「関東三山」の一つされる「薬王院」があり、古くから山岳信仰が盛んである。
明治の森・高尾国定公園・1967年指定された。

           真言宗・山号ー高尾山 薬王院・有喜寺(747年行基開基)


社寺林・御料林・国有林として保護されて、自然林が良く残されている山。高尾は温暖帯から冷温帯への推移地点であり、南斜面にはカシル類の
常緑広葉樹林が、北斜面はブナなどの落葉広葉樹林がある。
山頂には7本の「自然研究路自然歩道」の起点でよく歩く山である。
古仏峠・陣馬山~相模湖コースなどで、ここ10年は、歩いていない。ケーブルカー・リフトで新宿方面の夜景も楽しめると聞く。

            天狗伝説の高尾山修験根本道場 薬王院


「高尾山・薬王院ー火渡り祭」、恒例、年一回・3月第二日曜日。

高尾山御本尊飯縄大権現の衆生救済の御誓願に基づき、真言密教加持の極致である御護摩(浄火により災厄を祓う火の行)を修行することにより、世界平和、息災延命、災厄消除、交通安全、身上安全等を祈念するもので、これを修行する行者は、心身修練の功を積んだ高尾山の山伏。
参拝のご信徒並びに有縁の方々は、この行事に参加することがすでに本尊の無量の法益に浴することであり、且つ火渡りをされる方々は、更にその身の災厄を祓う功徳もいただける、、、、。

2015年3月8日(日)予定通り午後1時から、高尾山口駅・国道20号線沿い空き地で行われ、外人観光客などで賑わった。

      JR中央線・京王高尾線が乗り入れ、人気の山 高尾山(599m)~陣馬山         


「撫で木札」
御本尊飯縄大権現様の御手と云われ、氏名・年齢をお札に記入し、様々なお願い事の祈りを込めて高尾山火渡り祭の柴燈大護摩供の護摩木として火中に投じ、その願いを成就させる霊験あらたかな御札を云う。
お身体に病を生じている場合には、撫で木でその患部をなでさする事により、御本尊様よりお加持を賜わり、病魔を滅するご加護を、、、。

          3月第二日曜に行われる薬王院の火渡り祭り


山伏が梵天札の差さった御輿を担ぎ燃えさかる炎のまわりを、御加持して歩き、御信徒様の厄災を除き、1年間の家庭の安全を祈念。
火伏(ひぶせ)の御札として、、、、。

         交通安全・家内安全・・・を祈祷する神事


「高尾山薬王院・有喜寺」
今から1260余年前の744年、聖武天皇の勅令により東国鎮守の祈願寺として、高僧行基菩薩により開山。
薬王院の名は創建当初、薬師如来をご本尊とした事に由来。
現在は真言宗智山派の大本山として「成田山新勝寺」「川崎大師平間寺」「高尾山薬王院」が三大本山として知られている。

南北朝時代の1375年、京都醍醐山より俊源大徳が入山し八千枚の護摩供養秘法の後、今のご本尊「飯縄大権現」を奉祀し中興され、戦国期、
飯縄大権現は戦国武将の守護神として崇敬され、上杉謙信や武田信玄の兜表にも奉られ、また北条家の手厚い保護も受け江戸期に入ると
徳川家(特に紀州家)との仏縁により隆盛をむかえる。
古来、高尾山は修験道のお山といわれ、修験道を修める人のことを山に臥し野に臥しながら修行することから「山伏」と呼ぶ。
高尾山には、今もなお「琵琶滝」と「蛇滝」の二つの滝を擁し、滝修業の道場として、一般の方にも門戸を開いていると云う。

            薬王院本尊ー薬師如来 1400年以降真言密教・修験霊場
    

「天狗様」
飯縄大権現様の眷属(随身)として、除災開運、災厄消除、招福万来など、衆生救済の利益を施す力を持ち、古来より神通力をもつとされ、
多くの天狗伝説や天狗信仰があり、神格化されている。
高尾山は、飯縄信仰と共に天狗信仰の霊山としても知られ、高尾山は修験道根本道場としても知られている。
山伏修行が随時行われ、昔は山伏が深山幽谷に籠もって難行苦行を重ね、やがて高尾山の霊気と融合して、呪力、験力を体得して大先達と、、、。

          智山派大本山薬王院「有喜寺」として信仰を集めている


「天狗焼・天狗煎」「天狗黒豆饅頭」が名物に。

         仁王門・本堂の護摩堂・奥の院・不動堂等文化財も多い


「高尾山と富士山信仰」
山頂を過ぎて紅葉台、一丁平に至る手前南側に「富士見台」と呼ばれる小さな頂があり、かつてここに一つの御堂が構えられ、
拝殿の奥の扉が開かれると御神体の富士山が一幅の絵のように拝されたという。
今日でも奥之院から山頂に向かう道筋を「富士道」と言い習わしていると云う。
往時は、この道筋を白装束の富士道者の一行がチリン、チリンと腰の鈴を鳴らしながら賑やかに行き交うのが夏の風物詩であったとある。

              山中で「水の行」も行われる


「高尾山行事」
滝びらき 4月1日(水) 清滝・琵琶滝・蛇滝    花まつり 4月8日(水) 仏舎利塔     春季大祭(稚児練行) 4月19日(日) 薬王院
高尾山天狗まつり 5月18日(月) 薬王院       信徒峰中修行会(夏) 6月6日~7日(土・日) 薬王院・ 一泊二日
納札供養柴燈大護摩供 6月19日(金) 自動車祈祷殿広場 と続く。

                 信者は、火の上を素足で歩く
    

                     外人観光客が多い           
    

                祭りから、春もそこまで来ているのであろう。
   

             高尾山ケーブルカーは、日本一の急勾配(31度18分)
    
                   高尾山頂から見た新宿方面


「高尾・氷川神社」-高尾総鎮守・京王線・高尾山口駅前に鎮座
祭神 素戔嗚尊・1394-1428年、に片倉城主毛利師親が武蔵一宮氷川神社より勧請という。 昭和27年に社殿再建。
8月の第3日曜日には獅子舞が奉納される。
氷川神社参道上に昭和41年に京王線が乗り入れしており、その際に京王の土地取得謝意もあり大鳥居が建立された。
平成13年に崩落の危険性があったために撤去し平成17年に半永久的耐久性を期した強化プラスチックにて大鳥居を再建立している。

    

「片倉城」
応永年間、「大江備中守師親」が在城していたとされるが、誤伝であると。
武蔵横山党の横山氏の居城であったものが、1213年、に横山時兼は和田義盛の乱に加担して討ち死に、この地は大江広元に与えられ、
大江広元の次男時広を祖とする長井氏が居城とし、戦国前期には、扇谷上杉氏の配下となった。
1504年、の武蔵立河原合戦において、山内・扇谷の両上杉氏が戦った際に、扇谷上杉氏方の長井八郎が山内上杉氏に捕縛されているが、
この時捕らえられた「椚田塁」を片倉城と比定する見方もある(初沢城であるという説もある)。
その後の片倉城については記録がない。
おそらく滝山城・八王子城の支城として、繋ぎの城・烽火中継点として北条氏により接収されたものと思われる。
歴史的には不明な点が多い城で、当時の情勢から考えて、在地土豪の居城だったものが、北条氏の支城に組み入れられて、滝山・八王子の支城。
(4月上旬頃掲載予定)
片倉城後は、全体的に古臭い間取りの城で、深大寺城と雰囲気が似ていると云う。
北条氏侵出以前の扇谷上杉氏あたりの色彩が濃い印象と云う。「新編武蔵国風土記稿」より。

高尾と云えば「そば」、昼食に、とろろそばと天丼を。

次回は、下町に戻ります。