syuの日記・気まま旅

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川越ー喜多院と天海

2015-03-26 | 気まま旅

川越は県中南部、古代は「河越・河肥荘」の名に由来する。武蔵台地の北、入間川・荒川の低地に囲まれ、平安時代から「武蔵武士団・河越氏」領地。
1457年「太田道真・道灌」親子により「河越城・川越城」が築城。
江戸に入り、「松平信綱・柳沢吉保」など幕府重臣が城主となった。城下町の狭い道路網で、大手町・鍛治町の地ネイが残っている。

今大人気の川越街道(国道254号)と新河岸川の水運で江戸とつながって、近隣の農林産物を集積して江戸の送られていた。江戸からは肥料・塩などが。
川越は、小江戸とも呼ばれた。1893年明治の大火で半数近九焼失している。その後、火災に強い「蔵造」が普及していく。
当時の川越商人の経済力がそのばれる町。

                蔵の道川越・時を知らせる鐘塔の近く   曹洞宗「養寿院」
    
               喜多院手前に浄土宗の「蓮馨寺」縁日で境内は賑やか
    
                    蓮馨寺前の「熊野神社」
    
                          拝殿
  

                   喜多院参道入り口に「成田山川越別院」が
    

「天海」-天台宗の僧・江戸上野山東叡山「寛永寺」を創建した徳川家康の側近中の側近で重臣。
陸奥の国高田出身ー比叡山・三井寺で修行・江戸崎不動院、仙波喜多院に住したが、徳川家康に召されて幕閣の一員となる。
幕命で「比叡山」を復興させ、家康の葬儀を司る。
徳川家の廟所として上野山(江戸城の鬼門)東叡山寛永寺を建てた。諡号は「慈眼大師」
家康の信任は厚く「天海は生きる仏・もっと早く出会わなっかったのか」と悔やんだと云う。
家康の神号をめぐり争い勝つ「金地院崇伝」で日光山を再建できた。



「喜多院」天台宗の寺ー星野山無量寿喜多院天海僧正・慈覚大師・川越大師と呼ばれ親しまれている。1599年再興。

    

            山門・五百羅漢・春日局化粧の間など寺宝が多い


                      本堂


「仙波東照宮」は、喜多院境内の南隣に鎮座、祭神は「徳川家康」
1616年家康は、駿府城で死去、翌年遺言により遺骨が久能山から日光へ改葬される途中・「喜多院」で4日間大法要が営まれ、これにちなみ、1633年
「天海」により建立され、日光・久能山と共に日本三東照宮の一つになる。(愛知の滝山東照宮を数える場合もある)
1638年大火で焼失、翌年再建している。
重文ー本殿・拝殿・弊殿・唐門等。浮世絵の元祖「岩佐又兵衛勝以筆の36歌仙絵額」所蔵している。

    

喜多院参拝後、参道の茶店に、            茶店カレーが美味い
    



次回は桶川へ。