これはあくまでも持論で、独り言!。
だから何も学問的根拠は、希薄といえる。
考えの基本は自己表現。
芸術活動は、絵画、彫刻、陶芸、芸能、文芸、芸能、書等々、
様々なジャンルがあるが、全て人間の表現活動だと思う。
審美眼は、個々人によって違うから、
当然求めていくものも違ってくる。
書は文字を素材として、それをどう表現していくかの世界だ。
そして、紙、墨、筆というシンプルな用具、用材を駆使して表現する線の芸術。
どれだけ多彩な線と文字造形で表現できるかが問題だ。
文字が素材なので、読めなければ文字から逸脱してしまう。
限りなく極限に近く、表現するのも一つの方法だが、
説得力が無ければ、自己満足。
線の安定性、多様性、多彩性、複雑性、意外性、大胆性etc.etc.を学び、
泥臭い自分の書を洗練しなければ、社会的で説得力のある作品にならない。
多くの人の心を動かす芸術的自己表現の作品をどう表現するか?…。
あぁ~、まだまだ修行をしなければ、より好い作品に近づけない…。
頑張ろう!
(翔雲書道教室)
だから何も学問的根拠は、希薄といえる。
考えの基本は自己表現。
芸術活動は、絵画、彫刻、陶芸、芸能、文芸、芸能、書等々、
様々なジャンルがあるが、全て人間の表現活動だと思う。
審美眼は、個々人によって違うから、
当然求めていくものも違ってくる。
書は文字を素材として、それをどう表現していくかの世界だ。
そして、紙、墨、筆というシンプルな用具、用材を駆使して表現する線の芸術。
どれだけ多彩な線と文字造形で表現できるかが問題だ。
文字が素材なので、読めなければ文字から逸脱してしまう。
限りなく極限に近く、表現するのも一つの方法だが、
説得力が無ければ、自己満足。
線の安定性、多様性、多彩性、複雑性、意外性、大胆性etc.etc.を学び、
泥臭い自分の書を洗練しなければ、社会的で説得力のある作品にならない。
多くの人の心を動かす芸術的自己表現の作品をどう表現するか?…。
あぁ~、まだまだ修行をしなければ、より好い作品に近づけない…。
頑張ろう!
(翔雲書道教室)