素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

2020年のオリンピックは東京で

2013年09月08日 | 日記
 昨夜22時からブエノスアイレスでのIOC総会が完全生中継された。オリンピックそのものも含めショービジネス化の傾向はますます加速しているとの感を強くした。

 この流れは1984年のロサンゼルス大会に源がある。当時はオリンピック招致による環境整備のために多額の税金が投入されたためオリンピック開催都市がその後深刻な財政赤字に悩まされるというジレンマがあった。それ故に開催都市立候補に名乗りを上げることに及び腰になっていた。今の様相とは隔世の感がある。

 そのため南カリフォルニアオリンピック委員会は開催するために必要な費用を税金にたよらない方針を打ち立てた。

①テレビ放映権は、それまでの常識を超える金額を最低価格として提示、、しかも放映権料を前払いとして利息を稼ぐ。結果、アメリカ4大ネットワークのうちで一番高い金額を示したABCと約450億円で契約した。

②多くのスポンサー企業がマークを使用して多種多様な活動をしていたが、スポンサー数があまりにも多すぎたので、、スポンサーを1業種1社、合計で30社と数を減らして価値を高める。結果、各業種でロサンゼルス五輪のマークを自由に使えるスポンサー争いが激しくなり高額の協賛金が集まった。

➂入場料収入

④記念グッズの売上げ

の4本柱を立てて賄った。この成功がオリンピックの有り方のターニングポイントになった。資本主義経済の発展とともに変化していくのは仕方がないことである。それから30年、ネット社会の出現によりまた大きな転換点を迎えるのではないかと思う。

 徹夜に近い状態でプレゼンの様子を見た人も近所やジムに通っている人の中にいたが、私は15分ぐらいでテレビを消した。あの仰々しい騒ぎは苦手である。朝5時に起きて、もう決まってるかなとNHKのニュースを見ようとスイッチを入れたら、ちょうど最終発表の直前であった。
『TOKYO』に決まったことを確認した後はEテレにチャンネルを変えた。俳句、体操、短歌とここは隠者の世界の趣があった。

 ジムでは7年後の年齢が話題の中心。きっかけは若いスタッフの「7年後はわたし30ですよ!」であった。「まだまだ若いのに、私らどうなるの?80歳の大台やで!」「ジムで体を鍛えるどころかリハビリステーションかもしれんで」と突っ込まれる。生真面目なスタッフ「一緒にジムでオリンピック見ましょ。頑張りましょう」ととりなす。「2020年の東京オリンピックの時が30歳ということはまだ23歳か。ちょうど私が23の時が前の東京オリンピックやったな。」としみじみ思い出にふける老婦人。

 1964年の東京オリンピックの時、私は中学2年生。授業そっちのけで会議室に設置されたテレビを見に行ったことを思い出す。ビデオのない時代である。すべてが大らかだった。

 今回のプレゼンで安倍首相は全世界を相手に福島第一原発の汚染水問題は大丈夫と言い切った。このことが一番意義のあったことではなかろうか。真の力が試される。

 
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