素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

『藤本義一の文章教室』(PHP文庫)から

2014年09月07日 | 日記
 盆に帰省した時、母親の部屋の整理を手伝った。書棚付の机を処分して部屋を広くしたいと言うので本や雑誌、書類の仕分けをした。誰しもそうだが買った本にはそれぞれ思い出がある。それらを聞きながらの作業だったので時間がかかった。それでも80%余りの本や雑誌が荷造りひもでくくられたのだから『断捨離』のお手本になれるだろう。空っぽになった机は物置に収めてある。今度帰った時はそれの解体も大きな仕事だ。

 捨て去られる窮地から私の目に留まって大阪に引っ越してきた本が5冊ある。『藤本義一の文章教室』(PHP文庫)もそのひとつである。パラパラと見ただけで単なるHOW TOものでないことはわかった。懐かしい人になってしまった藤本さんの顔が浮かび「何を書いているのだろう?」と束にされず紙袋に入れられたのだ。

 気ままな読み方をしているので、まだPARTⅠである。そこに「言葉のリズム」に関してこうある。

 《一匹、二匹。三匹・・・・・・。
 というふうに書かれていたなら、なんの抵抗もなく、イッピキ、ニヒキ、サンビキと読む筈である。匹はピキともヒキともビキとも読めるのである。

 文章を綴る場合、私は、いつも、この一匹、二匹。三匹・・・・を発想の原点に置くことにしている。文字を単純に考えないためにである。一本、二本、三本にしても同じことである。イッポン、二ホン、サンボンである。外国語には、こういう微妙に異なる発音はない。
 本だけなら、誰でもホンとしか読まないが、これが一本とか日本という字になると、たちまちにして、ポンとなってしまう。日本は二ホンとも読むし、ニッポンとも読む。

 この変化は、ある種のリズムと解釈してもいい。言葉のリズムである。文章を読む時には、一種のリズム(言葉)に変える作業を読み手はごく自然に行なっているわけである。リズムは、いいテンポ(ハズミといってもいい)の連続で成り立っていると知るべきである。その点、文字もまた音楽と同じだと思う。自分は、どういうビートの文章を書けるかを、書きながら摑んでいくようにしなければならない。》


 そして、小説の懸賞などに応募されてくる文章を刈り込んで見せる。キーワードは「省略」と「置換」である。ちょうど今日の新聞に「未闘病記」を出版した笙野頼子さんへのインタビュー記事があった。その中で笙野さんは「中身はよく整理して刈り込みました。読みやすいはずですし、同病の方も手に取ってくださっているみたい」と語っている。藤本さんの言っていることと同じやなと思った。そうすることでどうなるかを藤本さんは続けて書いている。
《ハズミをつけると文章は活性化してくる。リズムが生まれる。すると、読者は気楽に読みとめることが出来る。読む方がリズムを覚えると、文字は相手の頭に飛び込んでいくことになる。文章が華麗に踊り始める》

これだと思った。原稿枚数625枚(400字詰め)の《明日の子供たち》をあっという間に読み終わらせたのはストーリーもさることながら、構成を含めたリズムの良さなのである。朝井まかてさんの一連の本を読んだ時も感じたが、この本の刈り込み方は質が違うと思った。有川さんの厳しさ、怒り、憤りを底に秘めたやさしさで紡ぎ出されてきた言葉を格調高く織り上げてできた文章を名園を預かる庭師のように刈り込んでいる。最後の最後は「砕かれた」と泣くほかはない。

 「明日の子供たち」はできるだけ多くの人に読んでもらいたい本である。

 
 
 

 
コメント
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