素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

W.M.ヴォーリズ没後50周年記念「ヴォーリズ・メモリアルin近江八幡」へ

2014年10月16日 | 日記
 W.M.ヴォーリズの建築に初めて出合ったのは六甲山。高山植物園へ向かう林の小道の途中でヴォーリズ設計の山荘があった。そして次が保存問題で大きなニュースとなった豊郷小学校旧校舎群や内田樹さんが勤められていた神戸女学院大学の校舎などである。それらが一挙に頭の中でくっついたのが玉岡かおるさんの「負けんとき上・下」(新潮社)であった。建築だけではなく近江兄弟社学園、メンソレータムなどとも関係が有ったことも知り、私にとっては衝撃的な出合いであった。また一柳満喜子と歩んだ生涯にも感銘を受けた。

 今、W.M.ヴォーリズ没後50周年記念「ヴォーリズ・メモリアルin近江八幡」というイベントが開催されている(10/4~11/3)と知り、完全休養日の今日、出かけることにした。行きは京滋バイパスから名神の栗東ICで下りて国道8号線で近江八幡へ入った。ゆっくり歩いてみてわかったのだが近江八幡という町はいろいろな顔を持っているように思った。秀次の築いた八幡堀を代表とする城下町の顔、隆盛を極めた近江商人の底力をうかがわせる町並み、ヴォーリズに代表される洋館群など洋風の顔などである。

 ゆかりの建物を巡り、展示されているパネルや満喜子さんの直筆の手紙、ヴォーリズの書画、讃美歌などにふれると「負けんとき」の本の中身がよみがえってくる。和洋融合の世界が随所にうかがえた。

 琵琶湖を中心に、古来より交通の要所であり文化の行き交う場所であったのだということを強く感じた。帰りは気分を変えて琵琶湖湖畔の道路を走った。心も体もリフレッシュできた。

デジブック 『近江八幡の町ブラ歩き』
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