素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

JR学研都市線わずか13分の出来事~「そうそうZAQ だった」

2014年10月27日 | 日記
 大阪マラソンの受付の帰り、地下鉄を乗り継いでJRの北新地駅から快速木津行きに乗車した。金曜日の午後3時過ぎなので列車は空いていた。大阪天満宮、大阪城北詰と停車する度に2~3人ずつ降りて、京橋で十数人が降りると車内は数人となった。車両の後部ドア付近に座っていた私のまわりには誰もいなくて貸し切り列車気分になることができた。「珍しいこともある」と思いながら文庫本の続きを読んでいた。電車の中でいいだろうと買った『名短編、ここにあり』(北村薫、宮部みゆき編・ちくま文庫)の中の「となりの宇宙人」(半村良著)である。古びたアパートの立ち並ぶ一角に円盤が不時着し、中からケガをした宇宙人が助け出されるシーンで、「まもなく放出です、大阪東線はここで乗り換えです。止まりましたホームの向かい側の列車にお乗りください。・・・」というアナウンスが流れた。いよいよ宇宙人が登場、話の展開はどうなるのだろうかと本の世界に没入しかけた時、列車がホームに停車した。瞬間窓の外に赤いものがちらつき、空気が違うと感じ本から目を離すと、赤い運動帽をかぶった遠足帰りの小学生がズラリと並んでいた。

 ドアが開くといっせいに赤帽軍団が入り込んできてあっという間に私の左右と向かいの席に押しくらまんじゅうのように座り、座れなかった者は私の前に立っていた。引率の若い男女の二人の教員は静かにお行儀よくするように目で呼びかけていく。その効果があったのはドアが閉まるまで。電車が動き始めるとあちらこちらでごそごそとツつつき合ったりじゃんけん遊びを始め出す。私の座っていた後部扉付近は男子で占めていたので余計に落ち着きがない。小学3年か4年ぐらいだからいたしかたないと諦め、本に目をやるものの集中できない。

 押し合いの余波が左側から伝わり、たたかれまいとよけた頭が右肩にあたったり、それを見て前に立っている連中が笑ったりと何とも座り心地の悪い状態に様変わりした。若い女の先生は無表情に抑揚のない口調で「だんだん声が大きくなってきました」と注意をし、ごそごそ動いている子の所に行っては無言で体を持ってきちんと座らせることを繰り返していた。

 次の住道で下車してくれないかと願ったが空しい希望に終わった。ホームの乗客は中を見るやサッと別の車両に移動する。私だけが取り残された感じで赤帽軍団の中に埋まっている。間が悪いことにその日は、私も赤い帽子をかぶっていた。ドアが閉まる時、ドア付近にいたグループの一人が手を伸ばしてドアに挟まれる手前で引っ込めるという古典的な遊びをした。まわりの子は「オー」とか「セーフ」とか小声で言ったが、マスクをかけた若い男の先生がつかつかと寄って来て抑揚のない調子で「500万円払う覚悟があるならやりなさい」と言った。きょとんとしている子どもたちに「それが原因で列車が遅れたとすると」と続けて、切符を右手で高く示した。「この列車に乗っている人、乗ろうとする人の切符の価値が下がることになる。1分列車を止めると500万円弁償しないといけない。君らが払えるか」と言うと「500万」「500万」・・・というささやきがさざ波のように広がった。「10分なら5000万円です。君たちの親が一生払い続けなければなりません」ダメを押した。「すみません。もうやりません」と反省の態度を示せば収まるところを、外野の子供が「1秒やったら?」と突っ込んだので「60で割ればいいんや、計算できないならするな」とプッツンした。思わず子供の代わりに暗算してしまった。おかげで四条畷までは気が紛れた。

 相変わらず乗客は敬遠して一人も乗ってこない。私もあと一駅の辛抱と覚悟を決める。ふと、テレビのコマーシャルでこちょこちょ動くのがあったなあと頭の中に映像は出てきた。しかし、なんのCMだったか名前が出て来ない。そうなると気になって仕方がない。あれこれ考えているうちに星田に着いた。

 席を立つとイス取りゲームのように数人の子供が押し寄せてきた。扉の前に立って動かない子どもたちに男の先生が目とジェスチャーで指示を出した。ホームに出た瞬間何とも言えない解放感にフ~ッと一息ついた。放出から星田までの13分間は別世界に滑り落ちた感じだった。

 CMのことはずっと頭に残った。3日後にようやく「ザック」という単語が閃いた。

ZAQ TVCM かけっこ篇 15秒
コメント
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