1979(昭和54)年から1995(平成7)年まで4期、長崎市長を務めた本島等さんが亡くなったとの報があった。失礼ながら「ああ、まだご存命だったんだ」と瞬間思った。92歳だった。報道によれば最後まで戦争と平和への思いを持ち続け、発言、行動をなされていたという。
本島さんの発言、行動は物議を呼び、さまざまな評価がなされるが、組織より個の意見を大切にされ、天皇の戦争責任、核の違法性、戦争の加害責任などで自身の体験を踏まえた立場を貫き通した姿勢は立派だったと思う。
訃報に接して、長く本棚で眠っていた『増補版・長崎市長への七三00通の手紙 天皇の戦争責任をめぐって』(径書房編)を取り出し読み返してみた。
1988年12月7日の長崎市議会における発言を巡っての一連の動きは異様な感がしたことを覚えている。マスコミの取り上げ方にも問題があるという気がした。このマスコミの姿勢はその後も改められることなく続いているように思う。その点で、径書房編集部の姿勢には目を見張る」ものがあった。今、読み返してもそれは変わらない。
この本には、本島市長の手もとに、1988年12月8日から1989年3月6日までに届いた書信(封書1559通、ハガキ4495通、電報1052通、電子郵便217通・総計7323通)のうち1989年2月19日に、市長から編集部に届いたものから編集部が厳選した約300通が収録されている。内容による内訳は支持、激励するもの6942通から190通、批判、抗議するもの381通から25通である。
そして、収録された1つの手紙をめぐって、解放同盟から『重大なる「事実曲解」の手紙、掲載した出版社の側にも問題』という抗議と要求なされるということもあり、その経過と解放同盟の要求書および編集部の見解も掲載されていて、2つの重い課題を背負ったものとなった。
しかし、そこに貫かれている姿勢は出版に関わるものの姿ではないかと考える。付記の最後にはこうある。
「いずれにしても私たちのこの問題についての対応の是非は、前掲の拙文を持ってご判断いただきたいと存じます。
異見をつき合わせて理性的かつ率直に論議することは、開かれた言論状況を作り出していくために、大いに歓迎されることです。
そのような望ましい気運が育ち、それに出版社として場を提供できるような適切な機会が生まれるならば、それもまた大いに喜ばしいことだと思いま す。
それぞれに人権の尊重を求め訴える組織の間に、なぜ対立があり、対立どころか、憎悪、敵対の関係を生まなければならぬものがあるのか。そのよう な相互の関係を、辛く、またどう考えたらよいのかという思いをもってみつめている立場は、決して少数のものではないのではないでしょうか。」
戦争を少年少女、青年、壮年としてくぐり抜けてきた80歳以上の方々の訃報が多くなってきた。昭和天皇実録も出版された。1つの歴史の曲がり角に来ていることは確かである。もう一度この本を「証言昭和史」として読み返してみたい。
ネット社会となり異見に対する寛容度は低くなってきているのではという危惧もある。1人の人物を絶対善、逆に絶対悪とするような世の中は決して健全ではないと思っている。また異なる立場の者を直接的な暴力(テロ行為)や匿名の誹謗、中傷で抹殺しようとする行為からは建設的なものは生まれない。歴史を学び直して痛切に感じていることである。
本島さんの発言、行動は物議を呼び、さまざまな評価がなされるが、組織より個の意見を大切にされ、天皇の戦争責任、核の違法性、戦争の加害責任などで自身の体験を踏まえた立場を貫き通した姿勢は立派だったと思う。
訃報に接して、長く本棚で眠っていた『増補版・長崎市長への七三00通の手紙 天皇の戦争責任をめぐって』(径書房編)を取り出し読み返してみた。
1988年12月7日の長崎市議会における発言を巡っての一連の動きは異様な感がしたことを覚えている。マスコミの取り上げ方にも問題があるという気がした。このマスコミの姿勢はその後も改められることなく続いているように思う。その点で、径書房編集部の姿勢には目を見張る」ものがあった。今、読み返してもそれは変わらない。
この本には、本島市長の手もとに、1988年12月8日から1989年3月6日までに届いた書信(封書1559通、ハガキ4495通、電報1052通、電子郵便217通・総計7323通)のうち1989年2月19日に、市長から編集部に届いたものから編集部が厳選した約300通が収録されている。内容による内訳は支持、激励するもの6942通から190通、批判、抗議するもの381通から25通である。
そして、収録された1つの手紙をめぐって、解放同盟から『重大なる「事実曲解」の手紙、掲載した出版社の側にも問題』という抗議と要求なされるということもあり、その経過と解放同盟の要求書および編集部の見解も掲載されていて、2つの重い課題を背負ったものとなった。
しかし、そこに貫かれている姿勢は出版に関わるものの姿ではないかと考える。付記の最後にはこうある。
「いずれにしても私たちのこの問題についての対応の是非は、前掲の拙文を持ってご判断いただきたいと存じます。
異見をつき合わせて理性的かつ率直に論議することは、開かれた言論状況を作り出していくために、大いに歓迎されることです。
そのような望ましい気運が育ち、それに出版社として場を提供できるような適切な機会が生まれるならば、それもまた大いに喜ばしいことだと思いま す。
それぞれに人権の尊重を求め訴える組織の間に、なぜ対立があり、対立どころか、憎悪、敵対の関係を生まなければならぬものがあるのか。そのよう な相互の関係を、辛く、またどう考えたらよいのかという思いをもってみつめている立場は、決して少数のものではないのではないでしょうか。」
戦争を少年少女、青年、壮年としてくぐり抜けてきた80歳以上の方々の訃報が多くなってきた。昭和天皇実録も出版された。1つの歴史の曲がり角に来ていることは確かである。もう一度この本を「証言昭和史」として読み返してみたい。
ネット社会となり異見に対する寛容度は低くなってきているのではという危惧もある。1人の人物を絶対善、逆に絶対悪とするような世の中は決して健全ではないと思っている。また異なる立場の者を直接的な暴力(テロ行為)や匿名の誹謗、中傷で抹殺しようとする行為からは建設的なものは生まれない。歴史を学び直して痛切に感じていることである。