1日1人と決めて、20人の志士の漢詩とともにその人生を林田さんに案内してもらった。幕末から維新にかけて激動する時代と政治の状況に、積極的に関わり劇的な人生を送った20人である。元々は『歴史読本』での連載に登場した15人に、新たに5人加筆されているので安政の大獄、桜田門外の変あたりの記述が繰り返して書かれている。ただ、所属する藩や生まれ年の違いでそれぞれへの光の当たり方が違うので1つの事件を多角的に見ることができて良かった。
この本のおかげで以前掘り出し物のように買い求めた『江戸300藩の意外な「その後」』(PHP研究所)に書かれていたエピソードのいくつかがより深められた。
たとえば、「これも家臣の乗っ取り?藩主不在で行なった必死の復興活動」とタイトルをつけられた【松山藩】の家老山田方谷のことである。備中松山藩主の板倉勝清は大政奉還後、鳥羽伏見の役が起こると、将軍徳川慶喜とともに大坂から江戸に逃げ帰った。西郷隆盛率いる東征軍が江戸に迫ると、勝清は榎本武揚らとともに函館に渡り、五稜郭に籠もって維新政府軍に抵抗した。
そのため、新政府軍から錦の御旗を渡された岡山藩が松山藩征討を命じられ、松山藩は朝敵になってしまった。この苦境を乗り切って、松山藩を戦火に見舞わせることなく安堵させたのが、その時64歳だった山田方谷である。
林田さんは「山田方谷は、幕末維新に活躍したいわゆる志士ではない。備中松山藩、現在の岡山県高梁市一帯を治めていた佐幕派の譜代小藩に仕えて、その激動期を事なく守り抜いた儒者にして家老であった。その強堅な意志と誠実な識見は一貫して志士的であった」と方谷の漢詩とともに、その人生を紹介している。現存する12天守の1つとして、今人気のある備中松山城のことが合わされ、感銘を受けた。
そのような人物に目配りしていることもこの本の魅力である。
それでいうともう一人、『江戸300藩の意外な「その後」』で「戦いはまだ終わっていない!維新後も続いた一藩士の挑戦」とタイトルをつけられた【米沢藩】の雲井龍雄もそうである。林田さんのおかげでぐっと人物像が深められた。方谷とは真逆の生き方をしたが、そこには相通じるものを感じた。
他にも、月性という魅力的な人物を知ることができたし、ラストの西郷隆盛、勝海舟では今まで知らなかった両者の関係について二人の漢詩を軸に見事に描き出している。
『江戸300藩の意外な「その後」』と『幕末維新の漢詩~志士たちの人生を読む~』(林田愼之助著・筑摩選書)はセットでこれからも折にふれ読んでいくであろう。
この本のおかげで以前掘り出し物のように買い求めた『江戸300藩の意外な「その後」』(PHP研究所)に書かれていたエピソードのいくつかがより深められた。
たとえば、「これも家臣の乗っ取り?藩主不在で行なった必死の復興活動」とタイトルをつけられた【松山藩】の家老山田方谷のことである。備中松山藩主の板倉勝清は大政奉還後、鳥羽伏見の役が起こると、将軍徳川慶喜とともに大坂から江戸に逃げ帰った。西郷隆盛率いる東征軍が江戸に迫ると、勝清は榎本武揚らとともに函館に渡り、五稜郭に籠もって維新政府軍に抵抗した。
そのため、新政府軍から錦の御旗を渡された岡山藩が松山藩征討を命じられ、松山藩は朝敵になってしまった。この苦境を乗り切って、松山藩を戦火に見舞わせることなく安堵させたのが、その時64歳だった山田方谷である。
林田さんは「山田方谷は、幕末維新に活躍したいわゆる志士ではない。備中松山藩、現在の岡山県高梁市一帯を治めていた佐幕派の譜代小藩に仕えて、その激動期を事なく守り抜いた儒者にして家老であった。その強堅な意志と誠実な識見は一貫して志士的であった」と方谷の漢詩とともに、その人生を紹介している。現存する12天守の1つとして、今人気のある備中松山城のことが合わされ、感銘を受けた。
そのような人物に目配りしていることもこの本の魅力である。
それでいうともう一人、『江戸300藩の意外な「その後」』で「戦いはまだ終わっていない!維新後も続いた一藩士の挑戦」とタイトルをつけられた【米沢藩】の雲井龍雄もそうである。林田さんのおかげでぐっと人物像が深められた。方谷とは真逆の生き方をしたが、そこには相通じるものを感じた。
他にも、月性という魅力的な人物を知ることができたし、ラストの西郷隆盛、勝海舟では今まで知らなかった両者の関係について二人の漢詩を軸に見事に描き出している。
『江戸300藩の意外な「その後」』と『幕末維新の漢詩~志士たちの人生を読む~』(林田愼之助著・筑摩選書)はセットでこれからも折にふれ読んでいくであろう。