日曜日の楽しみ、宮間俊樹さんの「芭蕉の道・おくの細道」が終わった。岐阜県大垣市「奥の細道むすびの地」とされる船町港跡付近の写真が締めである。晩春に始まり、秋に終わる。美しい写真と共に紀行文を楽しませてもらった。
旅立ちの時に江戸の門弟たちとの別れを惜しんだ「行く春や鳥啼魚の目は泪」の句と大垣のたくさんの門人たちとの別れを詠んだ句「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」を比べると「蛤の」句のほうが内容は重いが、言葉は軽々している。約150日間の旅で芭蕉が最終的に得た「かるみ」を感じることが出来る。
長谷川 櫂さんは、「かるみ」とは悲惨な世界を軽々と生きてゆくことだと言う。芭蕉は尿前の関から市振の関の旅の中で不易流行という宇宙観にたどり着いた。宇宙は絶えず変化(流行)しながら、実は不変(不易)である。時の流れとともに花や鳥も移ろい、人も生まれて死んでゆく。その花や鳥や人もまた不易なるものが時とともに流行する姿ととらえる。
人の世が出会いと別れを繰り返しながら、そのじつ何ひとつ変わらないのであれば、出会いや別れに一喜一憂することなく、不易に立って流行を楽しみながら軽々と生きていきたいというのが芭蕉の願いか。
宮間さんの次の「芭蕉の道」は「おくのほそ道」の5年前になされた芭蕉初の俳諧紀行文「野ざらし紀行」の行程を旅するようだ。また、楽しみだ。
旅立ちの時に江戸の門弟たちとの別れを惜しんだ「行く春や鳥啼魚の目は泪」の句と大垣のたくさんの門人たちとの別れを詠んだ句「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」を比べると「蛤の」句のほうが内容は重いが、言葉は軽々している。約150日間の旅で芭蕉が最終的に得た「かるみ」を感じることが出来る。
長谷川 櫂さんは、「かるみ」とは悲惨な世界を軽々と生きてゆくことだと言う。芭蕉は尿前の関から市振の関の旅の中で不易流行という宇宙観にたどり着いた。宇宙は絶えず変化(流行)しながら、実は不変(不易)である。時の流れとともに花や鳥も移ろい、人も生まれて死んでゆく。その花や鳥や人もまた不易なるものが時とともに流行する姿ととらえる。
人の世が出会いと別れを繰り返しながら、そのじつ何ひとつ変わらないのであれば、出会いや別れに一喜一憂することなく、不易に立って流行を楽しみながら軽々と生きていきたいというのが芭蕉の願いか。
宮間さんの次の「芭蕉の道」は「おくのほそ道」の5年前になされた芭蕉初の俳諧紀行文「野ざらし紀行」の行程を旅するようだ。また、楽しみだ。