素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

木語「核威嚇のなれの果て」を読んで

2022年10月27日 | 日記
 朝刊の会川晴之さんのコラム・木語は「核威嚇のなれの果て」というタイトルであった。ロシアのことかなと思ったが、さにあらず核兵器を脅し道具に使う手法の元祖はアメリカという話。

 最初はトルーマン大統領、朝鮮戦争が長期化する懸念が出始めた1950年11月に中国への核兵器使用をほのめかす。1953年にはアイゼンハワー大統領が、休戦に応じなければ核を使うと中国を脅し、朝鮮戦争の休戦協定をまとめ上げた。この時の副大統領がニクソンで「核の脅しは使える」と確信したという。

 1969年に大統領に就任したニクソンは、泥沼化したベトナム戦争からの「名誉ある撤退」を公約に掲げていた。しかし、北ベトナムとの和平交渉は行き詰まり思うように進まない。核攻撃も考えたみたいだが、国内外の反発を恐れおもいとどまった。そして選んだのは北ベトナムの「後ろ盾」と見たソ連を核で脅す作戦。核爆弾を載せた爆撃機や核ミサイルを積む原子力潜水艦による揺さぶりをソ連に、再三かけたが成果は上がらず「名誉ある」ベトナムからの撤退に失敗した。

 晩年、ニクソン氏はウォーターゲート事件で追い詰められた。泥酔しては核兵器の使用を命じたという。核のボタンの乱用を恐れたシュレシンジャー国防長官は「大統領から軍事行動命令が出たら、実行前に必ず私に連絡を」と、大統領権限を侵す指令を軍制服組トップに出していた。という話は背筋が凍った。

 核の威嚇の効果を信じ、それに溺れた大統領の悲しい末期の話は、今のプーチン大統領と重なったしまった。今のロシアにシュレシンジャー国防長官のような人物はいるのか?はなはだ心もとない。
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