ひょんなことから第1回大阪マラソンに応募し、運よく当選してから寝屋川公園の周回コース(4km)をメインにしたランニング記録をつけているので自分の脚力、持久力の変化はつかめている。昨年の8月末に左足の膝周りを故障してから長い距離を走るどころか歩くことさえできない日が続いた。寝屋川公園往復の10kmコースをやっと歩けるようになったのが今年の3月末、2時間2秒かかった。やはり7ヶ月のブランクは大きかった。6カ月余りで1時間5分30秒までにはなったが、コンスタントに1時間前後で走っていた頃の状態とはほど遠いものがあった。
まだまだ左足への不安感は払拭出来ず、スピードアップや10kmよりも長い距離を走ることはなるべく控えるようにしていた。ポイント、ポイントでは20kmや30kmを試したが、持久力の衰えは記録を比較すれば歴然としていた。
そこで今回の大阪マラソンはとにかく制限時間内にゴールすることを目標にした。スタートから1km7分~7分30秒ぐらいのペースで20kmぐらいまで粘り後は余力のあるうちにウォーク&ランで足がけいれんしないようにゴールまで行く。というプランをたてた。
季節外れの夏日という暑さになったが、スタートから14kmまでの玉造筋、千日前通、御堂筋北行き、土佐堀通はビル陰が多くさほど苦にならなかったが14kmを過ぎた御堂筋の南行きに入ると真正面から☀を受けて、体に堪えてきた。加えて出発から2時間近く、お昼時で早朝蓄えたエネルギーも残り少なくなってきたので予定よりも4km早くウォーク&ランに切り替えた。
給水は2km~3kmごとに設置されている給水所できっちり取ることができたが、給食は23km地点までない。この部分が前半の苦しかったことである。後半は制限時間との戦いとなった。
関門所は、5.3km,10.5km,13.8km,20.0km,22.6km,26.5km,30.6km,34.2km,38.2km,41.6kmの計10地点である。制限時間を初めて意識し始めたのは34.2km地点の14時38分である。手前3kmほどの地点で制限時刻の予告標示板があり、今の自分のペースで計算するとあまりゆとりがないということになった。そこからは時計をストップウォッチから時刻表示に切り替えた。そこからはランを多めに入れていった。38.2km地点の15時14分をクリアした時これで関門は終わったと思った瞬間、係の人が「さあ関門はあと1つです。41km収容門を15時57分までに通過して下さい。ここまで来たら完走メダルをもらいましょう」とハンドマイクで、精神的にはこの時がきつかった。体力は温存してきたので走ることはできたが何かの拍子で痙攣に襲われる公算は大なので急ぎつつ慎重に歩を進めた。沿道では横たわって意識朦朧医師の手当てを受けている人や必死でストレッチをしている人、座り込んでいる人が多くいて、仲間に加わってはいけないと時計をにらみ計算をしながらの一歩一歩であった。
最後の関門を抜けた後、最後は走ってゴールだといって走り始めた何人かの人が痙攣のため座り込んでいる姿を見かけたのでラスト220mのonly oneロードも歩いてゴールした。自分自身が測ったスタートからのタイムは6時間33分16秒だが、号砲からスタート地点まで約13分かかったのでそれをプラスすると6時間46分16秒。制限時間の7時間まで約14分。滑り込みセーフといったところ。とりあえず、42.195kmという距離に足が耐えることができたということがわかり満足している。今回の大阪マラソンは目標というより再出発点ととらえている。
まだまだ左足への不安感は払拭出来ず、スピードアップや10kmよりも長い距離を走ることはなるべく控えるようにしていた。ポイント、ポイントでは20kmや30kmを試したが、持久力の衰えは記録を比較すれば歴然としていた。
そこで今回の大阪マラソンはとにかく制限時間内にゴールすることを目標にした。スタートから1km7分~7分30秒ぐらいのペースで20kmぐらいまで粘り後は余力のあるうちにウォーク&ランで足がけいれんしないようにゴールまで行く。というプランをたてた。
季節外れの夏日という暑さになったが、スタートから14kmまでの玉造筋、千日前通、御堂筋北行き、土佐堀通はビル陰が多くさほど苦にならなかったが14kmを過ぎた御堂筋の南行きに入ると真正面から☀を受けて、体に堪えてきた。加えて出発から2時間近く、お昼時で早朝蓄えたエネルギーも残り少なくなってきたので予定よりも4km早くウォーク&ランに切り替えた。
給水は2km~3kmごとに設置されている給水所できっちり取ることができたが、給食は23km地点までない。この部分が前半の苦しかったことである。後半は制限時間との戦いとなった。
関門所は、5.3km,10.5km,13.8km,20.0km,22.6km,26.5km,30.6km,34.2km,38.2km,41.6kmの計10地点である。制限時間を初めて意識し始めたのは34.2km地点の14時38分である。手前3kmほどの地点で制限時刻の予告標示板があり、今の自分のペースで計算するとあまりゆとりがないということになった。そこからは時計をストップウォッチから時刻表示に切り替えた。そこからはランを多めに入れていった。38.2km地点の15時14分をクリアした時これで関門は終わったと思った瞬間、係の人が「さあ関門はあと1つです。41km収容門を15時57分までに通過して下さい。ここまで来たら完走メダルをもらいましょう」とハンドマイクで、精神的にはこの時がきつかった。体力は温存してきたので走ることはできたが何かの拍子で痙攣に襲われる公算は大なので急ぎつつ慎重に歩を進めた。沿道では横たわって意識朦朧医師の手当てを受けている人や必死でストレッチをしている人、座り込んでいる人が多くいて、仲間に加わってはいけないと時計をにらみ計算をしながらの一歩一歩であった。
最後の関門を抜けた後、最後は走ってゴールだといって走り始めた何人かの人が痙攣のため座り込んでいる姿を見かけたのでラスト220mのonly oneロードも歩いてゴールした。自分自身が測ったスタートからのタイムは6時間33分16秒だが、号砲からスタート地点まで約13分かかったのでそれをプラスすると6時間46分16秒。制限時間の7時間まで約14分。滑り込みセーフといったところ。とりあえず、42.195kmという距離に足が耐えることができたということがわかり満足している。今回の大阪マラソンは目標というより再出発点ととらえている。