素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

明鏡国語辞典

2021年03月21日 | 日記
 今日の新聞一面下の広告欄は「学びの春に この一冊」というコピーで6冊の辞(事)典が並んでいた。その中に『明鏡国語辞典・第三版』があった。10年ぶりの大改訂で新たに約3500語を増補したとあった。この辞典の目玉である誤用の情報や紛らわしい漢字の使い分けなど、言葉の使い方の解説もさらに増強とくれば迷うことなく購入を決めた。

 今は2007年5月に買った《初版第五刷・携帯版》を愛用している。先だって脈拍数のことを書いた時、参考に「脈がある」を引いてみた。初版では「①脈拍があり、生きている ②見込み 望みがある。「この取引はまだー」という具合で広辞苑とさほど違いはなかったが、これまた愛用しているカシオの電子辞書EX-wordに入っている第二版を見ると、その後に【注意】が加えられていた。【男女関係についていうことも多いが、「気がある」の意で使うのは誤り。「〇脈があるようなので彼女に告白する」「✕彼、私に脈があるみたい」】この【注意】が真骨頂だと思う。たまたまそういうことを楽しんだ後の「第三版」の広告、タイミングも良かった。

 編者の北原保雄さんが監修している「問題な日本語」(大修館書店)とその番外である「かなり役立つ 日本語クロスワード」もかねてから愛読している。自分の誤用に( ゚д゚)ハッ!とすることもたびたび。いい刺激になる。
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続・一流を見る

2021年03月20日 | 日記
 昨日、小野夫妻、遠藤、三栗のトップアスリートの演技を中学時代に見たという話をした。多感な時期に一流選手の演技を目の前で見るというのは貴重な経験である。まして、今と違って情報媒体の乏しい時代である。三重県の志摩地方は交通も不便だったし陸の孤島という感じであった。こんな地方の中学校に呼ぶことが出来たのか?謎のままである。もう一人、忘れられない人物がいる。卓球の長谷川信彦選手である。
 名古屋電気工業高校時代の1964年に、全国高等学校卓球選手権大会男子複に優勝。愛知工業大学に進学した翌1965年には、史上最年少の18歳9ヵ月で全日本卓球選手権大会男子単を制し、全日本選手権男子単では総計6度の優勝に輝いている。世界選手権でも合計5つの金メダルを獲得した名選手である。
 長谷川はドライブ主戦型の選手で、特にフットワークを生かした中・後陣からのパワードライブと、ロビングによる鉄壁の守備を得意とした。鍛え抜かれた肉体から放たれる強力なドライブは後陣に下がっている選手をもノータッチで抜くことがあるほどで、「ジェット・ドライブ」と呼ばれ、その発達した上腕二頭筋から「ポパイ」の愛称で親しまれた。
 目の前で見た模範演技で度肝を抜かれた。球の早さと正確なコントロールは『ピンポン』と言っていた卓球のイメージをガラリと変えられた。腕の太さも半端ではなかった。
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小野清子さんが亡くなられた

2021年03月19日 | 日記
 今日の新聞では、「東海第2原発差し止め」「緊急事態21日解除決定」「伊方3号機は稼働容認」「センバツが開幕」「五輪式典責任者が辞任」「黒川元検事長略式起訴」「米中の外交当局トップの会談」などよりも「小野清子(85歳)さん死去」の記事に目が留まった。骨折の治療で入院中に新型コロナウイルスに感染され、容態が急変して13日に亡くなられたとのこと。
 たまたま昨夜、妻が本棚で探し物をしていた時、突然「ウワァ若い!」と声を上げた。偶然、次女の宮参りの後の家族写真を見つけたのである。30数年前だから30代半ばである。「当たり前やろ」と返したが、そのような写真を撮った記憶が全くないということに戸惑った。台紙には浜島の父の従兄妹にあたる山崎写真館とあるから、わざわざそちらまで出かけて行ったのだろうが記憶の欠片もない。「私は覚えている!」と妻は言い切った。「写真が事実を証明している。」には黙るしかない。「たまに昔の写真を見るのも脳の活性化にいいみたいやで」ということになり中学校の卒業アルバムなどを見て、少しノスタルジックな気分になっていたのである。
 私の母校文岡中学校は鵜方と賢島の中間点にある小高い丘の上にあった。
  木造平屋の老朽校舎だったが、1959年(昭和34年)3月に、4年前廃校になった三重県立志摩高等学校南校舎(鵜方校舎)を譲渡されその校舎とグラウンドも使用していたので敷地面積は県下でも一番広かったのではないかと思う。その年の9月26日、伊勢湾台風に襲われ大きな被害を受けた。東、西の両校舎の復旧には半年ほどかかったそうだ。ともなって体育館の新設も始まり、完成したのが1963(昭和38)年3月31日。私が入学した年だった。
 その祝賀イベントに、小野夫妻、遠藤、三栗の日本トップクラスの体操選手が招待されていて演技を目の前で見た。小野喬さんは当時「鬼に金棒、小野に鉄棒」と呼ばれていて、全日本体操競技選手権の個人総合で7回の優勝、オリンピックでも4大会連続で出場し 、金メダル5つ、銀メダル4つ、銅メダル4つを獲得した。遠藤幸雄さんもローマ,東京,メキシコと 3大会連続出場し、五輪の男子体操競技団体総合 3連覇に貢献し,東京五輪で日本人初の個人総合優勝に輝き,3度の五輪で金メダル 5個,銀メダル 2個を獲得した。一流の技に魅了されたのと小野清子さんの華麗さに思春期の私はドキドキしたものだ。
 あれから半世紀以上経っているが、記憶の奥底にずっと生き続けている。今日の訃報でそれらが掘り起こされた。
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花散歩⑤傍示川の桜 10輪ほど開花

2021年03月18日 | 日記
 大阪城にある大阪の標本木は1輪しか開花しておらず開花宣言は持ち越し。私は勝手に決めてる傍示川の桜の標本木に行って来た。全体は「つぼみかたし」と言ったところだが、橋のふもとの標本木は10輪ほど開花が見られた。
 ☚右手前標本木☚アップ

 明日は今日よりも2℃高い21℃になるとの予想が出ている。大阪の開花宣言も99%なされるだろう。傍示川も来週末には薄いピンクのトンネルができるだろう。

 白や黄色の花が多い春先、紫木蓮の赤紫は目を引く。
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毎年よ 彼岸の入に 寒いのは (正岡子規)

2021年03月17日 | 日記
 春分の日(3月20日)を中日に前後3日を含めた7日間が春の彼岸である。今日が彼岸の入。日中は17℃前後と過ごしやすいが朝夕は6℃前後と冷える。それでも子規さんの頃に比べれば温暖化の影響でずい分暖かくなっているのだろう。

 各地のサクラの開花が聞かれる。東京は昨年と同じだが他は観測史上最も早い開花だと報じていた。傍示川の桜並木で一番開花の早い木が決まっている。勝手に星田山手の標準木と決めている。明日あたり開花状況を確認に行ってこようかな。

 今日の『余録』は黄砂に関する話。ここ何日か市内の方が霞んでいるなと思っていたが黄砂のせいなんだと納得。北京ではここ10年で最大の黄砂らしい。初めて知ったのだが俳句の世界では「つちふる」という季語があり、漢字では『霾』と書く。近視、老眼、乱視の入り混ざった目には新聞の活字でこの字の正確な形は判別しずらい。辞書で確かめるというひと手間がかかる。『余録』を書き写すペースが落ちる。しかも、全部で6回も出てくるので書き写しが終わった時にはバッチリ覚えた。これに限らず画数の多い漢字が多く使われている時は大変である。

 「真円き夕日霾なかに落つ」(中村汀女)黄濁した西空に落ちていく真円の夕日は確かに美しいが毎日では困る。

 「暑さ 寒さも 彼岸まで」とはよく言ったものだ。

 
コメント (1)
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