~敗北が決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。
野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける…。
平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的作品である。「BOOK」データベースより
「読んでおくべき一冊」という触れ込みだったので、図書館で借りてきました。2014年に映画化もされている作品です。
文章が難しく哲学的で、時折難しい漢字の使い方をしていたので、なかなか読むのに時間がかかりました。
「世界の戦争史上、最も愚かな作戦」と称される「インパール作戦」など、太平洋戦争末期の日本軍司令部の戦争計画の無謀さには、「?」が付きまといます。
その象徴の一つである「レイテ島の戦い」ですが、延べ84,000人の日本軍人が投入され、結果80,000人余りが戦死。
といっても、実際の戦闘で亡くなったというよりも、餓死や病死した兵士の数の方が多かったとも聞いています。
著者の「レイテ戦記」では、より詳しくレイテ島での悲惨な状況を語っています。
フィリピンをはじめとする南方での日本軍の戦いぶりは惨憺たるもので、いま冷静に見てみると「なんでこんな無謀な作戦を?」と思うのですが、当時の情報伝達の杜撰さ、思い込み、そして日本人独特の「最後には神風が!」とか、「敵の捕虜になるぐらいなら自決せよ!」などという、とんでもない考え方が「正しい」とされていたんですね。
教育というか軍規というか、戦争時における精神の方向性というのは本当に恐ろしいものです。
筆者の大岡昇平氏は、1909年(明治42年)3月6日生まれ、1988年(昭和63年)12月25日没のまさに戦争世代の方です。
ご自身も1944年7月に応召され、フィリピンのマニラに派遣され、第百五師団大藪大隊、比島派遣威一〇六七二部隊に所属されたそうです。
なかなか手にとられにくいテーマであり、作品でありますが、戦争の悲惨さを語り継ぐ人たちがお亡くなりになっていく現実の中で、このような本物の私小説ともいえる作品を是非若い人たちにも読んで欲しいものです。
★★★3つです。
野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける…。
平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的作品である。「BOOK」データベースより
「読んでおくべき一冊」という触れ込みだったので、図書館で借りてきました。2014年に映画化もされている作品です。
文章が難しく哲学的で、時折難しい漢字の使い方をしていたので、なかなか読むのに時間がかかりました。
「世界の戦争史上、最も愚かな作戦」と称される「インパール作戦」など、太平洋戦争末期の日本軍司令部の戦争計画の無謀さには、「?」が付きまといます。
その象徴の一つである「レイテ島の戦い」ですが、延べ84,000人の日本軍人が投入され、結果80,000人余りが戦死。
といっても、実際の戦闘で亡くなったというよりも、餓死や病死した兵士の数の方が多かったとも聞いています。
著者の「レイテ戦記」では、より詳しくレイテ島での悲惨な状況を語っています。
フィリピンをはじめとする南方での日本軍の戦いぶりは惨憺たるもので、いま冷静に見てみると「なんでこんな無謀な作戦を?」と思うのですが、当時の情報伝達の杜撰さ、思い込み、そして日本人独特の「最後には神風が!」とか、「敵の捕虜になるぐらいなら自決せよ!」などという、とんでもない考え方が「正しい」とされていたんですね。
教育というか軍規というか、戦争時における精神の方向性というのは本当に恐ろしいものです。
筆者の大岡昇平氏は、1909年(明治42年)3月6日生まれ、1988年(昭和63年)12月25日没のまさに戦争世代の方です。
ご自身も1944年7月に応召され、フィリピンのマニラに派遣され、第百五師団大藪大隊、比島派遣威一〇六七二部隊に所属されたそうです。
なかなか手にとられにくいテーマであり、作品でありますが、戦争の悲惨さを語り継ぐ人たちがお亡くなりになっていく現実の中で、このような本物の私小説ともいえる作品を是非若い人たちにも読んで欲しいものです。
★★★3つです。