玄徳道

道を語るブログです。

道よ開けよ。

2022-01-01 18:00:00 | 私的考察
正月。あけましておめでとうございます。

されど、人の不幸があれば、年賀の挨拶はしないのも人の世。

幾億千万年のカナタの中で、人の行いは、維新。その命維れ、新たなりと。それが正月の意識であり、新たな年を愛でたくしたい、人の思い。世界の殆どの人の願い。

除夜の鐘を聞き、初詣をし、親類とより、親しむ。

最近は、私事でありますが、正月が近くなると、苦しくなる。心が押し潰されそうになる。心が晴れない。
しかし、正月が過ぎれば解放される。

私は独自の思考で思う。年の移り変わりなど、人間の幻想、そこに活路を見出す、人の習慣。

その習慣により、人は発展もしてきたが、それにより、囚われる。

めでたいとめでたくないも、紙一重。

正月が来れば全ての人が幸せになる事は無い。しかし、そうなれば良いのにね。

今日は正月。うちの実家からの父、母、そして、弟との家族、私の家族が三宮のホテルに集まって新年会開きました。発起人は、弟。

午前十一時の待ち合わせと聞いた記憶のまま、待っいて、父母は大概はやく来るのに来ないので電話したら、十二時と言う。息子は彼女と徹夜で遊んでいたが、参加してくれ、直接早く来ていて、うちの家族三人で生田神社に参拝しました。三人で初詣は十年以上ぶり。大概、嫁は混雑を嫌い、息子は遊びに行き、私一人の初詣が多いので、私の記憶違いに感謝。

そして、十二時皆が集合、母が弟の事で相談があると言う。弟の嫁と子供三人は来ていて、弟は来ていない。母に話しを聞くと不倫とか借金とか、何とか云々。

私は親類との情が希薄、即ち薄情であり、普段は特に連絡はしないし、面倒。元気であれば干渉したくない。

しかし、弟はいったい何をやっているのかと、少し怒りが湧く。我が異父弟。うちの父(継父)も相当な変わりものだったから、仕方が無いとは思うが、弟の嫁と三人の子供がかわいそう過ぎる。言って聞かせても、恋の病気に罹っていれば、その不幸を臨むしか出来ない。
不倫する奴は腹切って詫びろと言いたいが電話も出ないし、人の夫婦の事はなかなか難しい。

まあ、多くの人の世には、この様な事があるのであろう。人にエロスもあるし、アガペーもある。
愛欲も昇華すれば真愛となるし、無償の愛も過ぎれば、嫌悪に変わるかも知れない。

この世は移ろいで行くのみ。

やれやれだ。

人の信仰もまた、移ろいで行く。お陰を下さるうちは参拝し、不幸が続くと貧乏神と忌み嫌い、信仰を辞める。
それは、何故か、人が神を信ぜずに宗教やその教義を信ずるからである。

人間が作った有形の物や教えなどに縛られるからである。

真の信仰とは、神交(しんこう)である。

神と出逢わなければ、誠の信仰など出来ない。

そして、人が真に真の神を求めれば、必ず与えられるのである。人が神を求めて尚且つ物を求めれば決して与えられない。

何故ならば、神に通じるのは至誠のみ。

身を誠にするに道があり。

善を明らかにしなければ、身も誠にならず。

誠は天の道なり。

これを誠にするは人の道なり。

誠は勉めずして、中(あた)り、思わずして得、従容(焦らず、ゆうゆう)として、道に当る、聖人なり。

人の世の習慣って不思議だなあと、感じる変人ですが、今年も宜しくお願い申し上げます。





コメント (4)
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