散歩者goo 

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昨日記150110土(今宮戎 吉本隆明)

2015年01月11日 13時44分02秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴 最高/最低℃ =9.6  4.8
昨日は、目覚ましを切って寝たので、起床したら7時30分近かった。
午前中いくつかの案内状や、FBの展覧会情報を見ながら、予定を組んだ。

夕方になって、久しぶりに今宮戎に出かけることにした。
今宮戎には、過去5回も行っていないと思う。
最後に行ったのは、多分ここ10年以内だが、5年以内には行っておらず、自営業で営業活動していた時に行ったように思う。

元々、神仏に頼るとか、占いを信じたり、縁起を担いだりはしないし、行動したり計画するときに占いや厄や縁起を考えたりしたことはない。
遊びでおみくじを買ったり、占ったりすることはあるが、普段は全く興味もない。
確率的に、運が悪い時とか逆に運がいいということが起きることは、数学的に明らかである。
それが占いで分かれば数学はいらないし、大勢の人が宝くじで金持ちになるだろう。
銭湯でも、若い時から下駄箱はいつも空いている42番(死に)を愛用しているが、特別に問題を感じたことはないし、現に今も貧しいが、この歳まで楽しく元気に健康に暮らしていて、満足している。

そんな感じで、信心の薄い私だが、信仰心は分かるし、子供のころは、毎日祝詞を唱えたりお経を読んだりしていた。
大人になってからは、聖書も読んだし、古寺巡礼や仏像の心と形に魅せられて、奈良や京都の古寺を回ったし、仏典や聖書関係の解説書(新書)も読んでいて、関心はあるし、他人の信仰心は尊重する。
今でも、神社仏閣や仏像を見ることは好きである。
同時に年中行事やお祭りにも興味を持っていて、よく見に行く。
日本の文化風土を構成する年中行事やお祭りは、神社やお寺といった宗教と切り離せないことが多く、お祭りは神を祀るでもあり宗教行事そのものである。(お神輿)
哲学や思想や考古学や民族学・民俗学に興味を持っていて、その視線で文化風土をみることもあるが、その中でも宗教思想が、文化風土や人の生き方や経済活動にまで、影響を及ぼしていることは疑いないと思うし、多くの学者がそうしたことを論じている。
ウエーバーは、プロテスタントと資本主義の関係を論じている。
モスリムでは、単なる資本主義とは違った経済活動の在り方をしている。
日本文化の中には、神仏は欠かせないし、お祭りも日本の風土の重要な文化要素を構成している。

特に祭りは神楽や神輿やだんじりの運行や、その他の練り歩きとか囃子に、露店やにぎやかで陽気な雑踏や参拝といったものが、混然一体となった祭りの雰囲気が、子供の時の祭の興奮の原体験の香りを呼び覚まし、どんな祭りでも見に行きたくなる。
そうした意味で、お祭りや年中行事は好きで、社会人になってからよく出かけるようになった。

今宮戎へは、難波まで出て南海電車で行った。
始め、高野線の1番乗り場が前方にあるのを知らず、2番線の急行に乗った。
出発前の案内で急行であることに気付き、普通電車のホームを探した。
このため、多分20分程ロスした。
今宮戎駅は、難波の一駅先だった。
難波駅に入場してから、歩けばよかったと後悔した。
今宮戎駅を降りると満員の人並みに圧倒された。入場規制があり、神社に入るのにずいぶん待たされた。
神社に入ってからも、お賽銭を入れるまでなかなか本殿に近寄れなかった。
参拝後、ナンバまで歩いたが、失敗だった。
肩触れ合う程度の人並みで、露店に出入りしたり見る人や老人やベビーカーの人もいて、スムーズには進まなかった。
途中からナンバウオークに逃げ込んで、そのまま地下鉄の駅まで歩いた。
帰宅中に、いつもの店でコーヒーを飲んで帰った。

夕食後は、副食作りに励んだ。
その間11時から12時半までEテレのシリーズ知の巨人達で、吉本隆明を放送していたので、作業しながら見た。
在野の思想家でありながら、多くの現代のリーダー的文化人や学者にも影響を与えているという。
何より、自分の言葉で思想を紡いできたことが素晴らしい。
「共同幻想論」は考古学でも国家成立に関連して引用する有力学者もいるので、興味を持っていた。
以前にも、Eテレで吉本隆明の独白?の番組を見て非常に興味を持っていた。
一度「共同幻想論」を読まなければと思う。
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