散歩者goo 

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ネットがあれば、マスコミは不要?

2015年01月28日 17時50分08秒 | 読書・考察・思索録
これからはネットの時代で、ネットがあればマスコミはいらないという意見もある。
確かにネットには、いろんなニュースが載っている。
だが、マスコミ以外のネットポータルサイトの大きなニュース情報源は、通信社(通信会社ではない)から購入したものがほとんどのはずである。
個人のネット情報をいくら大量に集めても、政治、経済、社会、文化、スポーツ、芸能、を体系的にカバーできる情報媒体にはなりえない。
そこには通信社、及びマスコミの、業務としての情報収集能力(各社の担当記者)と編集能力(膨大なニュース価値を判断し取捨選択する)があり、個人情報の寄せ集めのネットには、とてもできない業である。
事実、ネット上のSNS等の記事の中から、通信社やマスコミからのニュースソースがどれだけの数があり、個人が発信したニュースがどれだけあるか抽出し、比較すると分かるはずである。

まして、マスコミの最新ニュースに関連する解説記事や評論記事と、同じレベルのネット記事は極めて少ないと思われる。(ネット上に出しているマスコミ・通信社及び関連会社やその関係者のサイトを除く)

このように考えると、ネット上のニュース関連記事のほとんどが、マスコミから発せられた情報の2番煎じや3番煎じのことが多いのではないかと推察している。(これらの点は実際に調査していないので断言はできないが、物理的にも経済的にも、ニュースの取材は片手間ではできないと考えられる。)

更にネット上には、根拠のない話もまことしやかに流れ、多くの人の支持を得ている場合が多い。
例えば、似非科学情報は山とある。
マスコでは、報道する前に、何重にもチェックが入り、できる限り間違いのないものを出そうとするが、ネットでは、投稿されたものに関しては何のチェックもなく、毒薬(根拠のない間違った情報や意見)から薬(正確な事実情報・批判評論)まで玉石混交であり、多くの人が、根拠のない話を信じる場合もよくある。
イスラム国に多くの若者が参加するのもその一例だ。

また、ネットにはコミュニケーション機能があるが、マスコミにはない。
コミュニケーション即ち、対話をする場合、自然と対話を重ねるうちにグループを形成するようになり、同じ意見や考えの者が集まりやすい。
そこで、自然発生的にコミュニティーや村のようなものが形成される。
そうしたコミュニティーでは、同じ意見ばかりで、反対意見は無くなることが多く、過激になりやすい。
その結果、ネット情報ばかりに頼っている人は、井の中の蛙になりやすく、自分たちの意見が多数派とか、正しいと思いこみやすい。(FBの場合は同好の友達知人が集まるので、その傾向が強くなる可能性あり。)

更に多くのネットのコミュニティーの持つ匿名性が、無責任で過激で幼稚な意見を生む温床になりやすい。(ある意味、卑怯で臆病で無責任な意見が出やすいと思っている。)
無論、権力層に対し、弱者が対等に対話や批判をするための匿名性ということは認めるし、必要であろう。
しかし多くの場合、対権力者というより、権力者以外の自分たちの意見と違う人に対しても根拠のない誹謗中傷を行う場合が多いと聞く。(私はそのようなサイトに関係しないので分からないが。)
現実に、匿名で書く記事には「過激なことを好き勝手に書いている」と自慢する人に出会ったことがある。(私はそういう人は、信用しないことにしている。)
更に、たまに見かけるタイプであるが、人によっていうことを変えて、B氏と話す時はA氏のことを批判し、A氏と話す時はA氏のことを批判するといった、自分だけが良い目で見られれば良いという人がいるのだ。(過去何人もそういう人を知っている。)

以上のようなことを考えると、ネット情報とマスコミ情報は、使い分ける必要がありそうだ。
しかし、最近はマスコミがネットに進出しているので、ネットとマスコミの境界線が無くなっているので、そうした分け方そのものが無意味かも知れない。(マスコミ不要論の中には、マスコミのネット進出を混同している可能性がある。マスコミが、ネットに進出してもマスコミである。)
マスコミ不要論より重要な事は、上記の様々なことを考えつつ、正確な情や意見を見分ける能力を鍛えるべきだろうと思う。


参考:意見(主義主張)の見分け方考え方と価値観。
論理より、感情に訴えてくる意見(例:愛国心、国防、抑圧された者、命)には要注意だ。
例えば一人の命を救うために5人の命が失われるとしたら、一人の命を救うだろうか。(現在の人質の話ではありません。)
すべての国が、愛国心や領土を振りかざすと、戦争をするしかなくなるが、戦争で解決することは出来ない。
このように、世の中で、物事を白か黒かで割り切れることは、少ないのである。
また、単純明快な元気な意見は、その事実が本当かどうかとか、前提となっていることが正しいかどうか見直した方が良い。
政治であれ、芸術であれ、人間関係であれ、人間の絡むことは価値観がその根底にある。
その価値観は、各人、各地域、各国によって違うので、自然科学と違い、理屈だけでは解決しない。
価値観の中には、宗教や風土や習慣も入っていて、こうしたものは論理で解決しようがないので、お互い理解し尊重するしかないのだ。(価値観<宗教を含む>を冒瀆してはならない。)<ハンチントンの「文明の衝突」の分析や考え方に、そうした考えが提示されている。。>
そうした意見の違いを乗り越えて妥協し、合意点を見つけるのが政治である。
人間のすることに絶対正しいは、ないと思っている。(政治も立場で見方は変わる。絶対正しい政治はない。)
その意味で、反対意見もしっかりと聞いたうえで、自分で判断することが必要だ。


この原稿は昨日記150127に投稿した記事の一部を抜粋し大幅に加筆したものです。

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昨日記150127火(新聞・マスコミとネットとニュース 糖尿病検査 副食作り)

2015年01月28日 12時56分11秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
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昨日は、私が取り上げた身近な情報機関関連のブログを情報機関のことが気になって検索し、過去のブログを読み直していて時間を取られた。
知人の中には、過去の言動(直接見聞きしている発言や行動<移動場所も含む>と、時期的なタイミングを見ると、ある機会を利用したり、普段嘘をつかない人が、嘘をついていたりする。)との関係を見ると、見方(状況証拠=そう仮定すればすべて説明できる)によれば、協力者かもしれない場合もあるが、確たる証拠がなければ軽々に公にはできない。
それをつかむことは永遠に無理だろう。
そして、昨日の午後のニュースで、アメリカでロシアのスパイが逮捕されたことが、ニュースになっていたので偶然のタイミングに驚いた。
そんなこともあって、昨日記の投稿が遅くなり昼食もいつもの時間の2時頃になった。
出来るだけ昼食は12時台にするように努力中である。

最近は、朝の間に新聞をよく読むようにしている。
我が家は父母の代から朝日新聞を購読している。
以前から、朝日は赤いとか、最近の慰安婦問題で、激しい朝日バッシングが起きているが、確かに慰安婦問題の報道や、原発の吉田調書問題は酷かった。
また、戦前は軍部の御先棒を担いだことも批判されたりしている。
しかし、権力と距離を置きトップレベルの知識人の意見を掲載するNHKと並ぶ優れたマスコミの一つだと思っている。
NHKも様々な問題は、特に経営トップに問題はあるが、少なくとも積極的に弱者問題や、世の中の矛盾を取り上げてきたのは、事実であり、災害時には威力を発揮しているし、質の高い番組を放送し続けている。
一時期、NHKが不祥事を起こし、NHK不要論や受信料不払いを声高に発信していた、知識人やコメンテーターや芸能人もいた。
彼らは、いまだにマスコミに登場しているが、本心どう考えているのだろうか。
確か、当時NHKはワーキングプア―問題を積極的に取り上げていた。
民放は、そうした問題にはほとんど無関心だった。
ワーキングプア―の本質は、格差問題に形を変え今も続く。

様々な新しい思想や考え方や弱者の存在をNHKからの情報で知ったことも無数にある。
しかもきっちりとした取材をし、事実に物事を語らせる手法をとり、いわゆる偏りのない納得のできる報道をしている点は、大きく評価できる。

朝日新聞にしても、世論の批判を受けて、社長が辞任し大きく反省をし、外部委員会を設けて問題点を明らかにし、大きく紙面を割いて、問題を明らかにした。
一方他の有力新聞社の中には、朝日の問題を読者獲得のチャンスととらえ、反朝日キャンペーンに近いようなことを行ったマスコミもあると聞く。
少なくとも、初めから娯楽を中心にすえ、経済を中心に富裕層・保守層の考え方を中心に動いたり、会社のトップの鶴の一声でどのようにでも動く巨大マスコミの会社よりは、朝日新聞の方がはるかに信頼できると私は思っている。

これからは、ネットがあればマスコミはいらないという人があるが、ネットの大きなニュース情報は、通信社(通信会社ではない)から購入したものがほとんどのはずである。
個人のネット情報をいくら大量に集めても、政治、経済、社会、文化、スポーツ、芸能、を体系的にカバーできる情報媒体にはなりえない。
そこには通信社、及びマスコミの、業務としての情報収集能力(各社の担当記者)と編集能力(膨大なニュース価値を判断し取捨選択する)があり、個人情報の寄せ集めのネットには、とてもできない業である。
事実、ネット上のSNS等の記事の中から、通信社やマスコミからのニュースソースがどれだけの数があり、個人が発信したニュースがどれだけあるか抽出し比較する分かるはずである。

まして、マスコミが掲載する、最新のニュースに関連する解説記事や識者の評論記事と同じレベルの記事は、ネット上の、マスコミ・通信社及び関連会社や関係者のサイトを除くと、ネット上でマスコミ関係以外の独自の個人によるニュース関連取材記事・情報は、極めて少ないと思われる。
このように考えると、ネット上のニュース関連記事のほとんどが、マスコミから発せられた情報の2番煎じや3番煎じのことが多いのではないかと推察している。(これらの点は実際に調査していないので断言はできないが、物理的に考えても、ニュースの取材は経済的にも片手間ではできないと考えられる。)

更にネット上には、根拠のない話がまことしやかに流れ、多くの人の支持を得ている場合が多い。
マスコミは報道する場合は、何重にもチェックが入り、できる限り間違いのないものを出そうとするが、ネットでは、投稿されたものに関しては何のチェックもなく、毒薬(根拠のない間違った情報や意見)から薬(正確な事実を基に批判評論)まで玉石混交であり、多くの人が、根拠のない話を信じる場合もよくある。
イスラム国に多くの若者が参加するのもその一例だ。

さて、昨日午後からは、一昨日確認したブドウ糖負荷試験が糖尿病取扱い医院でやっていないことを保健センターに知らせ、対応を問い合わせた。
結論は、糖尿病の検査は他にもやり方があるので、受診してくださいとのことだった。

その後、副食が無くなったので、食材を買い出しに出かけた。
雨が降ったりやんだりの最悪の天気だった。
とりあえず、9食分の食材を買い揃え、帰宅後9食分の副食製造を始めた。

夕方になって、医院に行き糖尿病検査のための採血を受けた。
その際、大腸がん検診も勧められ仕方なく応じた。
以前も大腸がん検診を同じクリニックで行ったが、3年前という。
2回の検便が必要なのだ。
非常に嫌な作業である。

帰宅後再び副食作りをし、7割程度仕上がってから、その中の1食を夕食に充て、とりあえず先に夕食をすませた。
夕食後再び副食作りの作業を開始し、残り8食分の副食を8-9割程度仕上げてから床に就いた。
今回から、LDLコレステロールが少し高かったので鶏肉の量を1食分90gに減らし、40gの納豆を日に2食食べることにした。
同時に少なくとも1日6粒(1粒5g)以上食べていたチョコレートを出来るだけ減らすことにし、飲み物の乳酸菌飲料もとらないことにした。
ヨーグルト<無糖>は朝に多分100g程度無糖のままで食べているが、これは、継続する。
検査結果が糖尿病でなくても、糖分はできるだけ控えめにする予定である。
糖分の大量摂取が、老化を促進することは、確認されている。
余談だが、アルツハイマー病と睡眠不足の関係が疑われている。(夜更かしする人にアルツハイマーが出やすい。昼寝や日々の軽い運動はアルツハイマーの予防に効果的という。)


20150129追記
今回も文章の追加修正時に、前の文章が1-2行消去される現象が起きて意味の通らない文章になっていた。
この現象は、経験的に特に情報機関関連のことを書くときには頻繁に起きている。
アメリカのみならず各国の情報機関が、日本人協力者を作り、世論工作をしようとすることは、推測できるし、現実にしている可能性があると考えている。
疑わしい場合は、経済的な面を見れば見えるかもしれない。
特に、外人や日本人を問わず、大きな収入がないのに、海外に頻繁に出かけたり、遠方へ飛び回る人で、やたら人脈を多く作る人の一部には、疑わしい人がいるかもしれないと思っている。
情報機関


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