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いのちの意味の授業2:自信のワーク

2007年10月17日 | 心の教育
 
 テキスト:生きる自信の心理学

 戦後教育の相対評価

 目を開けると見える

 無力感か自己能力感か、それはあなたの選択

 セルフ・イメージとセルフ・トーク

 生きている価値のない人間などこの世にはいない

 心の目の向きを変える

 心の目の向きを変える 続

 あなたには6つ以上長所がある! 

 認めると伸びる

 あなたには両手に余る長所がある!

 見える大きさは見る距離で変わる

 心を明るくする5つの質問

 5つの質問のコメント

 優越感は自信ではない

 傲慢は自信ではない

 うぬぼれは自信ではない

 ナルシシズムは自信ではない

 ムダな努力をしないで幸福になる方法

 認められたかったら認めよう

 変わるか変わらないかはあなたの自由です 

 認め合えば自信は深まる

 心の中の口癖を直そう

 心の中の口癖を直す 1

 心の中の口癖を直す 2

 自信の3つのレベル



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NHK「クローズアップ現代――携帯によるいじめ」にふれて

2007年10月11日 | 心の教育

 昨日夕方、NHKテレビの「クローズアップ現代」で携帯によるいじめが広がっているという特集をやっていました(昨日時間がなかったので今日書きます)。

 高校生などの間で、相手にわからないことをいいことに、携帯でひどい言葉を集中的に浴びせるという現象が広がっているようです。

 先日、そのためにひどく傷ついて自殺した高校生も出ました。

 日本人の心の荒廃はますます深刻化している、と感じます。

 こうした子どもたちが大人になった時、日本はどういうことになっているのでしょう。

 見ながら、かみさんが「どうしたらいいの!」と悲鳴をあげました。


 しかし、こうした現象に対して、本格的に行なえばコスモロジー教育=コスモス・セラピーが相当な有効性をもっている、と私は確信しています(ただし治療効果よりも予防効果のほうがはるかに高いとは思いますが)。

 まず、ともだちといってもいいくらい身近な人をいじめて、「すっとした」「ストレス解消」というくらい、いじめる側の子どもにもストレスが溜まっているのです。

 そのストレスを適切・健全に発散-解消する方法を子どもたちに教えないかぎり、いろいろな規制をしてもその規制の網をかいくぐって、子どもたちはやり続けるでしょう。

 いじめをしなくてもストレスが解消できる、いじめるよりも楽しいことがある、と実感して、それでもいじめを続ける人間はいるはずがありません。

 主に子どもたちの感じているストレスは「比較-競争社会」のプレッシャーから来ていることはほぼまちがいありません。

 学校が主として成績による比較-競争社会であり続けるかぎり、いじめは根絶できないと思われます。1)

 といっても、一切競争を否定して「なかよしごっこ」をしなければならないというのではありません。

 けれども、人間だけではなくそもそも生物の社会が「弱肉強食」の「生存闘争」の社会であり、それは仕方のないことだというのは、もう生物学としても古い考えなのです。

 二十世紀ほぼ100年をかけてエコロジーが明らかにしたのは、生態系・生命系は「競争的共存・共存的競争」の社会であって、競争だけでも共存だけでも成り立っていないということです。

 「弱肉強食」と見えたのは個体で見るからで、種の関係は「食物連鎖」であり、もっとも強いように見える生物種は基礎(栄養)になってくれる生物種が絶滅したら自らも生存できないのです。

 そういう生命系-食物連鎖の世界には絶対的な強者も絶対的な弱者もありません。全体が、バランスによって成り立っているのです.2)

 そういうことから類推すれば、人間界にも競争も共存もどちらの面も必要だと考えられます。

 学校で、クラス編成の一番早い段階で、自分を認め、お互いを認めあうワーク 3)をしっかりと行なって、クラス作り――クラスのメンバーがほんとうの友達になる、クラスを協力社会にする――をすれば、それだけでもいじめの風土が相当に弱まるはずですし、うまく行けば根絶できるでしょう。

 その上で、よきライバルとしてのフェアな競争はさせればいいのです。


 もう1つは、なるべく早い年齢から、コスモス・カレンダーの授業によって、いのちの宇宙的な尊さをしっかりと自覚してもらうことです。4)

 自分のいのちも他者のいのちも宇宙的・絶対的に尊いことを知って、それでも他者のいのちを傷つけるなどということがありうるでしょうか。


 さらに、もう1つ。「隠れてやってばれなければいい」という考えに対する、しっかりとした心理学的な根拠のある忠告をすることです。

 もはや神仏が見ていると信じていなくても、そしてたとえ他人に隠れてばれなくても、自分のやることは自分の心――それも心の深いところ――がちゃんと見ているということです。

 卑劣なことをやっていること、自分が卑劣なことをする人間であるということは、自分の心がしっかりと見ていて、しっかりと憶えているのです(たとえ記憶を抑圧しても意識の底に残る、というのは深層心理学の常識です)。

 そして、自らが卑劣な人間であるという事実の記憶は、すぐに結果をもたらさなくても、徐々にいつか必ず結果を生み出します。

 つまり、腐ったことをやり続けていると人間は心の奥から腐ってくるのです。

 心の奥の腐った人間が、明るい、気持ちのいい、さわやかな、幸福な、クォリティ・オヴ・ライフの高い人生が送れるわけはないのです。

 自分の魂を腐らせたくなかったら、汚い、腐った、卑劣なことはしないことです。


 そういうことを、なるべく早い時期に折に触れて心を込めて伝えれば、今すぐすべての子どもにというわけにはいかなくても、気づく子どももたくさんいるはずです(少なくとも私の教えた大学生の相当多数でそういうことが起こっている、と私には見えます)。

 「手はある」、「問題は多くの教師や親が本気で使うかどうかだ」と、私には思えるのですが、読者のみなさんはどうお感じですか?




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「命の授業」:うれしい報告

2007年10月05日 | 心の教育

 昨夜、藤沢ミーティングルームでの講座が終わって帰宅し、パソコン・メールを開いてみると、うれしい報告が届いていました。

 以下、送っていただいた、月曜日の「命の授業」を受けた逗子中学の生徒たちの感想です。


・わくわくしながら聞いていました。 

・死にたいと思ったことあったけど、いきててよかった 私の うまれたことは奇跡なんだ。

・初めて、道徳がこんなにおもしろいと思いました。大きくなって子供が出来たら、ご先祖様の愛の話をしてあげたい。

・わたしも子孫にいっぱい愛情をかけたいです。

・「ここが銀河」最初はピンとこなかったけど、話を聞いているうちに「お~お~」と感激しました。

・宇宙の始まりのことを考えたのははじめて。

・「自分は先祖の愛情の結晶」という話に納得した。

・わたしのしらないところでいろんなことが起こっているのがわかった。

・地球を大切に生きていきたい。


 今の子どもたちに、「きみたちはご先祖さまの愛情の結晶なんだよ」というメッセージが伝わるかどうか、少し危惧していました。

 しかし、「うちの子たちにはきっと伝わると思います」という先生の言葉で、そこに強調点を置いて話をしたのですが、しっかりと受け止めてくれたようです。

 コスモス・メッセージは――私たちの生きているコスモスからのメッセージですから当然といえば当然なのですが――確実に子どもたちの心に届くことが、また一つのケースで証明されたと思います。

 たくさんの学校で、これを使って、ほんとうに子どもたちの心に届き心を育む「道徳教育」「命の授業」をしていただきたい、と心から願っています。



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秋の東奔西走開始

2007年10月02日 | 心の教育

 土曜日と日曜日は福岡のお寺で「日本の心と仏教」というタイトルの講座でした。

 日曜夜遅く帰ってきて、ふう、明日は休みだ、と思っていたのですが、月曜日は、急なピンチヒッターで逗子中学で「命の授業」を2時限してきました。

 でも、80人あまりの中学生、とても可愛くて、楽しかった、行ってよかったです。

 子どもたちの顔、目を見ていると、コスモスのメッセージはほとんどの子に届いたのではないかと思います。

 この子たちの未来が、あまりひどいことになりませんように。

 今日は、大学と神楽坂の講座です。

 先々週から始まった秋の仕事、また東奔西走ということになりそうです。

 体調管理をしながら、なんとか走り抜けたいと思っています。

 よかったら、ご声援下さい




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9月からの講座・御案内

2007年08月20日 | 心の教育

          24期オープンカレッジ ご案内


 景気が回復したといいながら、国民の生活の不安はますます大きくなっているように感じられます。

 こういう時代であるからこそ、1つはどこに希望の方向があるのかをしっかりと見つめておく必要があると思われます。

 もう1つは、外的状況がどうであれ、うろたえることのない落ち着いた心を養う必要があります。

 第24期は、東京神楽坂ではコスモス・セラピーとその大きな源泉になっているウィルバーのコスモロジーをまとめて(統合的に)学びなおします。

 参宮橋の中級講座では坐禅と「正法眼蔵」の学びを続けます。

 従来、講座は東京に集中していましたが、ミーティング・ルームの開設に伴い、藤沢でも木曜日の夜講座を行なっています。今回は藤沢初の唯識の入門講座です。
 
 場所や日程の都合に合わせ、ぜひご参加下さい。


 火曜講座:「コスモス・セラピーとウィルバー・コスモロジー」
                         於ヒューマン・ギルド(東西線神楽坂徒歩5分)
                         9/18, 10/2, 16 11/13, 27 12/11 18:45-20:45 火曜日全6回

 短い期間を見ると様々な歪みや腐敗や破壊があるように見えても、大きなスケールで見ると宇宙にははっきりと自己組織化・自己複雑化というかたちで調和へと向かう方向性があることを、理論と実感の両面からしっかり学んでいきます。

 その学びは、ゆるぎなき自己肯定感・元気・希望を湧きあがらせてくれることは、多くのワークショップの実践を通じて実証されてきました。

 今回は、さらにヴァージョン・アップされたコスモス・セラピーと、その大きな源泉となっているウィルバー・コスモロジーの関係をしっかりと学びなおし、いっそうの基礎固めをしていきます。

テキスト:岡野守也『生きる自信の心理学』『自我と無我』
*どちらもご希望の方にはお頒けできます。


 木曜講座:「よくわかる唯識入門」
                        サングラハ藤沢ミーティングルーム(JR、小田急藤沢徒歩3分)
                        9/27 10/4, 18 11/8, 22, 29 12/13 18:45-20:45 木曜日全7回

 人はなぜ悩み苦しむのか、それだけでなく他人を悩ませ苦しめるのか?

 仏教で一般に「煩悩」と呼ばれる心のネガティヴな働きとその原因をみごとに解明し、自分をも他人をも幸せにできるような心のあり方・生き方に変わるにはどうすればいいか?
 
 「覚り」への道筋を鮮やかに示した、大乗仏教の深層心理学・唯識を、専門用語を最小限にして、できるだけわかりやすく、現代人が日常生活のヒントにすることができるように解き明かしていきます。

 唯識を理解することは、人間の心すなわち自分の心を理解することでもあり、またすばらしい日本の精神的遺産を発見し受け継いでいくことでもあります。

テキスト:『唯識と論理療法』(佼成出版社)
*ミーティング・ルームでお頒けすることができます。

 金曜講座:「『正法眼蔵』を読む」 
                         於 不二禅堂(小田急線参宮橋徒歩5分)
                         9/21 10/12, 26 11/2,16 12/7, 21 18:30-20:30 金曜日全8回

 中級講座では、唯識と禅の古典を織り交ぜながら学んでいます。

 今期は、道元『正法眼蔵』の「仏性(ぶっしょう)」の巻。この巻は京都・宇治興聖寺時代、前回の「看経」の巻の次に書かれています。

 普通は「すべてのものに仏性がある」と解釈される「悉有仏性」を「すべての存在は仏性そのものである」と解釈した、道元思想の核心といってもいい巻です。

 非常に深い思想が語られていますが、初心の方も中・上級の方にも参考になるように、わかりやすくしかしポイントを押さえて解説していきます。

 なお講義の前に30分程度の坐禅を行ないますので、坐禅のできる服装をご用意下さい。

テキスト:コピーを配布します。

●受講料は、一回当たり、一般3,5千円、会員3千円、専業主婦・無職・フリーター2千円、学生1千円 それぞれに×回数分です。

 都合で毎回出席が難しい方は、単発受講も可能です。


●申し込み、問い合わせは サングラハ教育・心理研究所・岡野へ、E-mail: okano@smgrh. gr. jp または Fax0466-86-1824で。
 住所・氏名・年齢・性別・職業・電話番号・メールアドレス(できるだけ自宅・携帯とも)を明記してください。


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残暑お見舞いとご挨拶

2007年08月09日 | 心の教育

 本格的な暑さが続いていますが、暦の上ではもう立秋で、したがってこれは「残暑」ということになるのだそうです。

 しかし、きびしい残暑ですね。みなさんお元気ですか。

 私は、7月30日から8月3日まで、四国・香川県の大学の夏期集中講義でした。





 朝9時10分から午後2時50分まで90分3コマというきついスケジュール。

 行き始めた10年前は、学生たちも熱心で、この集中・凝縮度が楽しいくらいだったのですが、もうそろそろ体力・気力的にかなりつらくなってきました。

 今年も少人数ながら熱心な学生がいたので、名残惜しい気がしましたが、どこかで区切りはつけなければなりませんから、あまりよれよれになってかっこう悪くならないうちに、今年で終わりにすることにしました。

 講義が終わってホテルに帰ると、すぐにその日汗をかいたものを洗濯し、シャワーを浴びて、少しベッドにひっくり返って休んだら、まだ終わっていなかったレポートの採点……の繰り返しで5日間が過ぎました。


 読めないだろうなと思いつつも持っていった、宮本太郎『福祉国家という戦略――スウェーデンモデルの政治経済学』(法律文化社)は、やはり序章しか読めませんでした。

 しかし、これは本格的な研究書で、これまで疑問だったこと、知りたかったことがかなりわかってきそうです。

 帰ってきて、今読み進めているところですが、楽しみです。


 授業が終わった翌日、長い間思いながら行けなかった、行かなかった広島の原爆ドームに行ってきました。





 小学生の時、見せられた原爆映画のショック――まさにトラウマ的なショックでした――が私の思想的探究の原点なので、行かなければならないと思いつつ、気持ちが重すぎて行けなかったのです。

 しかし、60歳という節目でもあり、コスモロジー的全肯定の思想に達した今なら行けるだろうと思ったのと、ちょうど次の福岡での仕事との間に1日空いたのとで、「よし、行こう」と決めました。

 行ってみて、広島はとても緑の多い町で、被爆間もなく植えたのだとしたら樹齢60年ほどの木がとても大きくなっていて、ドームのところを別にすれば町には原爆の雰囲気はどこにも残っていないようでした(見えにくいところに被爆で苦しむ方が今でもたくさんおられることはもちろん知っていますが)。

 ドームも想像したのよりははるかにふつうの廃墟の感じで、外見だけでは深刻な悲劇の雰囲気はもうありませんでした。

 ドームの前の碑のところで、心をこめて般若心経を唱えさせていただきました。

 少しだけ、気がすんだ、という感じになりました。

 しかし、今回も原爆資料館まで行く勇気・元気はありませんでした。


 その後、福岡県の曹洞宗のお寺で、施食会=お施餓鬼の法話をしてきました。

 大学が休みになってからも採点等々でちっとも本格的に休めず、帰ってきた翌日、ようやく採点簿を大学に送りました。

一昨日は大船の曹洞宗のお寺の、施食会=お施餓鬼の法話でした。


 やっと昨日は一日休みらしい休みで、かみさんが録っておいてくれた、さだまさしの番組、小野リサと渡辺貞夫のジョイント・コンサートなど、のんびりビデオを楽しみました。

 今日はまた藤沢ミーティングルームで、出版社の方と企画の相談でした。


 ……という日々で、みなさんへのメッセージの発信が滞っていました。

 特に、四国では今どきめずらしいネット環境のないホテルに泊まっていましたのでね。

 でも、あちこちでメッセージ発信をしていたんですよ。ご理解を。



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コスモロジーへの典型的な反応 3

2007年07月25日 | 心の教育

 今から2年ほど前(2005年8月20日)に、このブログ授業を始めました。そこで次のように書きました


 大学で若者たちと接していると(アンケート調査も行なっています)、今の日本の若者――僕が接したかぎりでは――のおどろくほど多数が、元気がない、自信がない、生きてる意味がわからない、自分なんか生きていても死んでもおんなじだという気がする、よく死にたいと思う……と言っていることがわかります。

 それに対して僕は、なんとか、元気が出る、自信が湧いてくる、生きてる意味がわかる、生きてるって素敵だ、と思えるようになる授業をしようと努力してきました。

 そして、自分としては、かなり成功していると思っています。


 もちろん失敗例がないわけではありません。

 今年も、アンケートに「ひどい授業でした」と書いてきた学生が一人いました。

 私の積極的なアプローチ――時にはややきつ目に叱ることもあります――に反発を感じて、授業の中身を聞く気になれなかったのでしょう。とても残念です。

 こうした反発を招かないアプローチをもっと工夫できるといいなと思っています。

 しかしパーセンテージとしていえば、相当な成功をしてきているつもりです。

 小さい時から聞きたかった「ビッグ・クエスチョン(人生に関する大きな問い)」への答えを聞けたと感じてくれた学生もいます。

 次のケースは、社会学部1年の女子学生のものです(改行、表記に若干手を入れてあります)。


 私が「自分はどうして生きているのだろう」と考え始めたのは、ちょうど小学3年生のときでした。夜眠れないとき目をつぶり、私が生きている意味ってあるのかなと思うと、悲しくてたまりませんでした。今でも、泣き疲れて寝てしまうまで考えていたのを覚えているほどです。まるで宇宙のブラックホールに飲み込まれたかのように、私はただ、あてもない答えを探し続けました。

 考えても考えても自分が納得する答えはまったく見つからず、友人や親にも「自分がなぜ生きているのか」について悩んでいるなどと言ったら「どうせ馬鹿にされるだろう」と思い、ずっと自分の生きている意味をあいまいにしてこれまでの人生を生きてきました。

 でも、先生の講義を始めて受けてみて、もやもやとしていた私の視界がパァーっと明るくなるのを鮮明に感じました。最初は、自分の考えを宇宙レベルで考えていくことが少し難しかったですが、講義を重ねていくうちに少しずつ私の心の中のしこりも取れていきました。なかでも、「人間は一人なんかじゃない。だって百五十億年前から積み上げられた成果からできたのが君達ひとりひとりなんだから。自分も友達も植物も動物も建物も地球も、みんな元をたどればひとつの宇宙から始まったんだからね。」と言われたとき、落雷が落ちたような衝撃を受けました。

 今まで、私は「人間は一人で生まれ、孤独の中で一人で死んで、何もなくなる。」と、生命のつながりを全く意識せず、全てのものを個別で見ていました。ですが、先生の授業を受けてみて、何に対しても「つながり」を意識するように自分の心の中で心がけていきました。すると、「ご先祖様から伝えられてきた命がなかったら、今、私は生きていない。生きているだけでも素晴らしいことなんだ、せっかくの人生なのだし、新しいことに挑戦してみよう。」とだんだん視野が開けるようになってきて、自信も自然とつくようになりました。卑屈でいいかげんだった私の性格が、何事にも感謝できるようになったのは、先生の講義のおかげだと思います。もっと早く先生の講義に出会えてれば、私も生きる自信がもっとついていたかもしれません。

 私のように自分の存在価値や自信がなくて助けを求めている人がたくさん居るはずです。そんなときは、先生に教わったコスモロジーを教えてあげて、自信を一緒に回復させてあげられたらいいなと思っています。

 本当に先生には感謝しきれないです、ありがとうございました。後期の授業も引き続き楽しみにしています。


 ぜひ聞きたいことでありながら、「聞いても、どうせ答えてもらえないだろう」とか、もっとひどいと「聞いたら馬鹿にされるだろう」と思って、親や教師などまわりの大人や、友達にさえ聞けない、話せないままで、「ずっと自分の生きている意味をあいまいにしてこれまでの人生を生きてきました」という人がきわめてたくさんいます。

 聞かれた親や大人も答えをもたないまま、何とかやりくりして生きてきたという方が大多数でしょう。

 それは戦後日本――広く言えば近代――の文化状況・コスモロジーの状況からすると、やむをえないことだったと思います。

 しかし私の考えでは、そうした問いに答えることは大人の責任ではないかと思いますし、大人にも答えがないという状況は本質的にはもう終わっています。

 「大学の授業の中に、特定の価値観を持ち込むのはまずいのではないか」という批判もありうるでしょう。

 しかし私は、「特定の価値観を押し付けるのはまずいが、生きる意味を感じることのできるような価値観を、ありうる一つの価値観・一つの世界解釈のかたちとして提案することは、まったく問題がない。どころか、若者たちは大人に対して、切実にそれを求めている」ことを確認してきています。

 「私はこう思う。こういう理由でいいと思う」と提示・提案して、選択はもちろん自由に任せるのです。

 価値相対主義や脱構築が流行した時代状況の中で、そうしたはっきりした価値観の提示には出会ったことがないのでしょう。私のアプローチに初めて出会った学生の典型的な反応の一つは次のようなものです(同じく1年の女子学生)。


 初めて、この授業を受けたとき、「これはまさに宗教だ」と思った。「先生の考えに洗脳させられるのではないか」とも思った。

 しかし、2回、3回と授業を受け、また『生きる自信の心理学』を読み進めていくことで考えが変わっていった。先生が授業や本の中でおっしゃっていることは、すごく順序だっていて分かりやすく、私の中にスーッと入っていった。

 「私たちと宇宙が一体」だなんて初めのうちは理解できなかったが、ひとつ謎がとけるとスルスルとひもがとけていくように理解できたので、「私たちと宇宙が一体だ」ということを今では違和感なく受け止めることができるようになったと思う。

 たった半期の授業だけで、物事の考え方がこんなに変わった自分に驚いた。後期の授業を受けることによって更に考え方が変わるのかもしれないと思うと楽しみだ。


 もう少し、理論的な問題について論じておきます。

 確かに、教育の場に特定の価値観や、まして宗教の教義や特定の主義のイデオロギーを持ち込むことはきわめて危険です。

 客観的な知識の伝達にとどめておくほうが、一見妥当で無難に思えます。

 しかし、「生きることに意味はあるか。ないのではないか」という問いは、心理的・精神的、つまり主観的なものです。

 主観的なものへのアプローチを避けることによっては、子ども・若者たちの心理・主観としてのニヒリズムやエゴイズムの問題は解決できるどころか、悪化・深刻化していくだけです。

 教育つまり子どもを教え育む営みとして、それを放置することは妥当でも無難でもないのではないでしょうか。

 幸いにして現代科学のコスモロジー(の一つの解釈)を伝えることは、知識の部分ではきわめて客観的なものですし、加えて「あくまでも一つの解釈である」ことも伝えれば、特定の価値観を押し付け、思想・信教の自由に抵触する危険も避けることができます。

 とはいっても、教師-学生という関係性からして、こちらは意図していなくても押し付け的に機能してしまうという危険はゼロではないでしょう。

 しかし若者たちの心の状況を考慮すると、つながりコスモロジーという特定の価値観を押し付けることになる危険より、若者たちの心の荒廃がますます悪化・深刻化する危険のほうがはるかに問題だと考えるので、私はあえてこうしたアプローチを採り続けています。

 読者、とりわけ親御さんや教育関係のみなさんは、どうお考えでしょうか。



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コスモロジーへの典型的な反応 2

2007年07月23日 | 心の教育

 次の感想も社会学部2年生の男子学生のものです。



 はっきり言って、自分もニヒリズム、虚無にとらわれた考えを持つ人間でした。

 131pページ(注:テキスト『生きる自信の心理学』)に書いてあるように、ばらばらの原子がおりなす一生命で、死んだら元に戻るだけ……とか、結局は自分で何とかしなければ、自分さえよければ……という近代科学の知識と個人主義からなる典型的なニヒリズムでした。

 自分が今まで20年かけて考えてきたことを、先生は1ページでさらっと分析していたので、少々ムッとするとともにおどろきました。

 結論から言うと、コスモロジーを知って良かった。全てのものはつながっていて、「意味の無い生はない!」と考えられるようになった。全てのものには母や父がいて、それをたどると宇宙にまでさかのぼる。夜空の星々と自分が同じ元素でできていると思うと何か感動するものがある。

 個人主義も見なおすべきと思う。今の自分は一人では決して存在せず、生きることすらできない。

 自分とこの世とのつながりはなんと強く複雑で、そしてあたたかいのだろうか。そう考えると自分をしばるニヒリズムが少し消えるのを実感した!!

 全ての因果や時の流れは全てつながっていて、自分もその一つで、さらに、これからも進化はつづく。そう考えると、少しは生きることに対する考えが、マイナスからプラスへと変化していくように思える。



 「自分が今まで20年かけて考えてきたことを、先生は1ページでさらっと分析していたので、少々ムッとするとともにおどろきました」と正直に感想を書いてくれています。

 私たちは社会的存在なので、自分の属しているその時代の社会の通念・常識をもとに「自分」「自分の考え」を形成せざるをえません。

 そして、それがあたかも社会の通念・常識とは関わりなく自分自身で作り上げた「自分独自の考え」であるかのように思い込みます。

 それは、「自分は自分である」という思い、つまりアイデンティティを形成するにはやむをえないことなのですが、いったん出来上がってしまうと、社会の通念に不都合がある場合、自分にも不都合がある――この場合ニヒリズムとエゴイズム――にもかかわらず、「自分独自の考え」-アイデンティティはなかなか変更できません。

 この学生のケースでは、「少々ムッと」した程度のわずかな抵抗で、比較的スムーズに、「結論から言うと、コスモロジーを知って良かった。全てのものはつながっていて、『意味の無い生はない!』と考えられるようになった」という肯定的変化が起こったようです。

 人によって、ほとんど抵抗なし、ただ驚きだけで変化するケース、多少抵抗はあってもやがて変化できるケース、抵抗が強くて「頭では納得しても実感が湧かない」というのから、「理屈はそうだが受け入れられない」、さらには「自分を否定されたようで腹が立つ」というケースまで、反応は多様です。

 私はいつも、「ぼくはとてもいいと思うし、臨床的にも非常にたくさんの肯定的変化のケースがあるので、強くお勧めしたいと思うけど、決してこれは強制じゃないからね」と言っています。

 それでも、「宗教の布教みたいだ」と言われることもあります。

 もちろん、万能でも、唯一でも、まして絶対でもないと思っているのですが、多くのケースから相当な効果があると判断できますので、ついつい強くお勧めしたくなってしまうのです。



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授業効果――質か量かの悩み

2007年07月20日 | 心の教育

 昨日で、2つの大学、サングラハの2つの講座が終わりました。

 大学の授業は終わっても、これから2種類約1200通のレポートを読むというワークがあります。

 すでにたぶん200通くらいは読んであるのですが、それにしてもまだ1000通くらいです。

 毎年、これはかなりの重労働という感じがあると同時に、授業を受けることによって大きくポジティヴに変化したという学生たちの感想を読むことは大変な喜びでもあります。

 そういう意味では毎年アンビヴァレンツです。

 特に、ぎりぎりまで授業に来ていなかった学生がレポートのためにおそらく必要に迫られてしかたなくテキスト『生きる自信の心理学』を読み、それだけでもかなりの人生観の変化を遂げる(らしい)のを見ると、できるだけ多くの学生に受講してもらったほうがいいかとも思い、しかし体験的ワークに積極的に参加しない――ということは十分にはやる気のない――学生が多いので、そういう学生まで抱えてこういう大変なレポートの採点をするのもちょっとしんどいなあとも感じ、次はどうしよう、どのくらいの人数引き受けようか、選抜をしようか、抽選にしようか、それともやっぱり単位がほしいだけの学生でも来る者は拒まずでいこうか、と悩むのです。

 個々人への効果としては、やはり体験的ワークに参加したのとしないのでは大きな違いが出ます。

 この6月に集中講義をしてきた青森の大学では――ここは抽選で少人数です――きわめて大きな効果が確認できました。

 終了後のアンケートでは、最後の設問「授業を受けたことによって、人生観・世界観にプラスの変化があったと感じていますか。1から10までのスケールで表現してください。もし、変化はなかったと感じたら、0、マイナスの変化があったと感じていたら、マイナス1からマイナス10までのスケールで表現してください」に対し、受講者32名の回答は、

  10……18名・56パーセント
   9…… 4名・13パーセント
   8…… 5名・25パーセント
   7…… 1名・3パーセント
   6…… 0名・0パーセント
   5…… 3名・9パーセント
  無回答… 1名・3パーセント

という結果でした。

 感想として、例えば

「今までの人生観・世界観が180度変わりプラスの変化がおこった。全く違う方向を見ていた自分の視線を自分を見つめ直す方へと変化したため、新たな自分を発見でき、ほんとうの自信を持つことができた」、

「今思うと、受講する前の気持ちというか心というか、あれは一体何だったのかと思った。社会的な心とでもいえばいいのだろうか? 要するにつくられた心しか持っていなかった。しかし、受講後は、自分の心をもてるようになり、先生がおっしゃっていた通り、360度くらい見る目が変わりました」(筆者注: 360ではなく180度だと思いますが)、

「はじめはあまり信じれなかったが、だんだんひきこまれた。私たちはすごい確率で当選し、先生のような人に講義をして頂いてすごくラッキーです。自分をもっと信じたいです」、

「本当に感動した。宇宙の講義の日、私は誕生日でした。生まれた日に、自分がなぜ生まれたかという壮大なスケールの話を聞き、己の命を見つめ直しました。宇宙が一つのエネルギーから始まり、我々が生まれた。求められて生まれた。それを考えるだけで元気になりワクワクします。本当にありがとうございました。またどこかでお会いしたいです」

など、うれしい言葉がたくさんありました。

 効果として、10~7の累計が87.5パーセントであるのはこれまでとほぼ同じですが、10が56パーセントというのは驚くほど顕著な増大です(これまでは平均25パーセント程度でしたから)。

 これはその時の参加者による偶然の違いという面もあるでしょうが、それだけではないと思います。

 推測されるのは、まず、今年度からコスモス・セラピーの手順として、先に宇宙カレンダーのレクチャーによる宇宙的自信の確立、それから個人的なレベルの自信の確立というふうに順序を逆にしたのが期待どおり効果的だったのではないかということです。

 それから、ほぼ丸1日を2週連続、そしてその後にレポートを書くために再度テキストを読むというのが、集中とインターヴァルの効果としてよかったのではないかという感じも受けました。

 もう1つ、これは今年だけのことではありませんが、他の大学と違うのは、この大学は八甲田山麓にありキャンパス内にすばらしい森があるという恵まれた環境にあって、「場の力」がとても大きいということもあると思われます。

 コスモス・セラピーは、インストラクターの力だけでなく、美しい自然環境の力を借りられることがきわめて望ましい(絶対不可欠ではなく、画像や音楽で一定程度補えるにしても)ということを改めて感じました。

 もちろん少人数で、教師=インストラクターの目が届きますから、全員いやおうなしにワークに参加せざるをえないという条件も大きいことはまちがいありません。

 そして最初は半信半疑でも、あまりやる気がなくても、実際にワークをやってみると効果があるのです。

 こうした結果を見ると、やはり受講者を少人数に絞って高い効果をあげるか、それともある程度の効果であっても多数に伝えるか、と迷ってしまうわけです。

 それにしても、インストラクターがたくさん育って、全国あらゆるところで、たくさんの人に伝えてくれるようになれば、こうした悩みはなくなるんですが……。

 だれか、目指しませんか。

 ……それはともかく、当面どうするかは、しばらく瞑想して決めることにしましょう。



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オープンカレッジ 第23期講座案内

2007年06月24日 | 心の教育

 みなさんのご支持・ご支援のおかげで、サングラハ・オープンカレッジの学び・歩みはさらに一歩、一歩と進んでいます。心からお礼申し上げます。
第23期は、都合により2ヶ月という短い期間になりました。第22期から継続のコスモス・セラピーに加え、「スウェーデン・モデル」(集団の外面の象限について)、「正法眼蔵」(個の内面象限について)の短期集中講座を行ないます。
 従来、講座は東京に集中していましたが、ミーティング・ルームの開設に伴い、藤沢でも木曜日の夜講座を行なっています。神奈川県方面の方、どうぞご参加ください。
 今年度前半は主幹のスケジュールが多忙なため、まだ日程は未定ですが、1日、1泊2日のワークショップもできるだけ行なっていきたいと思っています。決まり次第、HPやサングラハ誌でお知らせします。


火曜講座「スウェーデンから学ぶこと――向かうべき未来のモデルとして」

                  於ヒューマン・ギルド(東西線神楽坂徒歩5分)
                  6/5, 19 7/3, 17 18:45-20:45 火曜日全4回


 異常気象・温暖化など、環境問題が目に見えるかたちで深刻化している中、スウェーデンは国を挙げて「エコロジカルに持続可能な社会」に向かって着実な歩を進めています。それは、日本など高度な産業社会になっている「先進諸国」にとって、「貧しかったけれども自然は豊かだった」時代への後戻りというほとんど不可能な理想ではなく、高度な産業社会を前提にした高度な「福祉国家」をベースにして「緑の福祉国家」へと前進するための、きわめて現実的で有望な「モデル」だと思われます。
 関係者のみなさんとぜひ共有したく、研究所主幹がここのところ集中的に学んだことの現時点でのまとめを行ないます。

*必要・可能な範囲でレジュメをお配りし、参考図書を随時ご紹介していきます。



木曜講座「コスモス・セラピー」(第22期より継続)

                  於サングラハ藤沢ミーティングルーム(JR、小田急藤沢徒歩3分)
                  4/5, 19 5/17 6/7, 21 7/5, 19 18:45-20:45 木曜日全7回


 なぜ生きているのか? なぜ楽しい時、幸せな時だけでなく、苦しい時、不幸な時にも生きなければならないのか? 現代の教育や身心の癒しの現場で問われている根源的な問いにどう答えればいいでしょう。それは、専門家だけの問題ではなく、子どもたちの真剣な問いに直面する大人すべての課題でもあります。
 この大きな問いへの答えの決定的なヒントを与えてくれるものとして、前期はフランクルのロゴセラピーと当研究所のオリジナル・プログラムであるコスモス・セラピーを紹介しました。今期藤沢では、引き続きコスモス・セラピーのよりくわしいコースを行います。

テキスト:『生きる自信の心理学』(PHP新書)
サブテキスト:『サングラハ』第73、79、85~7号
*どちらもミーティング・ルームでお頒けすることができます。


金曜講座「『正法眼蔵』を読む」 
                  於 不二禅堂(小田急線参宮橋徒歩5分)
                  6/15, 29 7/13, 27 18:30-20:30 金曜日全4回


 中級講座では、唯識と禅の古典を織り交ぜながら学んでいます。今期は、2ヶ月4回の短い期間なので、道元『正法眼蔵』の「看経(かんきん)」の巻一巻のみ集中的に学ぶことにしました。この巻は京都・宇治興聖寺時代、いくつもの巻が精力的に書かれた頃のもので、最終的には言葉で表現できない世界を言葉で表現した「お経」を読むとはどういうことかについて、禅的な理解が鮮やかに展開されています。
 初心の方も中・上級の方にも参考になるように、わかりやすくしかしポイントを押さえて解説していきます。
 なお講義の前に30分程度の坐禅を行ないますので、坐禅のできる服装をご用意下さい。
テキスト:コピーを配布します。


●受講料は、一回当たり、一般3、5千円、会員3千円、専業主婦・無職・フリーター2千円、学生1千円 それぞれに×回数分です。
都合で毎回出席が難しい方は、単発受講も可能です。

●申し込み、問い合わせは サングラハ教育・心理研究所・岡野へ、E-mail: okano@smgrh. gr. jp または Fax0466-86-1824で。
 住所・氏名・年齢・性別・職業・電話番号・メールアドレス(できるだけ自宅・携帯とも)を明記してください。

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宇宙と自分の存在理由

2007年06月01日 | 心の教育
 これから羽田を経って青森の大学の集中授業にむかいます。

 コスモロジーの授業です。


 「宇宙がなんであるかを知らぬ者は、自分がどこにいるかを知らない。宇宙がなんのために存在しているかを知らぬ者は、自分がなんであるかを知らず、宇宙がなんであるかををもしらない。しかるにこのような問題を一つでも等閑に付していた者は、自分がなんのために存在するかいえないであろう。…」(『自省録』8・52)


 今回も、受講してくれる学生たちは、自分が宇宙の中で存在していることの意味をしっかりと認識し、実感し始めるだろうと楽しみにしています。



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徳は才能にかかわらない

2007年05月30日 | 心の教育

 今日も、マルクス・アウレーリウスの言葉を一つ。


 「君の頭の鋭さは人が感心しうるほどのものではない。よろしい。しかし「私は生まれつきそんな才能を持ち合わせていない」と君がいうわけに行かないものがほかに沢山ある。それを発揮せよ。なぜならそれはみな君次第なのだから、たとえば誠実、謹厳、忍苦、享楽的でないこと、運命にたいして呟かぬこと、寡欲、親切、自由、単純、真面目、高邁な精神。今すでに君がどれだけ沢山の徳を発揮しうるかを自覚しないのか。こういう徳に関しては生まれつきそういう能力を持っていないとか、適していないとかいい逃れするわけには行かないのだ。それなのに君はなお自ら甘んじて低いところに留まっているのか。それとも君は生まれつき能力がないために、ぶつぶついったり、けちけちしたり、おべっかをいったり自分の身体にあたりちらしたり、人に取り入ったり、ほらを吹いたり、そんなにも心をみださなければならないのか。否、神々に誓って否。とうの昔に君はこういう悪い癖から足を洗ってしまうことが出来たはずなのだ。そしてなにか責められるとすれば、ただのろまでわかりが鈍いということだけいわれるので済んだはずなのだ。しかもこの点についてもなお修養すべきであって、この魯鈍さを無視したり楽しんだりしてはならない。」
                                               (『自省録』5・5)


 アウレーリウスの言葉は、いつもみごとに事柄を言い当てていて、付け加えることは何もない、という感じですが、ほんの少しだけコメントを。

 「私なんてどうせ才能ないから」という言い訳は、何の役にも誰の役にも立ちません。

 人と比べて大きな才能があっても、それほどではなくても、私たちは、よく生きることは可能です。

 自分がいい人生を送る邪魔になっている自分の心の悪い癖をやめるか続けるかは、誰にでもある「意思の自由」を行使してどちらを選択するかという問題であって、才能の問題ではない、というのです。

 ほんとうにそのとおりです。自分の低い現状に甘んじないで、よりよい、より高い心のあり方で生きていくよう、何度でも心のあり方・生き方の選択のし直しをしたいと思います。



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雨ニモマケズ、風ニモマケズ、疲レニモメゲズ

2007年05月10日 | 心の教育

 8日、H大、今日10日のM大の授業、連休明けでようやく本格的になりました。

 まず、席を移動して4~6人の知らない人同士でグループを作ってもらい、「それなしには生きていけないもの(生き物としての人間の生存の基本的条件)について」考えてもらいます。

 どちらのクラスも、相方向、多方向の授業方式に慣れていないので、やや動きは遅かったのですが、それでもちゃんとやってくれました。

 そして、グループで考えたものをホワイトボードに書き出していきます。

 例えば空気、水、食べ物……

 「基本的なものはすべて網羅するように努力してみてください」というのですが、これまでもほとんどのクラスで私の期待するような項目すべてが網羅されることはありませんでした。

 言われてみるとみんな「当たり前」と思うようなことばかりなのですが、当たり前すぎて気づいていないということがあるのです。

 当たり前でありながら気づいていないことに気づいていくと、少しずつ世界観・コスモロジーが肯定的に変化していきます。

 コスモロジー教育の重要なポイントの1つが、当たり前のことに「気づく」お手伝いをするということです。

 この続きは後日書くことにして、ネット受講生のみなさんも、よかったら考えてみてください。


 ところで、昨日、ようやく二人目の孫娘の顔を見ることができました。

 今日も大学の帰りにちょっと寄って見てきました。

 といっても、まだガラス越しですが。

 じっと見れば見るほど、小さないのちというのは、とても可愛らしいものです。

  まだ抱っこさせてもらっていないので、十分ではありませんが、少し実感が湧いてきました。

 今、いったん悩んだり落ち込んだりしている学生たちに教えて元気になってもらっているコスモロジーが、幼い頃から常識として学べる――その結果つまらないことで悩んだり落ち込んだりしないでいい――社会にしたい! と改めて強く願います。

 雨ニモマケズ、風ニモマケズ、疲レニモメゲズ、ジージガンバルシカナイ。




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現代の方便・コスモス・セラピー

2007年04月26日 | 心の教育

 昨日は、日蓮宗の会での講演でした。

 現代は、もう宗門の伝統的な説き方にこだわっている時代ではなく、現代の、特に若い世代にわかる言葉で、つながり=縁起の理法への気づきを伝えていく必要があるのではないか、伝える方便として、コスモス・セラピーが有効だと思うので、よかったら使っていただきたい、という話をしました。

 とてもうれしいことに、今回も大好評でした。

 日本の仏教界がようやく動きはじめたかな、という期待を感じます。

 教育界や心理学界も、本格的に動いてくれると、いっそううれしいのですが…

 ともかく、持続することだ、と思っています。

 若者たちに伝えるため、大学に向かう電車の中です。

 若者たちは、楽しみに待っていてくれるようです。



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若者たちはやはり求めている?

2007年04月21日 | 心の教育

 一昨日は、M大の2回目でした。

 教室に入ると、なんと先週よりも多く、教室いっぱいでした。

 聞いてみると、先週は来ていない学生もそうとうたくさんいました。

 やむを得ず、先週と同じような、「本気でない人は帰ってほしい」という話をせざるをえませんでした。

 こうした試しに受講できるという制度は学生たちの選択のためにはいいのですが、前期13,4回くらいしかない授業のうちの2回を使ってしまうのはとてももったいない気がします。

 かといって、最初から本格的な内容には入れませんし……

 「若い時には、時間が無限にあるような錯覚があるけど……ぼくもあったし、それが青春の特権ともいえるんだけど……しかしそれは錯覚なんだよね。与えられる人生の持ち時間は長くないよ。だから、つまらない授業に出て無駄遣いするような時間は、本当はないと思うんだよね。つまらないと思ったら選ばないほうがいいんじゃないかな。もちろん、ぼくは自分の授業がつまらないとは思ってないけど、主観や好みの問題があるからね。つまらないと思って選ばれるのはうれしくないし、きみたちの人生の大切な時間の無駄遣いにもなるから、ぜひ、選ばないでほしいんだけどね……」という「親父の説教」をしました。

 今回は、途中で2名だけ帰りました。反発を感じたのでしょうか。

 しかし、その他の学生は、2回目の学生たちも含め真剣に聞いてくれました。

 終わって、真剣な質問に来た学生もいました。

 前回と重なる人数になるとすると、教室の定員を超すかもしれません。

 そうなると、選抜をしなければならなくなります。

 いずれにせよ、こちらも多人数授業になることはまちがいなさそうですが、もう引き受けるしかないようです。


 授業後、質問に答えてから、大急ぎで電車に乗り藤沢に帰ってきました。

 夜は、ミーティング・ルームでの「コスモス・セラピー」の講座で、「それなしには生きられないもの」に気づくワークを行ないました。

 疲れたけれど充実感、充実感があるけれど疲れた、どちらの順序で表現しようかという気分の一日でした。


 昨日は、一昨日一日つきあってやれなかった孫娘とのつきあいと、事務的なことの処理とで終わりました。

 今日、来週水曜日の講演会場で売っていただくための本の発送にミーティング・ルームに来て、この記事を書いています。

 実は、明日も朝9時から夕方まで、外部での一日ワークショップです。

 そろそろのんびりしたい年齢なのですが、相変わらず働き盛りを脱出できません。

 ま、決して嫌いなわけでも、強制されているわけでもないので、しかたありませんね。



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