コスモロジーの順序:わかる→腹に収まる→実感する

2008年06月04日 | 心の教育





 昨日、H大の受講者名簿がやっと出来てきました。

 数えてみて驚いてしまいました。なんと、1300名を超えています……と思ったら、これは前後期合わせた名簿だったのですが、でも半分でも660名強です。

 毎年、「これは選択教科で、必修ではないのだから、やる気のない=本気で選択する気のない者は受けないでほしい」とか、「これを受講したら、半年か一年、毎週親父の説教を聞かされっぱなしになるから、説教を聞きたくない人は受講しないように」と、何とか受講者数を減らす努力をしていて、おととしの550名から去年は360名くらいに減らすことができたのですが、今年は逆効果だったのか、この数です。

 (もちろん一人でも多くの若者を元気にしてあげたいのですが、時間と体力の関係で引き受けることのできる人数には限度があるのです、残念。)

 しかも、例年ならそろそろ連休明けの五月病で、出席者が減ってくる頃なのですが、減る様子がありません。

 日本も世界も行く先に希望が見えにくくなってきていて、ますますコスモロジー・メッセージが必要とされる時代になってきたということなのだろうと思います。

 昨日からいよいよ本格的に現代科学のコスモロジーの話に入っています。

 「宇宙が137億年前に始まったから、今日ここに私・きみたちがいる。つまり、私・きみたちの存在には宇宙137億年の歴史が込められているんだよ」と語りました

 そして、ペットボトルのお茶を飲んで見せて、「私じゃなかったものが私になる」という話と、「水はH2Oで、つまり水素原子が2つ、炭水化物にも水素が入っていて、私の体は水素だらけ。その水素は、宇宙ができてから10~30万年の間にできたものが、そのまま私の体になっている。まぎれもなく、宇宙137億年の歴史が私の体に入っている」という話のところまでいきました**

 この段階で、すでに驚きと感動の表情を見せてくれる学生もたくさんいます。

 「実感湧かない」という感じの顔をしている学生諸君もかなりいるので、「わかる→実感するというふうに人間の心はできてないんだよね。わかる→腹に収まる→実感するという順序なんだよ。だから、今は実感がないのが当たり前で、それでいいんだよ。これから、しっかりわかって、それが腹に収まってくるにつれて、だんだん実感が湧いてくる……人が多くなるからね」とコメントをしておきました。



↓参考になったら、お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

にほんブログ村 哲学ブログへ

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いやな気分の整理学:論理療法のすすめ

2008年05月31日 | 心の教育






 久しぶりに新しい本を書きました。

 ほとんど無意識のうちに思い込んでいる自分の考え方を、意識的に整理・修正すると、気分・感情がとてもすっきりとする、という論理療法の入門です。

 論理療法については、すでに『唯識と論理療法』(佼成出版社)も出していますが、これは唯識-仏教との統合のためにややめんどうな理論的な問題も扱っていましたので、今回は、論理療法だけで、日常生活で実際に使えるように、さらにわかりやく実用的にということを心がけて書きました。

 NHKの「生活人新書」というシリーズに入っていて、そろそろ書店に並ぶはずです。

 本文はたったの170頁、本体価格も660円と、気軽に手に取っていただけるようになっています。

 ぜひ、読んで、使って、日々のいろいろないやな気分――落ち込みや腹立ちや不安など――をすっきり緩和させてください。



↓参考になったら、お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

にほんブログ村 哲学ブログへ

人気blogランキングへ


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新学期開始

2008年04月17日 | 心の教育

 大学の新学期が始まりました。

 最初のオリエンテーション授業にはたぶん500人以上学生が来ていました。

 うーむ、どうしたものか。うれしいのはうれしいのですが、レポート採点のことを考えると……

 大学が始まる前に、ようやくNHK生活新書の論理療法の書き下ろしの原稿を終わらせました。6月下旬に出る予定、タイトルは未定です。

 「持続可能な国づくりの会」のシンポジウムに向けた論文も書き終えました。

 遅れていたサングラハの98号の原稿もようやく書き上げました。

 その他、いろいろ締切りぎりぎり、あるいは少し遅れて、溜まっていた原稿を次々に仕上げています。

 サングラハの講座の第26期も決めました。

 ……というわけで、なかなかブログ記事の更新ができませんでしたが、これからまた少し書こうと思っていますので、読者のみなさん、よろしくお願い致します。


↓参考になったら、お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

にほんブログ村 哲学ブログへ

人気blogランキングへ



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモス・フォーラム報告

2008年02月13日 | 心の教育

 昨日書こうと思いつつ、いろいろ用事があって、書けなかった一昨日のコスモス・フォーラムの報告を。

 「もしかしたら歴史的事件」は、残念ながら起こりませんでした(最初、「怒りませんでした」と誤変換されました)。

事件は「起こりませんでした」が、私は「怒りませんでした」。

 当日、期待しすぎない範囲で期待しながら、まず2枚の画像を投影し、「星空は私たちの向こうにあるのでしょうか? 私がこちらにいて、向こうに銀河や宇宙があるのでしょうか? それとも、私たちは銀河の中にいる、宇宙の中にいるのでしょうか?」という問いかけをした後で、以下のレジュメのようなことを述べました。











   宇宙(Kosmos)には意志がある――宗教と科学の調和


 もっとも典型的には例えば道元の「尽十方世界一顆明珠(世界はすべて一つの光の玉である)」という言葉が示しているように、仏教哲学的な視点から言えば当然、人間と宇宙は一体であり、その人間の心と宇宙も一体であり、そういう意味で宇宙には心がある・意思があるということも自明のことです。

 それは内面的なアプローチ・瞑想的直観によって把握された命題ですが、外面的アプローチによって形成された現代科学のコスモロジーとほぼぴったりと対応しているのではないか、と私は見ており、今日はその点について科学の専門家の方々のご意見をうかがいたいと思っています。

 アインシュタインの相対性理論以降の物理学、ガモフのビッグバン仮説以降の宇宙論、プリゴジーヌの散逸構造理論、ワトソンとクリック以降の遺伝子の研究、ヘッケル以降のエコロジーの成果など、現代科学の標準的な理論を統合的に理解すると自然に、「137億年前、たった一つのエネルギーの玉(ないし塊)だった宇宙は、ビッグバン以来、エネルギーから物質、物質から生命、生命から心というふうに、自己組織化・自己複雑化という意味で進化し続け、多様なかたちに分化しているが、依然として私たち人間とその心は宇宙と一体である」というコスモロジーが導き出されるのではないでしょうか。そして、私たち人間の心は、宇宙の一部でありながら宇宙を認識しているという意味で「宇宙の自己認識器官」であり、またそういう意味で「宇宙には心がある」ということもできるのではないでしょうか。

 さらに、宇宙進化には自己組織化・自己複雑化という方向性・「指向性」があり、それが宇宙の自己認識器官としての人間の心を生み出したという現在の事実からいわば逆算して推測すると、宇宙には原初から心を生み出す潜在力(ポテンシャル)があり、心を生み出すような「志向性」があった、つまりある意味での意志があると解釈することも十分に可能なのではないでしょうか。

 もしそう解釈することが可能ならば、仏教や他の宗教の核にある神秘主義と現代科学の調和は可能になり、宗教と科学の調和が可能になれば宗教(有神論)と科学(無神論)の対立によってもたらされた近代のニヒリズムは克服されることになり、かつまたそうしたコスモロジーは、理性的・統合的にものを見ることのできるレベルに達した人間同士であれば、普遍的・世界的な合意を得る可能性もあるのではないでしょうか。

 もしそうしたコスモロジーの世界的な合意が可能になれば――あるいはそういう合意が形成されることによってのみ――人類の持続的な平和、人類と自然の持続的な調和のある未来の世界を構想することも可能になるのではないでしょうか。

 そうした大きな合意の先駆けとして、私は今回のシンポジウムに大きな期待を抱いています。


 こうした問いかけに対して、大まかに言えば全面的な賛同は得られませんでしたが、現代科学のコスモロジーを「宇宙の自己組織化・自己複雑化」というラインで理解することと、それをコスモス・セラピー=コスモロジー教育に応用することについては、全員ニュアンスの違いはあっても、承認ないし容認をしていただけたと思います。

 特に、「私たちは星の子」、「私たちは太陽の子」、「私たちは宇宙の子」という言い方をすることについては、全員ご異議はなかったようです。

 このことは、私にとってかなり大きな……70点くらいの成果です。

 現代宇宙論として「人間原理」についての議論が大きなポイントでした。

池内先生の要約をお借りすれば、「弱い人間原理」のポイントは「宇宙を認識していのは人間である」ことと、「この宇宙は人間が生まれる条件(宇宙定数の大きさ)を満たしている」ということであり、「強い人間原理」のポイントは「宇宙は人間を生み出すのを目的としている」ということだそうです。

 そして、池内先生は、「人間原理」には、宇宙は背景であり現場は地球であるという点、人間の生まれたのは偶然かもしれないという点、人間はたかだか600万年前に登場したのであって長い寿命ではないという点、戦争や飢餓や環境問題を考えると必ずしも高等生物とはいえないという点をあげて、欠落点がある、とされ、それに対して「バクテリア原理」――簡単に言えば宇宙の主人公は人間ではなくバクテリアである――というおもしろい説を出されました。

 私は、人間において「宇宙が自己認識」しているだけでなく、「自己感動」をしているし、例えばブッダなどにおいて「自己覚醒」しているという点をあげ、「バクテリアは感動しないと思いますが?」などと、少しだけ反論しましたが、時間が足りないこともあって、徹底討論には到りませんでした。

 このあたりは、宇宙の階層構造と4象限というコンセプトを導入すれば、明快に答えが出るところではないか、と思っていますので、今後、可能ならば議論を続けられるといいと思っています。

 なかでも、司会をしてくださった佐治先生とは、突っ込んでお話しできれば、かなりの大合意に達するのではないか、と予想しています。

 詳しくは、当日の議論の記録が文字起こしされて、たぶん公表もされると思いますので、その時、またお知らせしますし、今後の経過も折に触れご報告しようと思っています。

 当日参加してくださったみなさん、お疲れさまでした。「歴史的事件」は起こりませんでしたが、おもしろかったでしょう? 怒りませんよね?



↓参考になったら、お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

にほんブログ村 哲学ブログへ

人気blogランキングへ

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「命の重さを知ることができました」

2008年02月03日 | 心の教育

 一月は行く、二月は逃げる、三月は去る……という言葉があるように、あれよあれよという間に一月が終わりました。

 ずいぶん時間をかけて、3つの大学の採点をようやく終わらせました。

 それだけやっていたわけではありませんが、それにしても時間がかかります。

 以下のようにしっかりと心を込めて書いてくれているレポートなので、こちらもしっかりと読まなければならないからです。

 前の文章は学期の半ば、後の文章は学期の終わりに提出してもらった同じ女子学生の文章です(O大学1年。レポートを使わせてくれたY・Yさん、ありがとう! 読みやすくするために、若干改行を加えてあります)。



 宇宙カレンダーを見て、宇宙の進化史137億年を1年に縮尺したものだと言われても、今までの自分だったら、137億年も昔の地球や宇宙を実際に見たことがある人は、現在この地球には存在しないのだから、自分には全く関係のないことだと考えていたと思います。先生の授業を受ける前だったら、そう思い込んだまま、毎日を過ごしていたと思います。

 しかし、先生の話を聞いて、自分自身の考えが、大きく変わりました。今までは、137億年の歴史一つ一つが、今、生きている私たちに大きく影響しているだなんて、考えもしていなかったです。

 宇宙エネルギーは、宇宙が自己組織化し、一部が物質になり、複雑になって生命になり、心を持つ生命になり、認識をする心になります。

 137億年という長い間に起こった全ての出来事があったからこそ、私たちは今こうして生きているのです。もとは、全てが一つのエネルギーであり、エネルギーが物質→生命→心→魂・霊性という進化を遂げてきました。これは、宇宙進化には方向性があるということです。

 私はもともと一つの宇宙と一体で、その一部であり、その進化のプロセスの一部である、ということを聞いて、とても感動しました。

 私は花を見て「美しい」と思います。私は宇宙であり、花もまた宇宙です。つまり私が花を見て「美しい」と思うことは、宇宙が宇宙を見て「美しい」と思っていることになります。

 宇宙には意思があって、宇宙が自己認識しているということが分かり興奮しました。私が人を愛することは、宇宙が宇宙を愛してるということになります。素敵なことだと感じました。

 137億年という長い間に起こった出来事のうち、一つでも欠けていれば、私たちは今、生きていなくて、誰かと出会うことも無かった。今、生きている人と出会えたことは、137億年という月日をかけてやっと出会うことができたということです。137億年かけて出会えたことは本当にすごいことです。そして、生きているということは、それだけでどんなにすばらしいことなのかがよく分かりました。

 このことを全ての人々がしっかりと理解していれば、自分から命を無駄にするようなことをする人は、きっといなくなるはずです。反対に、生きていることがどんなにすばらしいことなのかということを知らないから、自分の命を大切に思えない人がいるのではないかと思いました。

 そして、なぜこのようなことを小学校から高校までの間に教えてもらえなかったのだろうと考えました。私は、このことを知らずに19年間生きてきたことがもったいないことだったと感じます。この授業で先生からの話を聞くことができて本当に良かったです。

 この科学で証明することができる、疑うことのできない事実を知ることができたことによって、生きていることのすばらしさ、出会うことができたよろこびが分かり、今までには無かった大きな感動を味わうことができました。

 宇宙はもともと一つ、今も一つ、だから宇宙と私が一つだということ知らない人の方が多いと思います。だから、もっと多くの人にこのことを知ってもらいたいです。そして、この大きな感動をもっとたくさんの人に伝えたいです。

 今まで当たり前のように生きていて、誰かと出会ってきて、宇宙と自分は関係の無いものだと思い込んでいて、感動の少なかった日常が、先生の話を聞いてからは輝いて見えます。

 日常にはこんなにも感動できることがたくさんあったことに気づかされました。もっと早くから知っていれば良かったと思います。今まで以上に、生きていることや、大切な人たちに出会えたことに感謝して過ごしていきたいです。



 私は、この授業を受けてから悩み事が少なくなりました。長い歴史の中で自分の抱えていた悩みはとても小さいことだと感じるようになったからです。

 先生の話はとても興味深いことばかりで、集中して授業を受けることができました。宇宙と人間-私は一体であるということ、そしてコスモスには自己組織化・自己複雑化という方向性があるということ、そして宇宙には意思があるということが分かった時にはとても驚きました。今まで知らないで過ごしてきて、もっと早く知る機会があれば良かったなあ、と思いました。自分自身の考え方にとても大きな影響を受けました。

 世の中には、全くの他人なんていないんだということが分かり、人に思いやりの心を持って接することは当たり前のことなんだと思いました。そう考えると、とても心があたたかくなった気がします。人だけではなく地球上にあるすべての物に優しくありたいです。そして、なによりも今、私たちがこうして「生きている」ということに感謝の気持ちが強くなりました。命の大切さを先生の授業から学ぶことができました。

 自分と宇宙なんて遠い存在だと思っていたのに、近い存在どころか一体なんだという事実を知ることができて良かったです。

 この授業を受けていなければ、こんなにも命のこと、宇宙のこと、地球のことなどについて真剣に考えることがなかったと思います。なぜ命が大切なのかということも、説明することもできなかったと思います。生きてて良かったと心から思いました。自分の命の重さを知ることができました。まず、自分の考えを宇宙レベルで考えるという発想が、先生の授業受ける以前の私にはありませんでした。

 私は一人なんかじゃないと知り、とてもうれしく感じました。これからも悩み事はあるかもしれないけれど、きっと乗り越えていくことができます。一人じゃないということは生きていく力になりました。

 生きることの意味をこんなにしっかりと教えてくれる人なんていないだろうと思っていました。しかし、先生の授業で、こんなにしっかりと教えていただけたことに本当に感謝しています。ありがとうございました。

 こんなにも自分の考えが大きく変わることになるとは思わなかったです。もっとたくさんの人が知るべきことだと感じました。



 理解度や感動度そして表現力の程度はいろいろであるにしても、ともかくこんなふうにメッセージを受け止めてくれる若者たちが何百人もいるのだから、この仕事は――かなり手間暇がかかって疲れもするのですが――当分止めるわけにはいかないだろうな、と感じています。

 しかし、このメッセージは私の個人的なものではありませんし、上記の学生が「なぜこのようなことを小学校から高校までの間に教えてもらえなかったのだろうと考えました。私は、このことを知らずに……生きてきたことがもったいないことだったと感じます」「もっとたくさんの人が知るべきことだと感じました」と言っているとおりだと思います。

 感想文を掲載するのも、自分の行なった教育の成果を自慢したいからではありません(ま、ちょっとはそういうマナ識的動機もあるかな)。

 そうではなく、できるかぎり多くの親御さんや教師の方たちに、コスモロジー教育を学んでいただいて、子どもたちに「生きることの意味をこんなにしっかりと教えてくれる人」になってほしい、そして、子どもたちに「生きていることのすばらしさ、出会うことができたよろこびが分かり、今までには無かった大きな感動を味わうことができ」、「感動の無かった…日常が輝いて見える」ようになり、「悩み事はあるかもしれないけれど、きっと乗り越えていくことができ」る「生きていく力」を付けさせてあげてほしい、と強く願っているからです。

 コスモロジー教育には子どもたち・若者たちに「生きる力」を与える顕著な効果があることは、これまでに書いてもらった何千もの感想文という証拠を提示することができます。

 といっても、現時点でのコスモロジー教育が、最高、唯一絶対であると思っているわけではありません。

 最近は特に、北欧とりわけフィンランドの教育などからも学びながら、さらにヴァージョンアップをしていきたいと思っているところです。



↓参考になったら、お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

にほんブログ村 哲学ブログへ

人気blogランキングへ
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏教の有効性は未だ色褪せていない!

2008年01月23日 | 心の教育

 教えている3つの大学の中でいちばん受講生数の多い――今年は約350名――H大の2回のレポート合計700通あまりに取り組んでいます。

 第1回の「唯識について」をようやく読み終えました。

 途中で疲れてきたので、少し気を紛らせるために、いったい400字原稿用紙換算でどのくらいになるのだろうと計算をしてみると、ほぼ1800枚でした。

 朝から夜までかかりっきりで、かなり肩や腰に来ます。

 しかし、学生たちの次のような感想にエネルギーをもらいながら、今年もなんとかやり抜くことができそうです。


 私は、この授業に出てから考え方がガラリと変わりました。本当に、以前よりもポジティブな考え方をすることができる様になりました。すべてのものは宇宙エネルギーレベルでみな一体であるので、すべてのつながりの中で私も生まれた。これを思うと家族や宇宙にあるすべてのものに感謝と尊敬の気持ちでいっぱいになります。これからも、すべて私とつながっているということを思うと、もう淋しい気持ちにはなりません。
 現代に生きる人々は涅槃に向かうためのスタートラインも見失っている人々が多いと思いました。しかし、私は、先生のおかげで、今やっと転識得智のスタートをきることができます。これからの人生も、宇宙にある全てのものとのつながりを意識し、覚りの道を歩んでいきたいと思います。(H大社会学科1年女)


 私は「元々一つのものがつながりながらそれぞれの姿を現している。それが世界のほんとうの姿だ」とする見方の仏教―唯識の立場にとても共感を覚える。論理的に考えるとそう結論づけざるを得ないからだ。「私」という存在は父・母、さらにはその前にさかのぼる長大な関係性の中にある。その事実は、「自分のことは自分で決める!自己決定権が人間にはあるのだ!」とする考えに真向から批判を加えるのだ。人は、そして全ての生命は関係性の中で存在している、という端的な事実は忘れてはいけないだろう。そしてまた、互いに影響し、影響され合う関係である、ということも考えてみると、人とは「関係性の束」であると定義できるかもしれない。このような思想は、「あらゆるものがつながっている」という考えを喚起するであろう。そしてそれは環境問題etcが深刻化する現代社会において解決策を提供できる一つのスタンスである。「根本的には一つである」とする体系的な理論を構築した仏教―唯識は、今こそ必要とされるマストな教養かもしれないと考えざるを得ない。仏教の有効性は未だ色褪せていない。(H大社会学科3年男)


 自己絶対化された特定宗教としての仏教ではなく、いわば「仏教思想」の現代的な有効性――私のキャッチフレーズでいうと「唯識は21世紀の常識だ」――について、多くの学生と合意が成立したようだ、と喜んでいます。

 続いて「聖徳太子・十七条憲法について」に取り掛かります。

 ここでも、またさらに合意が成立しているだろう、と期待しているところです。


↓お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

にほんブログ村 哲学ブログへ

人気blogランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008年の講座案内

2008年01月19日 | 心の教育

 25期オープンカレッジ ご案内

   *金曜日中級講座の日程も確定しました。


 環境、福祉、医療、教育、経済、政治などなど、どの分野を見ても問題が山積しており、根本的な解決への見通しは十分ではないようです。

 世論調査を見ると、多くの国民が将来は不安だと感じているようですが、不安を解消するためにどうすればいいのか見通しはなく、「そうはいっても、なんとかなるさ」といった気分で、ただ手をこまねいて時をやり過ごしているように見えます。

 そうした中で、当研究所は場当たりではない、根本的な解決の道を志向し続けていますが、第25期は、「跳ぶためにしゃがむ」、「前進のためのいったん後退」といった意味もこめて、仏教の影響下で育まれた日本人の心の原点と、その仏教の原点であるゴータマ・ブッダの教えという、2つの原点を探っていきます。

*なお、火曜講座は、スケジュールの都合で、1、2月はお休みとさせていただき、3月から再開とし、決まり次第改めてお知らせする予定です。ご了承ください。


 木曜講座:「日本の心と仏教」

                  於 サングラハ藤沢ミーティングルーム(JR、小田急藤沢徒歩3分)
                  1/10, 24 2/7 3/6, 27 4/10, 24  木曜日18:45-20:45  全7回

 真面目、正直、親切、勤勉などなど、日本人のすぐれた「国民性」の形成には、いうまでもなく神道や儒教の影響も小さくありませんが、とりわけ仏教の影響が決定的に大きいと思われます。

 本講座では、そうした「日本の心」が、どのような歴史的な流れのなかで育まれてきたのか、そしてなぜいまや失われつつあるのか、飛鳥時代から現代までの大まかな流れを把握することによって、日本人として、独善的・排他的な自己絶対化ではない、根拠ある妥当なアイデンティティ再確立の基盤になるものを見出していきたいと願っています。

テキスト:『サングラハ』91、92、95号
*ミーティング・ルームでお頒けすることができます。


 金曜講座:「ブッダは何を教えたか――『阿含経』を中心に」

                   於 不二禅堂(小田急線参宮橋徒歩5分)
                   3/7, 21 4/4, 25 5/9, 23   金曜日18:30-20:30  全6回

中級講座では、唯識と禅の古典を織り交ぜながら学んできました(2月末まで「正法眼蔵・仏性巻」の学びです)が、3月からはやや趣きを変え、ゴータマ・ブッダは何を教えたのか、仏教の原点に戻って学ぶこととしました。

 解脱について繰り返し語られた「わが迷いの生はすでに尽きた。清浄の行はすでに成った。作すべきことはすでに弁じた。このうえは、もはや迷いの生を繰返すことはないであろう」という言葉が示すとおり、ブッダは深い覚りの境地に達しつつもなお生の否定という傾向を残していたようです。

 ブッダの覚りの深さと、それにもかかわらず残った生の否定の深さが理解できた時、それを超える試みとして大乗仏教が興ったことの意味もいっそう深くわかるでしょう。

 なお講義の前に30分程度の坐禅を行ないますので、坐禅のできる服装をご用意下さい。

テキスト:コピーを配布します。


●受講料は、一回当たり、一般3、5千円、会員3千円、専業主婦・無職・フリーター2千円、学生1千円 それぞれに×回数分です。
都合で毎回出席が難しい方は、単発受講も可能です。

●いずれも、申し込み、問い合わせは サングラハ教育・心理研究所・岡野へ、E-mail: okano@smgrh. gr. jp または Fax0466-86-1824で。
 住所・氏名・年齢・性別・職業・電話番号・メールアドレス(できるだけ自宅・携帯とも)を明記してください。



↓お手数ですが、ぜひ2つともクリックして広報にご協力ください。

にほんブログ村 哲学ブログへ

人気blogランキングへ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年ももらった〈教師の勲章〉

2008年01月18日 | 心の教育

 今日で、3つの大学すべて2007年度1年間の授業が終わりました。

 これから、また1200通くらいのレポート、感想文を読まなければなりません。

 すでに、苦しくも楽しい、楽しくも苦しい作業を始めています。

 読んだ感想の中に、「今年も学生からもらった〈教師の勲章〉」とでもいうべき言葉がいくつもありました。

 なかでもうれしかったのは、次のような言葉でした。

 「一年間お世話になりました。先生とこの授業との出会いは、自分の中で革命的でした。」「この授業のプリント・ノート・先生の本は死ぬまで持っているような気がします。」

 こんな言葉を贈ってくれる学生もいるんです(他にもいくつもあります)。

 ここ数年、若者たちが変わってきていて、かつてよりもメッセージがストレートに届きにくくなっているような感じがあり、「手ごわいな」という気がしていますが、それでもこんなふうにしっかりと受け止めてくれる学生もいて、しみじみ「今年もやはり教えてよかったな」と感じています。

 授業の最後に、学生たちに「しっかりと学んでくれて有難う」と感謝しておきました。

 希望を聞いてみると、坐禅をしてみたいという学生も一定数いますので、2月3日(日)あたりに藤沢ミーティングルームで「まったくの初心者のための坐禅入門講座」を開こうかと思っています。

 1、2日中に確定して、また広報します。

 学びは続くよ、どこまでも……法門無量誓願学。


↓お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

にほんブログ村 哲学ブログへ

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年最後の授業・補講

2007年12月25日 | 心の教育

 ここのところ、物理的にも心理的にも忙しい日々で、ブログ記事を書いていませんでした。久しぶりに書きます。

 今日、H大での今年最後の授業で、しかも補講でした。

 冬休みに入ったので出席にカウントしないことにしたら、案の定、出席者は40名弱でした。

 しかし、それだけ本気の学生たちが残ったということなので、かえって気持ちよく話すことができました。

 聖徳太子『十七条憲法』の第四条から第七条まで。

 「きみたち若い世代が日本を平和と調和の国にしなければ、このままだとほぼ確実に、きみたちの国がダメになってしまうんだよ」と熱いメッセージを送りました。

 次のような感想文を書いてくれた学生がいました(改行は筆者)。


 クリスマスという世間ではお祭りムードのこの日に補講なんて……と思っていたが、やはり出て良かったような気がする。

 今日のように世間が浮かれている日に、聖徳太子憲法を読解するとは素敵ではないか。

 やはり、今日という日に学んだ事で得た物も大きいと思う。

 そして内容であるが、正直心打たれるものがあった。

 今まで様々な人物、それこそヒトラーやゲバラなどの政治理念を読んできたが、聖徳太子ほど理想が高く、美しい政治理念は見た事がなかった。

 このような理念が太古の日本に存在した事が知れて、今日は本当にスバラシイ体験をした。


 こういう感想文を書いてくれる若者が少しでもいるかぎり、日本もまだ捨てたものではないと思います。

 今年の一字が「偽」であるような日本を、大人も若者も協力してみんなで変えていきましょう。やれば、できる!


 なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬは ひとのなさぬなりけり  (上杉鷹山)


↓参考になったら、お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

にほんブログ村 哲学ブログへ

人気blogランキングへ


 
  

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「つながりコスモロジーとしての仏教:空と唯識」目次 4 随煩悩

2007年11月29日 | 心の教育

  随煩悩

随煩悩1:心には20もの現象的な煩悩がある
随煩悩2:怒り(忿・ふん)  
随煩悩2-2:怒りのメカニズム
随煩悩2-3:怒りはコントロールできる
随煩悩3:うらみ(恨・こん)
随煩悩4:覆(ふく)――ごまかし・隠蔽体質
随煩悩5:悩(のう)――悩ませること
随煩悩6:嫉(しつ)――分離-比較-優劣-嫉妬の心
随煩悩6-2:愛情欲求と不健全な嫉妬
随煩悩7:慳(けん)――自分のものにこだわる心
随煩悩8:誑(おう)――だますこと
随煩悩9:諂(てん)――こびへつらう心
随煩悩10:害(がい)――能動的・積極的に人を否定する心
随煩悩11:慢(まん)――にせものの過剰な自信
随煩悩12:無慚(むざん)、無愧(むき)――反省しない心
随煩悩13:掉挙(じょうこ)・惛沈(こんじん)――のぼせたり落ち込んだり動揺する心
随煩悩14:不信(ふしん、不誠実)、懈怠(けだい、怠惰)、放逸(ほういつ)好き勝手な心
随煩悩15:失念(しつねん)――物忘れ・気づきを失った心
随煩悩16:散乱(さんらん)――気が散っていること
随煩悩17:不正知(ふしょうち)――ありのままを知らないこと
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「つながりコスモロジーとしての仏教2:空と唯識」 目次 3 意識上の根本煩悩

2007年11月28日 | 心の教育

意識上の根本煩悩1:貪(とん)――過剰で不健全な欲望
意識上の根本煩悩2:瞋(しん)――過剰で不健全な怒り
意識上の根本煩悩3:癡(ち)――コスモスの理への無知・無理解
意識上の根本煩悩4:慢(まん)――比較する心
意識上の根本煩悩5:疑(ぎ)――自己防衛的に反発し疑い否定する心
意識上の根本煩悩6-1:悪見(あっけん)――まちがったものの見方1
意識上の根本煩悩6-2:辺見(へんけん)――まちがったものの見方2
意識上の根本煩悩6-3:邪見(じゃけん)――つながりを否定するものの見方
意識上の根本煩悩6-4:見取見、戒禁取見―自分の正義にこだわる心

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「つながりコスモロジーとしての仏教2:空と唯識」 目次 2 善

2007年11月09日 | 心の教育
 善の心1:信――まごころや真面目さこそ新しい
 善の心2:慚(ざん)――自分を省みる心
 善の心3:愧(き)――恥を知る心
 善の心4:無貪(むとん)――過剰な欲望のない心
 善の心5:無瞋(むしん)――過剰に怒ることのない心
 善の心6:無癡(むち)――ダルマを理解する心
 善の心7:精進(しょうじん)――有限の人生を生きる心構え
 善の心8軽安(きょうあん)――爽やかに生きる心
 善の心9:不放逸(ふほういつ)――怠らない心
 善の心10:行捨(ぎょうしゃ)――静かな心
 善の心11:不害(ふがい)――他者を傷つけることのない心

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「つながりコスモロジーとしての仏教2:大乗仏教―空と唯識」 目次 1

2007年11月06日 | 心の教育

 相変わらず忙しく、なかなか記事の更新ができません。

 せめて過去の記事の目次作りだけでも、と思っているのですが、それも思うに任せません。

 とりあえず、2つの大学で授業の終わったあたりまで、目次を整理しました。引き続き暇を見つけてやっていきます。



 大乗仏教
 大乗仏教の経典
 空とは何か 1
 空とは何か 2
 空とは何か 3
 空とは何か 4
 空とは何か 5
 空と慈悲

 「ありたい」と「あらねばならない」
 唯識を学ぶと
 リトル・ボサツの創発
 唯識は希望を生み出す魔法の言葉
 仏教を楽しむ
 唯識を学んで元気になろう!
 唯識:コスモスからのメッセージ

 「ただ心だけ」とは?
 3、4(8)、5、6、∞
 心の深みをかいま見る――集合的無意識とアーラヤ識
 三性1:ものの見方の3つのパターン
 三性2:言葉と分別性
 三性3:ばらばらからつながりを見る
 三性4:おかげさまに気づく
 三性5:コスモスと私は一つ
 三性6:見る方向で見えるものが違う

 八識1:東洋における「無意識の発見」 
 八識2:六識とマナ識
 八識3:マナ識に潜む根本煩悩①
 八識4:マナ識に潜む根本煩悩②
 八識5:マナ識に潜む根本煩悩③
 八識6:マナ識に潜む根本煩悩④

 八識7:心の底の蔵――アーラヤ識①
 八識8:記憶の貯蔵庫――アーラヤ識②
 八識9:生命情報の世界――アーラヤ識③
 八識10:問題は在庫品――アーラヤ識④
 八識11:カルマ・業の貯蔵庫――アーラヤ識⑤

 八識12:アーラヤ識とマナ識の悪循環
 八識13:意識‐マナ識‐アーラヤ識



↓参考になったら、お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

にほんブログ村 哲学ブログへ

人気blogランキングへ
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「つながりコスモロジーとしての仏教1:ブッダと部派仏教」 目次

2007年10月28日 | 心の教育

 日本人が正当なアイデンティティを再確立する・自信を持つためには、日本の伝統的な精神性の中核にある仏教を理解する必要がある、と私は考えています。

 仏教の核心にあるのは、近・現代人にはもはや信じられないような神話的コスモロジーではなく、むしろ近代の限界を超えるためにぜひ必要な「つながりコスモロジー」だ、と私は解釈しています。

 以下の目次に従って、ぜひ、自分たちの国のすばらしい精神的な遺産について理解を深めてください。

 *現時点では、目次は整備中、まだ途中までしかできていません。鋭意、整備していきます。


  アイデンティティ確立のための上り坂
 さあ出発です
 仏教の6つの側面

 若者には縁起がわかる

 智慧・覚りと慈悲
 ゴータマ・ブッダ略伝1 
 ゴータマ・ブッダ略伝2
 縁起の理法1
 縁起の理法2
 縁起の解釈について
 4つの聖なる真理1
 4つの聖なる真理2
 4つの聖なる真理3
 4つの聖なる真理4
 真理の3つの印:三法印
 すべて形あるものは変化する:諸行無常
 無常だからこそまた花が咲く
 この世界には実体は存在しない:諸法無我
 過剰な執着を離れれば心は爽やか:涅槃寂静
 
 仏教:楽しく生きるための理論と方法

 部派仏教
 部派仏教のコンセプト
 
 ヴィッパッサナー瞑想に関するQ&A
 


↓参考になったら、お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

にほんブログ村 哲学ブログへ

人気blogランキングへ

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本社会は荒廃しているか? している、と私は考える

2007年10月22日 | 心の教育
 
 授業や講演・文章などで「日本人の精神的荒廃」「近代化の徹底とニヒリズム」という話をすると、「それはメディア・マスコミによって作られた印象なのではないか? メディアがセンセーショナルな事件を取り上げすぎているのではないか?」といった反論的な質問がよく出てきます。

 確かにそういう面もないことはないと思います。

 そこで、一つ大きく参考になるだろう資料として、法務省『犯罪白書』(平成17、18年版を中心に)を検索して調べてみました。

 平成18年版の統計を見ると、特に「ここのところ少年犯罪が急増している」というのは、やや事実に反しているようです。

 とはいっても、昭和21年からすると明らかに増加しています。





 そして、刑法犯の統計(平成17年)を見ると、戦後の傾向としては一貫して増加しているようです。





 より正確には、『犯罪白書』のコメントにあるとおりで、平成14年にピークだったのが、幸いにしてここ数年はやや減少傾向にあるとはいえ、「戦後を通じて見れば,なお相当高い水準にある」ということのようです。


 刑法犯の認知件数と発生率

 刑法犯の認知件数は,平成8年(246万5,503件)以降,毎年戦後最多を更新し,12年に300万件を超え,14年には戦後最多の369万3,928件を記録した。翌15年に減少に転じ,16年は342万7,606件(前年比21万8,647件(6.0%)減)となったが,依然として高水準にある。
                                    『犯罪白書』平成17年版

 刑法犯の認知件数は,平成8年以降毎年戦後最多を更新し,14年には戦後最多の369万3,928件を記録したが,15年に減少に転じ,17年は前年より30万2,390件(8.8%)減少となった。認知件数は,戦後を通じて見れば,なお相当高い水準にある。
                                    『犯罪白書』平成18年版


 さらに私には、昭和21年の138万7千60件から平成14年の369万3千928件という約2.7倍の増加は、その後平成15年からの減少を勘案しても、「戦後を通じてみれば、なお相当高い水準」などというものではなく、やはり「ただごとではない荒廃」と感じられます。

 みなさんは、どう感じられますか? さらにどう判断されますか? さらに言えば、どう対処すればいいとお考えですか?

 「いつだって悪い人間はいたのであり、いまさら大騒ぎするほどのことではない」のでしょうか?

 かつての日本は安全で安心な国だったというのは、単なる美しい幻想なのでしょうか?

 「すでに打っている対策によって、この減少傾向が続くだろうから、それほど心配しなくてもいい」のでしょうか。

*さらにいえば、問題は犯罪件数だけではないと思います



↓参考になったら、お手数ですが、ぜひ2つともクリックしてメッセージの伝達にご協力ください。

にほんブログ村 哲学ブログへ

人気blogランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする