生きているだけでも大変な奇跡

2010年08月26日 | メンタル・ヘルス

 筆者がコスモス・セラピーのなかでよく使わせていただくエピソードがありますが、どこで読んでのか忘れてしまっていて、数字も少し記憶違いをしていました(過去の記事「奇跡的大成功の連続の成果としての私」の数字も訂正しておきました)。
 今日、書棚の本をぱらぱらとめくっていてたまたま見つけたので、備忘録も兼ねて、引用紹介しておきたいと思います。

 世界的な遺伝学者の村上和男さんが、おなじく世界的な遺伝学者の木村資生(もとお)さんの言葉を引用して、次のようにいっておられます(改行は筆者)。


 ダーウィンの進化論では、何十億年という長い時間をかけて、人間も動物の植物もみんな進化してきたことになっています。そのキーワードが自然淘汰による適者生存です。

 環境の変化に適応し、適応できた強者のみが生き残ってきた、その進化の実体は何かといえば、「遺伝子を通じて変わった」ということなのでしょう。

 妊娠初期の人の胎児は、魚に似た形態をとります。
 人間の遺伝子の中には、昔の魚や、爬虫類などの遺伝子も入っており、受精してから誕生するまでに、胎児は母親の体内で過去の進化の歴史をもう一度大急ぎで再現するのです。

 これは遺伝子のなかに進化の歴史が全部インプットされているためと思われますが、それでも人間から魚や爬虫類が生まれないのは、そういう遺伝子はどこかでOFFになるからで、万が一、ONになっても生まれてこないようにセットされているようです。

 木村資生という有名な遺伝学者がおります。木村さんはダーウィンの進化論に対し「中立的進化論」を唱えて世界的に名を知られた人なのですが、その木村さんによれば、

「生き物が生まれる確率というのは、一億円の宝くじに百万回連続で当たったのと同じくらいすごいことだ」

 といっておられます。

 ふつうの人は天才や秀才をうらやましがりますが、その立場に立てば別のつらさもあって、逆に凡庸に生まれた人間をうらやましがっているかもしれません。

 いずれしろ、人間はこの世に生まれてきただけでも、この自然界で大変な偉業を成し遂げたのであり、現在、自分が生きているということはまさに奇跡中の奇跡、素晴らしいことなのだともっと自覚するべきではないかと思います。

 あなたが今この世に存在して、生きているだけでもまさに大変な奇跡なのです。遺伝子からの発想では、そういうことが言えるのです。

(村上和雄『生命の暗号――あなたの遺伝子が目覚めるとき』(サンマーク文庫、一六九―一七〇頁)



生命(いのち)の暗号―あなたの遺伝子が目覚めるとき
村上 和雄
サンマーク出版

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エディソンの不屈の精神:就活に勝つメンタル・タフネス9

2010年08月21日 | メンタル・ヘルス

 9月30日から始まる秋の講座「ポジティヴ・シンキングの心理学」の準備に、N・V・ピールの著作のエッセンスの抜粋を作っています。

 その一部をご紹介してきましたが、今日もまた一つ。

 「そんなにネタを明かしてしまっていいんですか?」と心配してくださる方があったので、
 「だいじょうぶです。あなたの好きな歌手の好きな歌があるとして、その楽譜とCDとライヴと、どれがいちばん感動すると思いますか?」と聞きました。
 「もちろん、ライヴです」という返事。
 「レクチャーも同じです。心に関しては、心理学のレクチャーのレジメを読むより、本を読むより、ライヴのレクチャーやワークショップのほうが、圧倒的に学ぶものが多いんです。だから、そのことがわかっている人は、ただのブログ記事で済ませないで、きっと講座に来るでしょう。ブログ記事でのネタ明かしは、レクチャーの案内文なんです。」
 「なるほど!」

 というわけで、以下、とてもいいなあと思ったポジティヴ・シンキングのエピソードをご紹介します。

 エピソードの主人公はかのエディソン(エジソンとも表記)です。



 故人となったニュージャージー州知事チャールズ・エディソンが、その父、有名な発明王であるトーマス・A・エディソンの不屈の闘志と立ち直りの早さについて、私に語ってくれたことがある。

 一九一四年の十二月九日、ウェスト・オレンジにあったエディソンの工場が火災で焼け落ちてしまった。トーマス・エディソンはその夜、二百万ドルを消失し、労作の多くが灰になってしまった。保険には二十三万八千ドルしか入っていなかった。コンクリート造りの建物は火災になることはないと、そのころは信じられていたからである。

 エディソンの息子は二十四歳、彼自身は六十七歳だった。息子は狂ったように駆けまわり、父を探した。ようやく見つけたとき、エディソンは火のそば近くに立っていたが、顔は火を反射して赤くなり、白髪は十二月の風になびいていた。

 「父のことを思って、私の心は痛みました」と、チャールズ・エディソンは言った。「父は六十七歳、もう若くはない。それなのに、すべてが燃えてしまった。そのとき、父は私を見つけて怒鳴りました。『チャールズ、お母さんはどこだ』知らないと言うと、父は言いました。『お母さんを見つけて、ここに連れてきなさい。お母さんも、生きているあいだに、二度とこんな光景、見ることはできないんだから』」

 翌朝、トーマス・エディソンは、すべての希望と夢を焼き尽くしたその焼け跡を歩き、そして言った。「災難というのもいいもんだ。失敗も全部、燃えてしまったんだから。まったく新しくやり直せる、ありがたいことだ」

 火災から三週間、彼の新しい工場は、世界ではじめての蓄音機を作り出した。これが、人間として避けがたい不運にあいながら、不屈の精神と勇気と信念を持って生きていった男の物語だ。彼は、六十七歳という年齢を意に介さなかった。いつでも立て直しができたからである。

 このような話をすると、きまって、「エディソンは天才だったから、そんなこともできたのだろうが、私はだめだ」と言う人がいる。

 たしかに、エディソンはふつうの人ではない。しかし私は、天才的能力もなければ名声にも財産にも恵まれない多くの人たちが、エディソンのように力を発揮するのを見てきた。
 正しくものごとを考える人なら、逆境のときに正しく行動し、正しく信じるものだ。どんなことが起こっても乗り越えることができるという信念をもてば、世界もそれに応えてくれるのである。

 聖書もそのことを約束している。「あなたがたは、世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネによる福音書16章33節)もし、あなたが積極的な信念を持っているなら、あなたもまた、すでに世に勝っているのである。

              (『積極的考え方の人生』64頁~66頁)


 エディソンのような天才でない人間がエディソンのような不屈の精神と勇気をもてるようになれるのか? なれます! というのが、ピールと筆者の答えです。

 これまでに書いてきた記事をよく読んで理解し、実践してください。それだけでも、かなりのところまで行けるでしょう。

 それから、ご紹介してきた本も読んでみてください。

 そして、できれば、できるだけ、ぜひ、講座にもお出かけください。

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就活に勝つメンタル・タフネス 8

2010年08月11日 | メンタル・ヘルス

 年2回、夏休みの初めと冬休みの初めに、レポート採点に忙殺されます。

 今年は、8月第1週まで授業という大学があり、昨日ようやく3つの大学の採点―成績評価が終わり、「今期もまた全体としては学生たちはよく学んでくれたな。教えてよかった」という満足感と同時に、どっと疲労感も感じました。

 今回はタイミングが書き下ろしの原稿(仮題『仏教心理学とアドラー心理学』佼成出版社、10月初旬刊行予定)の締め切りと重なり、けっこうしんどい作業でした(でも、ちゃんとやれました!)。

 若干の手直しを残しひとまず終わったところで、久しぶりに記事の更新をします。

 今日も、ここのところ続けてご紹介しているノーマン・V・ピールの文章の一節をご紹介しましょう。とても素敵なエピソードです。

 本文にはない、私がつけた小見出しは「朝の選択:今日一日幸福でいること選ぶ」です。


 あなたが将来、幸福になるか不幸になるかを決定するのはだれだろうか。それは、ほかならない、あなた自身だ。

 あるテレビ番組の有名な司会者が、一人の老人のゲストに招いた。その老人が何か言うたびに、それが実に素朴で適切だったので、観客は大声で笑い、老人を好きになった。この司会者も深い感銘を受け、ほかの人々と一緒に楽しんだ。最後に司会者はその老人に尋ねた。

 「なぜあなたはそんなに幸福そうなのですか。何か秘訣をお持ちなのですか」

 「いいや。秘訣など一つもないよ。平々凡々たるものさ。ただ、わしは朝起きた時に二つに一つを選ぶのさ――幸福であるか、それとも不幸であるかをね。それで、私がどちらをとると思うかね。幸福を選ぶのだよ。それだけのことさ」

 これはあまりに単純すぎるように思われるかもしれない。しかしアブラハム・リンカーンの言葉なら、だれも非難することはできないだろう。リンカーンは、「人々が幸福になろうと決心すれば、それだけで幸福になれる」と言っている。

    (ノーマン・V・ピール『積極的考え方の力』(ダイヤモンド社、32頁)


 こうした朝の選択が、就活に何の関係があるんだろう、何の役に立つのだろう、と疑問に思った人がいるかもしれません。

 しかし、実は大いに関係あり、大いに役に立つのです。

 朝起きて、幸福感があるのとないのとでは、どちらが元気が出るでしょう。

 元気があるのとないのとでは、どちらが今日の就活がうまくいく可能性が高いでしょう。

 「でも……」と言いたい人には、過去の記事、「心の向きを変える」「心の向きを変える続」を読んでいただくといいと思います。

 確かに、世界には、どこをどう探しても「幸福と感じられる理由」が一つもないように思える極度に悲惨な状況におられる方もあるでしょう。

 しかし、インターネットを利用でき、このブログを読むことのできる人には、そういう人はいないと思います。

 自分が見るものをちゃんと選択すれば、幸福を感じることのできる理由はいくつもあるはずです。もちろん、不幸を感じる理由ばかり見ていれば、不幸感でいっぱいになるのは当然ですが。

 ぜひ、心の目の向きを変えて、探してみてください。きっとあるはずです。

 例えば、「私は、こうしてちゃんと食べるものがあり、眠る部屋があって、健康で、就職活動ができるだけでも、幸福だ! それに今日は空も青いし」と。

 そして、幸福を感じる理由を発見できれば、確実にメンタルは一歩も二歩もタフネスに近づきます。

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就活に勝つメンタル・タフネス 7

2010年07月23日 | メンタル・ヘルス

 雇用状況がきびしい中、何度か、あるいは何度も入社試験、面接に受からず、すっかり落ち込んでしまう学生がたくさんいます。

 そういう本人や友人がしばしば相談に来ますが、彼らが言う典型的な言葉があります。

 「もう○○社も落とされてしまって、自分を否定されたような気がするんです。自分は誰からも必要とされていないんじゃないかと感じるんです。」

 そういう時、まず「そうか、○○社も採用されなかったんだ。それは、がっかりするよね」とセラピー用語でいえば「共感的アプローチ」をします。

 しかし、少し共感のプロセスを経た後で、「それで、きみは落ち込んでいる気持ちをわかってほしいんだろうか、それともどうしたら就活に勝てるか、方法を教わりたいんだろうか。どちらでも、ある程度は対応してあげられるけど、気持ちをわかってあげてもそれで就活に勝てるわけではないと思うので、僕としては就活に勝つ方法を教えるほうが効率的でいいと思うんだけど、どちらにする?」と聞きます。

 そうすると、多くの学生が「方法を教えてください」と言ってくれます。

 人間にとって感情は大切なものですが、感情に引きずられたり溺れたりするとたいてい失敗するものです。

 そこで、人生(ここではその一部としての就活)で成功するためには、感情を大切にしながらもコントロールする必要があります。

 そこで、まず落ち込みという感情の簡単なコントロール法を伝えます。

 「○○社の人事担当者が君を採用しなかったことは確かに事実だけど、どのくらいの面接時間だったのかな? ○○分、なるほど。
 ところで、君という人間の全体はたった○○分で評価できるほど、単純で小さいものなのかな? そんなはずはないよね。人間はとても複雑で多様な要素をもっている存在だよね。
 人事担当者は、やむを得ず入社試験というごく短い時間の中で見えた君の一部の印象がその会社が要求することとは合っていない、と判断したんだと思うけど、どう思いますか?
 そう、それは、ごく短時間で見えた君の一部が否定されただけで、君という人間の全体が否定されたわけじゃないよね?
 では、『私が否定された』という考えを『私の一部が否定された』と訂正してみよう。それから、さらに『私のごく一部が否定されただけのことだ』と言い換えてみよう。どういう気分がするだろう?」

 「自分(全体)が否定された」のではなく、「自分のごく一部が否定されただけだ」と捉え方が変わると、ほとんどの場合、気持ちが軽くなります。

 続いて、「『誰にも必要とされていない』と感じたんだね。そう感じるとショックだよね。
 それは『みんなが私を必要としていない』と言い換えてもいいよね?
 ところで、えーと、何社だったっけ? ○○社、なるほど。で、面接官は延べ何人くらいだった? そうか、○○人くらい。
 ○○社とその○○人のことを『みんな』と言うのは、言葉の使い方として正確だろうか? 『みんな』という言葉の正確な意味は『人間全員』ということだと思うんだけど、どうだろう? ○○社の延べ○○人は、全人類のごくごくものすごくごく一部だと思うんだけど、どう思う?
 だから、正確に言うと、『誰にも必要とされていない』んではなくて、『ごくごく一部の人に必要とされなかった』ということだよね?
 では、『誰にも必要とされていない』という考え方を、『たまたまごくごく一部の会社には必要ではないと思われただけだ』と言い換えてみよう」

 論理療法や認知療法では、ごく一部の事例ですべてを断定することを「過度の一般化」といいます。

 私たちはよくやりがちなことですが、過度の一般化はとても不正確でたいていの場合非生産的なものの捉え方です。

 人間の感情は、ものごとの捉え方・考え方・認知の仕方によって、大きく左右されます。

 捉え方を変えると、感情も大きく変わるのです。

 〔*これは論理療法の基本的な考え方です。〕

 「自分(全体)が否定された」から「自分のごく一部が否定されただけ」、「誰からも必要とされていない」を「ごくごく一部の人には必要でなかっただけ」と捉え方を変えると、気分はすっかり楽になります。

 さて、落ち込んでいるのと、気分が楽なのと、どちらが就活に勝つ可能性が高まるでしょう? 言うまでもありませんね。

 だったら、しっかりものの捉え方を変えて、気分を楽にして、再度挑戦してみよう!

 10回でうまくいかなかったら、20回、20回でまだうまくいかなかったら、30回。何回うまくいかなくても、最後にうまくいけばいいのですから。

 アメリカの大成功者で、成功哲学の著者でもある、ナポレオン・ヒルが言っています。


 勝つ者はけっしてあきらめない。あきらめる者が成功することはけっしてない。


 若者諸君、勝つまではあきらめるな! 君ならきっと最後には必ず勝てるんだから。




いやな気分の整理学―論理療法のすすめ (生活人新書)
岡野 守也
日本放送出版協会

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就活に勝つメンタル・タフネス 6

2010年07月21日 | メンタル・ヘルス

 明確な目標、積極的な考え方、信念、そして目標を達成したところをありありと思い浮かべられる想像力――以上の四拍子が揃えば、だれでも自分のかかえている問題のほとんどを、首尾よく解決することができる。

 何かを成し遂げたければ、どんな場合でもこの四つの生産的な要因を総動員して、大いに働かせることだ。

    (ノーマン・V・ピール『だれの辞書にも不可能という文字はない』三笠文庫)


 ここで「かかえている問題」を「就活」に置き換えても、ピールのあげている四つの生産的な要因はそのまま当てはまります。

 シリーズの2と3で「信念」の重要さとではどうしたら信念を持てるかという話をしました。

 前回の5では、はっきりした「目標」を立てることについて述べました。

 今日は、「想像力・イメージの力」について話しましょう。

 目標がはっきりし、目標が達成されることを信じながら、次にやるといいのは、目標が達成された場面をありありと想像することです。

 「そんな空想なんて」と思うかもしれませんが、成功した人々が口をそろえて証言しているのは、目標が実現する前にしっかりと実現したシーンを想像したということです。

 私の後輩に、競争率60倍以上という大学助教授のポストにみごと就くことができた人がいます。

 私の訳した『人生に奇跡をもたらす7つの方法』を勧めたら、素直に信じて、しっかり実践してくれたのだそうです。

 どうして、そんなことが起こるのでしょう。

 語呂合わせではありませんが、「想像力」は「創造力」と深くつながっています。

 それは人間の無意識には、意識が想像し信じたことを現実化する驚くべき創造力があるからです。

 意識で信念の言葉を繰り返し、イメージし続けていると、無意識がそれを信じ想像を創造へと錬金術のように変化させるのです。

 就活に勝ちたいのなら、すでに勝った、内定が出た! というシーンを、その時の飛び上がるようなうれしさも一緒にありありとイメージしてみましょう。

 付け加えておくと、イメージする時は、力まないで、すっかりリラックスして、すべてをコスモスにお任せするという気持ちで、すごくいい夢を見るように楽しんでやることです。

 イメージが苦手という人もいるようですが、心配ありません。どんなにぼんやりとしたイメージでも、しないよりはしたほうがはるかに実現の確率が高まります。

 もし絶対ではないにしても、確率が高まるのなら、その方法を使わない手はありませんね。

 それに、繰り返し練習しているとだんだん鮮やかなイメージが描けるようになります。

 想像力にもトレーニングが必要なのです。

 何もトレーニングしないで、きびしい競技に勝った、なんてうまい話は、スポーツ界にはなさそうです。

 就活という競技にも、トレーニングは必要です。

 そしてトレーニングは、したらしただけの結果が必ず出るのです。

 さあ、「内定が出た! やったー! よかった、よかった!」というシーンを繰り返し想像してみてください。

 だいじょうぶ! きっとうまくいく! 
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就活に勝つメンタル・タフネス 5

2010年07月17日 | メンタル・ヘルス

 何か願望を実現したい――この場合、就活に勝ちたい――と思った場合、まず最初にするべきことは、目標を明確にすることです。

 漠然とした夢とか願いではなく、はっきりした目標を立てるのです。

 なんとなく、「どこかいいところに入れるといいなあ」ではなく、「こういう仕事がしたい」「この仕事に就きたい」「この会社に入りたい」とはっきりさせる必要があります。

 目標が明確になると、自然に熱意が湧いてくるでしょう。

 その熱意を表現し、それが採用側に伝わると、採用される確率が非常に高くなります。

 私も、21年会社勤めをし、そのうちの4分の3くらいは役員でしたから、採用する側の気持ちはよくわかります。

 能力が似たり寄ったりの入社希望者がいたら、その中でいちばん「御社に入りたいんです」と熱意をアッピールする人に心を動かされます。

 能力が少し劣っているかもしれないと思っても、とても熱心だと、「この子、やる気十分だな。使えそうだ。指導すれば、伸びそうだ」と思わされて、その人を採用したりします。

 熱意が相手の心に伝われば、もう心の「内定」です。

 心で内定すれば、実際の「内定通知」はすぐ、もう時間の問題です。

 しかし、ほんとうにその会社に入りたいのかどうかよくわからないが、とりあえず受けるという場合があるでしょう。

 その場合、どうせ受けるのなら、そしてどちらかというと「受かったほうがいい」のなら、熱意があるふりをすることです。

 ただし、そのふりは、まず自分の心から始めます。

 「私はこの会社にどちらかというと入りたい」という気持ちを表現する言葉を、「どちらかというと」を取って「私はこの会社に入りたい」に換え、さらに「ぜひ」を加えて「私はぜひこの会社に入りたい」と換えて、自分の無意識に言い聞かせるのです。

 繰り返し言い聞かせていると、やがて無意識が信じ始めます。

 無意識が信じ始めると、それが全身心に現われ始めます。つまり、熱意が湧いてくるのです。

 熱意が溢れるように湧いてきて、それが相手に伝われば、ほとんどまちがいなく「内定」です。

 熱意がないまま、入社面接を受けるのは、かなり時間のムダです。面接官の目は節穴ではありません。やる気のないのはすぐばれるのです。

 受けるのなら、熱意を湧き上がらせる。熱意が湧き上がらないのなら、湧き上がるような目標を探す。

 どちらにせよ、きみならできる! 大丈夫! きっとできる!




 
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梅雨時のポジティブ・シンキング

2010年07月14日 | メンタル・ヘルス

 *今日、O大学のチャペル・アワー(礼拝)で以下のような話をしました。ブログ受講生のみなさんにもおわかちします。


 聖書:新約、ローマの信徒への手紙一・二〇
     :旧約、ヨブ記三六・二四―二九、三七・一一―一三
  
 讃美歌:二二六番 一、二、四節(「センス・オブ・ワンダー」の講話の時にも歌いました。)


 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。


  世の人は神の御業に賛美の歌を歌う。
  あなたも心して、ほめたたえよ。
  人は皆、御業を仰ぎ
  はるかかなたから望み見ている。
  まことに神は偉大、神を知ることはできず
  その齢を数えることもできない。
  神は水滴を御もとに集め
  霧のような雨を降らす。
  雲は雨となって滴り
  多くの人の上に降り注ぐ。
  どのように雨雲が広がり
  神の仮庵が雷鳴をとどろかせるかを
    悟りうるものがあろうか。……
  雲は雨を含んで重くなり
  密雲は稲妻を放つ。
  雨雲はここかしこに垂れ込め
  導かれるままに姿を変え
  命じられるところを
  あまねく地の表に行う。
  懲らしめのためにも、大地のためにも
  そして恵みを与えるためにも
    神はこれを行わせられる。


 今日のために選んだ聖書の箇所は、旧約聖書の方は梅雨時にふさわしく雨と雷と稲妻の話です。この箇所の朗読を聞いて、みなさんは何を感じたでしょうか。

 キリスト教徒でない人は、文章はなかなか格調が高くて文学的だけれども、神が雨を降らせ、雷をとどろかせ、稲妻を閃かせるなどというのは非科学的なおとぎ話だと思うかもしれません。

 チャペルアワーに何度も参加した人は何度も聞いていると思いますが、私も「白いヒゲで白い衣を着て光り輝いている超能力のおじいさん」というふうな神さまは信じていません。

 雨を降らせるのはそういう神さまではなく、まずは自然だと思っています。そしてその自然は大きなものなので大自然という言葉で表現できるのではないでしょうか。

 しかし今日一緒に考えたいのは、「大自然」という言葉で表現されていることの中身を私たちがどのくらい深く本当に理解しているかということです。

 確かに私たちは雨や稲妻は目で見ることができますし、雷は耳で聞くことができます。しかし雨を降らせ、稲妻を閃かせ、雷をとどろかせている「大自然そのもの」を見たり聞いたりしているでしょうか。雨や稲妻や雷を通じて大自然の働きを感じているだけなのではないでしょうか。

 ましてや大自然の力ということになると、そういうさまざまな自然現象を通じてその向こうに大自然の力を感じているということなのではないでしょうか。

 私たちは大自然や大自然の力を直接知っているつもりでいますが、本当は個別のさまざまな自然現象、つまりここでは雨や稲妻や雷によって間接的に大自然や大自然の力を感じ取っているだけなのではないでしょうか。

 そういう意味で、本当の大自然は私たち人間が直接、全面的に把握することのできない「大きな大きな何ものか」なのです。毎回のように言っていることですが、私たちが知っているつもりの、しかし本当には完全に知ってはいない何か大きなもののことを英語では「サムシング・グレイト」といいます。

 私たち現代人は、もちろん旧約聖書や新約聖書の書かれた古代の人々よりは大自然について豊富な知識を持っています。それが相当に豊富なので、まるで全部知っているかのような錯覚が生まれているのではないか、と私は考えています。しかし、相当に豊富だということは完全に全部知っているということではありません。

 とはいっても、研究・探究の努力が千年、二千年、三千年と続けられてくると、現代人は古代の人々とは比較にならないくらい自然について知識を得ることができています。しかし、ここが大事なことなので繰り返しますが、相当に豊富、古代とは比較にならないくらい、ということは、全部を完全に知っているということとはまるで別のことなのです。

 もしかしたら、科学が進歩したら人間は宇宙のすべての謎を解き明かすことができると思っている人がいるかもしれませんが、宇宙の広さとそこに存在するであろう膨大な情報の量を考えると、情報処理の理論からしても、あと千年、二千年経っても宇宙のすべてを完全に知るなどということはあり得ない、と私は考えています。

 宇宙そのもの・宇宙全体は、宇宙で起こっている様々な現象つまり自然現象から想像・推測することができるだけでしょう。

 その完全には知り得ないものを古代の人たちは「神」と呼んだのだとすれば、それは現代人にとっても本当には知りえない全体としての大自然・宇宙とまったく別のものではない、と私は考えています。

 神と呼んでも大自然あるいは宇宙と呼んでもサムシング・グレイトと呼んでも、それはどちらでもいいことではないかと思うのです。ともかく私たちが知り尽くすことはできないそういう大きな何かが、雨を降らせ、稲妻を閃かせ、雷をとどろかせているのは間違いないのではないでしょうか。

 新約聖書の主要な部分を書いた大使徒パウロは、そのあたりのことをとても深く自覚していたと思われます。それが、先ほどの聖書の箇所です。もう一度読んでみましょう。

 「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます」。

 「被造物」とは、現代的に言えば自然のいろいろなものや自然現象のことです。神そのものは見ることができず、しかし神の永遠の力とその本性つまり神性は、目に見え、耳で聞くことができ、鼻で嗅ぐことができ、舌で味わうことができ、手で触ってみることができるものを通して知ることができる、というのです。

 今日は、梅雨時にちなんで、特に雨に限定してもう少し考えてみましょう。

 いうまでもありませんが、雨は水です。水は、水素原子二個と酸素原子一個が結合したものでしたね。さて、では水素や酸素は、誰が、あるいは何が作ったのでしょう。水素と酸素とを結合させたのは誰または何でしょう。

 そして、その結合した水が氷でも水蒸気でもなく、液体状の水としてたっぷりあるのが、「水の惑星」と呼ばれる私たちの地球ですが、太陽系の惑星の中で液体状の水がこんなにもたっぷりある星は地球だけです。地球より太陽に近い水星にも金星にも、地球より遠い火星、木星、土星などにもありません。地球をそういう「水の惑星」にしたのは何でしょう。

 そのたっぷりある水が集まったところを海といいますが、その海の水が太陽に熱せられて蒸発して空に上って雲になり、風に乗って移動し、やがて冷えて雨になって降ってきます。海の水を熱して水蒸気つまり雲にする、その太陽を作ったのは何でしょう。

 みんな偶然の産物なのでしょうか? 偶然にしては大自然はあまりにもうまく出来すぎているとは思いませんか?

 大自然の中で、雨はどういう働きをしているのでしょう。先ほどの旧約聖書の箇所では、まず「懲らしめのため」となっていました。

 「人間を懲らしめるために雨が降る」と言うと、なんだか迷信っぽいと思いますか。確かに特定の個人がしたことに対して罰として雨が降るというのは、非常に素朴な民俗的な信仰でしょう。

 しかし、これを大自然と人間の関係を語ったものと解釈すると、象徴的な意味のあることが語られています。最近の局地的集中豪雨を地球生態学・エコロジーから考えると、それは人間が自然環境を壊し自然の調和を乱しつつあるのに対して、自然が異常気象というかたちで懲らしめようとしている、その現われと捉えることもできます。

 大雨に見舞われた時――災害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げますけれども――「自然災害」と呼んで困るにとどめず、私たち現代人は自然に対して畏れ・畏怖の念を感じ、人間の文明の営みを反省する機会として捉えることも必要なのではないでしょうか

 次に「大地のため」とありますが、まさに雨のおかげで大地が潤い、大地が潤ったおかげで植物が育つことができ、植物が育つおかげで植物を食べる動物たちが生きることができ、そういう動物が生きているおかげで動物を食べる動物も生きることができ、そして何よりも水を飲み、植物と動物を食べて生きている私たち人間も生きることができています。

 それこそ、大地とすべての生き物に「恵みを与えるため」に雨が降ると言っていいでしょう。
 すべての生き物は細胞から成っており、細胞には水が不可欠です。私たち人間の体の六〇以上七〇パーセントくらいが水分なのだそうです。水がなければ、私たちは生きられない。その水のほとんどはもともと雨として空から降ってきたものです。海の塩分の多い水はそのままでは陸上の生物には使えないことはよくご存知のとおりです。

 雨が降るから私たち陸上の生き物が生きることができる。だから、基本的には雨が降るということは私たちにとって、いいことであり、ぜひ必要なことなのです。

 神あるいは大自然あるいはサムシング・グレイトが雨を降らせてくれるのは、時には懲らしめのこともありますが、基本的には私たちにとって大きな恵みというほかありません。

 雨が降ってうっとうしいと感じることのある梅雨時ですが、そういうふうに考えると、「雨が降るのはいいことだなあ」とポジティヴに考えることができるのではないでしょうか。

 こういう考え方には慣れていない人が多いでしょうから、急には無理かもしれませんが、「雨が降るのはいいことだなあ」と考え、そして感じる練習をしてみてください。

 それから、恵みの雨を降らせる大いなる何ものかのことも感じてみてください。

 そうすると、きっと自分の人生に対してとてもポジティヴになれると思います。

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就活に勝つメンタル・タフネス 4

2010年07月12日 | メンタル・ヘルス

 ここのところ、N・V・ピールの本を集中的に読んでいます。

 いい話がたくさんあって、本をすべて引用したくなるほどですが、それでは著作権法違反になりそうなので、特にいいところを紹介することにしましょう。

 「メンタル・タフネス」というと、筋肉マン的な心のことだと誤解する人がいますが、そうではありません。

 それは、私の訳したD・チョプラ『人生に奇跡をもたらす7つの法則』(PHP研究所、残念ながら品切れ中に他社に翻訳権を買い取られて、私の訳は絶版。身近な人に「私の翻訳のほうが良かったでしょう?」と聞いたら、率直に「一長一短ですね」と言われてしまいましたので、どちらの訳で読んでもいいようです)に、

 「あなたは、樫の木が嵐の中で頑固に立っていて結局折れて倒れるようなことを望まないでしょう。そうではなく、葦が嵐になびいて生き延びるように、柔軟でありたいと思うのではないでしょうか」(92-93頁)という言葉があるように、とても柔軟な心なのです。

 柔軟なメンタル・タフネスは、かならず柔らかな感受性を伴っています。

 以下の引用は、そういう感受性豊かなメンタル・タフネスの秘訣を示していると思います。


「情熱というのは、生命の最高の質のひとつである。しかし、実際の行動にあらわれるのでなければ、人生を動かす要素となることはない。

 幼い子どもの特性は何か、考えてみるとよい。それは情熱だ。子どもは、この世界は素晴らしいと感じている。この世界が好きだ。ありとあらゆるものごとに、心から関心を示す。イギリスの生物学者で哲学者のトーマス・ハクスリーは、天才といわれる人の秘密は、幼い子どもの心を年をとってももちつづけていることだと言った。その意味が、情熱を決して失わないということである。

 しかし、子供のみずみずしさを保ちつづける人は少ない。情熱が枯渇してしまうのだ。自分の人生が実りうすいと感じる人は、心の情熱の状態を調べてみるとよい。

 私の母は、私が知るかぎり、もっとも情熱的な人のひとりだった。ありふれた日常の事柄のなかから、心踊らせるものを見出すことができた。冒険的なものや、大喜びの種を見出す能力を持っていた。世界を旅したが、どこに行っても心の底から喜んだものだ。

 ある霧の深い夜、私と母は、フェリー・ボートでニュー・ジャージーからニューヨーク市へと向かっていた。私にとって、美しいと感じられるものは何もなかった。何しろ霧の夜の船の旅であり、何も見えなかったのだ。しかし、母は「わくわくするわ」とはしゃいでいた。

「何が、そんなに、わくわくするんですか」と私はたずねた。

「だって、霧も、光も、それにフェリー・ボートもすてきじゃない。ほら、光が霧のなかに消えていく。なんて神秘的なんでしょう」と母は答えた。

 その時、霧笛の音が、重くたちこめた白い霧のなかに低く響いた。母の顔は、興奮しきった子どものようだった。私自身はといえば、早くこの河を渡ってしまいたいと思うばかりで、この船旅になんの感動もおぼえなかったのである。

 その夜、母は、手すりのそばに立ち、私をじっと見つめて静かに言った。

「ノーマン、私はあなたにいろいろと助言をしてきたわ。あなたは、それに従ったこともあるし、耳をかさなかったこともある。だけど、もうひとつだけ言っておきたいことがあるの。覚えておきなさい。それは、この世界は、美しさと驚きで心が踊るようなものに満ちているということよ。それに心を向けるのです。この世界と、その美しさ、そして人びとを愛するのです」

 だれでも、この単純な助言を素直に取りいれ、それに従うなら、情熱に満たされ、喜びにあふれた人生を生きることができる。私はそう信じている。私も母の助言に従ったおかげで、いま大きな幸福を味わっているのである。」

 (N・V・ピール『積極的考え方の人生――喜びと情熱があなたを新しくする』森優訳、ダイヤモンド社、三-五頁)


 就活が(当面)うまくいかなくて、「いっぱいいっぱい」になっている(ような気がしている)諸君、深呼吸して、リラックスして、しばし就活のことは心の脇においておいて、梅雨の晴れ間の青空や、緑に繁った木々や、もう鳴き始めたセミの声や、そういうすてきなものに心の目を向けてみませんか。

 バーンアウトするまで走るのがメンタル・タフネスではなく(まあ、そういうのもあってかまいませんが)、必要な時はちゃんとエネルギー補給をできる心の余裕があってこそ、ほんもののメンタル・タフネスが身につく、と私は考えています。



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就活に勝つメンタルタフネス 3

2010年06月28日 | メンタル・ヘルス

 今回もピールの『積極的考え方の力』から、ポイントになる部分を紹介しましょう。

 ピール氏は牧師なので、キリスト教用語を使っていますが――私も元牧師なので用語にまったく抵抗はありませんが――抵抗を感じる人でも、私のコスモロジーと唯識の授業を受けているみなさんなら、「神」や「イエス・キリスト」を「コスモス」や「コスモスの意志」と言い換えれば、そのまま理解できるはずの言葉です。

 ポイントは、コスモスあるいは大自然あるいはサムシング・グレイトが自分と一体だということをまず学んで認識し、そしてそれにとどまることなく信じるところまで行くということにあります。

 しかし、本当に信じるというのは、単なる意識の表面の働きではないので、潜在意識――唯識でいえば「アーラヤ識」――に働きかけて信じさせる必要があるのです。

 潜在意識に信じさせるには、積極的な考え方を表現した語句を繰り返し断言的に言い聞かせることです。

 繰り返し強く断言的に言い聞かせているうちに、言葉が種子のように潜在意識という土壌に蒔かれていき、やがて深い信念が芽生えてくるのです。

 例えば、「コスモスが137億年かけて私に与えてくれている潜在能力にアクセスさえすれば、打ち勝てない困難なんかどこにもない!」「私はそれを信じる!」と。

 ある意味でもっとも重要なポイントは、こういう言葉を読んで「ふむふむ、なるほど、こんなふうにやればいいのか」と思っただけで実行しないのでは何の効力もないということです(残念なことに、そういう人が実に多いのですが)。

 指示どおり実行することが絶対に必要です。

 ピールの言うことと私の言うことをとりあえず信用してみようと思う人は、実際に毎日五回必ず指示どおり実行してください。

 では、以下の引用をしっかり読んで理解し、何よりも実行してください。


 ある黒人の男性が、「どのようにして困難に打ち勝ったのかと尋ねられた時、このように答えた。「まず、困難の周りを回ってみます。もし回ることができなければ、その下に潜ってみます。もし潜ることができなければ、それを跳び越してみます。もし跳び越すことができなければ、それをかきわけて切り抜けてみます。私は神と一緒に困難をかきわけて切り抜けるのです」

 先に紹介した不屈の男のやり方を思い出してほしい。「私を強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です」と繰り返して自分に言い聞かせるのだ。そして、一回ごとに「私はそれを信じます」と断言する。これを毎日五回行いなさい。そうすれば、あなたの心の中で不屈の力が解放されるだろう。

 潜在意識というものはいつでも変化を嫌うものなので、「そのようなことは信じるな」とあなたにささやくかもしれない。しかし、潜在意識はある意味でこの世で最大の嘘つきだ。あなたが自分の才能を誤解しているのに同調して、ネガティブな気持ちをあなたに送り返すからだ。

 潜在意識の中にネガティブな態度を作りあげると、潜在意識もこの間違った状態のままでいいといった反応をあなたに返すようになる。だから、まず潜在意識に向かってこう言いなさい。「さあ、私はできると信じるぞ。それが可能だと断言するぞ」

 こうして潜在意識に積極的に言い聞かせれば、自然に確信が持てるようになる。なぜなら、今やあなたは潜在意識に対して積極的な考えを与え、それを育てているからだ。言い換えれば、潜在意識に対して真理を語っているのだ。やがて潜在意識は、あなたに真理を繰り返し始めるだろう。その真理とは、「イエス・キリストの助けがあれば、打ち勝てないような困難などどこにもない」ということだ。

  (ノーマン・V・ピール『積極的考え方の力』ダイヤモンド社、p.153-155)


 潜在意識から信念が湧いてくるように感じ始めたら、困難だった就活に驚くべき展開が起こるでしょう。

 就活に勝ちたい人は、実行してください。漠然と「就活がうまく行くといいなあ」とかまして「あーあ、どうしてうまく行かないんだろう」と思っていても、実際に勝てるようになる可能性はほとんどゼロです。勝ちたいのなら、毎日、五回必ず繰り返し、強く自分に言い聞かせてください。

 例えば、「コスモスの助けがあるのだから、打ち勝てないような困難などどこにもない!」と。

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就活に勝つメンタル・タフネス 2

2010年06月26日 | メンタル・ヘルス

 直面する事実がどんなに困難で絶望的に見えても、それに立ち向かうとする私たちの心がまえに比べれば、それほど重大な問題ではない。

 その事実に対して何かする前に、すでにあなたの考え方が自分を負かしてしまっているのだ。現実に対応を始める前に、心理的に圧倒されてしまっている。

 反対に、自信のある楽観的な考え方は、事実をまったく変えることも克服することもできるのだ。

  (ノーマン・V・ピール『積極的考え方の力――ポジティブ思考が人生を変える』ダイヤモンド社、p.25-26)


 「できると信じる者が勝つ」(エマーソン)


 就職活動――およびあらゆる人生の活動――に成功する最大のポイントは、まず「できると信じる」ことです。

 そうするとすぐ、「求人状況はきびしいし、自分に自信がないんです。どうしたら信じられるんでしょう?」という質問が出てくるでしょう。

 その「どうしたら」つまりノウハウについても、少しずつ書いていきたいと思っていますが、まず一言コメントをしておくと、どうこうする以前に単純明快に信じ込むのです。

 方法も根拠もあるにはあるのですが、それ以前にまず自分が「信じよう」と思うその決心が大切です。

 「でも……」という人のために、もう一言だけ。

 信じられないのだったら、最初は本心からでなくてもかまわないので、まず「信じたふりをする」「信じたようなつもりになってみる」ことです。

 「ふり」や「つもり」がやがて徐々に本心に変わっていきます。

 数え切れないほどの成功者たちが自分の体験を基に口をそろえて、「できると信じる者が勝つ」と言っています。

 勝ちたいんでしょう? ならば勝った体験者の言葉を信じることです。最初から信じられないのなら、信じたふりをすることから始めてみましょう。

 大丈夫! きみたちならできる!


*すでに一度紹介しましたが、念のため。

積極的考え方の力―ポジティブ思考が人生を変える (Life & business series)
ノーマン・ヴィンセント ピール
ダイヤモンド社

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就活に勝つメンタル・タフネス 1

2010年06月16日 | メンタル・ヘルス

 筆者の授業を受けている学生で、授業後話に来てくれる諸君の中に就職活動で悩んでいる人がたくさんいて、なんとか多少でもヒントになることを伝えてあげたいと思いつつ、お互いに十分な時間がありません。

 そこで、ふと思いついて、このブログで時々参考になりそうなことを書くことにしました。

 いわば「岡野のネット版課外授業」です。

 ノーマン・ヴィンセント・ピールのことは、少し前の記事で紹介しました。

 『人生が驚くほど逆転する思考法』(三笠書房、知的生き方文庫)を読んでいて、なかなかヒントになる一節に出会いましたので、紹介したいと思います。

 教え子諸君、君たちならできる! 君たちは宇宙エネルギーの塊なんだから。へこたれるな!

                         *

 ひとつ、例を紹介しよう。ペンシルヴァニア州東部の小さな農村に住む青年の話だ。

 その小さな村の高校を卒業したばかりのウォルター・ハーターは、ごく一般的な青年にすぎなかった。子供の頃複雑骨折した脚を、ほんのわずか引きずっていることを除けば、家庭が貧しくて大学進学をあきらめざるをえないごくふつうの青年だった。

 農業に携わっている人なら誰もが認めるように、ウォルターの住む地域も他と同じく、どんな職種の仕事といえどもなかなか見つからない状態だった。

 けれどこの年若い青年の心には、夢とそれを実現させる方法とがうずまいていた。
 夢と方法──この二つが一緒になると、目標は設定されやすい。
目標が設定されれば、プラス・ファクターへ通じる扉も開きやすい。

 ウォルターの場合、めざす目標は、行ったことも見たこともないニューヨークで仕事をつけることだった。そんな目標が達成できると彼に信じこませられるものは、プラス・ファクター、それ以外にはない。

 ウォルターは電話局に行くと、ニューヨークの電話帳を借りてきた。そして中心部にあるいろいろな業種の商店を調べ、ある有名なチェーンストアに的をしぼった。

 電話帳にはマンハッタン、ブルックリン、クイーンズ、ロングアイランド、ブロンクスに散らばるチェーン店、つごう三九三店舗の住所がのっていた。これだけあればひとつくらいは仕事があるにちがいない、そう思った。ウォルターはすべての店舗一つひとつに手紙を送ることにした。

 どんな援助も期待できず、うしろだてもない十代の若者にとって、.それは途方もない試みだった。ウォルターは、どのチェーン店のどんな仕事でもいいから雇ってほしいと書いた。タイプライターは持っていなかったので、三九三店舗すべての支配人に手書きで書いた。一日十五通を自分に課し、くる日もくる日も書きつづった。

 返事は来なかった。一通も来なかった。
 拒否の仕方にもいろいろあるが、いちばん辛いのはなんの音沙汰もないことだろう。しかし、何かがうしろからウォルターの背中を支え、押していた。ウォルターは負けなかった。考えあぐねた末、ウォルターは、故郷を離れてニューヨークで運をためしていいかと両親に相談した。はじめ両親は、知りあいもないのに……と心配したが、最終的には同意して、二、三日すごせるだけのお金をかき集めてウォルターに手わたした。二人は息子がすぐ帰ってくると思っていた。

 マンハッタンについたウォルターはタイムズスクウェアに行くと、手紙を出したチェーン店の大型店舗のひとつを探し出し、支配人に会いたいと申し出た。

 支配人は言った。
 「たとえそのような手紙を受けとっていたにしても、ここにはない。人事課のほうに回されているはずだ」

 ウォルターは人事課がどういうものかもわからなかったが、とにかく教えられたとおりにパーク街の大きなビルに入っていって受付で名前を名のった。ウォルターが案内されたのは、大きな机の向こう側にいかめしい顔をしてどっしりとすわっている男性のところだった。すべての実権を握っているといった感じの人だった。

 その人はウォルターを長い間じっと見つめていたが、やがて立ちあがると机の上に置いてある手紙の束を指さし、ほほえんで言った。
 「君の就職願いだ。全部で三九三通ある。いつかやってくると思っていたよ。君には事務の仕事をやってもらいたいと思っている。午後からでも始めてくれるかい」

 信じられないかもしれない。でもほんとうの話なのだ。ウォルター・ハーターは、支配人の地位にまで出世した。そして他の職に移っても、終始主導性と忍耐力を失わず、常にある種の「勢い」のようなものを身につけていた。プラス・ファクターである。




人生が驚くほど逆転する思考法―夢をかなえる人・あきらめる人 (知的生きかた文庫)
ノーマン・V. ピール
三笠書房

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私が敗北することなんてありえない!

2010年05月26日 | メンタル・ヘルス

 アメリカのポジティヴ・シンキングの元祖のような人の一人にノーマン・ヴィンセント・ピールという人がいます。

 この人は牧師で、アメリカのプロテスタント精神をベースにした、ほんもののポジティヴ・シンキングのメッセージを語っている人です。

 残念ながら絶版になっている『積極的思考の驚くべき結果』の頁をめくっていて、次のような言葉を見つけました(ただし、私の語感で訳しなおしました)。

 「私が敗北することなんてありえない! とでもいうふうに行動しよう。神が見守ってくださるのだから。」

 キリスト教の「神」という言葉がぴんと来ない人は、ここに「大自然」とか「コスモス」という言葉を入れ替えて読んでみるといいと思います。

 「私が敗北することなんてありえない! とでもいうふうに行動しよう。コスモスはいつも私の味方なんだから」と。

 「ジュピター」の言葉でいけば、「Everyday I listen to my heart, ひとりじゃない」ということですね。


 *上記の本が絶版なので代わりに次の本を紹介します。



積極的考え方の力―ポジティブ思考が人生を変える (Life & business series)
ノーマン・ヴィンセント ピール
ダイヤモンド社

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問題があることはいいこと?

2010年04月18日 | メンタル・ヘルス

 ナポレオン・ヒルの成功哲学の紹介の第3回です。


 なるほど問題が起こっている? それはよかった。

 なぜって? 問題に繰り返し勝利することこそ、成功へのはしご段だからだ。

 勝利する度に、あなたは知恵、偉大さ、経験にかんして成長していく。

 問題にぶつかり、取り組み、PMA(積極的心の姿勢)をもってそれに打ち勝つ度に、あなたはより良い、より大きな、より成功できる人間になれる。

            (Success through a Positive Mental Attitude より)


 問題が起こり、それを乗り越えることこそ、成功への階段だというのは、まさにそのとおりです。

 問題もなく、したがってそれを乗り越えることもなくして、成功したという人はたぶん一人もいないでしょう。

 問題そのものにPMAで立ち向かった人こそ、人生の成功者(ただの金持ちではありません)になれるのです。

 問題にぶつかってしまったら、一呼吸して、「問題が起こった。でも、これはいいことなんだ! 私には乗り越えられる! 私なら乗り越えられる! コスモスから能力と潜在能力をたっぷりともらっているんだから!」と自分に言い聞かせるといいですね。



 *残念ながら全訳ではありませんが、下記のような要約版の翻訳があります。


心構えが奇跡を生む
ナポレオン ヒル,W.クレメント ストーン
きこ書房

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今日のことば23: ピンチをチャンスに変える心がまえ

2010年04月06日 | メンタル・ヘルス

 最近身の回りに失業して再就職がなかなかできなくて苦闘している人が何人もいるので、すこしでも勇気づけになればと思って、久しぶりに「今日のことば」を書くことにしました。

 ナポレオン・ヒルという成功哲学の創始者として有名な人がいます。

 彼の成功哲学は、日本では単なる金もうけの方法論と思われているふしがありますが、けっしてそうではなく、アメリカのプロテスタント・キリスト教の精神性(spirituality) をしっかり受け継いだ、非常にすぐれた実践的人生哲学だ、と私は評価しています。

 なかでも、『Success through a Positive Mental Attitude』は、いろいろな苦境に立たされた時、ずいぶん励まされた本です(邦訳は『心構えが奇跡を生む』きこ書房、として出版されていますが、残念ながら部分訳ですし、スピリチュアリティがひどく薄められてしまっています。できれば英語でお読みになることをお勧めします)。

 二つほど、私の訳でご紹介します。


「きみはトライすることであらゆるものを得ることができるが、失うものは何もない。
ポジティヴな心の姿勢(PMA)でトライしつづければ、成功は達成されるし維持されるのだ。」


「あらゆる苦境(の裏)にはそれと同じかそれ以上の幸運の種があり、PMAでやる気を出した人はそれによって(こそ)達成者になるのだ。」


 アメリカの資産家には、「ひとのため、社会のためになることができること、その結果、正当な報酬を得ることができること」という本当の成功とは何かを知っており、実践した人がたくさんいた(今でもいる?)ようです。

 彼らには、「自分には神からどんな苦境をも乗り切る能力が与えられている」という信仰があったのだと思われます。1) 2)

 そこが、日本によく見られる成功=金もうけという発想との根本的な違いがあると思います。

 しかし、私たちには事実コスモスが137億年かけて与えてくれた潜在能力があるのですから、それを信じてポジティヴな心の姿勢で取り組めば、たいていの苦境は乗り越えられるにきまっています。

 ピンチにある(と感じている)方、ぜひ、ピンチをチャンスに変える心がまえを身につけてください。

 健闘を祈っています。
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大般若経の愉しみ4:般若波羅蜜多とメンタル・タフネス

2010年03月08日 | メンタル・ヘルス

 毎日、まじめにニュースを見聞きしていると、そんなひどい話があるのかと驚いたり、ショックを感じたり、暗くなったり、いやになってしまうようなことばかりです。気持ちがうつうつとしてきます。

 日々の生活にも、もちろんいろいろ苦労や面倒があって、うだうだ、ぐじぐじと考えがどうどうめぐりしたりします。

 そんな時には、いろいろな憂さ晴らし、気晴らしの方法があるでしょうが、坐禅をして心を空っぽにし、何も考えない(分別しない)時間を取るのがいちばんです。

 考えなければ悩まない、悩めないのですから。

 しかし、中途半端に考えてしまいがちな私たちふつうの人間つまり凡夫は、ああでもないこうでもないと考えながら悩みます。

 どうせ考えるのなら、徹底的に論理的に考え抜けば、それはそれで解決策が見つかるか、受容するしかないと腹が決まるか、どちらにしてもそれなりにすっきりするのですが。

 考えるのなら、腰を据えて考え抜く。いい考えが浮かばないのなら、一度徹底的に心を空っぽにしてみる。

 考えなければ、ストレスは感じない、鬱にもならない。俗な言い方をすれば、「バカは悩まない」のですね。

 では、いったん意図的にバカになってしまいましょう。

 「バカはへこたれない」「バカほど打たれ強い」。


 善現、是の如く菩薩摩訶薩、般若波羅蜜多を修行する時、一切法に於て都(すべ)て見る所無し。一切法に於て見る所無き時、其の心驚かず恐れず怖(おのの)かず。一切法に於て心沈没(ちんもつ)せず亦た憂悔(うげ)せず。(初分教誡教授品第七之二十六)

 スブーティよ、覚りを求める者・志の大きな者が智慧を完成する行を修行する時には、すべてのことについて認識しないようにする(何も考えない)。すべてのことについて認識しない時には、その心は衝撃を受けるとか恐怖を感じるとか不安におののくといったことはない。すべてのことにかかわって心が沈み込んでしまうことも、またくよくよと鬱になることもない。


 般若波羅蜜多の修行には、メンタル・タフネスを高めるという現世利益もちゃんとある、と『大般若経』には書いてあるようです。

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