*以下は、特に「就活」だけの話ではないのですが、ここのところ書いている連載的なテーマなので、タイトルを合わせました。
戦後の日本人、特に若い世代ほど表面はともかく内心では自信がない最大の理由は、敗戦によって国家神道・天皇教というコスモロジーと込みで飛鳥以来の日本の伝統的コスモロジーであった「神仏儒習合」のコスモロジーの意味も見失わされて・見失ったことにある、と考えられます。
ところで、ピールのキリスト教をベースとしたポジティヴ・シンキングでは、自信のなさの治療法として、端的に「単純な信仰ほど、自信を強くするのに役立つものはない」と言っています(改行は筆者)。
自信の欠如に対する確実な治療法の一つは、神が現実に自分と共におり、自分を助けてくれると信じることだ。
これはキリスト教の最も単純な教えの一つである。
全能の神が同伴者となり、あなたの側に立ち、あなたを助け、見守ってくださっていると考えるのだ。
ほかのどんな考えも、この単純な信仰ほど、自信を強くするのに役立つものはない。
これを実行するためには、ただ「神がともにおられる。神は私を助け、導いてくださる」と受け入れればよい。
(ノーマン・V・ピール『積極的考え方の力』27頁)
確かにそのとおりだし、信じられたアメリカ人には大変な効果を生み出したことはまちがいないと思うのですが(ピール『積極的思考の驚くべき結果』日本ソノサービスセンター、参照)、しかしいったん合理主義・科学主義を学んで、その〔ある程度にすぎないのですが〕妥当性を知ってしまった現代の日本人が、伝統的宗教にそのままのかたちで帰ることはできないし、無理に帰る必要はない、というのが私の考えです。
私たちは、伝統的宗教のいい点と現代科学のいい点を統合して、理性的でありつつゆるぎなき自信を身につけることができるという、そういう意味ではいい時代に生きています。
つながり・かさなりコスモロジーを学ぶと、「神」「仏」「天」「道」「大自然」「宇宙」などがほぼ同義語であると納得することができるのです。
そうすると、ピールの言葉もそのままでもいいし、抵抗感が残るのなら、「神」のところに「コスモス」を代入して、自信を強くする基礎の考え方・文章にすることができます。
念のため、実際にやってみましょう。
自信の欠如に対する確実な治療法の一つは、コスモスが現実に自分と一体であり、自分をサポートしていると信じることです。
これはコスモロジーのもっとも単純な考え方の一つです。
全エネルギーそのものであるコスモスが同伴者となり、あなたの側に立ち、あなたを助け、見守ってくれていると考えるのです。
ほかのどんな考えも、この単純な信仰ほど、自信を強くするのに役立つものはありません。
これを実行するためには、ただ「コスモスはいつも私と一体だ。コスモスは私をサポートし、導いてくれる」と〔いう事実に基づいたコスモロジーを〕受け容れればいいのです。
それに関して、かつてウィキペディアで、私の禅の師である秋月老師のさらに師であった――法祖父ということになります――山田無文老師のことを調べていて、とてもいいエピソードがありましたので、ご紹介しておきます。
山田無文(やまだむもん 1900年7月16日 - 1988年12月24日)は昭和期日本の代表的禅僧。
チベット探検で有名な河口慧海を頼って出家するが、あまりの厳しい生活に結核になってしまったというエピソードもある。わかり易い法話で親しまれた。
結核時、無文には兄がいて、兄は結核で命を失う。
無文は闘病中の夏の日。縁側でそよ風に吹かれると、ふと考えた。
風とは何ぞや。風とは空気。空気とは何ぞや。空気は自然。 その空気を朝から晩まで晩から朝まで、呼吸して生きている。 「そうだ私の後ろ盾には大自然が付いているんだ」と考えたら、寝てられなくなった。
そして、元気が出てきたときに、下手な句を読んだ。 「大いなる者に抱かれあることを、今朝吹く風の涼しさに知る」
南天の実が赤かった夏の日のことでした。(NHK-TVあの人に会いたい より)
「大いなる者に抱かれあることを、今朝吹く風の涼しさに知る」
下手どころか、心に沁みる実にいい歌ですね。
「そうだ私の後ろ盾には大自然が付いているんだ」という気づきは、まさにコスモロジーです。
ただ、この夏は酷暑すぎて、なかなか「今朝吹く風の涼しさ」を感じられないのが残念ですが、でも今日あたり、日が落ちるといくらか涼しい風が吹いています。