かなり長い間、記事の更新ができませんでした。
最大の理由は、レポートの採点に手を取られたことです。
今回は、少し遅くなった中間レポートで、「唯識の体系の概要と意味」というテーマ、約550通でした。
今日の午後、ようやく読み終えました。私の仕事収めです。
相当な仕事量なのですが、今年もやはり教えてよかったと思わせてくれる感想がいろいろありました。
その一つを以下、ご紹介します。
H大学社会学部1年男子
唯識が目指すところは「覚り」である。……その中でも、究極の目標は、「無住処涅槃」である。状況に応じて、安らぎの世界にいたり、苦の輪廻の世界にいたりと、自由自在に宇宙の働きの一部になることが可能になるのだ。
私たちが、目指すべきところは、無住処涅槃で、ここへは到達できなくても、そこへ向かう姿勢が人生をすばらしいものにします。私は、この授業を受けるまで、自己中心的な考えをする人間でした。しかし、毎回の授業を受けるにつれて、自分が生きている意味について、段々分かってきました。唯識を学んだことで、今あるすべてのものは、もともと一つ、すべてはつながっている中で私は生まれ、そして、私が今生きているのには、数え切れないほどの人物や生き物、ものなどが関わっている。直接ではないがすべて、私とつながっていると教えてくれました。授業で、マナ識、アーラヤ識の話を聞いたときに、「だから、私の心は悩み苦しんでいるんだ。やっぱり、ばらばらに分離しているんだ。どうしよう。」と悩んでいました。しかし、「転識得智」の話を聞いたときに、「良かった! やっぱり、私たちはつながって一つなんだ。」と小さくガッツポーズしてしまいました。今、私の人生は明るくなり、希望に満ちあふれています。これからは、宇宙とつながっていることを、日々感じ、親をはじめ、すべてのものに感謝し、一歩一歩地道に覚りへ向かっていきたいと感じます。そして、いつか、「無住処涅槃」まで、到り着きたいです。到り着けなくても、この目標に向かうことで、今、私の心・人生はポジティブになっています。
あまりにもストレートな感想で、「最近の学生は先生の喜びそうなことを予想して作文をしたりするらしいから、ほんとに喜んでいいのかな」と思わないでもないのですが、しかし、素直に信じて喜ぶことにしましょう。ほんとうにこう思ってくれたのなら、教師冥利に尽きるというものですから。