明けましておめでとうございます。
「持続可能な国づくりを考える会」のブログにはすでに新年の記事を書きましたが1)2)、こちらは今日になりました。
昨年12月、新著『ストイックという思想――マルクス・アウレーリウス『自省録』を読む』(青土社)を出しましたが、その中から波乱含みの新年にふさわしい言葉をご紹介します。
宇宙を支配している自然はすべて君の見るものを一瞬のうちに変化させ、その物質から他のものを創造し、さらにそれらのものの物質から他のものを創造し、そうすることで常に世界を新たにしている。 (七・二五)
変化を恐れる人がいるかもしれない。だが、変化がなくて何が生まれうるだろう。宇宙の自然にとってこれよりも好ましく親しいものがあるだろうか。君自身、薪が変化しなかったら風呂に入れるだろうか。食物が変化しなかったら栄養を摂れるだろうか。そのほか有益な事で変化なしに成し遂げられることがあるだろうか。君自身の変化も同じで、宇宙の自然にとっては同じように必要だということがわからないのか。 (七・一八)
我々はみな一つの目的の実現に向って共同作業をしている。ある人間は意識的かつ理性的に、ある人間はそうとも知らないで。たしかへラクレイトスが言っていたが、「眠っている人間でさえ働き手」であり、宇宙の中の出来事を作り出す共同作業者なのだ。だが、人はそれぞれ違うやり方で共同作業をする。出来事を非難する人間、反逆し破棄しようとする人間でさえ共同作業をしているのだ。なぜなら宇宙はそういう人間をも必要としたのだから。
だとしたら、後は君がどちらの人間の側に立つかを決めるだけだ。もちろんどうなっても宇宙の管理者は君をうまく用い、共同作業者や協力者の一部として受け入れてくれるだろう。しかし君としては、クリュシッポスが言っている、劇の中のくだらない、笑うべき一行のような部分にはならないことだ。 (六・四二)
どんなことが起こり、それが私たちにとってどんなに不都合でも、宇宙には不条理はない、というのが、ストア派のコスモロジーであり、コスモス・セラピーの考え方でもあります。
今年もどんな変化があるとしても、一時的に宇宙進化の方向から逸れているように見えることが起ころうとも、根本的には、それは宇宙が起こすべくして起こしたことという面があり、しかし、だからといってすべてどうでもいいのではなく、私たちはやはり宇宙進化の方向にまっすぐに沿った生き方をするべき、したほうがいいのです。
今年も宇宙進化の方向に沿ったいい一年になるように、するように努力しましょう!